CYMA’S MURMUR

2004年02月01日(日)   いろいろ


お出かけしようかと考えていたけれど面倒になり、
結局1日中家でダラダラと出張準備(またなのだ)。

1月ももう終わってしまった。
何もしなかったけれど。

でも最近ご無沙汰だった人たち何人かと話す機会があり、
それなりの刺激を受けた。

動いて、動いて、動いていかなきゃ。



ここ数日、ちょっと意思疎通がうまくいかないな、
と思うような(とても小さい)出来事があった。

少なくとも書き言葉ではこれ以上伝えられない。
伝える努力をする気になれない。

すっごく言葉に依存している私でさえそうなんだから、
そうじゃない人から見たらモドカシサ100%かも。

文字の並びと発音が同じでも、
同じ物事・対象物を指しているかどうかはわからないんだよね。
所詮、幻想なんだもん。



調子悪いわけではないけど、いいわけでもない。

なんだかモヤモヤしてる。

もやもや靄靄・・・

なすべきことをなしていないような居心地の悪さ。

むずむずする。

未だに受身なんだよね。なんでだろう。

そろそろ積極的に打って出ないと、ホント、腐っちゃう。






2004年01月31日(土)   8 Years After



◇8年ののち

金曜日、同期会(前の会社の)に行って来た。
同期31名中、集まったのは8名。
参加予定だったのに仕事で来られない人もちらほら。

今度の3月で、入社してから丸8年が経過したことになる。
学校の延長のようで楽しくて仕方なかった新人研修を思い出す。

8名中、
 <性別>男性2名、女性6名
 <会社>在職3名、転職3名、今回退社1名
 <結婚>既婚者4名(うち2名は子供あり)、独身者4名

みながそれぞれ、中堅所として頑張っている。
それぞれの場所で。

とても穏やかなときを過ごせた。
近況を語り、笑いあい、少しだけ愚痴もこぼす。
親密な時間。

うん。
みんなで集まれるのは2〜3年に一度かもしれないけど、
多分、10年ののちも私達はこうして会えるだろう。

それはきっとすごく幸せなこと。



◇リハビリ

今日は、会社のイベントで1日つぶれた。

某デートスポットの近くにあるカンファレンスルームで、
各プロジェクトの発表を聞かされた。

本当に行きたくなかった。
よほど仮病で休もうかと思った。
実際去年は仮病を使ったのだった。

でも、今年は観念して出席した。

行きたくなかった理由の一つは、その場所にある。
「奴」に「付き合おう」と言われた場所なのだ。
デートスポット近くで仕事をするのはとても疲れること。

今日の会場のカンファレンスルームについてもそのとき話題にした。
学会で使用したときの話を面白く語っていたっけ。

今となってはあまり思い出したくない出来事。
でも同じ場所に立つと、やっぱり心に少し波が立つ。
想像していたより、波は小さかったけれども。

リハビリ。

何も思わなくなるその日まで。

こればかりはどうしようもない。
時間に解決をゆだねよう。



◇イベント

ところで、会社のイベント。

行きたくなかった理由のもう一つは、
丸一日を誰と過ごせばいいかわからなかったから。
もちろん純粋に面倒だから休みたいというのもあったけど。

遠足とかでも、自由行動で誰と一緒にいればいいかわからなくなる。
私はそんな子供だった。

今思うと、周囲から嫌われていたり疎まれていたわけではないけど、
私自身がみんなと距離を取ろうとしていたのだ。

会社だってそう。
基本的に会社の人と親しくなる必要はないと考えている。
だから、こういうときに、誰と過ごせばいいかわからない。
もちろん、一人でいたって全然問題ないんだけど、
集団の中で一人というのは寂しいだろうと思う。

孤独に耐えられなかったら途中で帰ってこよう・・・
そう決めて出席した。

結果的には入り口でばったり会った同僚とずっと一緒に行動した。
周りを見ていると、みんなちょっとずつ
居心地の悪さを感じているようだった。

去年は欠席したので、私にとっては初めてのイベント。
真面目な会のはずなのに、
うるさい音楽、派手なライティング、おまけにスモーク。
ホント、ショウアップの好きな会社だ。

