いま、私は「いわゆる日本の大企業」で仕事をしているので、 文化的なギャップに苦しんでいる。 今まで、何年間か、ふつうに会社に行って、問題なかったのに、 今になってくるしむというのも不思議だ・・・
今日、前の仕事で一緒だった友達と電話で話していて、かのじょいわく、 「興味の対象になるから会話が生じるのであって、何の興味もあわなかったら 会話にならない」って。まったく同感!!
それ以外の会話とは、いったい何だろう?それは木枯らしの吹きすさぶ音の ように、心の中をさむざむとかけぬけていってしまうような、ものなのだろうか。
今日は、渋谷の路上で、「日本男児」という男の子たち6人組をみました。 歌って、踊れるかっこいい中学生〜二十歳までの、ジャニーズっぽい子たち。 黒山の人だかりの中、ジャージ姿で汗を流して踊る姿を見てたら、なんだか 切なくなった。一番前で、制服姿の女の子たちが、キャーキャー言っている。 私も中学生のころ、こんな風に、胸をときめかせていたんだな。その心って、どこへ行ってしまうんだろ。こういうときに、かすかに、心がちくちくして、思い出すけれど。ずっと消えたくない、いつまでも、心の中に住んでいる、中学生の私。
(などとセンチメンタルになりながら、渋谷駅前でゲリラライブをやるのは、かなり勇気もいるが、かなりの宣伝効果がある!と、現実的にお客さん集めの方法などに思いをめぐらせていた。)
それにしても、キラキラして歌う、素敵な人っていうのは、いいな。素敵な人になろう。
名前も知らない人からのメッセージ。 僕は大阪にいます。君はどこに住んでいるの?会えるかな。 さみしかったから、少し返信した。何気なく。 私は東京にいます。こっちまで来てくれたら、会えます。 名前も知らない人が、元気ですかって、たずねてくれる。 待ってるから、寂しいときには、いつでもメールしていいよって言ってくれる。 だけど− 余計に寂しくなるのは、なぜだろう?
| 2002年05月13日(月) |
他人のための音楽、自分のための音楽 |
練馬区の老人ホームへ、ボランティアの演奏にいきました。 今回は、ピアノも、三線ももっていって、ギターの人と二人で演奏したんですが、 一曲目の「赤とんぼ」から観客フル合唱でとても盛り上がったステージでした。 「上を向いて歩こう」「見上げてごらん夜の星を」など、懐かしのメロディでは もちろんのこと、三線を使った沖縄の民謡「安里屋ユンタ」、そして「ハイサイおじさん」「花」でも 一緒に歌ってくださる方が多くて、だって、ほとんど背中もまるくなってひとりじゃあるけないし、背丈だって 1メートルあるかなって思う、 身体の方たちなんだけど、手拍子とか、鈴をたたいたりとか、一緒にうたってくれたりして、なんか、私は 涙が出そうになって・・今のところ、胸が熱くなるステージって 老人ホームが一番な気がする・・・ なんか今日思ったのは、私がお年寄りになったときには、この方たちは 確実にいないし、でも、それは、わかってるんだけど、そのたったひとときでも、なんか、世の中を共有できたような 気がして、一緒に笑ったときが、あったなって、覚えてたいなっと思ったのでした。
そして夜は、表現者としてのパフォーマンス、音楽、詩のワークショップで吉祥寺へ。 向井千恵さんという、胡弓と歌の表現をされるすごい方たちが、主催している、即興表現の場で、 初めて体験しました。 私は最初はピアノでガチャガチャやっていたんですが、周囲の人の あまりにも突如として意表をついた表現・・・楽器を蹴り飛ばし、さけび、舞踏し、 尺八を吹き、ペットボトルの品質表示を朗読し・・・などに、圧倒され、ああ自己を表現するって 面白い、ニンゲンの身体って面白い、とか、面白い人がいて世の中まだすてたもんじゃない、とか 思いながら、あれこれ考えた挙句、猫として三線もって追いかけられるという、ことをやってみました。 そうしたら、なんかいい汗かいて、すがすがしい気持ちになりました。
よくよく聴くと、皆さんは世の中を変えるために・・・つまり世直しのために、表現活動を行っているという 話をきいて、世直し一揆に参加したい気持ちでいっぱいになりました。 何のために音楽をやってるのかなーとちかごろわかんなくなっていた私だったから、行ってよかったんです。 猫の仲間もちょっと増えました。ナオーナオー。しげきてきな一日だったよ。
きょうはひさしぶりに、私の母大学、早稲田大学MMTの先輩の 結婚式の二次会があって、懐かしい人たちに会うことができた。 大学に入ってから、はや10年あまりがたとうとしている。 この10年の意味を、私は最近ずっと考えながら生活していた。 東京に出てきた意味。 行かないでという家族を残してまで、やってきて、そして何かを なしとげたいと強くねがった、あのときの気持ちを、 私は、日々の時間の中でうすれさせてゆきたくは、なかった。
時は、私達を、確実に変えもするが、しかし、その時の中で ただ、たゆたうことは簡単なことである。 時を経たときに、何かが変わったと感じること、 それは、必要なことなんだと思う。
−くるくる、まわりながら、生きているんだね、みんな・・・ それが、生きるということ?
何気なくかわされる言葉の中に、今までのときを感じる・・ それが、生きるということ?
きょう、うちにピアノがきました。ヤマハの、ピアノタッチの、大きなやつ。 最近、なんか音楽も聴いてなかった。 音楽を聴きたい心境というものにもならなくて、何か気がひどく滅入ってしまって。 雨が降り始めたころに、そのひどく気の滅入った感覚がやってきた。 そんなときに、新しい何かがやってくるというのは不思議だ。 やってきたというより、海外に行く友達のピアノを1年預かるということになるのだが。。 人のものを、大事にあずかって、そして、弾いてあげよう。 そんなささいなことで、少しだけ、自分自身を保てるような気がした。
にゃ
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