日々の泡

2012年05月12日(土) 「思いがけない話」ちくま文学の森から

既に返却期限を切っているので、今日にでも(日曜である)返したいが名残惜しい。Oヘンリー改心(金庫破りの話である)くびかざりモオーパッサン(にせもののダイアの首飾りをなくし、本物だと信じ10年間労働に明け暮れすっかり美人からおばさんへの変身を遂げた女性の話(しかし、私は本人の成長のためにはよかったのではないかと思う)嫉妬(ブウテの作品)きいたことのない作家だ。該当(ゴーゴリ)これは以前読んだがあまりにも悲惨な話で、じっくり読むのも恐ろしく、さらさらと読んだ。主人公が後に亡霊となって復讐したことは忘れていた。)バケツと綱(ボイスという著者。主人が首つり自殺をするにあたって使用したバケツと綱がなぜ主人が自殺をしたかという事についてバケツと綱の知恵を以て話し合う。非常に面白かった)あと20話くらいあり、どれも興味深いのだが一応返そうと思う。また借りるように覚えておきたい。



2012年05月10日(木) 長尾剛編「漱石ホラー傑作選」読む

「三四郎」「門」「吾輩は猫である」いずれも読んだ本からホラーじみている部分の抜粋が載せられているが全く記憶にない個所ばかりだった。やはり常々恐れていることではあるが、名作の数々を読んだつもりでいるが、こう忘れ果てていては、読んだことにはならないのではないだろうか。特に血肉となっているとか、精神の基礎になっているとか、全くその片鱗も感じられない。むなしいことである。



2012年05月09日(水) 平岩弓枝著「下町の女」読了

既に返却期限が切れている図書館の本。週末には返そうと通勤時に持っていく。24歳の桐子は芸者屋に生まれ育つが、母親のそろそろ50歳になろうとしているこうの期待を裏切って芸者にはならないと宣言して短大に進んだ。第1話は「女と足袋」。こうは、神田橋の路地裏にある小村足袋店の足袋しか身に着けたことがない。足袋の引き取りはこのところ女中か桐子が行っているので、こうが足袋屋の主人の良吉に会ったのは20年以上前のことになるはずだが、良吉は夏にはこうは若干夏痩せするので足袋のサイズを僅かに小さくするという念の入れようだ。実はこうは、幼馴染の良吉と一時期恋仲になっていたが、その当時、パトロンであった会社の社長に義理を立てて、桐子が生まれてからは一回も会っていないのだった。桐子は社長の子供ということになっていたが、実は良吉の子供だったのである。 母子の会話がポンポンと飛び交い、楽しい。桐子は一度結婚するがわずか一ヶ月で交通事故で夫を失い、また実家に戻る。一方こうは、古くからのパトロンである社長の家に嫁入りする。なんだかんだと最後は結局桐子が芸者屋を引き継ぎ、滅びる寸前である芸者というものを見守る形となる。いろいろ手当たり次第読んでいるが、結局私はこんな感じの小説が好きなのだろうと、いまさらながらに思った。



2012年05月08日(火) ヨハン・テオリン著「黄昏に眠る秋」読了

図書館で借りた一冊。続編の「灯台に灯の点るころ」を先に読んだ。北欧ミステリーは今流行だそうだ。暗い上に暗い...と言ったところか。こちらは「灯台..」よりも面白く読めた。エーランド島シリーズは秋冬春夏の四部作となる予定とのことで、1年前のあとがきに、本国ではすでに2作目と3作目が発表されていると書いてある。という事は邦訳はまだまだ先になるという事だろう。気長に待ちたい。あとがきに二作目は委ss化梅よりもゴシック要素が強いと書いてる。ゴシックなら全編ゴシックが好みな私としては、そんなところに二作目が妙に腑に落ちなかった理由があるのかもしれない。この一作目は、10年前に子供が行方不明になってしまって以来、看護士の仕事も休職続きでワインに頼る日々を送っている。ある日父親であるかつて船長であり、今では足腰が不自由であるため施設に入っているイェロフから電話がかかってくる。このイェロフは二作目にも登場する。80歳を前に、不自由になってくる体とまだまだ働き続ける脳とのバランスにいつも葛藤しているように思える。前作でも好感を持った人物である。その時は女性警官の縁戚として登場していた。イェロフの電話は行方不明になった子供のサンダルが見つかったという話だった。ついに真実が明かされる日が来たのかと、ユリアは揺らぐ精神を鼓舞してしっかりしようと決意する。イェロフは年老いた友人を訪ねて回り、何気ない日常やちょっとした出来事から真実を探ろうとするが、それがユリアには核心に触れることのない無駄な行動のように思える。しかしイェロフの情報収集の積み重ねによって、最後は命までも危うくなりながらも、ついに犯人を見つける。 当初犯人であると思われたニルス・カントは、子供のころから幼い弟を溺死させたり、長じてはドイツからの兵士2人を殺害し、追ってきた警官も撃ち殺すという生まれつき残忍な男だったが、逃れた南米から溺死体として10年以上も前に棺に入れられて帰国し、母親立会いの下に墓に葬られていた。このため、当初から子供誘拐の犯人からは除かれていたがイェロフは丹念に、彼がまだ当時生きていたことをつきとめる。実際はニルスを個人的に死刑に処そうとたくらんだ彼に父親である警官を殺されて、今は自分も警官となっているレナルトが、ニルス殺害の際に誤って少年を車でひき殺していたのだった。レナルトはユリアに出会い、お互いに好意を寄せあうまでになっていたのだが、最後に真実が明らかになり、あらためて少年の葬式を終わったとき、そこには寄り添うイェロフとユリア二人だけの姿があった。



