かっしーのつぶやき
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2005年05月03日(火) 瞼のトモさん

行って来ました黒鷲旗。というより、瞼の裏をトモさんで染めに(ぐあー)

久しぶりの大阪です。
2年前に匠ひびき主演の「レディ・ゾロ」大阪公演観劇のため松竹座に来て以来。思えばあの時も初夏、新緑の道頓堀。
あの時は、まさか2年後の同じ季節同じ場所にまた同学年の女(別口)を追っかけてやってくることになろうとは思ってもみなかった…
嗚呼、このままでは私にとって大阪=同学年女を追っかけて訪れる街、になってしまう(改めてそう書くと我ながらメチャクチャな人生航路だ)。

で、大阪府立体育館。


トモさんて、こんな凛々しい人だっけか。
つか、男の子みたいに見えるのはなんでだ。この期に及んで。
髪を短くして、あんまり茶色くしてないからか。襟足のあたりはほとんど黒だ。だから余計に虚飾がなくキリリとして見えるのか。
今までもトモさんのことさんざんキレイとか可愛いとか美しいとか白い花とか言ってきたけど、そういうのとは違うみたいに見える。
尚武、いや菖蒲の花が何より似合いそうなその姿の、颯々、軽快にして鋭敏なさま、それはさながら青々しい若武者のよう。


…と、会場に入ってきたトモさんをこの目でひと目見るなり私は自らのココロの手綱を潔く手離すことに決めたのでした。

だってトモさんをこの目で見るために!そのためだけに大阪まで来たんだから!!
それでいいんだまさにそれこそが我が本懐なり!!


蒸し風呂のような気温の体育館の中で、トモさんはしきりに汗を拭ってました。自分の額髪をかきあげて、ユニフォームの腰に挟んだ生成り色のハンドタオルを手に取ってはおでこにぱふぱふごしごし、と当ててる仕草が一生懸命で可愛くてもーうー。

場内に入ってきた時、トモさんは何か飴でも含んでいるような感じの口許だったんですが、試合が始まってから、あれは喉飴だったのかもと納得してしまいました。
だって本当に、ひとときもじっとしていない。常にチームメイトに向かって何か言ってる、というより「叫んでる」。
言葉だけじゃなくて、身振り手振りのジェスチャーで激しく語り、顔の表情筋を最大限に使って語り、そしてそれをやってる間も足元は常に細かく速く足踏みし続けて、決して体の動きを止めようとしない。

その姿勢はまるで、場内にある「勝ちへの空気の流れ」みたいなものを己が身にすべて引き付けて、一瞬たりとも手離すものかと、ありとあらゆる「勝ちにつながる気配」みたいなものをなんとかして全部自分たち側のコートに流れいれ定着させようとして全身全霊で気を張りめぐらせているかのように見えました。


ああ、トモさんだ、この人はほんとにこういう人なんだ。
この人は本気だ、この人から今、バレーボールを奪おうとしたら殺される。
物騒な表現ですがそうとしか言いようが無いような、そんな気配を全身から放出させて彼女はコートに立っていました。


辛勝、って感じの試合が終わって選手達が退場する時、レッドウィングスの面々は私らの席のすぐ近くの通路を使ったので当然トモさんも至近距離を通って行ったんですが、たとえば携帯で写真撮っちゃおう♪とかもうそんなことは絶対・全然・発想も出来ないくらいの壮絶な気配がまだトモさんの肩口あたりには漂っていて、その気迫に圧倒されてすっかり縮み上がってしまった私はせめて笑顔を必死で作り拍手を送るのが精一杯でした(とほほ)。


