帰宅すると、息子が7月29日の花言葉の花だという「緋牡丹」をプレゼントしてくれた。 なんと、多肉植物ちゃんだ。 しかも上に乗っている赤い部分だけが「緋牡丹」なのだそうだ。 へ〜、よくお店では見るけれど、そういうものだったんだ〜。
しかも「こういう時だから、ちゃんとしたのは後でね。49日が終わってからの方がいいらしいから」ですと。 なんと、大人ではないか。 思わず感激してしまいましたわ。 良い大人になって欲しいわ。
ありがとう。
実家の草取り。 炎天下で2時間半。 全身汗ビッショリだし大変だったと思う。 よくやってくれている。 文句も言わないのだから、大したものだ。
先に帰宅する。 午後は何をしていたか知らないが、オリンピックを見ながらソファで転寝をしていた。 日焼けって疲れるんだよね。
熱中症にならないようにして頂きたい。 そうそう、狙っていた会社のインターンに応募したのだけれど、合格したとか。 頑張れ!
今日は夕方から夜にかけて3コマのバイト。 頑張って〜〜〜。
午前中は家でのんびりしており、午後は私が出かけていたので何をしていたのかは知らないけれど、少なくともバイトには行った。 青年はタフである。
帰宅途中でコンビニによりビールなんて買ってきて飲んでいたようだ。 明日は早くから家を出ねばだから、ほどほどにしたようだけれど。 タフで何より。
早く葬儀場に着く。 息子が一人でいる時に葬儀場内で泣いていたようだ。 ようだではなくて、泣いていたところに私が偶然入ってしまい、2人で父の思い出を語り合った。
息子にとっても父の事は良い思い出になるだろう。 近しい人の死に初めて接する息子。 沢山の事を学んで欲しい。
全てが終わって家に帰り、お風呂から出たら「まーさんの学生時代の苦労がよくわかったよ。そりゃあグレちゃうよね」と共感してくれた。 そうなのよ、そうでしょ?と思わず聞き返す私。
それでも父にとっては最愛のベターハーフだったわけだから、人の相性というのはわからない。 私はとにかく将来は一人になりたい、とつくづく思った。
葬儀の受け付けを手伝う。 どこが家族葬だ?というぐらいにお弟子さん達が大勢いらしてしまい、受け付けも忙しい事になってしまっていた。 私の従妹と息子とで受け付けをしたわけだが、本当に大変だったと思う。 だから最初から2部制にすればよかったのにと私は思うが。
通夜振る舞いではアレルギーの夫と食べられるものが限られる私の分まで一人で色々食べねばならず、大変。 頑張れ〜。
息子がいてくれて本当に助かる。 彼が私の癒しだ。
家にて過ごす。 私は外に出ていたので何をしていたのかはわかりません。
帰宅したらハグしてくれた。 オキシトシンだ。 そこから一緒に柔道を見た。 高藤君の優勝に拍手ではあったが、瀬戸君の予選落ちに「マジか!」
ま〜じか〜〜〜〜!!! 直ぐに検索してそのレースを見せてくれた。 これはあかん。 これはあかんやつ〜〜〜! 瀬戸君、あと2種目、何とか頑張りゃんせ。
ちなみに息子は開会式も全部観たのだ。 で、「後半が良かった」とのこと。 QUEENの曲も使われたし。 でも「もっと面白くできた」とも言っていた。 日本の曲が全然使われなかったのも不満なようだった。 将来プロデューサーにでもなるかね?(笑)
| 2021年07月23日(金) |
祖母と食事&インターン用シャツ&ネクタイ |
昼ご飯を私と母で食べねばの雰囲気だったので、息子を呼び出した。 息子、無口。 というより、しゃべり続ける母の勢いに圧倒されて、何も言えない感じ。 まあ、今君の祖母はこういう感じなのよ。 完全にテンパってるので、すいませんがよろしくね。
さて、どこぞの会社にインターンの申し込みをしたそうだ。 ほ〜〜〜。 うまくいくといいね。
で、そのインターン。 息子はいわゆる就活用の恰好というのをしたことがなく。 実は最初のバイト先だった塾がスーツネクタイでなくてはならないという規定があり、その時にこんな時も来ようかと無地の黒のスーツを用意してあったのだ。 だからスーツはある。
問題はネクタイとシャツ。 (シャツはその当時来ていたものが襟が全部黒ずんでしまっている) というわけで、食事が終わり、母を送ったら近くのAOKIへ。 ダサい。 就活用ネクタイってどーしてこんなにダサいんだ〜〜〜。 まあ仕方ないわな。
店員さんが「就活が終わるまではこちらで我慢して頂いて」。 うん、まあ我慢しますって、私が就活するんじゃないし(笑)。 息子が半額葉書を持ってきていたので、シャツ2枚にネクタイ、ハンカチ3枚にソックス4足を購入しても福澤先生1枚でなんとかなってしまった。 奇跡。
頑張って頂きましょう。
今日は家で何やらしていた。 何をしていたかは知らない。
私が帰宅してからは一緒に葬儀後にするべきことが書かれている冊子を読んでくれた。 助かる。
息子の方が頭が凄くクリアだから。 「こんなに大変なんだね」と。 そうなのよ。 我が家のように父があちこち戸籍が変わっていたりすると、何一つするのもものすご〜〜〜っく!大変になってしまうのよ。 これからが思いやられるわ。
ひとつひとつ、確実に片づけていかねばならない。 うん。
父が亡くなってから、ずっと寄り添い、手伝ってくれた。 まずは病院へ。 そこから葬儀社へ。 さらに施設へ。 特に施設では荷物が沢山あったので、全部運んでくれた。
「何でも手伝うからね」と言ってくれた。 優しい息子に育ってくれて、何より嬉しい。 父の心は息子に宿ってもいるのである。
| 2021年07月20日(火) |
車椅子ごと祖父を運ぶ |
私の代わりに実家へ。 父の着替えをさせ、母の相手をし、施設の人が来たらやはり思ったより父が動けず、車椅子に父を乗せて車まで運ぶ事になったわけだが、何しろ超昔風の作りの実家。 玄関の段差が大。 各部屋も全部段差があり、極めつけは庭から道路に降りるのに階段。 施設のケアマネさんが車椅子の背側を持ち、男性の責任者の方が横の片側を持ち、反対側を息子が持って、3人がかりで車に乗せたそうだ。
息子、立派に役にたちました。 良かった良かった。
その後は帰宅して何やらしていた様子。 何やらが何なのかは私にはわからないし、私もその後施設からの連絡の対応と母と妹への電話とで夜が終わってしまった。 (;-_-) =3 フゥ。
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