日々の泡

2008年10月25日(土) シャーロット・マクラウド著「オオブタクサの呪い」読了

いきなり中世にタイムスリップしてしまった一行は、魔女や騎士などと協力したり、争ったりと お伽話的に話は進んでいく。



2008年10月15日(水) シャーロット・マクラウド著「蹄鉄ころんだ」読了


以前より気になっていたシリーズの一冊。残念ながら1巻目ではない。でも、読者にはいちいち懇切丁寧にどの巻から読んでも良いように解説がついている。この巻の主役はなんと言っても、ほとんど姿は現さなかったが、ベリンダというメス豚だ。品種改良の末に、すばらしい子豚が生まれると周囲に期待されながら、物語のほとんどの流れの間、誘拐されている。どうやらこの小説の主人公である探偵役はピーター・シャンディーという応用土壌学の教授らしい。農大が舞台であるから、地元に農工大がある私としてはひどく馴染みやすい。その妻、ヘレンは司書助手で最近結婚したようだ。他に豚の飼い主、ダニエル・ストットという畜産学部の学部長、トールシェルド&シークリンデ・スヴェンソン学長夫妻など、そういった世界の話である。著者が女性であるせいか、食事なども細かにかかれ、ヘレンの友人、イデューナが作るドーナッツやスープはひどくおいしそうだ。ミステリーであるから当然被害者がいる。マーサ・フラックレーという独身のなかなか魅力的らしい中年の女性だ。彼女は苦労して教師になったが、父親の死により代々世襲制らしい蹄鉄工になって、この舞台の農大でも働いている。彼女をシャンディー夫妻が夕食に招いた後に惨事が起こるわけだが、この世襲制もなかなか面白いシステムで、実際にあるのだろうが、興味深かったし、また犯人の眼の付け所もこのシステムに関係する。



2008年10月05日(日) 久しぶりに図書館に行く

シャーロット・マクラウド 蹄鉄ころんだ、水の中の何か、オオブタクサの呪い(これは店頭で見て、ちょっと気が動いた文庫だ)フクロウが多すぎる(これも見たことがある。買わなくてよかった)狐狸の恋(お鳥見女房の続編だ やっと借りることができた。これから読み出すことになりそうだ)本町通り 上・中・下 シンクレア・ルイス著、キーワードで読む会社法  いつか読みたいと思っていた本ばかりなのでうれしい。ほとんど文庫本、通勤用だ。 図書館のカフェでキャラメルソフトクリームを注文。今日は暖かいが、ソフトクリームの食べ納めだろうか、と思っていたら新発売でマロンクリームがメニューにあった。秋もソフトクリームのようだ。



2008年10月02日(木) ピーターメイル著「南仏プロヴァンスの12ヶ月」

十年以上も前に、と書いてから発行年月日を確認すると1994年と書いてあった。会社の同期から借りて、まだ返していなかったことに気づく。とにかく通勤のお供に持っていく。単行本である。そういえば当時プロヴァンスが流行っていたのではないだろうか。英国人でありながら、余生を憧れのプロヴァンスで過ごそうと家を買った夫婦ののんびりした日々が綴られている(今のところは)。24頁にこんな一節があった。床磨きのムッシュー・バニューの台詞だ。「一度イギリスまで足を伸ばしてリヴァプールのホテルでロースト・ラムを食べたことがある。真っ黒な上に焼き覚ましで、味も素っ気もなかった。もっとも知ってのとおり、イギリス人はラムを二度殺すのだから期待するほうが無理というものだ。つまり、一度は肉にするとき、もう一度は料理するとき、と言うわけだ。」イギリスの料理をボロクソに言われた英国生まれの主人は、早々に引き上げる。 この言葉は「人は二度死ぬと言う。一度は本当の死、二度目は友人に忘れられることの死」のパロディーであろうか。笑った。



2008年10月01日(水) 吉村 昭著「わたしの普段着」購入

朝、例の「美しい言葉づかい」を読んでしまったので、帰りの京王線のプラットフォームにあるキオスクで買う。帯に「これぞプリンシプルのある人生」と書いてあったのを「シンプル」に見えてしまい、最近シンプルを求める気持ちが強いため買ったが、すぐに間違いに気づく。短編である。読みやすいが、最晩年の話であり、その時点では健康ではあるようだが、何かというと「死」が語られるため、途中で放り出す。 吉村 昭は私にとって懐かしい作家である。ここ2年ほど前に亡くなったときは残念に思ったくらいだ。多分中学1年ころに朝日新聞の日曜版に心臓移植に関するノンフィクションが掲載されていて毎週読んでいたせいだろう。その後、会社にはいって二十代後半にかけてやはり短編を読み続けた記憶がある。「青い骨」、「少女架刑」が記憶に残っている。 死んだ少女の視点で語られる短編は棺に降る雨の表現が鮮やかだった。母がねずみの仔を飼っていた話も吉村だっただろうか。想う相手ができたため、ねずみの仔は餓死し、主人公の青年は一匹一匹をティッシュにくるみ、階段に置いておく。「普段着」も元気なときに読みきろうと思う。



