| 2002年06月22日(土) |
笑いあり涙ありの北海道 |
朝おきて、ご飯を食べてすぐ、旭川のFMラジオ局、りべーるでの、宮澤君の番組「宮澤のしわざ」生放送のため、事務所のスタッフと宮澤君とメンバと全員で移動。生放送でこんなに大勢って初めてだ。2年くらい前、みちるさやかで、FM多摩の番組にゲスト出演させて頂いた以来。あの時も緊張してうまくしゃべれなくて、苦し紛れにシタールの話なんかしてそれで帰ってきちゃったんだった…でも、ピアノでジングル弾いて楽しかった。ブースの外にはファンの人達がつめかけてる。さっすが…!スターとはそういうもの。その後、旭川のCD屋さんで、インストアライブ。その前に、札幌に偶然来ているという父から携帯メールが来て、ライブに来られたら来てくれるという。それが、何かかなしくて、嬉しくて、泣けてきてしまった。泣き顔のまま事務所の社長にトイレでいろいろ、つらかったことなんかを話すと、彼女もそういう厳しいお父さんだったらしく、つらい思いもして、でも、今は頑張っているから、それでいいんだよね、とか、そういうお話をした。そうだ!今は人のためにピアノを弾けるまでになったんだ。頑張ったから。頑張らなくちゃ。インストアライブでは宮澤君ファンの女の子がつめかけて、(男の子も中にはいる。)サイン会も長蛇の列。私も思わず、事務所の音楽事業部長の藪田さんと一緒にサインをもらうために並んでしまった☆嬉しかったなぁ。「サインをもらう」ってやっぱり嬉しい。特別なプレゼントをもらえたような気がするから。その後列車で札幌に移動し、札幌のCD屋さんでインストアライブ。やっぱりファンがすごい。そしてあわただしい中、ライブハウスへ!キーボードが旧式であまりいい音色が出ない…まずい。でも対応するしかない。ふと気づくと、すごいお客さんの数!100人くらいいただろか?ライブが開始し、ノリノリのナンバーでステージが進む。ピアノ弾き語りのコーナーの途中あたりで、父がきた。あ、少し痩せたかな。と思って、でも、来てくれて、すごく嬉しかった。ひときわピアノの指に力をこめた。…今まで、音楽の仕事は無理だと、さんざんいわれつづけてきた、地父に、こういうステージに来られた私を見てほしかった。そしてこの場所に連れてきてくれた、宮澤君には感謝しなくちゃいけない、って思った。名もない私。でも、人の耳に音を届けることはできる。搬送波(概念をのせた音波を運ぶ波)に音色をこめた。曲が進むにつれて、だんだんステージも客席も熱くなってきて、お客さんも一緒に手をたたいてくれたり、踊ってくれたり、ノリノリ。やっぱりこうでなくちゃね…嬉しいもの。お客さんが、楽しいもの。今まで自分だけでやってきたライブと、もっと大きなプロとのステージとの間に何があるのか、知りたかった・・けど、今回、それを少しだけ感じることができた。
| 2002年06月21日(金) |
プロモツアー旭川in 北海道 |
宮澤篤司さんのライブにキーボードとピアノで参加するために、北海道へ出発。ツアーっていうのは初めてだ・・どきどきする。というか、私はこのまま行っていいんだろうか?!いやよくないよなぁやっぱり・・しかし、もう行くしかない。予定より20分早く、羽田空港に到着。私としたことがどういうことか。乱気流気味の飛行機にのり、旭川空港へ。眠いので、あっという間に着いてしまった!けど、飛行機の中から見る雲っていうのはいつ見ても楽しくなる。あんなに雨が降ってたのに、雲をつきぬけたとたん、燦燦と日が差してるんだもんな。(雲がないんだから、当たり前か。)それが、にくい…発想の転換だ。それはさておき、旭川空港に着いたら、よさこい祭りの一行がいっぱいで、何だかただならぬ雰囲気。皆これから舞台にのぞむのか。いいなぁ。バスで旭川駅前に直行し、すぐにリハ。リハではくまのぷーさんが隣にいて、気になって何だか集中できなかった・・が、そんな言い訳はよくない。これから、ライブなのだから、宮澤篤司さんファンの人達が期待しながらやってくるのだから…。何だかバタバタしている間に、もうライブ開始の時間。演奏が始まり、無我夢中の演奏…お客さんが一杯だ。さすが…。いつも宮澤君のライブはライブハウスが一杯になるんだから、すごい。私も大好きな歌とピアノだけのコーナーに入り、shineという感動的な歌がもりあがってきたところで…何と、スカートのスリットが、びりびり破れはじめた。何ごと?!と思い一瞬下を見ると、どんどんスリットがほどけてる…なぜ今そうなるのか分からぬまま、客席を見るがお客さんが心なしかこっちを見てる…これはかなりまずいので、一瞬手で押さえようとするが、やっぱりうまくいかず、そんな事をしていたので、ピアノもぼろぼろに間違ってしまった…ごめんなさい。ごめんなさい。心の中で何回もあやまっていました。ライブは頭に血がいったまま、、、自分をコントロールするのはさすがにムズカシイ!スカートが破れても平常心…それは次の課題です。
