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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「西の魔女が死んだ」
まいの母は、誰よりも自分の母を信頼しているから娘を預けたのでしょう。しかし母に対して、葛藤があるのがわかります。葛藤というより、コンプレックでしょうか?「お母さんと私は違うのよ!」と、おばあちゃんに食ってかかる母は、まるで反抗期の子供のようでした。良妻賢母で器も大きく、非の打ちどころのないような母が、彼女にはいつしか重たくなったのでしょう。しかしその子供の心が抜けない母は、おばあちゃんに忍び寄る、老いの陰りは見逃します。この母と娘の複雑な葛藤も、やはりさりげなくですが、母にとっては心寂しく、娘にとってはいつまでも子供と言う風に、とても上手く描けています。
郵便屋さんから、「おばあちゃんは日本人より日本人」と称賛されるおばあちゃん。最初からそうだったんでしょうか?冒頭「ママはハーフだったことで、学校に居場所がなかったのに、大学まで卒業した。私はまだ中学生なのに学校にも行けない・・・」と、自分に対しての情けなさいっぱいのセリフが出てきます。なら、田舎のこの地にやってきたイギリス人のおばあちゃんは、もっと居場所がなかったのでは?
当時としては大変珍しいことで、偏見も多々あったでしょう。そして昔おばあちゃんも、イギリスから来日してそのまま結婚するなど、かなりお転婆さんだったと思うのです。それが夫を愛し、子供を生み、その土地に馴染み、人々に愛されるようになるには、いかばかりの苦労があったろうと思うのです。まいと言い争いをした後、おばあちゃんらしからぬ煙草をクユラス後姿を映した時、自分の心に溜まった辛さを、こうやって何時も煙とともに吐き出していたんだなと思うと、胸が詰まりました。
しかしその姿を娘や孫に最後まで悟られなかったおばあちゃんは、天晴れな人だったと思います。自分の寂しさや葛藤を悟らせなかったからこそ、娘も孫も早く自立出来たのでしょう。私も見習いたいと思いました。
サチ・パーカーは、シャーリー・マクレーンの娘さんで、12歳まで日本で暮らしていたとか。そのため流暢で美しい日本語を話し、気品溢れる佇まいが本当に素敵でした。この作品の成功は、一にも二にも、彼女の起用だと思います。高橋真悠は、小柄で華奢な体から、感受性の強い、でも心は折れやすいまいの様子を、素直な演技で好演。二人のアンサンブルもとても良かったです。
おばあちゃんの語る生死観は、「肉体は魂の器」ということかな?「魂は何故成長しなくちゃいけないの?」とのまいの問いに、「そういう決まりだからです」と、こともなげに答えるおばあちゃん。相手に納得してもらうには、答える側の人格が大切なんですね。6月から公開ですが、まだまだロングランするようです。夏休みに母と娘、女の子同士でご覧になるにはぴったりの作品です。そして「魔女修行」ならぬ、「おばあちゃん修行」にもぴったりの作品です。
07月13日(日)
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