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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「モーテル」
しかしデビッドとて悲しみの表現が違うだけで、父親として充分に悲しんでいるはず。デビッドの表現は、言わば親兄弟が亡くなったときの哀悼の情と同じ質なのでしょう。それが母親である妻には、納得できるはずがありません。お互い「何故わからない?」の気持ちの擦れ違いが積み重なったのは、容易に想像出来ます。
しかし土壇場の窮地で、息子が亡くなってから、きっと「死にたい」と思い続け抗鬱剤や安定剤を飲み続けていたエイミーは、初めて「生きたい」と思ったのではないでしょうか?それが彼女の心の奥底の、夫を求める本心を露にしたのだと思いました。だって子供を失った悲しみの半分を背負ってくれるのは、父親しかいないのですから。
デビッドもそうでしょう。自分の手に負えなくなった妻を、本当は立ち直らせたいと思いつつ、面倒臭くなって状況に流されていたのでしょう。男の人って、そういうとこあるよねぇ。生きるか死ぬかの瀬戸際で、彼の本当の心も奮い立ったと思います。
ラストの展開は、「戻ったらやり直そう。愛しているよ」というデビッドの言葉が、エイミーを勇気づけたのだと思います。このお話の始末の付け方は、如何にも今日的ですが、果敢に妻を守ろうとしたデビッドの姿は、私には好感度大でした。やっぱり夫には守ってもらいたいですから。
ウィルソンの平凡な容姿は、デビッドの造形に打ってつけだったし、ベッキンセイルは、こんなに細やかに複雑な妻の心を表わす演技ができるたのかとびっくり。二人とも泥まみれ汗まみれになっての大健闘でした。
最後にネタバレ
このモーテルに二人を呼び寄せたのは、亡くなった坊やかもしれないなぁと思いました。ここで仲直りしなかったら、自分といっしょにあの世に連れて行きたいと思ったのかもですね。自分の心に素直になってくれたから、力を与えたのかも。亡くなろうとも「子はかすがい」かもですねぇ。
12月14日(金)
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