ID:102711
声優さんと映画とアニメと
by まいける2004
[857752hit]

■いやぁ〜映画って本当に良いですねぇ・・・(*修正*)
モリベルラジオの今回の写真が、モリベルラジオの看板写真とほとんど同じ雰囲気というか表情で、まあ、本人なんで当たり前なのですが、撮影から十ヶ月ほど経っているはずですが、森川さんが持つ雰囲気に変わりがないことがとても嬉しいなぁと思いました。

ラジオの中で触れていた「7月4日に生まれて」
関東のアパートに置いてあったので、今見て居ます。
ベトナムでのシーン以降は、視覚的にも、ロン(主人公のトムの役)の置かれている環境がすさまじく、戦場そして戦傷者軍人病院、リアルな描写が凄惨です。
そしてトムの演技も体当たりでリアル。
長い闘病生活の後、やっと健康を取り戻し帰郷。
当り散らし、周囲や家族の苦悩と本人の苦悩とはかみ合わず空回り、そして衝突、そしてやけくそになって・・・このあたりですね、森川さんがトムの演技に感心したという、お母さんと喧嘩になるシーン。
リアルで、ロンという青年が純粋な心を持っているだけに、見ていて本当に辛いです。
決して本土では戦わず、常に正義感と愛国心に情熱を燃やす若者を、政治の手段の代理戦争の地へ送り込み、死なせている・・・そんなアメリカの政策と市民生活の持つ矛盾がリアルに描かれています。
だからこそ、最後の反戦演説の壮絶さは、心を揺さぶりまくります。

吹き替えの神様が降りてきた・・・
半身不随でありながらも必死に生きて必死に叫び反戦を訴えるシーンでの演技などなど、演じるトムとシンクロできたという実感があったのだと思います。
演じる役者にしか味わえない、迫真の感情の追体験のようなものを感じたのかもしれません。
そして、そういう半身が不自由でありながらも一生懸命全身全霊で声をだせば、やはり無理が生じて喉に負担がかかるのだと思います。
そういう人の演技を、そういう状況を体が擬似的に感じながら演じるので、同じようにモリモリの喉にも負担がかかったのだと思います。シンクロしすぎたのかもしれません。
それぐらいリアルに演じることが出来たのだということだと思います。
反戦演説をまくしたてる森川さんの迫真の演技は、本当に何回聴いても鳥肌です。
収録に二日かかったというのは、今回始めて明かしてくれた裏話かな?
真剣に演説しているシーンは、まったく台本読んでるとは感じさせない、聞いていると、本当にどんどん演説し、喚きまくり、そしてどんどんリアルに声が枯れて、最後にはがらがらになります。

もしかすると、森川さんが言うところの、吹き替えの神様が降りていた瞬間というのは、実際に演じているときに感じたのではなく、演じ終わってふと素の自分に戻ったときや、仕上がった作品を見て、きっと自分であって自分じゃないような感覚なって実感しているのではないかと思います。

戦地で地獄を見て帰還した人にとって、何事もなく平和で満たされた生活をしながら反戦活動をしているアメリカの状況には、さぞかしギャップや矛盾を感じたと思われます。
今の若い方々には信じられないかもしれませんが、昭和30年代生まれの私の世代は、子供の頃に駅前でお金を要求する傷痍軍人さんがまだ居たのを見た記憶があります。
60年代、70年代は、高校生や大学生が国の将来を真剣に考え議論し、純粋な人ほど学生運動に身を投じました。それが安保闘争です。80年代の私の世代では、もはや闘う意味も意義も失われていましたが・・・

森川さん、DVDを見ると演じたときの感覚が蘇ってくるのかもしれません。
あんなに全身全霊で反戦を叫ぶ演技をしたトムが、何年も経て後に、レッドフォードの作品(大いなる陰謀)で若者を戦地へ送り込む上院議員の役を演じるという皮肉について、森川さんも言及していました。
演じるトムも、きっとその点は大いに感じていたと思うし、見る側も、そんなトムだからこそどう演じるか興味があったし、同じく演じる森川さんも、いろいろ感じながら演じたみたいです。
興味深い。


[5]続きを読む

10月27日(月)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る