最近ともだちになった、子と、バミろうと約束していたので(バミるとは、バーミヤンという中華風ファミレスに行ってご飯たべてだべること。)所沢のほうへ行った。私は諸事情によりかなりヘコんでいたのだが、それを素直に話したら、ちょっと楽になった。へこんでいる時にでも、私は明るさが取り柄なのだから、と思って、無理に、にこにこしてしまう癖がある。けど、そういう風にしても、その笑いはどこか乾いてて、素直に笑えない・・それが、相手にも伝わってしまうかな?と思うので、最近は、ヘコんでたら、無理に笑わないことにして、へこむことがあったんだよって伝えることにした。にこにこして元気にはさせられないかもしれないけど、そういうときに本音で話せる方が、やっぱり嬉しいから。 …それで、その子(とりさん)の書いた詩を読ませてもらったりした。「いただきます」っていう詩がよかった。それは、草の根っこや、お肉のひときれや、卵なんかが、食卓に並んでいるけど、それは何の動物のもの?っていうのを、普段忘れてるけど、必ず生きているもので、私達は生きていくために、その命を、ちょっとづつもらっている…そういう気持ちをこめて、「いただきます」って言おう。っていうお話だった。それで、つらいことがあっても、私は、生きていこう。って、思えた。とりさんありがとうね。
| 2002年06月19日(水) |
仙台へ民謡バンドの凱旋に参加する |
津軽三味線の民謡バンド「虎バンド」の学校公演で、仙台第三高校の生徒さんたちの前で演奏…イズミニティ21という、ホールに行った。昔、学校で、「芸術鑑賞会」ってあって、いろんな音楽をやる人が、やって来て、聴かせてくれたじゃないですか!!あれなのです。前に中学校で一度、ご一緒させて頂いたことがあるのだけど、その時に私はめちゃ感動しました。中学校時代を思い出すと同時に、あの時、学校で演奏してくれた人を、すごいと思って、感動した。今になって、学校で、そういう演奏する側になって、演奏できるっていう事に感動したし…何より、中学生の素直でかわいらしい表情!!こんな仕事をもっとやっていけたら…と思ったんだったなぁ。それで、今回は高校生。しかも男子校(!)虎バンドは全国でも指折りの三味線奏者バンドだから、皆すごく期待している雰囲気…前項生徒の、1200人くらい集まったらしい。曲が始まる前から、会場から歓声が飛ぶなど、熱気に満ちた中、津軽三味線の音色と和太鼓が始まり…息を呑むような、緊迫した、そして雄大な演奏に生徒達もすっかり聞きほれていた様子。バンドの出番になって、私も舞台に上がる。遠くて見渡せないような大きな会場。だ・大丈夫なのか!?しかし、もうここまできたらやるしかない。しかも、気持ちいーい!!!大きな会場って、自分まで大きくなれる気がする!!!やっぱり、これでしょう!!!ここで舞うように踊りたい…と、思わず踊り子になるところだったのを必死に自分を押さえた(笑)。そして、キーボードを必死で弾いた。今回は決定的に練習不足で参ったが、その瞬間にできることは、がんばった。でも、もっと頑張りたい。もっとできると思った。
新宿に、新幹線のチケットを取りにいって、津軽三味線の方と、お会いした。普段の三味線を弾く姿からは想像つかないような、ラフで帽子をかぶった出で立ちが、素敵だった。
ただひたすらに、オーエルに徹し、仕事をしていた。あの空気にはなじめないけど、ちょっと楽しかった。
| 2002年06月16日(日) |
老人ホームへ行くの巻。またもや大歓迎。 |
長年、ユニットで連れ添ってきたボーカルのみちるちゃんと、ギターの人と、行きました。最初にいった、文京区のホームでは、突然のお葬式で、お別れ会のため、今日の演奏は中止・・私達は、楽器を持ったまま、このまま帰るのも悲しいし、きっと演奏したいので、今日は行く予定ではなかったが、豊島区高田にある山吹の里へ電話をかけました。そうすると、担当の人は、親切にも、「最後のみんなでうたおうのコーナーでしたら、一緒に参加してもらっても大丈夫です」とOKしてくれた。それでお言葉に甘えて私達一行は里へとむかう。そこは、先月に私が三味線を持っていき、沖縄の歌を披露したときに、ものすごく喜んでくれた場所で、私も嬉しかったのだ。今回も、「花」を歌うと、また泣いて喜んでくれる皆さん。身体こそ年老いているが、心は、みずみずしいままでいるのだ。…生き抜いて、人生の喜びも苦しみも知っている人達なんだ。私は無償に、皆さんと心を分かち合いたいと思う。それに「象の花子」の朗読劇もやっていて、良かった。
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