かっしーのつぶやき
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| 2007年05月26日(土) |
ウェンディはやがてオトナになりましたとさ |
案の定、回を追うごとに私の感性とは甚だしくノリが合わない「TV版スタッフによる新解釈演出」部分が頻出するようになったTV版「地球へ…」でございます。
(遠い目)
さすがの私ももうこのごろでは、TV版「地球へ…」を視聴するにあたっては「果たしてこのTV版は、私の読んだ原作といったいどんだけ違ったものになるのだろうか」という恐いもの見たさのほうが先走るようになってしまいました。
それでも、できるだけあれこれ文句はつけないようにしようと思っているのです。 言いたいことはそりゃいろいろあるけど、私の感性とは合わないからってその部分をいちいちあげつらうのは、懸命に作品を作っているであろうTV版のスタッフさん達に悪いような気がするし。ああ、しょせん私は、『地球へ…』に関するものにはどーしても甘くなってしまうのでした。
たとえば、これがさほど思い入れのない他の作品のことだったら、「この人間関係は押さえとかなきゃダメでしょ?!」とか「ここをこんなふうに変えちゃったら原作の意図が丸つぶれじゃん!」とかあれこれグチが言えたような気がします。 でも、『地球へ…』については、私は、あまり強くは出られません。 TV版がたとえどんなに(私的には)ヘタレアニメになっていってしまったとしても、それでもそれがあの素晴らしい原作『地球へ…』の名に連なる作品であると思うと、やはり頭ごなしに全否定する気にはなれないのです。
なんたってほら、「初恋の人」が出てますので。(おお、なんて『地球へ…』的な思考!<処置なし)
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だから、いいのです。
たとえば今日放映のTV版「地球へ…」で、 セキ・レイ・シロエがジョミー(のイメージ)に向かって 「助けて、ピーターパン!」 とか叫んじゃったりしても。
…。
(ぐあー)
…。
(気を取り直して) いいのです。 それはそれでTV版製作スタッフの皆さんの、熟考の末の、演出上のひとつの選択だったのだと、思うことにします。
そして改めて、先日書いたとおり「自分内ゲンナリ」を済ませておいて本当に良かったと。
私はほんとにすっかりオトナになってしまいましたのよ。 あの日のウェンディのままじゃいられなかったの、ごめんねピーターパン。みたいなー(棒読み)。
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で。 TV版シロエのそのあまりと言うにもあんまりなセリフにショックを受けた私は、その後、原作『地球へ…』を一気に全巻読み返してしまいました(苦笑)。
休日出勤帰りの疲れ極限で心が弱くなってたときに見たもんですから、ひどく不安に襲われてしまったんですよ。 ちょっと待って、あたしの大好きな『地球へ…』ってそんなに×××な作品だったっけ?と。
全部通しで読み返して、ああやっぱり私の『地球へ…』は私の『地球へ…』だ、よかった、とやっと安心した私でした。
後から思いましたが、この時の私の心理というのは、かのソルジャー・ブルーが心身ともに弱りつつあったとき、たまらずフィシスのところへやってきて「またきみの地球を見せてくれないか」とその手をとらずにはいられなかった、その気持ちの動きととても近いものがあるんではないでしょうか。
ことほどさように初恋とは、人ひとりの心にとって変えようのない何か、なのでしょう。
そんなふうにまたひとつ歳をとってオトナになった誕生日の夕暮れどきなのでした。
| 2007年05月10日(木) |
ステキな宇宙船地球号(半笑い) |
本日のtimutaんの発言。
「こわいよー、ついうっかり『地球へ…』読破しちゃったよー! な、な、なんてこわいまんがなんだーー!!」
そうね、あれは少なくとも「ついうっかり」なんてタイミングで読んでいい話じゃないと思うよ…
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相変わらずTV版「地球へ…」見てはきゅんきゅんしとる私ですが、まさに今日この日に原作版『地球へ…』を初読してショックを受けているピュアなtimutaんを前にして、ふと、私も心の準備は早めにしておいたほうがいいなと思いました。
