日々の泡

2002年09月09日(月) 池田清彦著「新しい生物学の教科書」

ふと書棚にあるのが目に付いたので今朝通勤のお供としてピックアップ。いつ買ったのだろう。発刊は昨年の今頃だが、多分今年の初めに買ったのではないだろうか。こういう本を買うのは相当元気なときだろう。
今朝は第一章の個体発生と系統発生を読む。 高校の教科書の比較検討が面白い。 本当にその言葉自体の説明がない教科書があるにはびっくりした。



2002年09月08日(日) フォーレ 「夢のあとに」

昨日、おとといと「北の国」を母と見る。なんでもシリーズ最終との事で盛り上がっているが私は見るのは初めて。
BGMで気になる曲あり。 よく聴く曲なのだが題名が思い出せないので今朝インターネットで検索し、フォーレらしいということが判明。早速CDがあったので聴いてみたらあたりだった。 いつ買ったのかも記憶に無いチェロのソロ名曲集の中に入っていた。

これに先立ち母が何枚か癒し系のCDをかけていたが、パッヘルベルのカノンは昔からよく聴いてきた曲だが、本当に心が和むのを感じた。また、私が昔から好んで聴いてきたマイナーな曲よりもモーツァルトの明るいメロディーに惹かれる自分に気づき驚いた。 明るいモーツァルトはもっとも好まない曲だったからだ。 年齢と共に好みは変わるのかもしれないし、今のこの日々にその明るさは救いになるのかもしれない。

そんな発見をした今朝。

と、美しいことを綴ってみたが、夕刻近くの大型書店を一時間ほどうろつき、なにか一時でも私に現実を忘れさせてくれるような小説がないか探し回ったが結局見つからず、パソコンのネットワークのマニュアルと、漫画本の棚でなんと細川知栄子の「あこがれ」2巻を買う。これは昔私が少女時代に雑誌で読んでいたものだ。 何点かの服はその頃凝っていた紙のきせかえ人形の服のデザインの参考にした記憶がある。とにかく現実離れしたユメユメしい少女漫画の王道とでも言おうか。 夕食を作りながら結構楽しく読めた。 3巻の発売が楽しみだ。



2002年09月02日(月) 「孟夏の太陽」by 宮城谷昌光

帰り道、なにも読むものがなかったので会社に積んであった本を持ち帰る。宮城谷昌光の小説は、結構盛り上がって読むのだが、どうも後半の盛り上がりに欠ける様な気がする。 この春先に読んだ「楽毅」も夏に読んでいた「太公望」も、始めのころの緻密さが嘘のように最後ははしょられている。

連載していて疲れたのだろうかとふと思ったりする。
(つまらなかったと文句を言う割にまた手を出す私もどうかと思うが、やはり出だしの面白さには魅力がある)
で、「孟夏の太陽」の主人公は趙盾。 ごく普通の人間だというところがポイントだろうか。



2002年09月01日(日) 「生きる」

昨日買ったオール読物に掲載されている直木賞受賞作「生きる」を眠れないのでまた起き出して真夜中に読む。
亡き主君のために追い腹を切るか否か。揺れ動く又右衛門の心を描く。
どうしても同じテーマを扱った森鴎外の「阿部一族」を思い出す。
「生きる」は現代人の心に置き換えて語られているところが、少々甘く感じる理由だろうか。



2002年08月31日(土) 貫井徳郎「慟哭」

吉祥寺の弘栄堂でひたすら題名に惹かれて買う。
若くして警視になったキャリア組の佐伯に対する羨望とねたみの渦巻く警察が舞台。

途中で挫折。



2002年08月27日(火) 「キリスト教英語の常識」

講談社現代新書。
会社のお供が見つからず、適当に本箱から一冊を選んだ本がこれ。
1997年12月の発刊だ。 新書はほとんど出版されて平積みになっている状態で買うので、きっとこの頃に買ったのだろう。 
さすがに最初の何ページかは読んだ記憶があるが、どうやら途中で放り出したようだ。
「バベルの塔」「ノアの箱舟」など聖書に出てくる言葉について1ページにも満たないくらい簡単に解説してあるため読みやすい。
4歳からいろいろな形で聖書には親しんできたので、知っているエピソードがほとんどだが、いまのこの年齢、環境で読むとまた違った味わいがある。

印象に残った言葉 Wash one's hands of は「手を洗う」ひいては「問題から手を引く」という意味になるが、そこで引用されていたピラトの言葉
'I am innocent of this man's blood. It is your concern' イエスの死を願う群集の前で、イエスの無実を知りながらどうすることもできなくなり責任を放棄してしまったピラトの胸の内にはどのような葛藤があったのだろうか。



2002年08月24日(土) 「夏休みの生徒に危険な本」

芥川賞受賞作品が載った時だけ買う文藝春秋。 それでもパラパラとめくっていると何かしら興味深いことにぶつかるので思い切って捨てることができない。
今日たまたまめくったところにあったのは某大学の助教授二人による標記の対談。
対談に出てきた本を羅列した「危険な本リスト」もあって、なかなか面白かった。
加藤守雄「わが師折口信夫」には笑った。 確かに国文学をこれから学ぼうという生徒にはその道を誤るほどの危険な所であるに違いない。

私に言わせて貰えば「アラビアンナイト」かもしれない、とふと思った。

リストには他に太宰治「人間失格」、武田泰淳「ひかりごけ」などという精神的なものから、サド「閨房哲学」マゾッホ「毛皮を着たヴィーナス」まで様々。


今日は、明日の後輩に結婚式に備え、国立の美容院へ。 道すがら昨夜買った「リモート」を読む。 ヤングマガジンという雑誌に載っているらしいコミックである。 なぜ読むに至ったかはまたいずれの日にか。