2012年04月26日(木) 山本一力著「いかだ満月」読了

話は木場の川並(いかだ乗り)の「満月腕試し」の日から始まる。後々も出てくる健次の活躍がまず描かれる。次の場面はいきなり鼠小僧次郎吉の処刑話になる。次郎吉の妻のおきちと息子の大次郎は処刑を見に行く。祥吉は次郎吉の仲間で二人で仮の姿として熊野杉 新宮屋を営んでいて、きちのと次郎吉の面倒を見ていた。一体話がどこに行くのかわからないままに、テーマもわからないわけだが、とにかく祥吉と大次郎、健次は、大きな商いが入り、船に乗って熊野に行くことになる。熊野杉の買い付けに行くのだが この道中にもいろいろな出来事が起こる。全編これ、人情物である。 水戸藩の武士3名も家命により熊野杉の買い付けに同じ船に乗り合わせる。大次郎は、旅の途中ですっかり信頼を寄せた健次に自分が次郎吉の子供であることを打ち明ける。実は旅の始まる前から次郎吉との関係を疑っていた健次は事あるごとに探っていたのだが、そのころまでにはすっかり大次郎を可愛がるようになっていた。3人の武士もいい。多分テーマは祥吉の商いぶりにあるのかもしれない。話は戻るが、江戸でも大店の一つである船主のところでの取引も利益が相反する場面で、知恵を使ってみんなが得する方向に商談をまとめている。また、熊野での水戸藩との買い付け比べでも、両方にとってよい結論を導き出している。 それも道中での祥吉の行いで水戸藩の信頼を勝ち得ていたからこその結果だった。とにかく、下手な文章をだらだら続けてしまったが、汐留で地下鉄を降りるときは、涙を出てきて止まらない状態だった。やはり江戸の人情物はいい!



2012年04月24日(火) 川上弘美著「風花」読了

会社の人から借りた一冊。 主婦であるのゆりは、夫が不倫をしているにもかかわらず、夫から離婚してほしいと言われながらも、なぜかはっきり物を言うことなく、だらだらと生活を続けている。こんな優柔不断な友人はいらないと思うのだが、不思議に周りから飲みに誘われたり沖縄への旅行に誘われたりする。



2012年04月19日(木) 村上春樹著「小澤征爾さんと音楽の話をする」読み始め

以前読みかけたものの、やはり語られている曲を聴きながらにしようと、やめていた。ブラームス ピアノコンチェルト第1番、ベートーヴェンピアノコンチェルト第3番  会社の休みを取ったので朝6時から2曲、対談を読みながら聴いてみる。残念ながらナクソス・ミュージックのデータベースにはブラームスの方の盤はなかった。ベートーヴェンの方はまさにカラヤンとグールドのものがあった。1957年の演奏だ。



