ID:10442
ケイケイの映画日記
by ケイケイ
[928322hit]

■「大いなる陰謀」
黒人のフィンチとメキシコ系のロドリゲスは、アメリカに置ける格差社会の象徴なのでしょう。奨学金の取りにくさ、志願から戻れば授業料は無料だと、彼らの口から言わせます。授業の様子では、社会制度を底辺からコツコツ改革するという彼らの案に、鼻で笑うような白人の同級生たち。そこには蔑視や嘲りも感じさせます。ここの大学は恵まれた白人層の学生が主流で、フィンチたちは、異端です。結局アメリカの富裕層では、マイノリティーをまだ「アメリカ人」とは認めない空気を感じます。色々な政策で、格段に差別はなくなったと、遠くの日本からは感じますが、政策によって守られているということは、まだ「守られる存在」なのですね。そこからの脱皮が「アメリカ兵」としての志願だったと感じました。

彼らが敵に囲まれた中、引きずる足を無理やり立ちあがったのは、「アメリカ人としての誇り」なのでしょう。名誉と言う言葉も浮かびます。確かに泣かせる場面なのですが、それだけの意味で、監督は演出したのでしょうか?彼らの行動は尊く潔いけれど、そうさせたのは、アメリカと言う国の責任だと、言いたかった様に感じました。

でもそれって、遠くのベトナム戦争の時代から、ずっと同じなのではないでしょうか?描き方が古いのではなく、2001年を題材にしたということは、これがまだまだ真実なのかもしれません。

トッドは、誰が政治をつかさどっても同じだと語ります。この辺は日本の若者と同じ。政治や勉強に興味をなくしているトッドに、フィンチたちを引き合いにだし、それでいいのか?と促すマレー。マレーはレッドフォード自身、トッドは観客なのです。レッドフォードは有名な民主党支持者ですが、今の自分の立ち位置を考えて、啓蒙するより、観客自身に考えてもらう手法を取ったところが、控えめな知性と、強い気骨を感じました。

ジャニーンの背後にも、忍び寄る寒々した老後を感じさせます。これもアメリカが抱える現実なのでしょう。戦争で亡くした多くの若者の墓の前で、彼女が流した涙が、とても印象的。ジャニーンは矛盾を感じながらも記事にするのか?トッドは再びに勉学に意欲を持つようになるのか?映画に答えは出てきません。

しかしジャニーンがトッドが、そして観客がいかなる行動を取ろうとも、決して監督は責めたりしないでしょう。そういう父性的な包容力も感じます。この作品を観て、国について政治について考える、そうして欲しいとの思いが強く残りました。決して面白味のある作品ではありませんが、70歳と言う年齢で、このような志の高い作品を作ったレッドフォードを、私はリスペクトしたいと思います。

04月20日(日)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る