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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「カーテンコール」
亡くなった母の33回忌の墓参りに偶然美里の夫と修平は出会いますが、韓国では○○回忌という風習はなく、毎年命日に同じように法事をします。たまたま修平は普通の命日のつもりで墓参りしたかもしれませんが、上に書いたように在日であることを強く意識した人たちなので、たとえ母は日本人でも韓国人の妻として亡くなったのなら、13回忌や33回忌という言葉が出てくるのは変です。

香織の中学の同級生金(橋龍吾)も、中学生の時に香織との淡い恋破れ、その時の痛手か、結婚相手には同じ在日を選んでいます。これって何?いつの時代だという描き方です。これでは結局安全パイの相手を選び、勤め先も同胞ばかりの民団に移り、まわりまわって同じ血ばかりの場所が落ち着くという風に私には取れます。何と精気のない描き方でしょう。本当に在日を理解しているなら、今どんどん本名で社会に進出している人たちのように、文武両道だった金を描かなかったのでしょう?

佐々部監督は「チルソクの夏」で主人公に「お父さんは仕事で朝鮮の人の世話になっているのに、何で私が韓国の人とつきおうたらいけんと言うの?」という瑞々しくも感慨深いセリフを与え、私は嬉しかったものですが、この作品に限り在日へのアプローチの仕方は、言い方が辛らつで申し訳ないですが、大昔ハリウッドがシドニー・ポワチエに求めていたものに感じるのです。差別もさらっと目をそむけたいような物には描かず、だから差別はいけないと簡単に思わせ、差別迫害にもめげず清く正しく本名を名乗る毒のない日本人に都合の良い在日韓国人です。過去を描きながら見事に今があった「パッチギ!」とはだいぶ違いました。

日本人の佐々部監督が在日にこだわって描くのは素直に嬉しく思いますが、それなら確かなリサーチや掘り下げをお願いしたいところです。

美里を捨てた修平も親に早く死に別れています。家族ももたないそういう人は、独特の風来坊めいたアウトロー的雰囲気があり、老年期の井上尭之にはそういうムードたっぷりで、晩年の修平にはうってつけでした。若い頃の藤井隆にそういう雰囲気が欠けていたのまずかったかも。美里が劇場では会わず、遥々韓国に会いに行くのは良い設定です。よってたかって「正しい道」を説かれても、あの時は意地でも会ってやるもんかとなって当然。しかし会おうと思うまでの心の移り変わりが描かれていないので、唐突な印象が残るのが残念です。

微笑ましくも少々押し付けがましいおせっかいをする香織ですが、彼女の成長の記録とも見られる展開です。人はやはり他者と交わることで成長するのだなと、改めて思いました。修平が在日ではなく、普通の日本人なら何の文句も出ない作品だったと思います。その部分で気持ちが足を引っ張られたので、素直には絶賛出来ませんでした。金役の橋龍吾は歌手の橋幸夫の息子さんで、お父さんの「メキシカンロック」や「いつでも夢を」が流れ、なんとなく嬉しかったです。最後に佐々部監督は、「半落ち」でも意味のない上司と部下の不倫関係を挿入していましたが、今回も東京での上司と香織の同棲場面は必要なかったと思います。出版や新聞社関係は社内恋愛がいっぱいの刷り込みが、監督にはあるんでしょうか?

11月21日(月)
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