友よ。 - 2003年08月23日(土) フランスから里帰りしていたS里が、あと数日でパリに 戻ってしまうということで、S里とM子、私の3人で お別れの食事をした。 場所は銀座であった。 解散したのは夜10時。 丸の内線に乗るS里と地下鉄の構内で別れ、 帰る方角が同じM子と別の線に乗った。 そして、40分後、家に着いた私が、 うがいをするために行った洗面所で見たもの。 それは鏡の中のおぞましい自分。 化粧が無残に剥げ落ち、、、 右も左も眉が半分ない。 今日は眉をやや濃いめに描いていたせいか、 半分無くなってしまっていたそれは、 まるで、食べかけの食卓海苔のようであった。 こんな顔で、銀座の街を歩き、地下鉄に乗ったとは。 友、M子よ。 いつから眉が無くなっていたかは定かではないが、 私達は今日、ずっと一緒だった。 その間、お互いの顔を見つつ、話をしていたハズ。 嗚呼、、友よ。 どうして途中言ってくれなかったのだ。 「無くなってるよ」とか「無いよ」とか。 おしまい。 ... 美味しいモノ。 - 2003年08月22日(金) 出かける前、化粧をしつつ上沼恵美子の ”おしゃべりクッキング”を見た。 今日のメニューは桃のデザート。 材料となる桃が先生の手によって湯向きされる のを横で眺めていた上沼恵美子が、 「ま〜美味しそう!でも、私達家庭の主婦は、そういう 桃の一番美味しいところを旦那さんや、子供たちにあげて、 自分は余った芯の方を流しのとこでしゃぶったりするんですよね〜。」 と、”愛する者の笑顔のために自分が犠牲になることを主婦は いとわない”というようなことを先生に話したのを耳にして、 「そうそうその通り。やっぱり一番美味しいとこは愛する人に 食べさせたいよな〜。喜んでもらいたいもんな〜。」 と旦那のニコニコ顔を思い浮かべながら、 一人テレビの前でコクコク頷いた私は、 さっき、冷蔵庫の中に新潟の母が「これ東京で食いなせ〜」 と持たせてくれた魚肉ソーセージ6本が、 私自身、まだ一本も味わっていないというのに、 残りがあと一本しかないことを発見し、 旦那に対する言い知れぬ怒りを、 抑えることができないのであった。 おしまい。 ... ただいま〜。 - 2003年08月21日(木) 火曜日の夜、東京に戻って来た私。 賞味8日間の新潟滞在だったわけである。 今回の里帰り、その感想は 「死ぬほど寒かった」ということである。 実家は戸建。マンションだと通気性も悪く、 冷夏だ何だって言ってもその寒さはたかが知れてるが、 一戸建ての寒さは半端ではない。 1日目はなんだかスース―して眠れず、3日目にはついに 毛布を押入れから引っ張りだした。 ふわふわした感触に首まですっぽり包まれながら、 「北海道を除いたこの本州で、今毛布をかけて寝ているのは 日本広しといえども私だけに違いない」 などと、思った次第である。 そして、4日目、ついに私はグンゼのシャツのような 白い長袖の肌着まで借りた。 ステテコと着たら似合いそうであり、 そこに焼酎のビンなど携えれば、もっとナイスな感じであった。 おかげで風邪など引かずに済んだが、 そんな格好までし続けて、寒さを乗り越えたことに 対し、女として私は、複雑な気持ちを抱かざる終えないのだった。 しっかし、、ホントに寒かった。 おしまい。 ...
|
|