つぶやきダイアリー
だってこの一日はやっぱり一度しかないのですから。。
明日があるさとは言っても書けるときに書こう!
それでは、私の日常大暴露大会。

2002年06月07日(金) 憧れのいりおもてやまねこ

猫ネタばかりですいません(爆)もうなんか最近猫溺愛癖がエスカレートしてきました。いや猫が好きとかそういうのじゃなくて、すでにもう猫になりつつあります。
今日は、「いりおもてやまねこ」の雑誌を買いました。小学館発行の「週刊・天然記念物」第一号。昔から、個人的に、いりおもてやまねこの存在にどこか惹かれていました。猫でありながら、西表島での生態系のトップに君臨する肉食獣。そのパワーと神秘は、飼い猫にはとうてい手の届かない、雄雄しさと神々しさを感じさせる。島に生息する、ヘビや、白ねずみを主な主食とする。そう、彼らこそ猫の中の猫、トップ・オブ・ザ・キャッツ!全世界の猫と猫を愛する人たちに彼らの姿を見てもらいたい。



2002年06月06日(木) 都会に生きる野良猫に愛の手を

池袋の「杷や」というお店の、隣の、細い路地に、すごく小さい猫たちがたくさんいるのを発見。ミーミー声がするのでどこにいるのか探し回ると、3,4匹の子猫(グレーや白)と、黒猫(オトナの猫)が皆でこっちを見てぎゃーぎゃーいっていた。そして壁には、「猫のふんで迷惑していますえさを与えないでください。飲食店としての自覚を持ってください」との張り紙が… あ、エサを与えてるのは私達通行人じゃなくて、ここの飲食店の人なのか(笑)?!じゃあ張り紙は誰が・・まあいいか。飲食店だからいけないとわかっているのに、ついエサを与えてしまう・好きだにゃぁ。猫の味方だ。
これから時々、猫たちに会いに行こうと思う。



2002年06月01日(土) 「消しゴムのくずを床に落さないでください」


最近このコーナーも、日記というより随筆になりつつあります・・かねてから随筆を書き
たいと思っていたので、とても好都合な場なので、思い切り随筆しようと思います。

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私は、他の人から、不思議な人だ、とか、なかなか分からない、という言葉をよく聞
くので、
どうしたら、理解につながるのだろうか?という、わらにもすがる思いにおいて、自
分の分析をし、文章にしてみようと思っている。

小学生のころ、下校前に「反省会」というのがあった。その日一日の学校生活の中
で、好ましくなかった「他人の」行動について発表し、指摘された当人は、それをク
ラス全員の前で認め、謝罪する、という習慣である。

今思えば、そんな、他人の検挙大会のようなことをして、小学生にとってどんな意味
があるのだろう?と疑問に思う。自分のした行動について、「ここがいけなかったと
思うのだが、皆さんどう思いますか?」というような自主的な反省会というもののほ
うが、効果的だったのではないだろうか。

そんな文句はさておき、その会の時間になると、私はいつも、説明しがたい不満感を
いだいていた。当時小学一年生だったので、反骨精神の第一歩を踏み出すことにつな
がる経験だったのかもしれない。「木村くんが、朝の掃除当番をさぼりました。」 
先生:「木村くん、本当ですか。」木村君は、立ち上がりながら、おどけたように
笑って見せる。木村君:「はい。もうしませんから、許してください。」こんなこと
の繰り返しだった。生徒は、他の生徒たちの「悪事」を我先に検挙し、してやったり
という顔で、そして普段気に食わない相手に対する腹いせの意味もあり、その会では
毎日何人もが「検挙」されていた。私はそれを、「おかしな習慣だな」と思いなが
ら、見ていた。そして、ある日、私は突然「検挙」された。検事は、当時友達の少な
かった私にとって、唯一、友達づきあいをしている(つもりだった)、Kちゃんだっ
た。「岡さんは、今日、消しゴムのくずを、机の上から、床に、おとしていまし
た。」と発表した。私は、ショックだった。「どうしてそんな些細なことで・・」と
いう疑問も感じたそして、それよりも、(いつも、一緒に登校してくれて、たった一
人の友達だと思っていたのに…Kちゃんは、私のことを嫌いになったんだろうか。)
という、裏切られたような気持ちでいっぱいだった。「岡さん、本当ですか。」先生
の声が冷徹にひびく。私は、寂しいような、腹立たしいような、納得のいかない気持
ちで立ち上がり、小さい声で言った。「はい…もう、しませんから、許してくださ
い。」
それから、私は、学校で口をきかなくなった。(いや、正確には、他にも要因は幾つ
かあったのだが)

