ミドルエイジのビジネスマン
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パソコンを直してもらおうと思って、サービス会社に連絡したところ、この三連休の初日に来てくれた。電話でお願いしたときは入院という話であったが、来られた技術の方に症状をお話したところ、家で見たほうが早いと言う。箱詰めまでしてあったのだが、もう一度セッティングして見てもらった。
結果をひとことで言うと、周辺機器のドライバーを次々にインストールしていったら直ってしまった。自分で修復しようとして、いいところまで行っていたのに残念だったなという気持ちと、目の前で見る々々回復し、一時間くらいであっという間に直ってしまった喜びと気持ちの上では半々だ。入院したらCD-ROM一枚のインストールで3千5百円と言われ、とんでもないと思っていたので、基本料金だけで済んで良かったなという気持ちもある。ともあれ、家族の病気が治ったような気分だ。
あらためて振り返ってみると、かなりパソコン依存症になっていたのが分かった。パソコンがただの箱になっていた間、ほとんど自分の部屋に寄り付かなかったのだから。それに、独立した自分の部屋でやっているのと、子供たちが寝てから盗むように使うのでは心の落着き方も全然違う。やれやれ、というところだ。
| 2005年01月01日(土) |
2005年はどんな年になるだろうか |
2年くらい前まで、あと5年はそのままのペースで楽勝かと思われていた大部長の業務も急速に仕事に追われる状況になり、目先のプロジェクト以外のことを余裕を持って見回すことが難しくなってきている。新しい動きについていくことができるのは、自分の睡眠時間を削ってでも喰らいついていく一部の人だけだ。この点で大部長は多分落第、危機感をいだいている。今年も盛りだくさんのメニューが用意されているようなので、消化不良にならないようにしなければなるまい。
2005年は株式市場において全般的な水準訂正がなされるのではないかと思う。新聞などでは、代表的なグローバルカンパニーは既にバブル期の株価を超えていると書いてあるが、名実ともに不良債権処理が最終段階にきているのであれば、疑心暗鬼もそろそろ終わりということだ。時代は変わったので、会社によって本当に良い会社とそうでもない会社とが選別されるであろうが、全般として株価が上がるか下がるかといえば、上がる方に1票を投じる。
どうか平穏で幸せな年となりますように。
| 2004年12月31日(金) |
2004年を振り返って |
2004年の経済動向は、ほぼ予想されたとおりとなった。すなわち、これまで採っていた施策が明確に効果を発現し、外部環境、とりわけ中国の活況に支えられて素材産業から持ち直した。春先に某素材産業の会社の方とお話して、その業界のプロの予想さえも上回る価格の急上昇が目前に迫っていると聞いて腰を抜かすほど驚いたものだった。そのあと、輸出関連の方とお話していると、今度は輸出用の船舶の予約ができないという。何ヶ月かすると、それらのお話は本当だったことが判った。
UFJ銀行関連の企業再建案がパタパタと決まると各銀行の社債格付けも上がり、年末には金融関係の株価も高値をつけた。大手銀行の不良債権処理は峠を越えたと皆が認め、過去の話になろうとしている。
大部長の仕事振りはどうだったろうか。昨年同様、11月までは本当に忙しく、長期の休暇は取れないほどだった。部のメンバー交代などもあったが、それはチームワークの良さでカバーしてもらった。そういえば、社員の満足度調査アンケートがあってその結果を見せてもらったが、前回調査同様、わが部のメンバーは業務への誇りと同僚との切磋琢磨に生き甲斐を感じ、プアなインフラ整備状況や、「平均的」な上司のできにもメゲず、仕事に邁進しているということだ。ケッ、こっちだって一生懸命やっているんだぜ・・・という気もしないではないが、同僚の皆様が、仲間に信頼を寄せ、互いに刺激しながら競い合っている姿には頭が下がる。
秋には、ふと思い立ってダイエットに挑戦したところ、ピーク時より5〜6キロ減で安定している。ただし、食べることを心の底から楽しむことができなくなったような気がして仕方がない。必ずしも、細心の用心をしているわけでもないのだが、無意識のうちにお腹一杯食べないようにしているらしい。これでは、ストレスで早死にしてしまうではないか。
来年も、公私共に平らかな年でありますように、と願いたいのだが、実は波乱が待ち受けていることが既に分かっている。せめてお手柔らかに、と祈っている。
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