でも気付いて見れば、
「ウチの会社」という表現を使えるほど、私は会社に馴染んでいた。
転職直後は「今の会社」って言ってたよね。

会場を移しての立食パーティ。
思った以上に沢山の人と話して楽しく過ごせた。

社会人として最低限の社交性ラインはクリアできたかな。

パーティ終了後、同期と飲む予定だったけど、
みなあまりに疲れきっていたので次の機会にすることにした。
骨のズイまでクタクタになって帰宅。

結果的には出席してよかった、かな。



◇転職=天職へ

前の会社の同期は、転職先の外資系の会社も退社し結婚したばかり。
そして「コーチ」を目指して修行中だという。

今の会社の同僚は、来月退社して「マジシャン」を目指すという。

どちらの話を聞いたときも、
「すっごく似合う!天職だと思うよ!」
と思わず言ってしまったほど、
彼/彼女のキャラクターにマッチする次なる職業。

転職っていうのは、本来自分に合ってる好きな道を目指す、
前向きで明るくてHAPPYなものなんだよね。

そんな当たり前のことを思い出させてもらった感じ。

まだ、何かになれる可能性は残されている。

2人とも頑張ってね。
心から応援してます。

全然先が見えないけど、私も頑張るよ。






2004年01月30日(金)   どーでもいいけど

昨日の日記の内容は
我ながらヒドイと思うけど
正直な気持ちということでそのままに。

私の嗜好って何なんだろう。
アレもダメ、コレも嫌い、って、
一体何様なのさ?とか思ったりもしてます。

ちょっとだけ思い当たったのは、
私は物事の性質よりも濃度を気にするらしいということ。
わかりにくい表現かもしれないけど。

そういう観点からいくと、
例の官僚君は隅から隅まで濃すぎるのだ。

なんといえばいいのかな。

ジュースを例にとると、
オレンジでもアップルでもグレープでもいいけど、
果汁50%から80%の間じゃなきゃダメなの。
とかそんな感じ。わかんないか。
人によっては、
オレンジジュースは好きだけど、グレープジュースは嫌いとか、
いろいろ好みってあるんだけど、
私の場合は「種類=性質」ではなくて、濃度が問題だということ。

色で考えるとわかりやすいかな。
色そのものは何色でも気にしなくて、色の濃さにこだわるのだ。
原色は派手すぎて濃すぎて嫌。
かといって薄すぎるのも嫌。
WINDOWSの「色の設定」ダイアログのイメージで言うと、
「色合い」と「鮮やかさ」は何でもいいけど
「明るさ」は一定の好ましい範囲内じゃないとダメ。という感じ。
ああボキャ貧。

趣味へののめり込みかたとか、知識の偏重度合いとか、
物事への距離感とか、そういうバランスが大事なのであって、
対象物そのものはあまり問題ではない、と、そういうこと。

あーうまく説明できないよ。
どうでもいいっちゃ、いいのですが。



今日は、前の会社の同期がまた1人退社するということで、
送別会&同期会に参加するつもり。
明日は仕事だし、来週はまた出張だし、
ここら辺で羽を伸ばそう。
それにしてもなんだか忙しいぞ。








2004年01月29日(木)   私の偏見


最近、とある筋からの紹介で、
東大卒の官僚と知り合った。

時々、メールでやりとりする程度の知り合いなんだけど・・・

自分の中に、
役人に対するすごいアレルギーがあるのを感じる。

私の血税を無駄遣いしている人たち・・・
ってイメージなのかな。
あまりにベタですが。
簡単に言っちゃうと「敵」のイメージなのよね。
だから知り合いになっても、どう接していいのか困っちゃう。

実は昨年末に云々あった「奴」も国家公務員だった。
その仕事を尊敬はしてたけど、
公務員であるからこその特典(その元は税金のはず!)の話を
聞かされて笑いながらも不愉快であったのは事実なのだ。

なんか、やっぱり、公務員は苦手です。
民間企業の方が何事においても健全な気がする。
役人体質とかが私には受け入れられません。
(公務員の方、すみません。ほんとバカで私的な偏見です)

別にその東大卒官僚が、嫌な人だというわけではない。
だけどねー。

中学の頃、私は、
「付き合うなら万葉集のわかる人がいい」
とか訳わかんないこと言っていたくらいだし、
色々な知識がある人は好きだし、
雑学や薀蓄を語る人も嫌いじゃないんだけど、
だけど、