その反省会の出来事と連動するのは、「人からの指摘」に対する、納得のいかない気
持ちや、信じていいのかどうか戸惑う気持ちは、そこからも起因しているのではない
だろうかと思う。 本当は、Kちゃんも、私のためを思って、消しゴムのくずを床に
捨てないように、と教えてあげたくて、とった行動なのかもしれない。しかし、私自
身、素直に受け止められなかった。今でも、まだ、そのときの気持ちを、確認したい
ように思う。

そして私は、そういう「検挙大会」のような儀式を、生まれてからまだ六、七年の人
間に、課すという、当時のクラスと先生に対して疑問を持つ。「本当に自分で考え、
反省する態度」を身につけるには、「まず自分で、自分がしてしまったよくないこ
と」について認識しなくては、修正されないのだ。「どうして消しゴムのくずを捨て
てはいけないの」「先生におこられるから。」という、「先生におこられる」という
事実が善悪の根拠になる。そして、「先生」という存在のいなくなったとき、「自分
をおこるものはなくなった」ので、善悪の判断を超えた、いわゆる仕返しのような心
境が生まれる。サル真似の反省大会というのは「ごめんなさい」と言葉では言うが
「本当は悪くない」と思っている場合なのであって、その場合、次からも同じことを
繰り返す。

このように分析するのは、本当には何がよくて何がわるいことなのか?ということ
を、私がまだ認識できていないからである。
人の中で生きることについては、まだまだ修行が必要なようである。



2002年05月28日(火) 猫の友達さがしています


今日、新しい猫と、うちの近くで会った。ミケで、ちょっと毛がくしゃくしゃしてる
小柄な猫だった。夜、家に帰る途中で、うちの2軒先の駐車場の
車のわきに、すわっていた。にゃーと挨拶したら、むこうもにゃーと
言ったので、これは好感触。と思い、こっちにおいで、というそぶりを
見せたら、ついてきた。ラッキーと思い、いそいで、二階の私の部屋に入って
部屋に常備しているキャットフードをちらつかせると、もう少しで階段を
のぼってきそうにこっちをみているので、二階からキャットフードを
ころがしたら、一生懸命こぼれたごはんを探しながら食べていた。こっちにきて
くれないかなぁと思いながら会話をしている(つもり)でいると、そこへ
急にニンゲンのおばさまがやってきて、「たまちゃん!何してるの?こっちへ
いらっしゃい!」という。あぁもう少しでおうちに遊びにきてくれそうだったのに。。
なんだあの人は。と思いつつドアのかげにひそんで様子を聞いていると
たまちゃんは、まだそこを離れようとしていないらしく、「たまちゃん!どうしたの!
何があるの?こっちよ!こっちに帰るのよ!」としきりに話している。
おばさんが疑って私の部屋のほうにやってこないか不安になり、すぐに部屋に
カギをかけて、たまちゃんとサヨナラをした。 猫の友達をつくるのも楽じゃない・・・。



2002年05月27日(月) 「相談をする」ことについての弁明

日友人と話していて、人からよく相談の電話がくるのだが
どうして相談が必要なのかわからない、というような話をきいた。
私は、人によく相談をするので、その必要性がわかる。
そこで、なぜ人は相談するのか?について考えてみた。

