日々の泡

2012年03月24日(土) 有吉佐和子著「夕陽丘三号館」読了

小雨の降る中を、自転車で府中駅近辺の用事終了後吉祥寺に出かける。いつもの通り、自転車は京王ストア前に駐車。中央線で読んでいたが、数十頁残ったので、珍しいことに家で読む。なにか、非常にフィットする一冊だ。ずっとこんな本を読んできたような気がする。ずっと関西に旅行に行っていて30年ぶりくらいに東北に旅行した時の、あの何とも言えないフィット感。私は、ずっとこんな小説を読んで育ってきたのだ。所詮主婦の井戸端会議的な小説が好きなのだ。読む本がなかった会社の帰り、京王線新宿駅の売店で買った。分厚い文庫本。848円もした。(前にも日記に書いたような気がするが)帯に有吉佐和子の名作復刊第二弾 これぞ人間ドラマ!とあり、社宅で繰り広げられる女の見栄の張りあい、情報戦などとある。痛快リアルな傑作長編などとも。夫と一人息子と共に音子は関西から東京に引越しをする。夫が転勤になったのだ。大阪の社宅に比べ、素晴らしい眺めのメゾネット式の社宅に音子は大喜びする。しかし、それもつかの間、同じ社宅の主婦たちとのつきあいが深まるにつれ、いろいろ鬱陶しい事件が起こる。子供の教育、夫の出世などをからめて話は進行していく、ちょっとしたボタンのかけ違いから様々な誤解が生じ、音子は徐々に壊れていく。どんなことになるのやらと思っていたが、子供の上級生の自殺という強烈な事件からやっと我にかえったのか、主婦たちはなんとか沈静していく。子供たちの時代を反映した、前向きな姿にほっとした。主婦たちのあれこれも面白かったが、時代を思い出し、感慨深かった。一つのテーマとして、電化製品の導入により主婦がヒマになり、夫に見切りをつけ、子供だけに自分の夢を注いでいく教育ママの出現があるだろう。



2012年03月20日(火) 高田郁著「夏天の虹」読了

15日の発売にに買いながら、金曜の夜だったため、土、日と読めず、月曜の往復で読んだ。妙に落ち込んでいた夏に、確か電車の吊広告でこのみをつくし料理帖の第一巻を知り、買ったような記憶がある。それ以来、このシリーズは新刊が出ると必ず買うという最近の私にしては珍しいことなのだ。癒されると言うか、頑張ろうという気力を喚起してくれるというか。しかし、とにかく今回、悲惨なことが多い一冊だった。和田はつ子を嫌うのは、これでもかという幸福な人間を一気に地獄に落とすやり方だったが、今回それに近いものがある。もちろん世の中に悲劇は多い。震災以来さらにその感が強い。だからこそ、小説に逃れる。私の読書はそんなものだ。その小説で癒されなかったらどうするのか。本を間違えたと後悔するしかないのか。 と、書きつつ、それでもやはり惹かれるこのシリーズ。次巻は一年後だそうな。



2012年03月18日(日) シェイクスピア著「ヘンリー四世」読み始め

例の「骨とともに葬られ」以降、熱狂的なシェイクスピアファンの存在を再確認したような気がして、たいして惹かれない私としては、もしや宝の山を見過ごしているのではないかというケチな根性から図書館でこの一冊を借りる。思えば、大学時代にハムレットの一節やベニスの商人、マクベスを学習しながらも、例えばマクベスの「どんなひどい日もいつかは過ぎ去る」という一節や、魔女たちの不気味な呪文、ハムレットの生きるべきか死すべきかなどなど、ノートに書き留めておくほどの興味はあるものの、リア王、ロミオとジュリエット、嵐、十二夜など、戯曲ではなく小説で読んだし(チャールズ・ラムの訳で、というべきか。この人の詩がゴールデントレジュアリーに出ていた。姉がある夜、発狂し、両親を殺害したのだ)等々を読みながらも最高傑作とされる歴史物は読んだことがないことに気が付いた。 多分この本は、全部読み切らずに返すことになるだろう。



2012年03月15日(木) 有吉佐和子著「夕陽丘三号館」を買う

15日は、みをつくし料理帖の発売日だ。と、言って書店に寄っている暇はない。ちょうど夜の公園を朝の通勤時に読み終えたので、手持無沙汰な思いで、もし売っていたら超ラッキー程度の気持ちで京王線のキオスクの書棚を覗く。やはりなかった。ふと目に入ったのがこの一冊。帯に「有吉佐和子の名作復刊第二弾」とある。(第一弾は「青い壺」だ。見覚えはあるが、読んだことはない)ついつい買ってしまう。分厚いし。848円だし、通俗小説みたいだし、良いところはないのだが、(通俗小説だからこそ)つい惹かれて購入。一流会社勤務の夫の転勤に伴い、東京で憧れの社宅暮らしをスタートさせた音子、とあらすじが書かれている。古き良き時代を懐かしもうと思う。それにしても有吉佐和子が亡くなる少し前に「笑っていいとも!」に確か橋本治に紹介されて出演した時のことが忘れられない。壊れていた。確かに壊れていた。壊れかけていたとでも言うべきか。あれは予兆だったのか、病が脳に回っていたのか。不思議である。「恍惚の人」を読んだが、あの著者がこんなことになるとは。