「蝸牛考を読んだことがあります」
と言われるといかがなものかと思うのだ。
そりゃお国言葉とか方言とかのネタを振ったのは私だけどさ。
私だって地理言語学で卒論書こうとしたときもあったけどさ。

理想を言えば、「蝸牛考」という学説の概要を知っているけれど
読んだことはない人の方がいいな。
アバウトでいいんだよ、そんなの。

「読んだことありますか?」
って聞かれても、何て答えればよいのやら・・・

元彼だったら、
「カギューコー?何それ?」って言うだろう。
そういう方が何倍もいとしいと思う。

「マルクスの資本論を読んだことがあります」
と言われたら、同じように引くだろう。
「マルクスを大学の授業で読まされたけど訳わかんなかったよ」
という話なら共感できるけれども。

大体、34歳にもなって、大学時代の話ばかりするのが、
なんとも学歴に自信があるんだろうなーという感じで
またまた気に入らない。

高学歴の人の中には、ほんと、いくつになっても
大学について語りたがる人がいてこれはすごく鼻につく。

おまけに苦労知らずで挫折知らずの香りがする。
素直に育ってきた雰囲気は好感が持てるけど、でも・・・
私だって苦労知らずであることに変わりはないけどそれでも・・・

多分これは、コンプレックスなのだ。
東大卒という額縁や知識の量に対するコンプレックス。

ちょっと前までは、私は男の人に嫉妬はしないと思ってた。
年収だの学歴だの資格だの会社や社会での地位に関して。
でもそうでもなかったみたいなんだな。

この不快感の2割くらいは、確かにコンプレックスなんだと思う。

私ですらそうだということは、
男性の中に、彼女や妻が自分より収入が多いと我慢ならない、
というタイプがいることも頷けるよね。

あらためて自分の中の偏見、差別意識、劣等感を
見せ付けられた感じだ。

こういう感覚って、意識的に是正可能なんだろうか?

私には今一歩自信がないのでした。







2004年01月28日(水)   手持無沙汰



なんか最近手持無沙汰。

一時期より仕事は楽になった。
家に帰ってお風呂にゆっくり入って、
お茶をのみながら雑誌を読んで、
6時間眠れる程度には余裕がある。
(でも夕飯は会社でとるし7時間眠るのは無理)

でも(だから?)、手持無沙汰。
やることがない夜。

人恋しいっていうのとはちょっと違うんだけど、
なんというか・・・
誰かと真面目に関わりたい気分。

メールとか電話とかじゃなくて、
直接会ってお互いを認め合いたい。
話したい。

恋人じゃなくても友達じゃなくてもいいんだけど。

でも誰でもいいわけじゃない(ワガママ者め!)。

私にしては珍しく、これから数週間の間に飲み会が3つ、
それから週末の小旅行が1つ予定されている。
これだけで十分私としては社交的なんだけど、
これ以上私は何を望んでいるのかしら?

 * * * * * *

ことば

というものが私はすごく好きで依存しているのだけれど。

ことば以外のもの、たとえば視線とか手の温もりとか匂いとか、
そういうものを知りたい気分なのだ。

ことばに逃げ込むことによって、
大切なものを見失っているような気がするから。

だから
誰かに逢いたい気がする。
非言語コミュニケーション。

 * * * * * *

この日記もそろそろジャンル変更した方がいいかなぁ・・・

恋愛ってのもねぇ・・・






2004年01月27日(火)   資料作成


顧客説明用ドキュメントを1本作るよう依頼があった。
期日が近づいたのでドキドキしながら
(だってサンプルも何もないし要求されてる水準がわからない)
「こんなん出来ましたけどいかが?」とメールした。

