ID:10442
ケイケイの映画日記
by ケイケイ
[927713hit]
■「キングコング」
髑髏島に到着してからの中盤は、CGを使って壮大かつ秘境の地のおどろおどろしさを表現しながら、大作感を維持。原住民の踊りや容姿も不気味でリアリティを感じさせ、ちょっとヤコペッティの「世界残酷物語」を彷彿させ本物感満点。それが徐々にお話は「ジュラシック・パーク」へ移行。ここからコングが捕まるまでは、恐竜大暴れです。見飽きたCGのはずですが、新鮮味はないけど手に汗握る場面の連続で、時折ユーモラスな場面を交えながら、まだまだCG活劇も工夫次第で楽しめるのを実感します。何故アンのお化粧が剥げないとか、あんなにジェットコースターのようにコングに振り回されているのに、骨折打撲ゲロ吐きしないのはおかしいではないか?などどは、決して言っちゃぁいけません。ヒロインの美女が何が起こっても美しくあり続けるのがこの手の作品の昔からのお約束。島を出るときのアンはシュミーズ姿だったでしょう?あれはデナムのスポンサーの一人が言った、「冒険モノは、美女が乳房を出してこそ値打ちなのだ。」とかぶると思います。こちらB級ではない健全娯楽大作のため、下着姿までというわけで。こういう遊びの部分も面白かったです。
後編コングがニューヨークを連れて来られてからはダイナミックなコングと人間の攻防戦が始まり、目にはアクションを堪能、心は切なさでいっぱいになります。必死でお互いを守ろうとするコングとアンの姿は、もちろん人間の男女の愛ではないですが、愛の形もそれぞれ。人間と動物、人種差別など色々置き換えて見ることも出来ます。氷の上を楽しく滑るコングの手の平のアンは、ジェットコースターのようだった島の時とは違い、まるでメリーゴーラウンドに乗っているかのような楽しさです。心が打ち解けあった後を対比していたと思います。
軍に追い詰められて、エンパイアステートビルの屋上で雄たけびを上げなら胸を叩くコングには、哀しさが溢れていました。何故生きることを拒まれるのか?密林に生きる自分を勝手に連れて来た文明人に対しての非難を感じます。そしてデナムの業は肯定しても、暴走することを非難しているようにも感じ、やはりコングの姿に、勝手に自分の国を荒らされる人々の哀しさに置き換えられても見えるのです。
ネタバレ終了***********************
船の船長にトーマス・クレッマン。子供の頃船の檻で野生の動物のような姿で見つかり、そのまま船員になった少年にジェイミー・ベル。彼を父のように厳しく暖かく見守る機関士の黒人との交流も、物語に深みを与えています。その他デナムに振り回されるアシスタントにトム・ハンクスの息子のコリン・ハンクス。渋好みのキャスティングで、往年のハリウッド大作へのリスペクトも感じられる、とても立派な「娯楽作」です。是非ご覧あれ。
12月20日(火)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ
[4]エンピツに戻る