| 2005年01月07日(金) |
フランチェスカの暗号 |
学生の馬鹿騒ぎに疲れて途中で放り出す。 書評を読むとかなり面白いらしい。いつか再挑戦したい。
| 2005年01月01日(土) |
元旦から「生首の行方」 |
彫刻における「眼」というものの歴史的な挑戦が興味深かった。
| 2004年11月12日(金) |
サラ・ウォーターズ著「荊の城」読了 |
日曜日にフォーリスの紀伊国屋で購入。春先に同じ著者の「半身」を読み、なかなか面白かったので すぐに購入を決めたが、文庫本の癖に940円もするため、とりあえず上巻だけ買った。で、水曜日には啓文堂に寄り、下巻を買う。両方あわせると2千円近いと思うとぞっとするが、とにかくこの一週間非常に通勤時間が待ち遠しかった。帰りはほとんど読めないので主に行きのみのため、思えば日経を買わなかった日のほうが多い。原題は”Fingersmith"(どういう意味だろう)ヒロイン スーザンはロンドンにある胡散臭い盗品専門の買取店を営む親方と母と慕う「かあちゃん」そして仲間たちとにぎやかに暮らしている。要するに泥棒一家だ。スウの実母は、罪人として吊るされたと聞かされて それでも涙一つ見せないことを誇りとして生きている。 だがある日、「紳士」が儲け話を持ってくる。
結婚すれば巨額の遺産を相続することになっているモード・リリーという令嬢が偏屈な学者である叔父の城に住んでいることに目をつけた「紳士」はそこに本の装丁のため城に住み込み、令嬢を誘惑する。密かに結婚した後はじゃまな令嬢を気ちがい病院に閉じ込め財産を自分のものにしようと企む。その過程でどうしてもスーザンが必要であると言い、2000ポンドの報酬でスーザンをモードの小間使いとして城に送り込む。
初めは、モードを世間知らずの令嬢と馬鹿にしていたがその善良で人を疑わない純粋さにスーザンは惹かれていく。
だが、結局「紳士」に逆らうことはできず、紳士とモードが駆け落ち結婚をするのを手助けする。 そしてあとはモードを気違い病院に引き渡すばかりとなったとき....医師が狂人として扱ったのはなんとスウのほうだった。 自分は貴婦人の小間使いであると口汚くののしるスウを医師たちは、自分を小間使いであると妄想している貴婦人であると思い込んでしまう。ここにいたるまでの「紳士」とモードの陰謀の結果であった。
気違い病院での悲惨な日々。ようやくのことでロンドンの家までたどり着いたスウのみたものは。
やはり「紳士」にだまされてスウの家に閉じ込められたモードだった。逆上するスウ。
真実が徐々に露になる。
いつ買ったのかも忘れたが文庫本が本箱から落ちてきたので、他に読むものもなかったのでバッグに入れて持ち歩いている。 茄子色の妙な色合いの上下を着て、故郷に向かった太宰。
出先から帰ってきて 夜、朝刊を開いてようやく姫神の死を知る。 この9月のはじめに浜離宮で野外コンサートを行うと聞いて、さすがに土曜に出かけていく気にもならず、雨天順延だと言うことだったので会社の帰りに寄れるように月曜まで雨乞いをしたものだ。しかしその後インターネットで調べると6月頃から体調を崩していたらしく、あのコンサートはどうなったのだろう。 残念でたまらない。多分デビューしたてのころにLPが出るたびに購入し、銀座のガスホールでのコンサートに友人Hと行ったものだ。 一時期遠ざかっていたが、Feelの中に入っていた「神々の詩」にはまり、買うにはいたらなかったが、レンタルでずっと聴いてきた。 まだまだこれからよい曲を聴くことができるものと信じて疑わなかったのに。
| 2004年10月01日(金) |
関川夏央著「現代短歌 そのこころみ」 |
沈黙のわれに見よとぞ百房の黒き葡萄に雨ふりそそぐ 斉藤茂吉
十年以上前に朝日新聞の折々の句で読んだこの歌。 敗戦の色濃く漂う歌だと書いてあった。
目次から拾ってみる。
斉藤茂吉の最晩年と青年時代の中井英夫
1954年の衝撃 戦前と言う時代の残照 中城ふみ子と石川不二子 短歌は「物語」である 寺山修司
閉じきらぬ円環 ジュール律の1965年 村木道彦など 烈々たる清涼 葛原妙子 未完の歌人たち 時代それぞれの「青春歌」
戦争は終わった 短歌が映した戦争 宮柊二 戦争は終わらない 石原吉郎
現代短歌の局面 短歌パラダイスに見る「座」復権への試み
昭和戦前といまを結ぶもの 昭和の青春 斉藤 史
中井英夫の死
あとがき 1963年の木下利玄
曼珠沙華 一むら燃えて秋陽つよしそこ過ぎているしづかなる道
朝のニュースで知る。 サガンに引き続き、ショックである。学生時代に「天国に一番近い島」をはじめとしてずいぶんいろいろなエッセイ集を読んだと思う。
晩年はずいぶん苦しい日々だったようだ。 自殺と言うことが重くのしかかってくる。
| 2004年09月26日(日) |
フランソワーズ・サガン死す |
今朝の朝刊のトップ面にかなり紙面を割いて記事が載っていた。小説に夢中になっていたのは中学のころだったのだろうか。多分、「悲しみよ、今日は」は中学の頃だ。
