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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「イントゥ・ザ・ワイルド」
クリスに自分の息子を重ねたジャンは、「御両親に連絡は取っているの?」と心配します。同じ立場のジャンの息子の気持ちは、痛いほどクリスにはわかるはずなのに、ジャンは受け入れ、あくまで親は否定するクリス。これが血の執着だなと思います。何度も彼の日記で「いい人だ」と表現されたウィル。厳格で粘着質な父親とは正反対の、肉体労働者の善良さと豪快さを併せ持ち、「この頭でっかちが!」と叱咤する彼に、クリスは男として憧れを抱いていたのではないでしょうか?ウィルが「檻に入る」ことがなければ、もっと長くに彼の下で働き、クリスはアラスカには行かなかったかもしれない、そんな気がします。

そしてロン。ロンが多くのヒッチハイカーやヒッピーたちとは違う佇まいを、クリスに感じた事が、二人の縁の始まりです。私も観ながら感じていましたが、髪がボサボサ、顔も洗えず泥だらけで破れた服を着ていても、クリスには清々しさが漂っていました。人生の風雪を超えた老人の目には、その心だけが映ったのでしょう。

別れ際に「君を養子にしたい」と言うロン。それはたった一人アラスカの奥地に向かうクリスに、「君は孤独ではない」と言いたかったからだと感じます。私はもっと孤独感の漂う放浪だと、観る前は想像していました。それが良き出会いに恵まれ、クリスは本当の意味での孤独を知らないまま過ごします。壮絶な孤独を経験したロンだからこそ、これから孤独に苛まれるであろうクリスに、ここで自分が待っている、だからあきらめるな、そういう意味が含まれていたように感じました。ロンの流す涙は、ただの寂しさではなかったと思うのです。

本当の意味でのサバイバルな、森での日々。他の土地では感じられない、本当の意味での「荒野」を感じさせます。しかし荘厳で雄大な自然は、決してクリスを拒んでいるようには感じませんでした。彼に試練を与えながら、手を差し伸べてはくれませんが、乗り越えてごらんと見守っているようにも感じるのです。とても父性的だと感じました。クリスにとってこの自然と立ち向かうのは、父親と向かうことだったのでしょう。

ラストの顛末は悲劇だったのでしょうか?私はそうだとは思いません。「幸福が現実となるのは、それを誰かと分かち合ったときだ」。クリスが最後に得た教訓。本当の孤独を知り衰弱した体が震える時、彼の脳裏に浮かんだのは、自分を抱き締める両親でした。ロンが語った「神に愛される瞬間」というのは、こういうことなのかと感じました。

人を変えるには自分が変わらねばならない。この言葉はよく使われるフレーズですが、言うは安し行い難し。実際は我慢したりあきらめたりすることを、人は「自分が変わった」と思いこんでいるのではないか?連絡のない息子を心配する両親の劇的な変貌を、画面は映しています。クリスは反抗や説得ではなく、自分が変わる事によって、親を変えたのです。身を呈して親に捧げた、崇高な息子の愛だったのではないかと、私は思いたい。思い切り泣きましたが、決して哀しい涙ではありませんでした。

エミール・ハーシュは、他の作品ではほとんど記憶に残らず、この作品が初めてと言っていいかも。なんで何の賞も取らなかったのかと憤慨するほど、素晴らしい!ラストで本当のクリスが映るのですが、顔立ちは違うのに、本当のクリスが乗り移ったのではないかと思うほど、劇中のハーシュはそっくりでした。他の出演者も演技巧者ばかり集めての派手さのない作りは、とても好ましかったです。

カメラが雄大な自然をとても美しく厳かに撮っています。お話としてはとても地味で、面白みがないはずなんですが、2時間半、引き込まれる様に見つめ続けました。魂が大きく揺さぶられて落ち着いた後、ペン監督の偉大さに気付かせてもらいました。今のところ、今年のNO・1候補です。

10月03日(金)
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