人は基本的に頭をひとつもっているので、自分の
頭脳で考える。
しかし、その頭脳で考えたところで、好ましい結論や解決策が
導き出せない場合に、人に相談する。

もうひとつ考えられるのは、もうその人の頭の中で考えて、
まがりなりにも結論が出ている場合に、その考えを他の人に
知ってほしい(聞いてもらいたい)ときである。そして、
他の人も同じように思ってほしい、共感して後押ししてほしいとき。
こういうときは、相手が何を言ってくれるかどうかはあまり重要でなく
なっているので、自分の話を延々して、「やっぱりそう思う?だよね。じゃあまたね」
ということになり、聞いているほうは、これでいいのか?などと考える。
しかしこの場合の相談も、大事な行為ではないかと思う。

つまり、人が相談するのは

一。自分の頭脳をもってだけでは解決できない何かに
  ぶちあたったときに他のニンゲンに相談する

二。自分の頭で考えてまがりなりにも結論のでていることを、
  意見として他の人に聞いてもらい、共感を得るために相談する。

という二つの場合があるのである。



2002年05月26日(日) 草津温泉の熱帯圏にて

恐怖のサル使いに出会った。
彼はしわがれた声を嗄らしながら二匹のサルと一緒に
しきりに芸をしてくれた
サルたちが「大漁うたいこみ」をバックに
舟をこいだり
「草津節」とともに湯もみといって、温泉の中を板で
まわしたりする
鞠の上にのったり、竹馬にのったり、サルたちも容易でない様子
そしてサル使いは、ひとしきりのサルの芸の後、
このサルは去年フジテレビの仕事によばれてーなどと
サルの自慢話が絶えない
この温泉街の動物園で何十年と
サルたちと芸をして生活しているのだろう

サルはすでに疲れ果てているようで
サル使いのおじいさんが「おねえちゃん!」とそのサルのことを
呼ぶが、なかなか素直に反応せず
笑って人を小馬鹿にしたような様子でおどけてみせる
おじいさんはいよいよ頭にきて
さけんだり、サルをおいかけたりしている
その様子のほうが可笑しかったりして
「ああ…サルと私たちってそう遠くない生き物なんだなぁ」などと
思いながら
サルが何考えてるのか頭の中をむしょうに知りたくなり
人とのコミュニケーションの前にサルとのコミュニケーションに
チャレンジしてみたくなる
そんなサル使いとサルさんたちの…そう、同じ類人猿としての、ステージだった。



2002年05月25日(土) ヒトとネコの違い

今日は、東京から電車で2時間半、群馬県は前橋市の実家にもどって
ネコたちとひさしぶりに会っていたので、そんな中、
人とネコはどこが違うのか?
ということについて、考えてみた。

人もネコも同じ哺乳類だ。
そして人は雑食で、ネコは基本的に肉食だが雑食に近くなっている。
人は草食動物によくある、なわばりをつくって生きる社会的動物だが
ネコは単独行動を好み、しかしまたなわばりをきちんと守る上で
ネコの社会的均衡を保っている。

そして決定的な違いとは。
ネコは、けっして ヒトに媚びない。

ネコが甘えた声でヒトにすりよってくる、それは決して
媚びているのではない。
そうすれば、ニンゲンはネコ様に食料を与えてくれるので、「さぁ私に食事を
出しなさい」と命令しているのだ。。。

などと書いているとネコを本当に心から信じているニンゲンに
怒られそうなのでやめておくが、
私は、常に、「心はインディペンデント」なネコに本当にあこがれているのだ。

・・そう考えてみると、つくり笑いをしながらぺこぺことおじぎをして
コピーをとっているような私も、そんなネコ的生き方を見習うことによって
心は常に自分自身のままにいるすべを身に付けられるかもしれない。。
などと考え、
そしてまたヒト社会にもどってゆくのであった。



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