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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「蝉しぐれ」
大立ち回りが一箇所ありますが、それもなんだかなぁ。秘刀・むらさめを伝授された剣豪なんですよ、文四郎は。むらさめのむも出てこん!立ち回り場面は血しぶきがかなり上がりますが、これも作風と合っていると思いませんでした。剣豪と言う感じもせず。数箇所ちょこちょこ出てくる犬飼兵馬は、原作ではやはり印象に残る人物ですが、映画では、はぁ〜〜?というくらい、どんな人かわかりません。文四郎と対決するシーンでは、原作ファンなのでしょう、後ろのご婦人が盛んに「出た〜出た〜」を10回くらい仰り、期待の一番勝負が観られると思いきや、これもへっ???というくらいあっさり終わりました。ここは映画なら原作以上に膨らませて描いてもいい部分だと思うのですが。
私が最もがっかりしたのは、画像に貼り付けているシーンの時、ふくが初恋の文四郎に抱きつくところです。原作では久しぶりの再会の時、今は藩主の側室となり子まで産んだふくは、一貫して「文四郎殿」と呼び続けるのに、このシーンの時、たった一回「文四郎さん」と昔のふくに戻り彼を呼ぶ時、胸がかきむしられるほど、私は切なく思ったものです。ふくは下級武士とはいえ武家の娘。文四郎と同じく、自分の運命を甘んじて受け、そして流されまいと必死に踏ん張った女性です。そんな賢い女性が自分の立場もわきまえず、昔の恋しい人に自分から抱きつくようなはしたない真似は、私はしないと思います。木村佳乃の風情なら、原作通りで充分だったと思います。
その他お笑いから今田耕司とふかわりょうが、それぞれ文四郎の幼馴染として影になり日向になり彼を励ましますが、これも彼らをキャスティングしたのは意味がなかったような。特に今田はお笑いを取る役でもないのに、そういう役回りを着せられ、場の雰囲気を壊してしまい、演じる彼が可哀想でした。若い頃の明石屋さんまのような役どころなら、彼の真価が発揮されると思います。
後半ダダーと私的には尻すぼみ。期待の恋しい染様も、「阿修羅城の瞳」ほどには魅力がなく、無難な演技だけの印象です(でも萌えは続行中)。この作品には清貧や清廉という、とても美しい日本語がよく引用されます。清貧や清廉を保つには、自分を見失わない強靭な心が必要なはず。攻撃的ではなく、受身にそれを表現し続けたからこそ、後の文四郎の家老に対する行動にカタルシスを覚えるはずが、その過程の描きこみ不足で、全体に平坦な印象が残りました。
自然の穏やかさ厳しさ、懐の深さを映す風景は絶品でした。全体的にはぎりぎり及第点かというところ。これは原作を読んでしまったからなんでしょうか?映画単体の人の観方の方が、私より的を射ているかも知れません。う〜ん、私もまだまだ修行が足らんなぁ。
10月13日(木)
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