日々の泡

2003年04月28日(月) 橋本 治「三島由紀夫とはなにものだったのか」

会社のすぐ近くの交差点角にある内外書店。この書店に入るのも今日が最後だろう。 昼食を買いにでたついでに結構感傷的な気分で店に入る。なにがなんでも一冊記念に買いたかった。 丁寧に単行本をセロテープで随所を留めながらカバーをしてくれる店主に心の中でつぶやいた。「今日で最後なんですよ...」でも、実際には何も言わなかった。25年間、ときには毎日、あるいは半年に一回、一年行かなかったこともあったかもしれない、そんなつきあいに過ぎなかった書店の主と私は私語をかわしたことがなかった。 最後だからと言ってそのドライ感を失うことは妙に嫌だった。 本を受け取り、それでも名残惜しくそばにあった購入予定であった「日経PC21」も買う。
そんな形で私とこの書店との関係は終わったのだ。



2003年04月21日(月) 貫井徳郎「修羅の終わり」購入

中身を吟味するまもなく、ついでに立ち寄った書店でそそくさと購入。
とにかく貫井徳郎の小説を読みたかった。分厚い。文庫のくせに千円札では足りなかった。 いずれにしてもまだ「西行」を読んでいるため、当分お蔵入り。忘れないうちにここに記しておく。



2003年04月18日(金) 辻 邦生「西行花伝」読み始め

昨日会社の隣の内外書店にてお昼休みに購入。
交差点の角にあり雑誌中心の小さな本屋であるが、壁の一面の棚には新刊を並べ立てたりせずに、本屋の主人の趣味が覗えるような単行本、文庫本、新書が所狭しと並べられいて見ていると他人の部屋の蔵書を読んでいるようで楽しい。

いろいろと吟味をした結果、食事をする時間がなくなってしまうため、少々妥協をしつつ表題の本を買った。分厚い文庫で千円出しておつりが硬貨数枚。 本当は貫井徳郎の本がほしかったのだが、それまでのつなぎとして買ったのだがなかなか面白く、これなら最後まで読みとおせそうだ。



2003年04月16日(水) 貫井徳郎「鬼流殺生祭」読了

先週土曜日に母、妹と墓参に行った帰りに国分寺丸井の紀伊国屋書店にて購入。 通勤の朝、片道のみで読んでいたが、最後は珍しく夜、布団の中で読了。なかなか魅力的な登場人物で楽しめたが最後は少し弱くてがっかりした。 それでも「慟哭」に引続き面白かったので当分貫井徳郎にはまりそうだ。 講談社文庫だけでも数冊出ているのでこれからが楽しみ。



2003年04月10日(木) 貫井徳郎「慟哭」 読了

今年初めに文庫発売で平積みになっているところを題名に惹かれて買ったが、警察が舞台と言う殺伐とした雰囲気になじめず、放り出していたが、ふと思い立って始めから読み始める。今回はなぜかすらすら読めた。 登場人物で 胸に穴の開いた男がいるのだが、その空虚さに不思議に安らぎを感じたことが、今回集中できた理由の一つかもしれない。 ネタばれにはなるが途中、ふと思ったのだ。 二段構えで語られている犯人を追う側と犯人が同一人物であると言う小説があったら面白いと。 何の根拠もなかった思い付きであったが、なんとそれがこの小説の一大どんでん返しだった。



2003年04月06日(日) 町田 康「権現の踊り子」

「夫婦茶碗に茶柱は立つか」「くっすん大黒」の2冊を読んだことのある町田康の単行本を久しぶりに会社の人に借りて読む。
あいかわらずのわけのわからなさを、妙に懐かしく読みすすめた。



2003年03月13日(木) 三島由紀夫記念館

同窓会のバス旅行で山中湖に行く。
スケジュールすら頭に入っていなかったがいきなり目的地に着いたと思ったら三島由紀夫記念館の前に立っていた。
確かにかつてよく読んだ作家ではあるが、好きと言うわけでは決してない。むしろ嫌いといったほうがしっくりくるくらいの作家。 美意識が全く違うのだろう。 ただ、妙に心を捉えて離さないいくつかの表現がある。例えば「仮面の告白」の中の雪の朝のしめった黒い皮手袋。 私は確かに主人公の少年の胸の高鳴りに共感を覚えた。 「盗賊」のラストシーンには思わず胸が震えた。 題名のつけ方の素晴らしさに感動した。

ということで、売店で「絹と明察」を買う。 多分読んでいないはず。
徳富蘇峰記念館を5分でまわり、後はロビーのソファで読み始めた。 なかなか面白そうだ。最近手ごたえのある小説が読みたいと思っていたので良いきっかけができて嬉しい。



2003年03月11日(火) 戦後史開封 社会・事件編

昨年買ったのだろうか。 産経新聞にずっと連載されていたものが文庫にまとめられた。他にも30年代編などがある。

CMを中心に当時流行ったキャッチフレーズ
青函トンネル、ダム、スーパーマーケット・コンビニの歴史を扱った流通革命。
相変わらず青函トンネルに涙し、築地駅にたどり着いたとき妙な感慨に打たれた。 若者は古いものを馬鹿にするが、どんなものにも歴史がある。新しくてスマートなものは始めからその姿でこの世に出現したわけではない。携帯電話一つにしても、ポケベルという前段階がある。 試作品は弁当箱ほどもあったという。すごいことだ。 私も いろいろな紆余曲折、試行錯誤を繰り返し今の私になれたのだと言えればよいのだが、どこかで失敗したかもしれないとしみじみと思う昨今。ただ、それは後悔の念とは程遠い。そう書けば建設的だが、どう考えてもこれは諦観だろう。 



2003年03月04日(火) 村上春樹「1973年のピンボール」

この薄っぺらな一冊に一体何日かかるのだろうとあきれるほど長い間バッグに入れて持ち歩いていた。しおり代わりにはさんであった紀伊国屋のレシートには2月4日と書いてある。 ということは偶然にもちょうど一ヶ月かかったということだろうか。

あまりストーリー性がなく、どこからでも読み始められるということもあり、思いつくままに適当なページを読んでいたように思う。
題名は大江健三郎の「万延元年のフットボール」のパクリだろうか。
(密かに考えていたら弟にもそういわれた)

ピンボールというゲームにはうといが、(せいぜい旅館のゲームコーナーでさわったことがあるくらい)主人公がのめりこんでいた3フリッパーのスペースシップなる台を主人公は「彼女」と呼ぶ。

以下はその一節だ。

あなたのせいじゃない、と彼女は言った。 そして何度も首を振った。 あなたは悪くないのよ、精一杯やったじゃない。

「違う」と僕は言う。 中略  違うんだ、僕は何一つできなかった。 指一本動かせなかった。 でもやろうと思えばできたんだ。

人にできることはとても限られたことなのよ、と彼女は言う。



私は思う。 誰かがそう言ってくれたらどんなによいだろう。
「あなたは悪くはないのよ、精一杯やったじゃない」

それでも私は主人公のように答えるだろう。 何一つできなかった、やろうと思えばできたのに。

人に出来ることはとても限られたこと....この勇気のなさ、怠惰さ これもそんな言葉で許されることだろうか。

私の情けない日々を、村上春樹なら許してくれるだろうか。



2003年02月02日(日) 村上春樹「村上朝日堂」

文章を書くには....という質問を良く受けるが...と、村上春樹は書いている。まず何を書くかという内容の問題、どういう風に書くかというスタイルの問題 でもそれよりもなによりも、「文章云々を別にしてとにかく生きるということしかない」そうである。 なるほどと思う。


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