心の準備。
→今やってるTV版「地球へ…」が、今後ヘタレ展開になっていった場合の(笑)。
オープニングの映像の出来がとてもよかったのでそれに気を良くして忘れがちですが、しょせんこの枠は地上波TBSのしかも土曜の6時といういわゆる「子供が見てる枠」なわけで、「地球へ…」がその原作通りにやってもらえるなんて保証はどこにもないんだよなあと。
timutaんの読後の言葉からもわかるように、『地球へ…』というマンガは、底知れない奥深さを持つ作品です。 四半世紀前に作られた劇場版も、人間関係を変えていたり原作と違った結末になっていたりと、制作上さまざまな制約を受けていたのであろうことが伺える内容です。 それを今またTVシリーズのアニメにして放映する、それ自体が実はたいへんな冒険的行為なのです。
同じ枠の前番組だった「天保異聞 妖奇士」のナニでアレな終わらされ方とか思い返すと、私の大好きな『地球へ…』の世界が換骨奪胎のグズグズTVアニメにすりかえられて終わってしまう危険性は実は非常に高いのでしたよ。
だからね、今のうちに心の準備をしておこうと思います。
つか、ショック受けないうちに最悪の状況を自分で想定しておこうと。
現時点で既にいろいろ細かいところが原作とTV版では変わっています。 その中でも大きい違いとして挙げられるのは、ジョミーの育て親のジョミーに対するスタンスでしょう。 原作では、ジョミーの育て親はあくまでS.D.体制に身も心も適合しきった成人男女として描かれていますが、TV版の両親は原作よりもずっとウェットな感じになっています。原作の父親には殆ど存在感がありませんがTV版のお父さんは成長したジョミーにしみじみとした目線を投げるし、お母さんは原作の母親のようにジョミーの不審な言動に怯えて即座に「当局へ通報」したりせず、心理テストを受けさせられるジョミーが裸で運び出されようとするのに憤激してせめて何か着せてやってくれとパジャマを差し出したりする。 ずいぶん変えたなあ、というより、ほとんど「真逆」と言っていい位になってる感じです。 『地球へ…』という作品において、“親”と呼ぶべき存在やその意思のかたちとのそれぞれの関係性というものは非常に重要なファクターであるわけですが、その重要な部分をTV版放映第一回からすでにこれだけ変えてくる、ということは、もしかしたらTV版の製作スタッフは最初から、そのあたりを自分たちなりの解釈で作り変えようというはっきりとした意図を持って作品構成に臨んでいるのかもしれません。
…。
い○ぶちってば実はけっこうマッチョ志向なとこあるからなあぁぁ。
TV版「地球へ…」のオチが、実は「お父さんお母さんを大切にしよう」「赤ちゃんは母乳で育てましょう」「国民総背番号化反対」「母なる星・地球を大切にしよう」…みたいなところにまとめられちゃったりしたらどうしよう!(震 つか、ジョミーの両親の描写のあの変えっぷりを考えると、そういうところを前面に押し出したオチが待っていそうな気がヒシヒシとしてくるわけですが。
「地球へ…」って、つまり「みんなの素敵な宇宙船・地球号」のお話だったのね、みたいな!(爆
…(泣)
いやその。 なぜにそこまでイヤ発想をしてしまうかというと、先日、ケーブルTVでついうっかり 「伝説巨神イデオン 発動篇」 を見てしまったせいです。
なんてーかその… 「イデオン」の発動篇を見てから改めてTV版「地球へ…」を見るとですね… オープニングの最初のとこで、闇に浮かぶソルジャー・ブルーのおなかのあたりが白く光って、彼が目を閉じて手を広げるとそこから白い閃光の高速粒子がパーッと放出される絵があるじゃないですか。 あれがね… 「では、メシア… たのみます…」 のパk…いや、翻案みたいに見えちゃったんですよね…
だからね! 思ってしまったわけですよ!
TV版スタッフの皆さんが、TV版「地球へ…」を 「平成のイデオン」みたいな感覚で作ろうとしてるんだったらどうしよう、とか!!
今度は“新生児の無垢”じゃなくて“少年期の憧れ”が母なる地球へ人類を導くんだよーん、みたいな発想入ってたらどうしよう、とか!!!
