| 2008年11月06日(木) |
西新宿BOOK1stオープン |
夏の終わりに新宿で完成間近の妙な形の高層ビルを見た。友人たちとまるで絆創膏を貼り付けたようなビルだと話していたがそれが東京モード学園のビルだと知った。その後、今週になって新宿駅のあちらこちらで西新宿に新しい書店がオープンすると言うポスターを見かける。場所はなんとモード学園のビルの中だった。と言うことで、なんとなくオープンの日には行って見ようと思いつく。オープンを祝う花がいろいろな出版社から30基くらい届いていた。広いことは広いが、ごちゃごちゃしている感がある。地下2階はすべてビジネス書だった。やはり京王線から遠いので、普段はあまり行かないだろう。
| 2008年11月05日(水) |
シャーロット・マクラウド著「フクロウが多すぎる」読了 |
バラクラヴァ名物フクロウ数えの夜、シャンディ教授はスヴェンソン学長、ストット教授らのグループに参加していた。その途中、なぜかそのグループに参加していた男が殺される。ウィニフレッド・ビンクスといういわゆるオールドミスの植物誌の准教授が登場するが、なかなか魅力的である。
| 2008年11月01日(土) |
東野圭吾著「流星の絆」読了 |
この月曜に後輩から借りた話題の一冊。単行本のため、この日の会社の帰りには電車の中でお味見ができたが、その翌日からの腰痛のため、通勤のお供は断念。土曜日に丸の内、上野と歩き回ったがこの日には持ち歩き、土曜の夜も零時過ぎまで読み通して読了。ドラマも土曜の9時から工藤官九郎脚本で始まっている。 クドカンであるから、原作とはかなり趣が異なるのは当然であろう。横須賀で「アリアケ」という洋食屋を営んでいた両親は三兄弟、功一、泰輔、静奈の三兄弟がこっそり家を抜け出してペルセウス座流星群を見に行った夜に惨殺される。家から出てくる男を目撃したのは次男の泰輔だった。それから14年後、兄弟たちは施設で育ち、成人した。現在は自立しているとは言え、過去のだまされた経験を生かし?詐欺として生計を立てている。その手口は静奈の容貌に依る所が大きい。美しい女性に成長した静奈は、次から次への言い寄ってくる男たちを手玉に取り、ある時は、保険外交員、ある時は先輩の銀行員がノルマを果たすために協力する女子学生に成りすまし、泰輔と共に詐欺を行っている。もちろん台本は功一が書く。三兄弟の目的は、犯人を探し出すことだった。ある日、静奈は功一の台本どおりにあるパーティに出席する。標的は、今回は宝石商に化けた泰輔がどこかの令嬢然とした静奈をエスコートし、レストランとがみ亭のオーナーの一人息子戸神行成の関心を引き、最終的には功一が作成した偽の宝石を行成が静奈のために購入させようという目論見だ。だが、行成が新しく開店するとがみ亭の目玉商品となる予定の父親から譲られたレシピーによるハヤシを試食した静奈は、それが父親が作ったハヤシの味であると言う。泰輔も行成の父親が、14年前の惨劇の際に目撃した男の顔に間違いないと断言する。こうして功一は、戸神に警察の目が行くように種々画策するのであるが。 計算違いは静奈が行成に想いを寄せてしまったことであった。行成もまた、清清しい人間である。彼は真実を見極めたいという一心で三兄弟に協力して父親を罠にかける。結局父親は14年前に兄弟の父親から50万円でレシピーを買い取っただけであった。ただし、自分に罪が及ぶのを恐れて、自分が目撃した惨劇を黙っていた。結局犯人は、功一と事件後も連絡を取っていた刑事であった。彼は、離婚した妻に引き取られた幼い長男の手術費用のためにこの殺人を犯したのであった。この刑事は三兄弟の罪を一手に引き受けて自殺をする。最終場面はなかなか感動的だった。行成は詐欺で手に入れたお金を次々に返していく。それは行成が功一から買い取った例の偽のダイヤの代金で支払ったものだった。行成は彼らに自分も彼らと絆でつながっていたいと言う。
