ミドルエイジのビジネスマン
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ツバメの雛が巣立ちをしたのか、電線に5羽も並んで停まっている。しばらく見ていると、2〜3分もすると餌を咥えた親が飛んできて、ホバリングをしながら子供に与えている。そうか、あの小さな巣ではいかにも狭いものな。 巣から出ても、自力ではすぐに餌を獲れないので、しばらくは、飛ぶ練習をしながら親から貰うわけだ。もう、体は親と同じ大きさなのに、巣にいた時と同じように一生懸命鳴いて、誰よりも早く口に入れてもらおうとする姿は、自分の子供の姿とダブって見える。
先週、ウチの会社は他の会社とはやり方が違うんですと強調していた会社がアッサリと破産手続きを開始してしまった。ハードかソフトかといえば、サービス産業なので、ソフトの会社だが、基本的な収益構造は変えようがないので、最初からウチの強みは目利きですと言えばよいのに、色々理屈を立てていたな。もしかしたら、あの業界では破産してもそれが却って勲章になるのだったりして。「いやあ、良いものを提供しようとするばかりに、ついつい採算を忘れて、会社を潰してしまいましたよ。こだわるところは譲れませんから、まあ、一から出直しですわ」などと言い訳していたら、ふざけるなと言ってやりたい。
| 2009年08月02日(日) |
旧友にゴルフクラブを借りる |
また、その気になったときに中古のセットを買えばいいやと、ゴルフクラブは捨ててしまったのだが、昔の仲間が再びゴルフコンペに誘ってくれたのでどうしようかと迷っていた。一旦は、今回は見送りと思ったのだが、出張で東京に来た仲間と飲んでいるうちに、「地元の祭とぶつかって、出られない俺のクラブを貸してやるから」と言われ、酔いに任せたノリで借りることになった。
プレーの前の日に旧友の家まで車で借りに行き、翌日、返しに行った。祭りのクライマックスを見ることはなく、近所の神社の柱に白布が巻きかけになっていたのに気がついた。返しにいった時には、鮮やかな祭り半纏が庭に干してあって、この家に若者のいる活気を感じさせた。祭りの前の気ぜわしさと終わった後のけだるさに闖入することとなった。
実家に泊めてもらった。老いた母は東京から来た息子のことを分かっているのかいないのか、問われればニコニコと笑うばかりであった。ともすれば、横になって休む母が元に戻ることは、もうない。兄嫁にしっかりと介護され、週に何度かは迎えのバスで施設に向かい、お風呂に入れてもらうという。手は血色も良く綺麗だった。手を撫でただけで、大切にしてもらっているのがわかった。
湯西川温泉は鬼怒川温泉より、ずっと山の上にある。途中の川治温泉までは来たことがあったが、さらに上、植林の杉林もない自然林の山々に囲まれている。
山の中にしては予想より大きな街で、大規模ホテルが幾つかと中くらいや小さいのや様々な旅館があった。ただ、中途半端な規模ではやっていけないのだろう、川沿いには閉鎖されたまま人の気配がしないホテルもあった。「花と華」という、かつては「国際観光ホテル」の名を冠していたという立派なホテルから「平家の里」に行くために20〜30分も歩いただろうか。通りには鹿の肉やら熊の肉を売っているという張り紙が店頭に貼ってあったりする。
残念ながら、平家の里は期待はずれだった。陳列物の多くは平家の財宝と言うより、昔使っていた農機具や臼の類だった。確かに平家の落人が住み着いたとしても、逃亡者の証拠となる宝物など家の中に置くはずもなく、そもそも着の身着のまま逃げてきたかもしれない。
「花と華」などという、覚えやすいけれども少々安っぽくなってしまったネーミングのホテルは明らかに時代に合わせてサービスを研究し、再出発した気配が漂っていた。若い従業員も沢山いたし、年配の人達も取ってつけたような元気さを見せていた。そして、谷川に面した露天風呂は満足度が高かった。
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