2008年09月23日(火) 井村順一著「美しい言葉づかい」購入

秋分の日。おとといの日曜に墓参は済ませていたのでこの日は朝から家具を移動。午後は天気がよかったので久しぶりに府中の森公園へ。ここの楽しみは、四季の景色プラス美術館の売店とカフェ。この売店は特設店のグッズをはじめ、美術絵葉書や本が並んでいて楽しい。本はいかにも選りすぐりのと言った感じの品揃えだ。美術書もあれば以前に買ったように庭いじりの本もあれば、今回買った「言葉づかい」の本もある。帯にはついにヴォージュラがきた!とある。「言葉に異常な関心を示す青年貴族がランブイエ公爵夫人の有名なサロンに現れた」 学識ある男たちは信用できない。女性たちの「話しぶり」こをがお手本だ。 そんなことが書いてある。17世紀前半のパリの様子が描かれ興味深い。サロンは話す技術を磨くための場所だったらしい。ヴォージュラはサロンの言葉づかいを克明にメモし、その後のフランス語の洗練に絶大な影響を及ぼす「文法」を著す。ランブイエ公爵夫人の名前は聞いたことがあるが「青の部屋」と呼ばれるサロンを開いていたと書いてあり、納得した。ヴォージュラは数ヶ国語に堪能だったようだが、こんな一節が印象に残った。「ヴォージュラにとって翻訳とは、二つの言語の表現能力を比較することであった。彼に限らず、言語に真率な目を向けるものであればそう考えただろう。彼の翻訳に関する意見が要約されているので、少し長くなるが引用する。「翻訳する場合は、二つ(あるいはそれ以上)の言語に通暁することが前提となる。各言語は、各個人と同様、長所と短所を兼ねあわせている。二つの言語がひとしく優れている点もあれば、一方が他方には及ばぬ点も、また一方が他方を凌駕する点もある。したがって翻訳者は、原著の美を同等に表現できないからといって悔やむことはない。別の箇所で原著よりも優雅な表現が見つかって、埋め合わせがつくかも知れないのだ」なるほど、翻訳についてこんな風に考えたことがなかったので目からウロコだった。ただ、ヴォージュは生涯を通して貴族の対面を保つために苦労したらしい。翻訳は生活の糧にもなっていたようだ。
久々の新書であったが、パリの様子は楽しめたが、肝心の美しい言葉づかいはあまり見えてこなかった。



2008年09月22日(月) 諸田玲子著「紅の袖」読了

図書館で借りた単行本。得体の知れない、それでいて妙に心ひかれる女中 みおに翻弄されつつ、それまで何の苦労もなかった女性が、真実を知ることにより一人前の女性に成長する過程を描いたものであるとも言えれば、幼馴染であり、今は思想により立場が変わってしまった二人の武士の友情物語であるとも言える。 



2008年09月21日(日) 諸田玲子著「紅の袖」読み始め

図書館で借りた単行本の1冊。ネットから2回延長を申し込んだ。時は黒船がやってきて一年ほどたったころ。沙代の夫は御台場御用掛として川越藩の一之御台場完成後の守護の一担を担う。異国の攻撃にさらされる前に沙代は砂と騒音に悩まされている。話は「みお」という貧しい樵の娘を女中として雇い入れたところから始まる。



2008年09月19日(金) 諸田玲子著「かってまま」読了

7編の短編集 「かげっぽち」「だりむくれ」「しわんぼう」「とうへんぼく」「かってまま」「みょうちき」「けれん」 この7編を通して「おさい」という賢く美しい女性の赤子時代から老齢に至るまでの生涯が場面場面がかかわりあった人々の目を通して語られる。



2008年09月18日(木) 東野圭吾著「容疑者Xの献身」読了

4冊借りた東野圭吾ものではこれが一番面白かった。さすがに今秋映画化されるだけのことはある。舞台は清澄公園近くである。あのたいくつな公園である。それはともかく高校の数学の教師である石神はアパートの隣室に住んでいる花岡靖子に想いを寄せていて、毎朝、彼女が働いている弁当屋に少々遠回りをして寄り昼食用に弁当を買い求めている。花岡靖子は2度の結婚に失敗し、今は一人で中学の娘を育てている。ある日靖子は以前からつきまとわれていた2番目の夫をアパートで殺してしまう。まずはしつこい男にかっとなった娘が男の頭を鈍器でなぐり、怒り狂った男が娘の首をしめようとしたため、靖子はコタツのコードで男を絞め殺してしまうのだ。大きな音に心配して訪ねてきた石神は、一瞬にしてその事態を察し、母子にもし、自首する気がないのであれば、協力する旨申し出る。 やがて川べりから死体が発見され、身元が判明した段階で靖子の元にも捜査の手が伸びるが、ほぼ完璧なアリバイなど、どう探っても真相を掴むことはできない。そこへ捜査官の大学時代の同期である物理学者の湯川が登場する。彼は石神と同期でもあった。50年に一度の逸材と言われながら石神は家の事情から研究室に残ることなく高校の教師となっていた。旧交を温める石神と湯川であったが、ある何気なく石神がとった行動から湯川は事件の本質に気づく。それは石神の靖子への恋であった。学生時代から風貌には全く気にかけなかった石神が弁当屋に行く際にちらりと自分の姿を確認したのである。 途中、読者として石神がストーカーまがいの人間であるように誘導されていくのだが、最後は石神の純愛に泣かされる。 花岡親子がアパートに引越しして来た日。その日石神はなんの目的もない人生に絶望し、部屋で自殺を図ろうとしていた。実行に移そうとしたその瞬間、ブザーが鳴り石神はドアの向こうに佇む美しい親子を見て、二人の守護になることで人生の目的を見つけたのだった。石神は 靖子が交際相手の工藤と幸せになることを願い、服役しようとするが、靖子は石神の気持ちを知り自首するのだった。完璧な計画が破れ、自分が殺人を犯してまで救おうとした母子を結局救えなかった石神は吼えるように崩れ落ちる。 最後まで面白く読むことができた。 読了したので早速インターネットでキャストを調べる。工藤と石神は逆であろうと思ったが、これも映画の醍醐味だ。ちょっと見たい気がする。


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