| 2008年10月25日(土) |
シャーロット・マクラウド著「オオブタクサの呪い」読了 |
いきなり中世にタイムスリップしてしまった一行は、魔女や騎士などと協力したり、争ったりと お伽話的に話は進んでいく。
| 2008年10月15日(水) |
シャーロット・マクラウド著「蹄鉄ころんだ」読了 |
以前より気になっていたシリーズの一冊。残念ながら1巻目ではない。でも、読者にはいちいち懇切丁寧にどの巻から読んでも良いように解説がついている。この巻の主役はなんと言っても、ほとんど姿は現さなかったが、ベリンダというメス豚だ。品種改良の末に、すばらしい子豚が生まれると周囲に期待されながら、物語のほとんどの流れの間、誘拐されている。どうやらこの小説の主人公である探偵役はピーター・シャンディーという応用土壌学の教授らしい。農大が舞台であるから、地元に農工大がある私としてはひどく馴染みやすい。その妻、ヘレンは司書助手で最近結婚したようだ。他に豚の飼い主、ダニエル・ストットという畜産学部の学部長、トールシェルド&シークリンデ・スヴェンソン学長夫妻など、そういった世界の話である。著者が女性であるせいか、食事なども細かにかかれ、ヘレンの友人、イデューナが作るドーナッツやスープはひどくおいしそうだ。ミステリーであるから当然被害者がいる。マーサ・フラックレーという独身のなかなか魅力的らしい中年の女性だ。彼女は苦労して教師になったが、父親の死により代々世襲制らしい蹄鉄工になって、この舞台の農大でも働いている。彼女をシャンディー夫妻が夕食に招いた後に惨事が起こるわけだが、この世襲制もなかなか面白いシステムで、実際にあるのだろうが、興味深かったし、また犯人の眼の付け所もこのシステムに関係する。
| 2008年10月05日(日) |
久しぶりに図書館に行く |
シャーロット・マクラウド 蹄鉄ころんだ、水の中の何か、オオブタクサの呪い(これは店頭で見て、ちょっと気が動いた文庫だ)フクロウが多すぎる(これも見たことがある。買わなくてよかった)狐狸の恋(お鳥見女房の続編だ やっと借りることができた。これから読み出すことになりそうだ)本町通り 上・中・下 シンクレア・ルイス著、キーワードで読む会社法 いつか読みたいと思っていた本ばかりなのでうれしい。ほとんど文庫本、通勤用だ。 図書館のカフェでキャラメルソフトクリームを注文。今日は暖かいが、ソフトクリームの食べ納めだろうか、と思っていたら新発売でマロンクリームがメニューにあった。秋もソフトクリームのようだ。
| 2008年10月02日(木) |
ピーターメイル著「南仏プロヴァンスの12ヶ月」 |
十年以上も前に、と書いてから発行年月日を確認すると1994年と書いてあった。会社の同期から借りて、まだ返していなかったことに気づく。とにかく通勤のお供に持っていく。単行本である。そういえば当時プロヴァンスが流行っていたのではないだろうか。英国人でありながら、余生を憧れのプロヴァンスで過ごそうと家を買った夫婦ののんびりした日々が綴られている(今のところは)。24頁にこんな一節があった。床磨きのムッシュー・バニューの台詞だ。「一度イギリスまで足を伸ばしてリヴァプールのホテルでロースト・ラムを食べたことがある。真っ黒な上に焼き覚ましで、味も素っ気もなかった。もっとも知ってのとおり、イギリス人はラムを二度殺すのだから期待するほうが無理というものだ。つまり、一度は肉にするとき、もう一度は料理するとき、と言うわけだ。」イギリスの料理をボロクソに言われた英国生まれの主人は、早々に引き上げる。 この言葉は「人は二度死ぬと言う。一度は本当の死、二度目は友人に忘れられることの死」のパロディーであろうか。笑った。
| 2008年10月01日(水) |
吉村 昭著「わたしの普段着」購入 |