大学の頃、多分1年だったと思うが宗教学の時間にイニシエーション通過儀礼についての講義があり、宿題として 通過儀礼を扱った小説についてレポートを提出するように言われた。 ちょうどその頃読んでいたと言うわけでもなかったと思うが、サガンの「ブラームスはお好き」を選んだように思う。中年の女性と青年の恋愛小説だ。最後のシーンで、ヒロインが階段かなにかで青年に向かって叫ぶ。「私、もう48歳なの」恋多き女性として 生きていた女性がその時自分がもう若くないことについに気づくのだ。
考えてみたら私もその年齢はとっくに過ぎているが、恋愛などと言うものとは縁遠く生きてきたせいか、それに気づいたところでどうという感慨はない。
学生の頃、サガンはまだ新作を次から次へと書いていた。「冷たい水の中の小さな太陽」が最後に読んだ小説かもしれない。醒めた仲の夫婦が中心となった話で、最後に妻が自殺したような気がする。これは、映画も見に行った。サガンで持っている唯一の単行本なのではないだろうか。ブルーとピンクと白の表紙が素敵だった。
社会に出てからしばらくして薄っぺらな短編集を読んだような記憶もあるがエッセイ集だったかもしれない。 よろしくない噂はよく聞いた。晩年は悲惨だったようだ。 「らしい」と言えばそれで終わってしまうかもしれないが、それが私の今の気持ちだ。
高校の頃読んだ短編で、「優しい関係」と言うのがあった。すっかりはまってしまったが、あの女性は39歳だったのか49歳だったのか。 やはり若者との恋愛を扱っていたが 後年一条ゆかりが漫画化してそれはそれでとても素敵な話になっていたが、女性は29歳になっていた。これは美化というものなのだろう。 この小説は何度も読み返した。 不思議にハッピーエンドだった。 二十歳前後にサガンの影響で、フランス文学を結構読んだ。コレットもそのうちの一人。「女は夫の不在になれることはできるが、嫉妬に慣れることはできない」という名言を小説で読み、時々思い出してはなるほどと思ったりする。
余談だが、先に書いた宗教学の講師は非常にユニークな人だった。肝心の英語の授業はすっかり忘れているのだがこの教師が言ったことは結構よく覚えている。 他にレポートで、アイデンティティーについて、自分の名前や住所、大学などなど、そういったことはすべて書かずに自分とは何かを語れと言うものがあった。 実際にそのときにそう思ったのか、それとも脚色したのか今となっては忘れてしまったが、何度か小説の中に書いたことで、じっと目をつぶって無になった状態で自分とは何者かを問いかけたとき、私はUに恋している自分だけがそのときの自分であると思った という一節がある。そのとおり、まさにそのとおり。
サガンの死で、青春のあれこれを少々思い出したので記録しておく。
重要な訂正!! なんと今ウェブで検索をしたら、「ブラームスはお好き」の主人公の女性は40歳になろうとする微妙な年代と書いてあった。 私の記憶違いと言うか、20歳だった私との年齢差が、私に49歳という間違いをさせたのだろうか。 いくらパリでも49歳は自分で言わなくても十分おばあさんだ。
| 2004年09月22日(水) |
村上春樹「アフターダーク」読了 |
朝、通勤列車の中で読了。 往復であっさりと読めた。というか、あまりひっかかるところもなくさらさら読んでしまってあまり残るものがない。少々飽きてしまった題材というところか。たった一晩で人間の心がほぐれるというのもちょっと安易。マリという19歳の学生が、夜のファミレスで分厚い本を読んでいるところからこの小説は始まる。(結局なんの本かわからず仕舞い。小説ではなさそうだ) で、法学部の学生ながら現在バンドの練習に熱中している青年(その後、実は法に目覚め、明日からは勉学に勤しむ決意であることが明かされる)、中国語ができることから安いホテルに連れて行かれ中国人の売春婦の事情を聞く羽目になったり、そこのマネージャー(女子プロ上がりのたくましい女性)やこおろぎ、こむぎといった従業員とのぽつぽつ語り。いわば底辺で生きる人から ときどきこぼれる人生観 いつもの手法である。
ただ、底辺に生きる人間も、法を犯してしまった人間も、そんなにかけ離れた存在ではなく、ふとした弾みに日常から逸脱してしまったに過ぎないことをいろいろな登場人物が語っていたのが印象的だった。
影のヒロイン、エリにはあまり同調すべきところはなかった。
| 2004年09月17日(金) |
「ダンテクラブ」読了 |
昨夜真夜中にダンテクラブ読了、めずらしく家で読み進めていた。 これだけ分厚い本を一週間で読んだのだからもちろん面白かったのだが、犯人の正体が見えた瞬間から私の興味は急速に引いてしまっていた。 これだけ知的な題材を扱った謎解きで、なぜ犯人は字もろくに書けない人間なのだろうか。もっと知的で高潔な理由の犯罪ではないのだろう。 たかが戦争というと語弊があるが、戦争によってゆがめられた精神が引き起こした殺人ではあまりにお粗末な謎解きではないだろうか。かなりがっかりした。以上とも見える、と言うか異常な執着品は単なる作者が頭の中で考えた想像の産物に過ぎないのではないだろうか。会社の人からもらった「波」にもそのようなことが対談で語られていた。 まあ、おかげで私はここ数年さ迷っていたダンテの地獄から一応引き上げられたのだから 良かったと思うことにしよう。 それにしてもダンテの神曲は地獄編が一番面白い。
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