ミドルエイジのビジネスマン
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| 2007年07月29日(日) |
参院選の開票速報を見ていた |
夜、ウツラウツラとしながら参議院議員選挙の開票速報をテレビでずっと見ていた。自民党は大敗し、連立与党は参議院で過半数を下回ることになったが、安倍総理大臣は辞任することは全く考えていないという。
このまま、ただで済むとは思えないが、どうだろうか。
雨が降ったり止んだりの週末も終えようという日曜の夕方になって、ようやく太陽の光が差し込んできた。窓の先に見える電線に停まったつばめが、やや傾いてきたお陽様を浴びながら、濡れた体を休めて丹念に羽繕いをしている。
一週間前に地震のあった新潟県の柏崎の会社の経営者が、先週、都内のセミナーで講演をした。五十歳手前の社長は大手事務機の会社に15年勤めた後、独立して郷里に会社を設立、勤めていた会社から仕事を請けたりしながら新製品の開発も進め、今では事業を起こしてから13年経ったという。中国にも日本の企業に対応するために会社を作り、都内に事務所も設けて(これは多分、泊りの出張のための小さなマンションか)、日々営業しているそうだ。
もはや、ベンチャーと形容するより立派な中堅企業だ。生産は外部に委託するファブレス企業ということで、地震もオフィス内が散乱した程度で、ほとんど被害を受けなかったようだ。県内にある工業大学の学生が集まってくれるので技術者の確保もあまり苦労していない。人材が宝と話していた。
経営者として苦労することも多いであろうが、痩身でいかにも技術系という実直そうな社長は、海の見える郷里に住み、新幹線で東京に通って仕事の打合わせをし、時には中国に飛んでいる。職業人生も、大企業のサラリーマンと中小企業の社長がもうすぐ半々になると自己紹介していたこの社長も、一人の男として見れば、40歳手前で妻を説得し、大きな決断をしてこそ、このように充実して恵まれた人生を歩むことができたのだ。
叔母の葬儀のときに兄の嫁さんから、母の衰えも叔母と似たようなものだと聞かされ、三連休に家族全員で見舞いに行ってきた。
あらかじめ聞いていたので、あまり驚かなかったが、孫のこともどこの人か分からないようであった。一日の大半は横になって、ウツラウツラとしているらしい。そうして、一日おきにデイケアセンターにお世話になるのが日課だ。兄の話では、ちょっとしたことで微熱が出て、一歩間違えば叔母と同様肺炎になって回復不能になっても不思議ではないそうだ。
正気を失って凶暴になるわけでもなさそうなのが救いだ。みんなで食事をしたり談笑したりしている間も、ニコニコと微笑んでいた。義姉が面倒を見てくれているので、なんとか人として尊厳を失わずに生活していけるようなものだ。
おそらく、母の姿は今の日本で典型的な老人の暮らし方だろう。面倒なことや目を離せない緊張感は兄夫婦に預けて、のうのうと暮らしていると言われれば全くそのとおりだ。
折りしも、柏崎で震度6の大地震が起きて、七十代、八十代の老人が七名命を失った。老人だけが亡くなったのは偶然ではない。子供たちは独立して一家を構え、残された老人だけで、古くて重い瓦屋根の家を辛うじて守っていたのだ。
親は子供たちの幸せを願って都会に出ることを許し、結婚しても子供の家族が同居したくなければ子供や孫の幸せな暮らしのためにそれも許して、自分は生まれ育ったその場所で古い家を守っている。善し悪しはともかく、それが日本の地方の現実だ。
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