| 2002年08月23日(金) |
通勤のお供は「文学界」 |
今朝は、芥川賞を受賞した吉田修一の短編を読む。 なんといったらいいのか、平凡な若夫婦と子供という一家が聖蹟桜ヶ丘の自宅から新宿までわざわざ子供の参観日のために父親の服を買いに行ったところ、その父親がかつて同棲していた中年のオカマ氏と出会う話。
この手のテーマの割に生々しさが感じられないのはこの作者のさらりと流しす表現方法によるものか。 それでもしっかりした情感が伝わってきて、「パークライフ」よりも胸に残る一篇だった。
と、書いてあまりの無意味な文にうんざりする。
| 2002年08月21日(水) |
小林秀雄生誕記念100周年 |
先日買った文学界をようやく読み始める。 途中で筆を折り、しかも死後も発表しないようにという遺言まであったらしいベルクソンについての評論が今回全集に入ったらしい。
ベルクソンといわれても時間について哲学した人?くらいの認識しかない私にとってはちんぷんかんぷんな鼎談もあったが、それでも小林秀雄の「恥」についての記述に興味をひかれて読んだ。
帰りは府中の新星堂に母にたのまれたモーツァルトのCDを買うために寄る。 ぶらぶらと店内を歩いていると、ケルト系ミュージックの特設売り場がありなんとなく懐かしいような、心地よい女声によるメロディーが聴こえてくる。 心は動かされたが、こちらは買わずデビュー当時から好きだった「姫神センセーション」のセレクト版2枚組を買う。 書いてから気がついたがいつのまにか「姫神」と名前が変わっている。 初のコンサートを聴きに行ったのはもう十年以上も前のような気がする。 銀座のヤマハホールだった。(と、書きながら東京ガスホールのような気も....場所はあの辺りなのだが、ヤマハホールのような当たり前の場所ではなかったように思う)
手許にはLPが何枚かとCDが一枚。 その後は特に注目もしていなかったが、最近は例のリラクゼーションCDの代表的な存在である「feel」にも「神々の詩」が入っていてやはり惹かれた。
あと、輸入版でベートーヴェンの弦楽四重奏曲の全曲集なんとCD7枚で4,480円也を買う。 最近頭の中であの「グロッセフーガ」がよく鳴り響く。これは13番に入っている。(というか、あまりの悲痛な曲調に外されて単独扱いとなっている) 学生時代に好きだった女流詩人のシルヴィアプラスにまさに「グロッセフーガ」という題の詩があり、小石川図書館までLPを買いに行って聴いたものだ。
恥知らずにも告白してしまうとこの曲をバックミュージックに私が詩を朗読して吹き込んだテープが今も現存している! 恥の上塗りに書いてしまうと富岡妙子の「カリスマの樫の木」を確か「姫神」の曲をバックに吹き込んだ記憶が。 上の姫神語りとつながったところで今日は終り....。
昨日の金曜、TSUTAYAにCDを返しに行きながら1Fの書店をぐるりと回る。 早くも真珠夫人が単行本になっているのに驚き手に取ると、これこそ紛れも無く菊池寛本人の原作であった。 こちらを読めばよかったと後悔することしきり。 ぱらぱらとページをめくっても例のTV番組を本にしたものよりも数段文学の薫り高い単語が並ぶ....と、書きつつも買わずに書店を出た。
今は17日 土曜の早朝。 あと1分で5時になる。
今日は友人とロマンスかーで藤沢に行く予定。 どの本を持っていこうかと悩む。 愛の論理と「不撓不屈」がよみかけ。 文学界を持っていきそうな予感。
と、書いているうちに思い立って数ページ残っていた「不撓不屈」を読む。飯塚毅という実在の税理士が「別段賞与」「出張旅費」をめぐり、自ら経営する会計事務所が企業に脱税を指導したと国税に訴えられたことをきっかけに様々な危機を乗り越えていくという筋書き。
しかし、帯にあったように国を相手に...という正々堂々とした戦いぶりとは思えなかったのは、2,3人の代議士の知己を得てとりなしを依頼したりする場面が随所にあったためだと思う。 妻や息子との関係もしっとりした人間関係を描き出そうとしている割には妙にぎくしゃくしているような型どおりのエピソードが続く。 第一この主人公の人間性にあまり魅力を感じなかった。 法の抜け穴を重箱の隅をつつくようなやり方で節税をしていくという姿勢が中小企業の味方であるというような記述には思わず首をかしげてしまう。
栃木の雲厳寺の住職が唯一この小説に潤いを与えていたように思う。この寺には十年ほど前に会社の同期旅行で訪れた事があり、懐かしかった。
特に別段賞与は 今現在会社でかなり頭を悩まされている賞与引当金の前身のようなもので、飯塚事件でもめたからこそ現在の法が確立されたそうだ。税法にもいろいろな歴史があることがわかったことはよかった。
17:39 今 ニュースを聞いたところによれば、かの正岡子規の地元松山はいま「俳句甲子園」の真っ最中らしい。主催者は商店街のようだが、高校生がグループ単位で俳句を作り、その良し悪しよりも弁護方法が評価の対象となるらしい。