わああすみませんすみません。
いや、いいんですよ、それがTV版スタッフの皆さんが考えた「地球へ…」なら… 間違いじゃない、間違いじゃないんだ、そういうのも全部飲み込んじゃうくらいに大きい大きい原作だからたぶんそれはそれでいいんだと思う…
ただ単に私の好みのノリじゃないってだけで。
だから、そういうの見させられてからショック受けて落ち込んだりするのももうめんどくさいからいっそのこと先回りして自分からそういうイヤ想像して先に「自分内ゲンナリ」を済ませておこうと。
そんなふうに最近は強く思うようになってきましたです。 私もいろんな意味でオトナになりました。 なってしまいました。しくしくしく。
…。
まあそう申しましても私は、言わば『地球へ…』に魂奪われた人間であることは変わらないので、たぶんどんなものでもそれが『地球へ…』の作品世界へ連なるものであるのならあれこれ文句をつけつつも愛してしまうのだ、とは、思います。
…たぶん。
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というようなことを(原作を読んだばかりでまだフラフラ中の)timutaんに主張してみたところ、
「だってー!しょうがないじゃない、TVにはTVコードってもんがあるんだから! あんな最後にはジョミーが○○○○だらけ(中略)、みたいな話、そのまま放映できるわけないじゃない!」
と半泣きで反論されました。そ、それもそうだよね…。全部原作通りだったら放映自体できなかったかもしれないし、そしたらこの機に乗じた形で昔の劇場版「地球へ…」や24時間TVアニメの「アンドロメダ・ストーリーズ」や、あまつさえ「夏への扉」なんてものまでがごっそりDVD化されるなんてこともまず有り得なかっただろうから、そう考えると今のTV版なんかもう、とっても良心的って言っていいくらいの出来ばえなんだよね… うん、そうだよね…
…私もいろんな意味でオトナになりました。 なってしまいました。しくしくしく。
たかが一見の分際で畏れ多くも武蔵御嶽神社のご祭神についてあれこれ語るなどという愚は犯しませぬ。 (timutaんの日記参照)
いやほんとに、あんな天空の山の頂上にぽつねんと浮かんでいるかのような修験道の集落、しかもその集落の人口のうち約4割が神主(!)なんてところにのほほんとケーブルカーで出掛けていった私のような一観光客が、そこのご祭神に対してあれこれ書散らすなんざまことに不遜の極みというものです。ええもうほんとに。
この天空の集落で代々暮らしているという人たちの圧倒的な存在感の前には、「あの狼神社に祀られている狼というのは実はヤマイヌで」とか「真言密教に比べて天台密教は分裂と対立を繰り返していて」とかそんなことを人に向かって賢しらに講釈たれるおのれというものがなんとも浮薄な人間に感じられましたです。
私は、自分が学生時代に民俗学だの文化人類学だのを生半可にかじったために、こういう特定地域の異文化や特異な風習を見聞きした時にさも自分のほうが物を知ってるんだみたいな所に立って事象を見下ろすような視点を持つことがあって、自分でも嫌だなあと思います。そこで暮らしを営んでいるのはそこにいるひとりひとりの人間の心と身体であるのだから、「論理的に正しい」結論なんて出すことに本当は意味なんかありはしないのに。
大学時代の恩師の言葉を思い出します。
「修験道には手は出すな。君らのような学生に手におえる相手じゃない」
今思えばこれは、もしかしたら、己の「知識欲」のようなものに自分で飲み込まれて目前のものの本質を見誤るような研究はするな、という遠い戒めであったのかもしれないな、と。
山菜の天ぷらなぞをおいしくいただきながら心ひそかに自戒を新たにした、端午の節句でございました。
| 2007年04月28日(土) |
おヤエさん vs. ヒョウタンツギ |
帰省して兄宅に甥っ子1号の見舞い。