最近私はドキュメント作成能力に自信があまりないので、
なんだか気が進まなかったんだよね。

そしたら、即、
「考えていたよりもバランスの良い資料でした。
 以下の補足点だけ追加しておいてください」
と返信が来た。

一応合格点だったようでホッとしたのもあるけど、
「考えていたよりも」ってどーゆーことだ?
失礼しちゃうなぁ。でもよかった。

★おまけ★ 面白検索ワード

・ トイレのふたは閉める
・ 詩 何もかも捨てて
・ 彼女とは何もない

個人的には、「トイレのふたは閉める」で検索をかけた人に
ほのかな好意を感じています。
みなさん、トイレのふたは閉めましょう。







2004年01月25日(日)   凪


いくつか持ち駒があるんだけど、
自分から何かをしようという気になれない。

ストレートに質問されたなら本音を答えるしかない。

でもそれって、卑怯よね。
事実の断片だけぶっちゃけて、
「あとはそっちで決めて」と決断を押し付ける。

人間同士の関係も、人間と会社の関係もそうだけど、
”言葉”が入ってきちゃうとどうしてもそうなる。

ってのも言い訳のひとつだけれど。

でもまあ、自分から動きたくなるまで何もしないのが
やっぱり正解なんだろうな。

でも手札の存在が私の精神を安定させているのも事実。
だから今の私の落ち着きぶりはマヤカシかもしれない。

もう夢は見れない。
でもすべての可能性を否定するほど傷つけられたわけでもない。

とどまれる限りはこことどまる。





2004年01月23日(金)   恋してないと


おとなになったなぁ

なんて自分のことを思ったりして

こういうことを思えるというのはつまり

恋をしていないってことですな(笑)

残念ながら

でもまあ落ち着きがあるってのもいいもんです

問題は仕事だけ

捗りません・・・

クライアントの予算との兼ね合いで、先行きも不透明だし

ほんと、明日にでも「辞めます」って言いたい気分だ







2004年01月22日(木)   家族に戻る


ただ純粋に不思議なのだけれど

家族に戻る

ってのは本当に可能なんだろうか?

何の話かというと、浮気がばれて家族の元に戻る人のこと



うちの父は私が中一のとき、会社の女性と浮気した

相手の女性には当時婚約者がいて

その人が乗り込んできたことで発覚した

会社にもばれた

母は父に付き添って、上司のところに説明と謝罪に赴いた

父は左遷になった

が、運よく、親しい上司が目をかけてくれて、

左遷は栄転のようにも見える形になった

家を買ったばかりで、私は私立中学に入学したばかり

父は単身赴任になった

身から出た錆だった

単身赴任6年目にして

大学に入った私が上京して一緒に住むようになった

それからさらに数年して、妹も学校を終えたのを機に

妹と母も上京して家族4人の暮らしになった

十分すぎるほどの制裁を父は受けたと思う



両親は今のところ離婚していない

そこそこ仲良く二人で老後を暮らしてる

「それでもまだ許せない思いがお母さんにはあるんじゃない?」

妹に言ってみたけど

「もう、そんなことないでしょ」

と否定された

そんなものなのだろうか

過去は、目立たなくはなっても、気づかなくはなっても、

なくなりはしないでしょ

母はあの時なぜ離婚しなかったのか?

中一と小四の娘がいたから?

経済的に自活できないから?



少なくとも家族を捨てる気はなかったという点で

父の情事は本気ではなかった

浮気と呼ぶべきものだったと思う

でも

そこに愛情と執着がなかったかというとそうでもないだろう

中年男が不倫の穴に落ち込んでいく心理に

今の私はすごく共感してしまうのだ

穏やかな日常に、まぶしい非日常が差し込んできたとき

それを拒むのは難しい

だからといって

それは正当化されるべきではない



当時まだ幼かった私は

「ばれる浮気するなんて馬鹿」

と父のことを思った

そのくせ、父が自分たちを捨てることなんて

みじんも考えもしなかった

幼くて甘い私



家族は本当に再生されたのか?

私にはわからない

ここにある愛情は本物だけれど

家族という枠組みは偽物のような気もする

幻想だ



なにが言いたいかよくわからなくなってきた

でも私が思うのは

一度壊れてしまったものは決して元にはもどらないということ

必ず別の形になってしまうということ

ある種の欠落を抱えることになるということ

だから

家族を捨てる気がないなら浮気ですらすべきではないし

家族を捨てられるくらい本気なら

なおさら手順を踏む必要があるということ

関係というのは、永遠に変形し続けるものだから

再生というか再構築というのはありえるだろうけど

心の奥に残されたはずのシコリの存在が

私は気になる






2004年01月21日(水)   変化の芽?

大丈夫

って根拠なく無責任に思う

そういう気持ちの波



来ている

なんでかな

みんな、ありがとね




風向きが変わったというか、

潮の流れが変わったというか、

とにかくいい方向に何かが動き出した感じ

春になっていっせいに植物が芽吹くようなそんな

でもこれも

私の行動ひとつで

よくも悪くもなるのだろう

羊男に「踊り続けるんだよ」と言われている気分

あんまり失敗したくないな






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