2012年04月18日(水) 「古道具 中野商店」読了

月曜から読み始め、最終章を残していたので、早速京王線で読む。その後クリニックの待合室ででノートに感想を書き綴る。なんと8ページ、書いている途中で名前を呼ばれて診察室へ。実は私は血圧を測るのが大の苦手で、多分これは病的と言っても良いかもしれない。先生も呆れ果ててついに自宅で血圧を測らなくても良いと匙を投げた。結果は基準内だった。物を書いていると多少精神が安定するのではないかと思う。ずっとひたすら本を読んでいたのだが、意外に本を読むということと、心配するというのは同時にできるらしい。それより、物を書くという作業は集中するらしく、不安も減じるようだ。ということで、ひたすら30分ほど、診療開始時刻にも気づかず 手帳にあれこれ他愛のない感想を書きつづけたのだ。以下、感想を書くというより、書くことに没頭すべく、思いついたことを脈絡なく文字にしただけであるが、記念に書き写しておく「この作家の癖なのか、と、言ってもまだ4冊目であるが、生活感があるようで、ないような人々。「私」も含める。最後の章で「私」の母がよっやく登場していて(単に電話の中でだが)「私」は簿記2級に受かったことを母親に報告している。学校の授業料を親に出してもらったらしい。「中野商店」を一時休業にすると中野さんが宣言した時から3年が経っていて「私」は以前よりややマシな部屋に住んでいる。派遣として食品会社でエクセルで資料を作ったりしている。中野さんが「なかの」を新規開店するにあたり、かつてのなじみの登場人物が集まってくる。
中野さんの姉であるマサヨさんの存在もおもしろかった。50代で独身、丸山という恋人がいた。 マサヨから久しぶりに「私」で電話があったのはこの丸山の通夜の行われる日だった。一緒に通夜に参列してほしいという。通夜は丸山の元妻がしきっていた。オープニングの日、中野さんはあいかわらずだった。元不倫相手の同業者サキコさんもやってくる。タケオも来る。そういえば、この小説の現実感がない理由の一つは、登場人物が中野さん以外名前がカタカタで表現されているところだろう。後々「私」やタケオの苗字は出てくるが、あいかわらずタケオはどういう漢字を書くのかわからない。タケオとは3年前に一時つきあいながらも、うやむやに別れていたが、「私」が食品会社と契約が切れて、次に行ったIT産業らしき会社で偶然再会する、タケオはウェブデザイナーになっていた。つきあっていたころからタケオは「私」の着衣のマヤ風デッサンを描いていたが、この伏線だったか。知らない人間同士が古道具屋によって結び付けられ、淡々とは言えない関係を作りながら、休業によってバラバラになり、また開店を機に再開し新たな人間関係を築く。オープニングの夜、店を閉めてから中野さん、マサヨさん、タケオ、「私」で椅子をかき集めてワインを飲む。なぜか洒落た店になった「なかの」ではワインらしい。つまみはない。女流作家なのだから、「私」とタケオが居酒屋で飲むシーンももう少し華やぎがあってもよいのではないかと思ったりするが、こんなところがこの作家の持ち味なのかもしれない。ポージイという昔ながらのケーキ屋が出てきて、マサヨの家を訪ねるときはここのケーキを土産にするのだが、このケーキもブルーベリーパイ、アップルパイ、チーズケーキと古臭い。これはもちろん狙いで、後々店主が代替わりしたらやたらにケーキの名前が長くなって覚えられないとマサヨがぼやいている。
私より作者は年齢が下であるのに、地味なことだ。大人なのだろうか。作者は大人で、登場人物はどこか子供っぽい。確かどこかにみんな大人ではないという記述があったようにも思う。 大人になりきれていない人たちの集まりだから惹かれるのだろうか。

みんなでワインを飲みながら、中野さんは居眠りを始め、マサヨさんも机にうつぶせになっている。タケオが 昔のことを振り返って「ごめん」という。人を信じられないと言っていた彼が、ちょっと大人になったのか 私をちょっと抱き寄せる。 マサヨが薄目を開けて見ている。 なんか楽しかった。マサヨさんは50代なのに。私もこんな風に自分をさらけ出して生きる方法もあるのだろうに、とふと思った。残念ながら私にはさらけだすものがないのだが。
最後が「私」とタケオの関係に希望を含ませているところが、読後感を暖かなものにしている。



2012年04月15日(日) 村上春樹著「もし僕らのことばがウィスキーであったなら」

ようやく暖かくなってきたので、母と美容院に行く。母がパーマをかけている間、カットだけの私は待合室で、書棚に有った本を物色した。この本は、何度か手に取ったことはあるが、写真集のような趣のため、少々物足りなく感じて読むには至らなかった記憶がある。アイル島とアイルランド島、2つの島のウィスキーをテーマにしての旅行記だ。アイルランドのホテルのたっぷりした朝食の皿の前でご満悦らしい著者の大写しの写真まで載っている。シングルモルトというのは大麦だけを蒸留したウィスキーらしい。他の物も混ざったものはグレイン。穀物という意味か? 

美容院は図書館からすぐ近くのため、予約していた本を取りに行く。先日読んだ本の前作である。ヨハン・テリオン「黄昏に眠る秋」楽しみだ。

実は、下記の読書録を既にアップしたのだが、どうあっても今日は村上春樹を書きたかったので、とりあえず。

谷崎潤一郎著「美食倶楽部」読み始め
大正時代の短編集。「病辱の幻想」を読む。神経を病んで、さらに歯痛のために臥している肥満の男が痛みのあまり見る数々の幻想。まずは音楽、続いて絵画の世界にさまようがやがて地震への恐怖に怯える。地震や津波について20頁も書いている。地震への恐怖は最近の物だと思っていたが、昔から人間は怯えて生きてきたのだ。それはともかく、秋の庭の描写はさすがに谷崎潤一郎で、美しいのだが、紅蜀葵を真っ赤な心臓のようだという表現はすごい。



2012年04月14日(土) パヴェーゼ著「流刑」味見する

図書館で借りた岩波文庫。ひたすら題名に惹かれてのこと。若いころ、私は地球は私の流刑地なのだと思おうとした。そう思えば、全てが何という事はないような気がするのではないかと思った。本当の流刑地とはどのようなものか、ふと読んでみる気になったのだ。解説によると著者は反ファシズム活動の理由で逮捕されて南イタリアの僻村に7か月ほど流刑されたときの体験を綴った自伝的小説らしい。背後は山、眼前はイオニア海 私のイメージだと島だったのだが。「海辺に立つと、そこが彼の獄舎の4番目の壁のように思えた。」警察署長の言葉が面白い。「よろしいですよ。たとえあなたが泳ぎを知っていても」寛大である。私が描いていた流刑地とはかなり趣が違うようで、居酒屋で食事をとったりしている。パヴェーゼは私より50年前に生まれて、私が生まれる前に自殺している。


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