また例によって例の如く前々日に知恵熱を出したため、少年団のハイキングに行けなくなってしまった彼だった。 正確に言えばハイキング前日には熱はけろりと下がっていたのだけれど、今までの罹患歴を鑑みるに無理はさせられないと親が判断したよし。 私はじぶんが適当に頑丈な心身をもって子供時代を送ったので、彼のように心の熱さに身体がついていかないタイプの子を見ると、なんというかもう、その無念さはいかばかりかと絶句するしかない。 大雑把な私は気付かないうちに甥っ子1号からすれば「なんて無神経なヤツ!」と思うようなことを言っちゃったりやっちゃったりしてるんだろうと考えると少し物悲しくなるけれど、だからってベタベタに甘やかすのがそいつのためになるかっていうとそういう話でもないとも思うし、そもそも彼の生育に対する責任も口を出す権利も私には無いわけだし。 そんなこんなで、今のとこ私としては、仕方がないことは仕方がないこととして置いといて、他んところでその日その日の悲喜こもごもの収支をゼロに近づけることができれば少しは明日へ向かう元気も湧いてくるんじゃないのかね、という方向への心の舵の切り方を彼に身に付けてもらえるよう手伝いをするしかないわけだが。
そんなことを考えつつ相変わらずガオガモンがどうのシャイングレイモンがどうのとデジモンズな話をしまくってきたわけだが(笑)
さてその夕方、その甥っ子1号父である兄とともに「地球へ…」を見る。 兄はメカ至上主義ヲタなので竹宮惠子作品についての知識は実に浅く、「地球へ…」はおぼろげに筋を知ってるくらいで原作も読んだことがないというので一緒に見ながらいろいろ教えてあげた。
今回の話の中、ミュウの宇宙船のクルーのモブにおヤエさんが居て、思わず「わー!おヤエさんだー!」と反応してしまったら、竹宮惠子作品についてはまったくの素人の兄は「おヤエさんて誰?」と聞いてきた。
「えーと、…手塚治虫ワールドにおけるヒョウタンツギ、みたいなキャラかな」 「ふーん」
…。 後から、せめてアセチレン・ランプくらいに言うべきだったと反省。 ごめんなさいおヤエさん。
その伝でいけばニナはピノコなんでしょうか。 まあそんなこと言うと両者から「あんなのと一緒にしないで!失礼しちゃう!」と怒られそうですが。
| 2007年04月22日(日) |
遠くで汽笛を聞きながら |
仕事その他もろもろとても忙しく、今年のプロ野球についてはスタメンと試合結果を確認する位がようやっとでニュースもろくに見てません。
目を転ずれば遠く東北楽天ゴールデンイーグルスでは、池山や橋上がコーチでがんばってます。 どっちもそっちも、少しでも上にいけるといい、です、な…。
| 2007年04月18日(水) |
初恋の人はソルジャー・ブルー 2 |
新年度業務もそっちのけで「地球へ…」見て泣いてる最近の私です。
素で感動してます。 とても素直に感激に胸震わせてます。 なんだかねー、もうねー、 夢見てたものがそのまんま現実になって動いちゃってるという感じなんですよ。
私、この「地球へ…」って作品にはあまりにもあまりにも思い入れがありすぎて、文章とか全然まとめられる気がしないし今後どんなに推敲を重ねてもきちんとした話には到底なりようがないだろうなって確信だけがあるような状態なんですが、でも、それでも、なんだかもうこれ以上何も文章に起こさずにいると身体に悪い感じがじわじわ心身を侵食してきてしまったんで、こんなありさまですが強引に暑苦しく語り出してしまうことにします。すみません。
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1980年(今を去ること既に27年前)、 10歳の私が「地球へ…」の劇場版用ポスターを初めて目にした時の あの決定的な印象、それを何かにたとえるとしたらそれは 「初恋」と呼ぶほかありません。
なんてきれいな男の子だろう、と思いました。 漆黒の宇宙空間、浮かぶ美しい地球を背景に、 何か途方もなく大きなものを一身に引き受けているような そんな思いつめた目でまっすぐこちらを見つめている彼、 ソルジャー・ブルー。
その澄んだ瞳、やわらかい髪の流れ、風にふくらむマントのドレープ。 一度見たらもう忘れられず、 そう、あれは、一目惚れでした。
子供でしたから、映画は観に行けなかったと記憶しています。 ただ、そのポスターを買ってもらえた時は、本当に嬉しかった。
私は自分の部屋の一番いい場所にそれを貼って、毎日毎日 その絵を見上げながら思っていました。 この人はこんな目をしていったい何を言おうとしているんだろう、 何を伝えようとしているんだろう、 君は誰?君は一体、誰?