2005年05月01日(日) 限界チャレンジャー

♪ 君が越えたいものは何? 大空 逆風 昨日の自分
   立ち向かう時 揺れ動く その胸に湧き出すパワー ♪

というわけで最近、毎週日曜日の朝に「魔法戦隊マジレンジャー」を見るのが楽しみな私なんですが…

こういうスーパーヒーローものの主題歌の歌詞にまでトモさんドリー夢を見てしまうのはさすがにちょっとどうなのかなと我ながら思ってみたり(苦笑)
でもしょうがないんだ!見えるものは見えるんだ!とにかく見てしまうことから詩が始まるんだってランボオも言ってたぞ!<そんなもん引き合いに出すな

♪ Go Fight! マジ!マジ!マジレンジャー  限界 チャレンジャー
  勇気と言う名の魔法を持ってる ♪


2005年04月22日(金) 牡蠣は熱いうちに食え

今を去ること2年前、職場に新人としてやってきてやっぱり私が当初の指導を担当した後輩がおるですが、幸いなことにそれが今では部内きっての稼ぎ頭にまで成長しました。

本日それと一緒にメシを食いに行きました。
さすがに生牡蠣はもうアウトでしたが、熱々の牡蠣料理をいろいろと。


思い返せば彼女が入ってきた時に、「今の会社の経営状況を鑑みれば、新入社員といえども即戦力になってくれなくては困る」という判断から、あえて生意気上等で育てるべし・それが最善かつ最も効果的な新人教育方針に他ならぬと強く上司に進言したのはこの私だったのでありましたよ。

つまり彼女の社会人としてのあり方の基礎はこの私が自ら望んでそう据えさせたものなのだから、今のあれのあの生意気も破天荒も、それはすべて私自身が望んだことだと、笑って御してやるしかない。

若いもんのキツい冗談に苦笑いしながら、過ぎて来たはるかな日々の出来事のくさぐさをふと思い出してしまったりする牡蠣ナイトなんでした。


2005年04月21日(木) 愛しのトップさん

トモさんを見てついジェンヌ萌えしてしまうこと浜村淳と同等のわたしです。

それにしてもやっぱりトモさんてヅカのトップスターさんのイメージがカブるんだよねー、なんでかなー、と改めて問うてみるに、元ヅカファンのtimutaん曰く、

「トップさんて、みんなに笑いかけるからじゃないの?

トップさんて、トップ娘役ばっかり見てるわけじゃないのよ。
組子みんなを見てるのよ。
トップスターは、トップになったその瞬間から“みんなのトップさん”になるのよ。

そういうとこが、トモさんぽいのよ」


なるほろー。


閑話休題。
ところでハイ、今年の黒鷲旗に向けてのパイオニアレッドウィングス記者会見の写真見て「うわ、なんかこれって“新トップコンビお披露目記者会見”みたい」と思ってしまった元ヅカファンはあたしでーす(笑)
つかもうレオさんはけっこう前から現キャプ張ってるんで別に新しく何かになったわけでもないんですが…

だってホラあたしにとってのキャプならぬ現トップさんは当然トモさんなわけだから。
つか彼女はあたしにとって永遠のトップ・オブ・トップなわけだから!!(うるさい)


2005年04月20日(水) B'zの曲は、肌に馴染む

TVをつけたら吉原が歌ってた、と思ったらそれはB'zの稲葉だった罠。

吉原知子=B'zの稲葉に似てる人、とはよく言われることですが、私のこの1年あまりひたすら吉原のことばーっかり見つづけてきたイカれた視神経をもって今改めてB'zの稲葉を見ると「うっわー、こんなに吉原に似てなくてもいいだろう稲葉!」みたいな。

しかしまあ、あえて改めて言いたくなるほど、ほんとにまあ恐ろしいまでに似てますね。顔の形・顎の線・頬の陰影の入り方、ああああそんなふうに眉根を寄せて逆手に拳を握りしめつつ細い身体を反らせて吼えるその表情とか仕草とか、もう絶対に生き別れの兄妹だとしか思えません(あらゆる意味ですごい兄妹)。


