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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「サラバンド」
一方息苦しい父親の愛に苦悩するカーリン。母が亡くなったことで、父ヘンリックが彼女へ一心に愛を注ぐ感情は、普通は理解し易いはずですが、しかし常軌を逸した二人の間柄の描写が、観ていて辛くなります。しかし私が疲労困憊になった「叫びとささやき」の辛さに比べれば、まだ軽かったかな?ヘンリックを間に挟み、ヨハンとヘンリックが憎しみだけなのに対し、ヘンリックとカーリンには激しいぶつかりあいもありますが、お互いを思う愛もあります。憎だけではない、愛憎です。
生前のカーリンの母は素晴らしい女性だったらしく、三人ともがその愛の深さを褒め懐かしみます。自分の愛する孫や、良い嫁だと好意を持っていた女性の愛をヘンリックが受けたことが、ヨハンの息子への憎しみを増大させたかと感じました。嫉妬です。しかしヨハンはここで重大な見落としをしています。「何故あんな素晴らしい女性が、息子についていったんだ」と語るヨハンですが、それが回答でしょう。ヘンリックだから、妻も娘も愛を与えようと思ったのでしょう。これがヨハンでも同じだとは限りません。
父親がいなければ何も出来ないと怯えていたカーリンの選択は、親から自立する娘として、立派なものでした。四面楚歌の状態から、周囲にも自分にも最良の選択を選んだ彼女の賢さが嬉しいです。その娘の選択を喜べぬ父の選択は、予想通りで惨憺たるもの。「叫びとささやき」では、あんなに女に厳しかったのに、この作品ではいやに男のダメさ加減が目立ちます。
しかし夫婦の憎しみ合いが年月が忘れさせてくれるのに対し、親子の確執が一向に消えないのは、ヨハンの性格だけではないはず。その辺が「血は水より濃し」を感じさせ、他人の夫婦より、より根深いものを感じました。
私が印象的だったのは、夜怯えて眠れぬヨハンがマリアンの寝室を訪ね、お互い服を脱いでいっしょのベッドで眠りたいと言う場面です。あれだけ偏屈で強固な自我を見せ付けていた老人が、まるで幼い子供のようです。素直にその求めに応じるマリアンは、聖母のように観えました。この年の老人がセックス出来るとは考えにくいので、老いた男女において、裸でお互いの存在を確かめ合うのは、セックスの代わりなのでしょう。
「ある結婚の風景」の愛も憎しみもぶつけ合う嵐のようなセックスから、「サラバンド」では、スクリーンから穏やかで心地よい感覚が漂います。男はいつまでも女の肌の温もりを求めるものなのですねぇ。そういえば「蕨の行」の中でも、そんなシーンがあったっけ。本来セックスは体の快楽だけはなく、心も癒すものなのでしょう。「欲望」の中で、「二人で裸になって眠りましょう」という類子の言葉を支持した私には、嬉しい演出でした。
「ある結婚の風景」の最後で、「私は誰も愛さず愛されなかったような気がする」と怯えたマリアンヌですが、今回のマリアンの慈悲深さには、充分愛が見えました。そしてラスト、精神を病んだ娘が、母マリアンに見せる久しぶりの笑顔は、愛とは自分が人に与えてこそ与えられるもの、そんな気がしました。これはキリストの教えだったでしょうか?
「ある結婚の風景」から比べると、ちょっと物足りないですが、やはり二つ続けて観て良かったと思います。私にはちょうど良い年齢でのベルイマン体験なのでしょう、少しハマリ気味です。特集上映はまだありますので、何とかもう少し観たいと思います。
01月21日(日)
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