国立には何ヶ月かに一度美容院にいくだけだが、そのときには必ず増田書店に寄る。 1Fと地下があるかなり大きな書店で地下には専門書もある。 今日は母に頼まれたNHKテキストの「きょうの料理8月号」とたまたま店頭で目についた手紙の書き方を特集していたクロワッサンを買ったのみ。



2002年08月23日(金) 通勤のお供は「文学界」

今朝は、芥川賞を受賞した吉田修一の短編を読む。 なんといったらいいのか、平凡な若夫婦と子供という一家が聖蹟桜ヶ丘の自宅から新宿までわざわざ子供の参観日のために父親の服を買いに行ったところ、その父親がかつて同棲していた中年のオカマ氏と出会う話。

この手のテーマの割に生々しさが感じられないのはこの作者のさらりと流しす表現方法によるものか。 それでもしっかりした情感が伝わってきて、「パークライフ」よりも胸に残る一篇だった。

と、書いてあまりの無意味な文にうんざりする。



2002年08月21日(水) 小林秀雄生誕記念100周年

先日買った文学界をようやく読み始める。 途中で筆を折り、しかも死後も発表しないようにという遺言まであったらしいベルクソンについての評論が今回全集に入ったらしい。

ベルクソンといわれても時間について哲学した人?くらいの認識しかない私にとってはちんぷんかんぷんな鼎談もあったが、それでも小林秀雄の「恥」についての記述に興味をひかれて読んだ。

帰りは府中の新星堂に母にたのまれたモーツァルトのCDを買うために寄る。 
ぶらぶらと店内を歩いていると、ケルト系ミュージックの特設売り場がありなんとなく懐かしいような、心地よい女声によるメロディーが聴こえてくる。 心は動かされたが、こちらは買わずデビュー当時から好きだった「姫神センセーション」のセレクト版2枚組を買う。 書いてから気がついたがいつのまにか「姫神」と名前が変わっている。 初のコンサートを聴きに行ったのはもう十年以上も前のような気がする。 銀座のヤマハホールだった。(と、書きながら東京ガスホールのような気も....場所はあの辺りなのだが、ヤマハホールのような当たり前の場所ではなかったように思う)

 手許にはLPが何枚かとCDが一枚。 その後は特に注目もしていなかったが、最近は例のリラクゼーションCDの代表的な存在である「feel」にも「神々の詩」が入っていてやはり惹かれた。

あと、輸入版でベートーヴェンの弦楽四重奏曲の全曲集なんとCD7枚で4,480円也を買う。
最近頭の中であの「グロッセフーガ」がよく鳴り響く。これは13番に入っている。(というか、あまりの悲痛な曲調に外されて単独扱いとなっている)
学生時代に好きだった女流詩人のシルヴィアプラスにまさに「グロッセフーガ」という題の詩があり、小石川図書館までLPを買いに行って聴いたものだ。

恥知らずにも告白してしまうとこの曲をバックミュージックに私が詩を朗読して吹き込んだテープが今も現存している! 恥の上塗りに書いてしまうと富岡妙子の「カリスマの樫の木」を確か「姫神」の曲をバックに吹き込んだ記憶が。 上の姫神語りとつながったところで今日は終り....。



2002年08月17日(土) 菊池寛「真珠夫人」

昨日の金曜、TSUTAYAにCDを返しに行きながら1Fの書店をぐるりと回る。
早くも真珠夫人が単行本になっているのに驚き手に取ると、これこそ紛れも無く菊池寛本人の原作であった。 こちらを読めばよかったと後悔することしきり。 ぱらぱらとページをめくっても例のTV番組を本にしたものよりも数段文学の薫り高い単語が並ぶ....と、書きつつも買わずに書店を出た。

今は17日 土曜の早朝。 あと1分で5時になる。

今日は友人とロマンスかーで藤沢に行く予定。 どの本を持っていこうかと悩む。 愛の論理と「不撓不屈」がよみかけ。 文学界を持っていきそうな予感。

と、書いているうちに思い立って数ページ残っていた「不撓不屈」を読む。飯塚毅という実在の税理士が「別段賞与」「出張旅費」をめぐり、自ら経営する会計事務所が企業に脱税を指導したと国税に訴えられたことをきっかけに様々な危機を乗り越えていくという筋書き。

しかし、帯にあったように国を相手に...という正々堂々とした戦いぶりとは思えなかったのは、2,3人の代議士の知己を得てとりなしを依頼したりする場面が随所にあったためだと思う。 妻や息子との関係もしっとりした人間関係を描き出そうとしている割には妙にぎくしゃくしているような型どおりのエピソードが続く。
第一この主人公の人間性にあまり魅力を感じなかった。
法の抜け穴を重箱の隅をつつくようなやり方で節税をしていくという姿勢が中小企業の味方であるというような記述には思わず首をかしげてしまう。

栃木の雲厳寺の住職が唯一この小説に潤いを与えていたように思う。この寺には十年ほど前に会社の同期旅行で訪れた事があり、懐かしかった。

特に別段賞与は 今現在会社でかなり頭を悩まされている賞与引当金の前身のようなもので、飯塚事件でもめたからこそ現在の法が確立されたそうだ。税法にもいろいろな歴史があることがわかったことはよかった。


17:39
今 ニュースを聞いたところによれば、かの正岡子規の地元松山はいま「俳句甲子園」の真っ最中らしい。主催者は商店街のようだが、高校生がグループ単位で俳句を作り、その良し悪しよりも弁護方法が評価の対象となるらしい。

なかなか面白い企画であると思った。今年は正岡子規の没後100年らしい。


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