さて標題の「B'zの曲は、肌に馴染む」というのは先日私の大学の同期が言った言葉ですが、蓋し名言かと。

大学時代に「Easy Come,Easy Go!」のCDシングル買ってヘビーターン世代・歴代転んだほぼ全部のカプに「BAD COMMUNICATION」当てはめて遊んできた前科持ちの私は、それほど大ファンてわけでもないのにそれでも今もコンビニの有線でB'zが流れて来るとたとえそれがもう10年前の曲だろうが最新リリースだろうがとにかく立ち止まってその場で最後まで聴いて「ああ、今日もB'zはB'zのままだったよ…」とヒソカに胸熱くしてから店を出る、というくらいB'zって自分の時間軸と並走している感覚が強いわけです。
「肌に馴染む」というのはまあつまりはそういう意味。

トモさんも去年あたり「ultra soul」聞いてるとかどこかで言ってたような気がするし、まあその顔が似てる云々の件は脇におくにしても、なんとなく同世代的感覚として、ふとした局面でB'zの曲がどうにも「肌に馴染んでしまう」感じってあるかもしれない、なんて思ったりします。


で、そうやってつくづくと吉原に思いを馳せつつB'zのPVを見ていたら、稲葉はあの渡辺謙にも似ているという事実に気がついたりして。
吉原知子→B'zの稲葉→渡辺謙。吉原でラストサムライ、とかバカ話かましてたらマジになってしまった…


2005年04月18日(月) 吉原殿中の思い出

で、またしても田舎から銘菓・吉原殿中を買って帰ってきたわけですが(バカだ!俺は本当にバカだ!!)。
今回、買ってきたのはあさ川製菓の吉原殿中。
なんであさ川のを選んだかと言うと、味が好きなのもあるけど、実は私にとって非常に思い出深い一品だからです。

実は私の「はじめてのおつかい」の思い出といえば、この吉原殿中なのでした。

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あれは幼稚園の時だったか小学校低学年の時だったか、とにかくまだ小さい頃のこと。
おばあちゃんが私にお金を渡して、言いました。

「でんちゅう1個、買ってきて」

子供だった私にとっては、近所の雑貨屋へのおつかいは文字通り大冒険。途中には国道だって渡らなきゃなりません。子供心にとてもとても緊張して、渡された岩倉具視の青い500円札を握り締め、近所の雑貨屋へ一目散に走っていきました。
走りながら、忘れないように心の中で「でんちゅう、でんちゅう、でんちゅう…」と必死に唱えつづけていたのを今でも覚えています。

かくしてなんとか無事に雑貨屋へたどり着き、お店の人に向かって言いました。

「でんちゅう、1個、下さい!」

が、お店の人はレジの向こうで、きょとんとしています。

「でんちゅう?…でんちゅう、って、何?おじょうちゃん」

この瞬間、私はおばあちゃんに言いつかった「でんちゅう」というものがいったいどのような物品であるのかを、自分がまったく知らないということに初めて気が付いたのでした。
最初に気付けよ、あらかじめ聞いとけよ、というのはまあオトナになってから思うことであって、あの時は何しろ「はじめてのおつかい」で必死だったので、言われたままを伝えてお金を渡せば当然それが買えるのだと思い込んでいたのです。

さあ困った。私も困ったがお店の人も困った。突然子供がお店に飛び込んできて「でんちゅう下さい」、ってそりゃ困りますわな。他の店員さんもわらわらと集まってきて、「でんちゅう、って言ってもまさか電信柱のことじゃないだろうし…」と相談が始まってしまい、子供の私は不安と恥ずかしさとでその時点でもう既に半泣き状態。

やがてある店員さんが、パッと明るい声で言いました。

「わーかったぁ!でんちゅうって、吉原殿中のことだ!」

そう、さすが地元の銘菓、誰でも知ってる・どこでも売ってる・それが吉原殿中。ああそうだでんちゅうと言えば吉原殿中のことじゃないか、なあんだ気が付かなかったよ、と店員さんたちは皆笑顔に戻りました。私も、そうかでんちゅうとは吉原殿中というもののことだったのだなとすっかり安堵し、かくしてお店のお菓子売り棚から店員さんが出してきてくれた「あさ川製菓」の吉原殿中(9個入り)を買ってしっかり胸に抱き、泣きべそをかいた目をこすりこすり家へ帰ったのでした。