2012年03月13日(火) 川上弘美著「夜の公園」を借りる

2002年から2005年にかけて中央公論に掲載されたらしい。普通の主婦「りり」、夫の幸夫、りりの友人で独身の高校教師春名。春名は幸夫とつきあっている。りりが夜の公園であった暁。アルバイトをして生計を立てている。トレーニングが好きだ。自分で自分を律するのが好きらしい。その弟の悟。悟は春名を愛している。裏切られれば殺してしまう程に。そんな面々がひとりずつ語る。こういう形式は、誰かに感情移入したい私はあまり好きではない。ただ、人の主観に騙されずに済むという利点はある。「私はどうしてここにいるのだろう」というのはりりの言葉だったか、春名だったか。春名は結局悟とも幸夫とも違う他の人との結婚を決める。りりは、子供が生まれることを暁にも告げることなく一人暮らしを始める。それでも、お腹を蹴る子供を感じながら、「今、わたし、ここにいる」と強く思うのだ。以前はいろいろなことをこんな風に考えたなと思う。いまはもう思わない。その日その日で手一杯だから。



2012年03月05日(月) 田中慎弥著「共食い」読了

芥川賞の2作品が掲載された文芸春秋2月号を買った。石原都知事のからみで少々興味をひかれたので、久しぶりに読んでみる気になった。結果はやはりひどいものだった。気色が悪いとしか言えないものだった。もう一作はまだ読んでいない。



2012年03月02日(金) ジャニータ・シェリダン著「珊瑚の涙」読み始め.

「翡翠の家」に続く第二弾。 楽しみにしていたのだが、途中で大量の「社葬」本を読むことになってしまい、2回ほど図書館の返却期限をNETで延長したのだが、ついにそれでも2週間遅れてしまった。とりあえず返却。裏に書いてあったあらすじを一応転記しておく。「ハワイ出身の駆け出し小説家のわたしが書いた作品がえいがかされることになた。ハワイの本当の姿を再現するため、先住民の村の撮影許可を求めて故郷に向かったが思い出の村では祭壇に生贄がささげられ秘密の儀式が行われているようだ。」



2012年02月25日(土) 佐伯啓思著「反・幸福論」をジュンク堂で購入

ジュンク堂と言っても、最近閉店となる新宿の方の店ではなく、吉祥寺の方である。本当に、ここに来ると生きていることが嬉しくなるような品ぞろえだ。でも、とりあえず社葬規程の参考になる本を探そうと企業の棚を見ている内に、店内の暑さもあり、すっかり疲れてしまって 結局は新聞の評論欄で読んだこの本一冊を買って買える。「無縁社会で何が悪い」という章では 近代以降、日本人は人と人のつながりを排除しようとやっきになってきたくせに、今更無縁死が紙面を騒がせているのはおかしいという内容。



2012年02月24日(金) カルロス バルマセーダ著「ブエノスアイレス食堂」読了

朝、読了。軽い嘔吐感を感じた。あくまで軽くであるが。原題を直訳すると「食人者の指南書」となるそうだ。知っていたら決して読まなかっただろう。昨年ノーベル文学賞をとった。芥川賞ならともかくノーベル文学賞をとった作品を読もうと思ったのは随分昔のことで、その時もラテン文学だったが全く相いれないものを感じ、それ以来興味がなかったのだが、今回は「食堂」という言葉に惹かれて図書館の予約を入れておいた。随分前の話だが、図書館からメールが来たのでこのタイミングで読むことになった。結果、やはりラテン文学だった。「百年の孤独」「蜘蛛女のキス」などなど。訳者は邦題について、内容の暗黒ぶりと対照的なのどかな調子が絶妙だし、食堂の年代記でのあるのだからふさわしいと書いているが、詐欺にあったような気がしないでもない。自分にとって害になる人間を殺害しては、死体を料理にして処理してしまうのは、よくある話だが、最後に自らを料理にしてネズミに饗してしまうところがすごい。



2012年02月20日(月) J・ リー・キャレル著「骨とともに葬られ」上巻読み始め

会社の後輩のOさんから上下巻を借りた。久しぶりに昼休みに遭遇したのだが、昨年暮れにご不幸があり、そのせいで、慰められるような?本ばかり読んでいたと言っていた。で、この本だが、本屋で手に取ったことがあるような気がするが、その時は疲れていたせいかシェイクスピアという名前に恐れをなしてやめたのだった。シェイクスピアを研究していたケイトは師の慰留も振り切り舞台の世界に飛び込む。いまや演出家として大きな舞台もまかされるようになった。その師ロザリンドとは喧嘩別れのような状態だったが久しぶりに訪ねてきたと思えば、すぐに殺されてしまう。ケイトにとんでもない約束を一方的に押し付けて。一体何を依頼されたかもわからないままに、気が付いたときには どうしようもない殺戮の世界に入り込んでいた。やがてロザリンドが残した謎がわかってくる。それはたった2回上演されただけで、歴史から忽然と姿を消した戯曲「カーディニオー」の手掛かりを追う事だった。文学的な価値もさることながら金額的な利益ももたらすという幻の戯曲を求めて 錯綜する追っ手。命の危険に晒されながら、ケイトは驚愕の事実にたどり着く。シェイクスピアとは現在しられている人間ではなく、別の人物だったというのだ。学問もなかった一介の市民にあの文学作品が書ける筈がないというのがその根拠だ。日本の写楽探しのようなものか。上巻を読み終えたところで下巻をどこかにしまいなくしたことに気づく。(しかたなく3月3日、図書館で借りてきた)


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