なかなか面白い企画であると思った。今年は正岡子規の没後100年らしい。
昨夜の続きだが、今朝日比谷線内にてパークライフ読了。 ページをめくって 左のページが既に違う記事になっているのを知り、驚きつつも結構最後の行まで自然に盛り上がった。と言ってもなんだかよくわからなかったような、よくわかったような、自分でも未消化のまま目的の駅に着いてしまった。 こういう文章ならネットの日記でいくらでも読めるのではないかとか、人物像がいかにも作られたもののように思う。 作者の経験に基づくのではなく、読書に基づいての経験から書かれた小説。 希薄である。
今 読みかけの「愛の論理」PHP文庫 そうまさしくPHP文庫。 古今東西の 宗教、哲学、精神分野からの引用を土台に作者が愛についてとことん分析するらしい。
昨日 母に頼まれて新宿の三省堂に寄り、95歳の現役美容師 吉行あぐりのエッセイを買う。 ついでに小林秀雄の特集をしている「文学界」が目に入りこれも購入。 「旅立ったペットたち」を立ち読み。 泣いた。 本をレジに持っていきながら赤い目が気になった。
通勤のお供は 堂本剛 初ソロアルバム。 「あなた」と「歩き始めた夏」を延々と繰り返す。
不思議に夏になると ちょっと文学に浸りたくなる傾向が有り。忙しさは年中変わらないはずなのだが。 などと思っていたら甥が夏休みの読書感想文の宿題に四苦八苦している様子。 井上靖の「しろばんば」 そうそう、夏休みの宿題の定番でした。 読書感想文。 旅行に行くときもいつもずっと分厚い本を持っていた記憶が。 高校2年のカラマーゾフの兄弟(これは自発的に読んだのだった)そして高校3年の夏は「夜明け前」 木曽路はすべて山の中である....から始まる長〜〜い小説。島崎藤村です。
新潮や角川で文庫100冊祭りのようなものをするのも夏。 昨年は長年の悲願だった「百年の孤独」をようやく読んだ。前の訳で読んだときは途中でギブアップしたのだが、今回は訳がよかったせいもあるかもしれないが、私には一つの目的があった。 そう、焼酎の「百年の孤独」に文学的香りをつけて美味しくいただきたいという....。「それから」「吉四六」焼酎の名前はどれも良い。
おととしの夏はハリーポッターの第4巻を読んだ。 ようやくこの9月に邦訳がでるようだが、第4巻はとにかく暗い。 ハーマイオニーも少々大人になってしまって寂しい思いをしたのもこの4巻。
どうでもよいが、早く5巻を出してください!
まあ過去の話はともかくとして、8月の文藝春秋には毎年芥川賞受賞作が掲載される。 文学的意欲が高まっているので 不思議にこの月は買うのだ。 吉田修一「パーク・ライフ」 数ページ読んだが、読みやすい。 最後まで読めそうである。 妙にほっとした。
会社から家に電話をすると母から吉行あぐりの最新本を買ってくるように言われたので新宿で三省堂に寄る。 ここは丸の内線から京王線に向かう途中でエレベーターに乗るだけで済むのでとても便利だ。
(雷が鳴っている。 あと4分で零時) 一体この日記は何日の日記になるのだろうか。
一体いくつめの日記だろうか。 いまもなお、ネットの海を難破船のごとく漂流している私の日記がいくつもある筈。 それでも懲りずに挑戦するある意味日記好きな私である。
今日はささやかながら月、火と年休をとり4連休だった夏休みの最終日。 というか、もう明日になっている! 早く眠らなければ。
読書:「不撓不屈」高杉良 あと10ページくらいなのだがストップしている。 そう言えば 土、日で金曜日にTSUTAYAで原作「菊池寛」という言葉にだまされて購入した「真珠夫人」上下巻 2千円也を読む。
TVドラマを本に書き下ろしたそうで、一番盛り上がるべきクライマックスで異様に巻きが入っていたのがつくづく惜しまれる。 日曜に参加したフリーマーケットに出そうと思ったら 里帰りで帰っている妹が是非読みたいとのこと。主婦の間で爆発的な人気を誇った昼メロのようだ。
音楽鑑賞; ここ何ヶ月か癒し系のCDばかり聴いている。金曜に「image」と「New ASIA」をTSUTAYAで借り、ずっと聴いていた。 なかなか良い。 ようやくCD-Rに落とした。
そろそろ眠らなければ。
| 2000年05月20日(土) |
HARRY POTTER AND THE PRISONER OF AZKABAN |
シリーズ3巻目 2巻目もそうだったが前半はいたってのんびりとした日常が 語られるので吸引力もたいしてなく、たらたらと読む。 後半くらいからぐぐっと読むスピードに加速がついてくる。
吉祥寺の弘栄堂で4月の半ばに購入。 5月18日に読了。
やはり人間には 愛と正義と勇気が大切だと.... なんとなく心があたたまる。
| 1999年07月01日(木) |
赤瀬川原平著「老人力」 |
