ミドルエイジのビジネスマン
DiaryINDEXpastwill


2012年05月13日(日) なぜ、彼は今現れたのか

ほんの少しだけ早くデイサービスを始めて早くも軌道に乗り始めている男が急に訪ねてきた。他に用事があったので、近くに来たついでに顔を出したのだと言う。

自営業者は、身の回りに起こるあらゆることに何か特別な意味があるのではないかと考える。これは何かの瑞兆かもしれない、あれは何事かを警告していたのかもしれないと。

なぜ、彼は今現れたのだろうか。友達に不幸があったそうだが、それはもしかしたら、事故に用心するよう気づかせるためなのだろうか。私が、真面目が一番だよねと語りかけたときに、「それに、ちょっと頭も使ってね」と応えていた。それはどういう意味なのか、率直に聞くべきだったに違いない。

そのうち、こっちから教えを請いに訪ねようと思っていたところに、逆に向こうからやって来てくれたのだから今こそ行ってみよう。なぜ、彼が今現れたのか分かるかもしれない、と思い立ち、送迎用に使っている古い軽自動車で向かった。

田舎道を飛ばすトラックに追われたりしながら、緑豊かな農村地帯を幾つか通り過ぎ、ようやくたどり着いたのは大規模な住宅開発地に隣接しながらも、昔の雰囲気を残す理想的な立地に見える事業所だった。その玄関口に立ったとき、中は大勢の人のいるざわめきで、賑やかだった。ウチが、このような雰囲気になるのは、いつのことだろうか。

率直で暖かい性格のその男は、あらゆる問いに答えようとしてくれた。ただ正解はなく、詰まるところ、利用者の方や職員との人の縁に恵まれたこと、そして、タイミングに尽きると。あのように人を惹きつける笑顔が自分にあれば、もっとうまくいくのだろうか。

少なくとも、なんでも自分でやるあの男の方が、自分より地に足が着いている。一生懸命の度合いが違うのではないかと感じた。自分では真剣なつもりでも、人に任せておいて、そのせいにするのではなく、自分自身で取り組む必要があるのではないか。

結局、ドラマや映画のように、会った瞬間に天啓が閃くことはなかった。もっと深く考え、もっと積極的に行動して答を見つけろということか。なぜ、彼は今現れたのか。


2012年05月06日(日) 人生で一番輝いた日々がその人の本当の姿だ

男は、40歳の男盛りの日に大工の棟梁として棟上の屋根のてっぺんに立ち、力強い声で指示を飛ばしていた。女は35歳の女盛りの日に大勢のお弟子さんや家族の見守るステージで日本舞踊のお師匠さんとしてその身のこなしからオーラを発していた。

人生で一番輝いた日々がその人の本当の姿だ。

もしかしたら、小学校の運動会の日に、みんなが参加賞の鉛筆しかもらえない中で一等賞を取って、肩で息をしながらも、手にしたノートと鉛筆を大事に抱えていた日が人生で一番輝いた日だったかもしれない。
あれは幾つのときだったか、自分でも覚えていないが、母に抱かれて、優しくうなづく目を見ながら眠りについたのが人生で一番輝いていた日々だったかもしれない。

今はもう、それらの日々の出来事を、ぼんやりとしか思い出すことができなくなったかもしれないが、人生で一番輝いた日々がその人の本当の姿だ。

私たちのデイサービスに来られる利用者の方々が人生で一番輝いたのはどんな日々だったのだろうか。そういう思いがあれば、きっとゲストの迎え方を誤ることはない。

スローガンではないんだ。モットーとも違う。ただ私たちの心の中にある思いなのだ。


2012年04月29日(日) 別の方向を見ていなくてはならない

最初の利用契約が完了した。シャチョー、どうするんですか!と揉めた二番目の人も決定だ。さらに、なんと介護関係者のご家族という別の方も、客観情勢から見て、ごく近いうちに利用されることになる。

利用者が来られると、事業所の中に人の住む家だけが持つ暖かい空気が流れる。全然効かないファンヒーターに手をかざしながら職員応募者を待ったあの寒い家に命の息が吹き込まれた。夕方のディスカッションでも居心地を良くするアイデアが次々と打ち出される。本当に良かったなと思う。利用者の方に、幸せになろうねと声をかけたくなる。ただ、事業所の中では「管理者」と呼ばれる施設長が一番偉い。どうもこっちは、ただヘラヘラしている変なおじさんと思われているらしい。そんな奴に、いきなり、幸せになろうねと言われてもキモイの二乗だ。

利用者の状況をめぐる会話をきっかけに、幾人かのケアマネジャーと具体的な話ができるようになったので、チームの中に、次の利用者も紹介して貰えるのではないか、という楽観的な発言が出てくるようになった。

親しくなったケアマネージャーが次々と利用者を紹介してくれるようになるのは理想だが、それは自分本位の幻想だ。なぜなら、そのケアマネジャーは私たちの事業所ができる前も別に困ってはいなかったし、将来について言えば、これからも次々と同様の小さなデイサービスが開業するであろうから、この事業所でなければならない必然性もない。ケアマネさんが担当する要介護者に、たまたま私たちのサービスと合うニーズがあれば声をかけてもらえる。どこかで新たに、困った事になったなという人が出てきたときに、担当するケアマネさんに思い出してもらえるように、あるいは、タイミング良く私たちが「こんにちは」と現れるように、やはり、地道な営業が必要なのだ。

思い出してみよう。契約第一号となった方を担当するケアマネさんのいる居宅介護支援事業所に初めて行ったとき、こんなに早く利用者を紹介してくれるような気配があっただったろうか。「そうですか、新しくできるんですか。頑張ってくださいね、ご苦労様」で終わったのではなかったか。職員がワクワクしながら、こんなイベントをやろう、あんなレクリェーションをしたいと語り合う脇で、私は別の方向を見ていなくてはならない。何の保証もない零細なデイサービスの立ち上げに参画してくれたチームメンバーの期待に応え、彼等自身の生活を守るためにも。


MailHomePage