だがしかし。この話にはなお続きがありまして。

家へ帰って、お釣り銭と一緒に「はい、でんちゅう」と差し出したところ、おばあちゃんはなんとも拍子抜けしたような呆れたような表情になって、言いました。

「あらあら違うわよ、殿中じゃなくて電球を買ってきてって言ったのよ」

電球!
それなら私だって知ってた!
買ってこなきゃならなかったのは、でんちゅうじゃなくて吉原殿中じゃなくて、
「電・球」!!

我ながらアホらしくも衝撃的な聞き間違いに、結局その後どうしたのか記憶がありません(笑)。
あんまりおバカな間違いだったので、笑われはしても叱られはしなかったと思います。

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このあさ川製菓の「吉原殿中」は、おそらく30余年前からパッケージデザインがほとんど変わっていないと思います。あの不思議なしっとりした手触りの黄な粉色の包み紙に、ちょっと素朴な堂々とした字体で「吉原殿中」。枕木みたいに9個並んで1パック。子供の頃の私が必死な思いで買いに行き、大事に大事に持って帰った、あの時のまま。

だから今でも、私にとって吉原殿中といえば、忘れられないあさ川製菓の「吉原殿中」なんです。


バリキャリ御殿女中の吉原さんは草葉の陰で、さても間抜けな子供よのう、と苦笑してたかもしれません。とほほ。


2005年04月17日(日) 満桜散る豪々と

名作マンガ『摩利と新吾』持堂院高校第一桜豪寮寮歌の一節、「♪満桜散る豪々と」。
このフレーズがぴったりハマる程、毎年春が来ると街じゅうが桜の花の雲に埋め尽くされてしまう我が故郷です。

戦前、あたり一面をハゲ山にしてしまった某鉱山の煤煙対策として会社が植樹しまくった桜の木、その数約260万本(!)のうち、今でもその樹齢を保っているのはいったい何本なのかは定かでないですが、とにかくもう山のてっぺんから海辺まで街じゅうが桜・桜・桜だらけ、今日あたりはちょっと見回せばどこかに必ず満開の桜の梢が視界に入ってくるという、そういう豪奢極まりない街になります。

煙害に強い品種である大島桜に染井吉野を接ぎ木したと言われている我が故郷の桜たちは、東京のいわゆるソメイヨシノと比べるとその花びらにピンク色がとても強く、そして枝ごとにポンポンか綿菓子の如く丸くまとまって咲くのが特徴です。
さながら「お赤飯のおにぎりが枝に串団子になってる」とでも表現したくなるような咲き方、というよりむしろ実り方で、その姿はもはや「美しい」というよりどこからどう見ても
「おいしそう」。

大学の入学式の時、東京は九段下の神社や御濠の桜を見て「東京の桜って、なんて白くてたおやかなんだろう」とびっくりしたもんです。樹の一本一本が、みんな白い日傘を差した深窓の令嬢みたいに見えました。そのくらい、我が故郷の桜の姿はよく言えば健康的、悪く言えば田舎っぽくてドロくさい(笑)。ほっぺたが紅くて腕の太い田舎のおねえちゃんみたいです。でも、まあ、そこが愛らしくて、味わい深いところなのだけど。

というわけで、今年も、生まれ故郷で、満開の桜が見られました。

帰りがけ、夕方の光の中で振り返った桜並木は、田舎のおねえちゃんが「いやぁそっだら喜んでくれたんだらばはー、また来年も見に来たら良がっぺさ」と、にこにこ笑って手を振ってくれてるように見えました。


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