作者:日本 出版社・値段:筑摩書房 老人力とは、年をとったとか耄碌したという代わりに「なかなか老人力がついてきた」という風に使うらしい。まあ、肩の力を抜けということらしいが、老人力という言葉自身は目新しいが、内容としては特に いまさら、というようなことばかり綴られているように思った。 これが今一番売れている本なのかと思うと少々がっくりくる。 作者はまだ60才くらいのようだがまだまだ老人を語るには若すぎる。 所詮、高見の見物にすぎないのではないだろうか。 本当に年老いたとき、老人力となどと言って自分の老いを楽しむことができるかどうか。 と、実はエッセイ嫌いの私は、すぐにエッセイに対して反感を持つ。エッセイからは作者の自己顕示欲しか感じられないせいもあるかもしれない。 なにか独善的なにおいすらする。 やっぱりエッセイなんて読んでいないで小説を読もう、などと思うへんくつな私だった。(それこそ老人になったら頑固になりそう)
| 1999年05月01日(土) |
或る年のG.W.の買い物 |
久しぶりに国分寺の三成堂書店に行く。 バイテクセンチュリー ジェレミーリフキン著 2、100円 コーポレート・ガバナンス入門 深尾光洋 660円 國文学 あいさつことばとコミュニケーション1050円 MONSTER VOL.11 爆笑...Kinki Kidsのすべて...1、000円。
これも久々に国分寺の新星堂に行く。 CD「月光とピエロ」を買う。 智恵子抄より「或る夜のこころ」 を含む。 7月の夜の月は...で、始まるこの曲。 7月には 毎年聴いているが、なにぶんにもLPのため、買い直す。
ベートーヴェン 弦楽四重奏曲第13番 大フーガ付き ウエストミンスター復刻版。 この大フーガ(グロッセフーガ)はあまりに悲愴なので (という理由をむかし読んだ)この13番の終楽章から 外され単独になっている。 シルヴィアプラスの詩「グロッセフーガ」をこの曲をBGMに 読んだ大昔のカセットテープが現存している...と、 客観的に書いておく。
本日の丸井でのお買い物 ドールハウス用の棚を買う。
| 1999年04月24日(土) |
天童荒太著「永遠の仔」上・下 |
それぞれつらい過去をもつ3人の男女は子供の頃の一時期を同じ病棟で過ごした。そこで3人はある犯罪を犯し罪を共有することになるが...。 子供による犯罪が多発する現代にあって多分その病根を探ろうとする意図があるようだが、この小説では当然ながらその原因を親のあり方に求めている。 そしてさらにその親には親があり...。悲劇は繰り返されるというが、子供は親の呪縛から永遠に解放されることはないのだろうか。子供にはそれをはじきとばす無垢なものが、生まれつき持っている筈の真っ直ぐにのびていく力というものはないのだろうか。 あまりにひ弱な今の子供たちには 昔は確かにあった筈のそういった力が欠如しているように思う。だから親の葛藤の影響を直接受けてしまい、人格さえも崩壊されてしまうのではないだろうか。 確かにヒロインの不幸は、どうしようもないものに思える。 父親が実の娘を云々という話は先日のシドニーシェルダンで読んだばかりのせいか、このようなテーマで小説に書くこと自体に腹が立つ。 的外れな怒りであることはわかるが、こういった題材を読み物にしてしまうところになんともいえないものを感じる。そのような父親というのは早い話が異常なのである。 異常なものをあたかも社会現象のように小説でとりあげてベストセラーになってよいものだろうか。 加藤諦三は子供を愛せない親に育てられた人間がいかにゆがんだ存在になるかを何度も何度も繰り返し語る。 どの著作を読んでいても 又かと思うほどそのテーマが出てくる。 実際に加藤諦三がそういった親に育てられたらしく、そこここにその恨みが噴出している。 ここ7、8年は読んでいないのでもうそろそろ親から解放されたかも知れないが(しかし、数年前に加藤が訳して話題になった「インディアンの教え」は親に心底愛された子供は親の愛を失うことを恐れなくて済むのでどこまでも親から離れて冒険をすることができるというようなことが書かれていたので、相変わらす...と思ったものだ)加藤諦三ですら、親の呪縛から逃げられないのかと思うと、今の子供がひ弱であるというだけの理由はなりたたないのかもしれない。 感受性の強い子供が 単に嫌いなだけのまたしても私の独断に過ぎないかも知れない。 私自身は青春時代、感受性など、人間としての贅沢品だと思っていた。 長く書いた割にあいかわらず書評になっていない。 親の呪縛から解放されるには、まず親を神格化したい自分に気づき、親も又一人の人間なのだと悟ること。等身大の親を発見すること。 人間の無償の愛などというものは滅多に存在しないことに気づくことではないだろうか。99・4・24
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