朝、例の「美しい言葉づかい」を読んでしまったので、帰りの京王線のプラットフォームにあるキオスクで買う。帯に「これぞプリンシプルのある人生」と書いてあったのを「シンプル」に見えてしまい、最近シンプルを求める気持ちが強いため買ったが、すぐに間違いに気づく。短編である。読みやすいが、最晩年の話であり、その時点では健康ではあるようだが、何かというと「死」が語られるため、途中で放り出す。 吉村 昭は私にとって懐かしい作家である。ここ2年ほど前に亡くなったときは残念に思ったくらいだ。多分中学1年ころに朝日新聞の日曜版に心臓移植に関するノンフィクションが掲載されていて毎週読んでいたせいだろう。その後、会社にはいって二十代後半にかけてやはり短編を読み続けた記憶がある。「青い骨」、「少女架刑」が記憶に残っている。 死んだ少女の視点で語られる短編は棺に降る雨の表現が鮮やかだった。母がねずみの仔を飼っていた話も吉村だっただろうか。想う相手ができたため、ねずみの仔は餓死し、主人公の青年は一匹一匹をティッシュにくるみ、階段に置いておく。「普段着」も元気なときに読みきろうと思う。
| 2008年09月23日(火) |
井村順一著「美しい言葉づかい」購入 |
秋分の日。おとといの日曜に墓参は済ませていたのでこの日は朝から家具を移動。午後は天気がよかったので久しぶりに府中の森公園へ。ここの楽しみは、四季の景色プラス美術館の売店とカフェ。この売店は特設店のグッズをはじめ、美術絵葉書や本が並んでいて楽しい。本はいかにも選りすぐりのと言った感じの品揃えだ。美術書もあれば以前に買ったように庭いじりの本もあれば、今回買った「言葉づかい」の本もある。帯にはついにヴォージュラがきた!とある。「言葉に異常な関心を示す青年貴族がランブイエ公爵夫人の有名なサロンに現れた」 学識ある男たちは信用できない。女性たちの「話しぶり」こをがお手本だ。 そんなことが書いてある。17世紀前半のパリの様子が描かれ興味深い。サロンは話す技術を磨くための場所だったらしい。ヴォージュラはサロンの言葉づかいを克明にメモし、その後のフランス語の洗練に絶大な影響を及ぼす「文法」を著す。ランブイエ公爵夫人の名前は聞いたことがあるが「青の部屋」と呼ばれるサロンを開いていたと書いてあり、納得した。ヴォージュラは数ヶ国語に堪能だったようだが、こんな一節が印象に残った。「ヴォージュラにとって翻訳とは、二つの言語の表現能力を比較することであった。彼に限らず、言語に真率な目を向けるものであればそう考えただろう。彼の翻訳に関する意見が要約されているので、少し長くなるが引用する。「翻訳する場合は、二つ(あるいはそれ以上)の言語に通暁することが前提となる。各言語は、各個人と同様、長所と短所を兼ねあわせている。二つの言語がひとしく優れている点もあれば、一方が他方には及ばぬ点も、また一方が他方を凌駕する点もある。したがって翻訳者は、原著の美を同等に表現できないからといって悔やむことはない。別の箇所で原著よりも優雅な表現が見つかって、埋め合わせがつくかも知れないのだ」なるほど、翻訳についてこんな風に考えたことがなかったので目からウロコだった。ただ、ヴォージュは生涯を通して貴族の対面を保つために苦労したらしい。翻訳は生活の糧にもなっていたようだ。 久々の新書であったが、パリの様子は楽しめたが、肝心の美しい言葉づかいはあまり見えてこなかった。
| 2008年09月22日(月) |
諸田玲子著「紅の袖」読了 |
図書館で借りた単行本。得体の知れない、それでいて妙に心ひかれる女中 みおに翻弄されつつ、それまで何の苦労もなかった女性が、真実を知ることにより一人前の女性に成長する過程を描いたものであるとも言えれば、幼馴染であり、今は思想により立場が変わってしまった二人の武士の友情物語であるとも言える。
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