そんなふうな初めての邂逅からずいぶん長い時間が経ったのち、 もう私がほとんど大人になりかけた頃、 やっとその「原作」に、私は辿り着きました。
それは、何もわからないままにあのポスターの絵の彼に恋をした、 その恋心の闇雲さにさえしっかりと応えてくれる、素晴らしい作品でした。
読んでいる間じゅうずっと圧倒され続けて、やがて読み終えてしまったときの あの、すべてが補完されたような、解けた謎の跡にもっともっと大きな 神秘の顔が浮かんでくるのを見つけてしまったような空恐ろしい感覚、 ああ、きっと私は「これ」から生涯逃れられない、 もう私は「これ」の中に、既に生きてしまっているんだ、というような 愛しいような、痛むような気持ちを、今でも少し、覚えています。
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…なんか文章に湿気ありすぎなので少しトーン変えます(苦笑)
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と、いうような、はなはだしくナイーブな邂逅体験のそのために、 私の心における久遠の憧れ、永遠の初恋の人は、 ソルジャー・ブルーに固定されてしまったのでした。
もっと詳しく言い添えれば 表(白)・初恋の人はソルジャー・ブルーで、 裏(黒)・初恋の人はキース・アニアンなんですが そのへんは更に長くなるのでまた後日(ごにょごにょ)
…ともかく、 原作の『地球へ…』はセリフからコマ割からもうほとんど暗記して しまうほど自分の人生において文字通り最も多く読み返したマンガで、 ってそんな感じの、なんていうかこう私は非常に ウェット極まりない感じの「地球へ…」のファンだったのでした。 ええ。
ですからもう、今回のTVシリーズ第1話の中身を見るより、 その前のオープニングの映像だけで、既に涙ざぶざぶでしたですよ。
だって絵がきれいで色がきれいで動きがきれいで、その上 人物の表情とかピックアップされてる要素がことごとく 「そうそう、それ!それよ!」 ってことの連続で、もう切れ目もなく懐かしい記憶みたいなのが ずるずると心の一番奥から引きずり出されて止めようも無くて、 オープニングの間中、もう一秒のスキもなく心のツボを押されに 押され続けて、最後の頃にはああもう嬉し涙で画面がかすんで ソルジャーが見えない、ってとこまで行ってしまいましたです。
そんなですからもう! ソルジャー・ブルーが実際に動いたり喋ったりしたらもう! 切なそうに瞳を伏せて、唇噛んで苦悩してたりしたらもうもうもう!
きゅんきゅんですよ!
心は初めてソルジャーに会ったあの10歳の時に完全帰還ですよ!
バイストン・ウェル覗けちゃいましたですよ!! (位相が混濁気味ですがニュアンスで解って下さい)
というわけで、 こんな高いボルテージで26話ずーっと「地球へ…」の世界を 見続けていくんだとしたら果たして最後まで体力持つのかしら私、 とかある意味ハキ違えた不安を覚えたりするくらいに 私にとっては嬉しくも凄まじい「地球へ…」TVシリーズの 幕開けでございましたです。はあはあはあ。
この機に乗じて昔の劇場版「地球へ…」のDVDも出ちゃいますし。 マンガは持ってるけど新装版もきっと買っちゃうんだろうなあ。 いろいろ買うものがあって大変です。でも買う。 やっぱり私にとっては、これは大切な初恋の人、初恋の作品なわけで。 ジャンルの違いはあっても、きっと誰にとっても初恋のモノって、 そういうもんですよね?
ある意味、「地球へ…」という作品そのものに対して、私自身が ソルジャー・ブルーに対するジョミー・マーキス・シンみたいなものなのであって。
その思い入れ、 自分の心の深層に灼きついたまま今も生き続けているその存在、に対する そのどうしようもない憧れは、 ソルジャー・ブルーの地球(テラ)に対する思慕の念と 文字通り入れ子のように重なるわけです。
憧れとは呪いの同義語であると、 そう言い切ってしまえるほどに、 人は、心強くはないがゆえに。
人をそういう気持ちにロックする、何十年も続く夢を見せる、 そういう作品、そういう絵を描かれたということ、 竹宮恵子先生は、本当に素晴らしい仕事をなさったんだと思います。
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…。
ただでさえ木の芽どきなのにこんな熱に浮かされたような文章を書いていたら本当に頭がフラフラしてきました。 ほどほどにしときます。
今後も時々瘧にかかったように「地球へ…」について語り出すかもしれません。 すみません。
| 2007年04月07日(土) |
初恋の人はソルジャー・ブルー |
今日から始まるTVアニメの「地球へ…」に出てくるソルジャー・ブルーって人は実は私の初恋の人なのよ。
甥っ子1号にそう真顔で言ってみたら
「はつこいー?会った事もないのにー?」
とせせら笑うように言い返されました。 子供ってのは往々にしていつも問題の核心を突いてくるものです(笑)。
しかし私も今更そんなことで怯むようなヲタ魂でもないので更に真顔で答えてやりました。
「会ってたね!心の中では!!」
甥っ子1号は半笑いの顔を変えませんでしたが、そうして9歳児に笑われてなおフフフいいって事よこれこそまさに『地球へ…』のテーマに通じる象徴的な会話ってなもんだわフフフフ、などと内心でほくそ笑んでたりする私は我ながらなんて因業な人間なのだろうと思います。
なんかいつにもまして頭の箍が外れた文章ですみません。 詳細は、また後日。
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