ミドルエイジのビジネスマン
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休日、一時間ほどスポーツクラブに行った後、いつものように本を持ってコーヒーショップに向かう。そうして、自慢のノイズキャンセリングウォークマンで絢香の「I believe」を聞く。
この曲をバックに滑っていたグランプリシリーズ、アメリカ大会での安藤美姫はいい顔をしていたなあと思う。トヨタの力でオリンピックの選手選考は最初から決まっていたと週刊誌で叩かれ、ブクブク太っていては4回転など夢のまた夢、案の定、二度も三度も転んでは無様な姿をさらしてしまった。
その安藤美姫が、鬼気迫る演技で一位になった。まだ、19歳という彼女と絢香は生年月日が同じという縁で友達なのだそうだ。「絢香、やったよ!」「美姫ちゃん、おめでとう」などと、ファミリーレストランでお茶でもしながら、語り合ったのだろうか。
1月4日は仕事始め、職場で年始の挨拶をし早めに会社を出た。家に帰るには少々早いので、途中下車して映画「硫黄島からの手紙」を観てきた。昨年から、NHKのドキュメンタリー、クリント・イーストウッド監督の映画を二本、そして原作も読んだので、硫黄島尽しとなった。
開明的な栗林中将指揮下の日本側から見た「硫黄島からの手紙」は戦争映画ながらヒューマニティ溢れる、その意味では良い映画だったが、これまで口を閉ざしていた元日本兵がテレビのドキュメンタリーで語った話と比べれば、こんな物ではなかったろうと思わざるを得ない。日本兵で生き残ったのは半死半生で救助された一握りの人達だけだ。米兵の機嫌の良いときに降伏して、許された人もいるのだろうか。
兵士にとって戦争はいつの時代も変わらない。貧乏人(庶民)の若者が格好良さと待遇の良さに引かれて軍隊に入ってみれば、あれよあれよとロボットにされ、戦さで友を失って初めて敵兵への憎さ百倍、何でもやった挙句、運良くやっと生きて帰っても、熱狂が過ぎればただの人。太平洋戦争も、ベトナム戦争も、イラク戦争も。
仕事の本格稼働は9日から。
穏やかな年末年始は、日本酒を飲んでは昼寝をし、ビールを飲んではうたた寝をして、朦朧としたまま時が過ぎていく。覚醒しているときは文春文庫の「硫黄島の星条旗」を読んでいるので、恐怖と犠牲心、怒りと勇気にあふれ、そして凄惨な情景が支配する戦場にいるようで息苦しい。
今年の標語は「自由」だ。精神の自由、発想の自由、時間の自由。ひと言で言えば、捉われない心で生きたい。
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