つぶやきダイアリー
だってこの一日はやっぱり一度しかないのですから。。
明日があるさとは言っても書けるときに書こう!
それでは、私の日常大暴露大会。

2002年05月20日(月) 会話

いま、私は「いわゆる日本の大企業」で仕事をしているので、
文化的なギャップに苦しんでいる。
今まで、何年間か、ふつうに会社に行って、問題なかったのに、
今になってくるしむというのも不思議だ・・・

今日、前の仕事で一緒だった友達と電話で話していて、かのじょいわく、
「興味の対象になるから会話が生じるのであって、何の興味もあわなかったら
会話にならない」って。まったく同感!!

それ以外の会話とは、いったい何だろう?それは木枯らしの吹きすさぶ音の
ように、心の中をさむざむとかけぬけていってしまうような、ものなのだろうか。



2002年05月16日(木) 日本男児

今日は、渋谷の路上で、「日本男児」という男の子たち6人組をみました。
歌って、踊れるかっこいい中学生〜二十歳までの、ジャニーズっぽい子たち。
黒山の人だかりの中、ジャージ姿で汗を流して踊る姿を見てたら、なんだか
切なくなった。一番前で、制服姿の女の子たちが、キャーキャー言っている。
私も中学生のころ、こんな風に、胸をときめかせていたんだな。その心って、どこへ行ってしまうんだろ。こういうときに、かすかに、心がちくちくして、思い出すけれど。ずっと消えたくない、いつまでも、心の中に住んでいる、中学生の私。

(などとセンチメンタルになりながら、渋谷駅前でゲリラライブをやるのは、かなり勇気もいるが、かなりの宣伝効果がある!と、現実的にお客さん集めの方法などに思いをめぐらせていた。) 

それにしても、キラキラして歌う、素敵な人っていうのは、いいな。素敵な人になろう。



2002年05月14日(火) 突然の会話

名前も知らない人からのメッセージ。
僕は大阪にいます。君はどこに住んでいるの?会えるかな。
さみしかったから、少し返信した。何気なく。
私は東京にいます。こっちまで来てくれたら、会えます。
名前も知らない人が、元気ですかって、たずねてくれる。
待ってるから、寂しいときには、いつでもメールしていいよって言ってくれる。
だけど−
余計に寂しくなるのは、なぜだろう?



2002年05月13日(月) 他人のための音楽、自分のための音楽

練馬区の老人ホームへ、ボランティアの演奏にいきました。
今回は、ピアノも、三線ももっていって、ギターの人と二人で演奏したんですが、
一曲目の「赤とんぼ」から観客フル合唱でとても盛り上がったステージでした。
「上を向いて歩こう」「見上げてごらん夜の星を」など、懐かしのメロディでは
もちろんのこと、三線を使った沖縄の民謡「安里屋ユンタ」、そして「ハイサイおじさん」「花」でも
一緒に歌ってくださる方が多くて、だって、ほとんど背中もまるくなってひとりじゃあるけないし、背丈だって
1メートルあるかなって思う、
身体の方たちなんだけど、手拍子とか、鈴をたたいたりとか、一緒にうたってくれたりして、なんか、私は
涙が出そうになって・・今のところ、胸が熱くなるステージって
老人ホームが一番な気がする・・・ なんか今日思ったのは、私がお年寄りになったときには、この方たちは
確実にいないし、でも、それは、わかってるんだけど、そのたったひとときでも、なんか、世の中を共有できたような
気がして、一緒に笑ったときが、あったなって、覚えてたいなっと思ったのでした。

そして夜は、表現者としてのパフォーマンス、音楽、詩のワークショップで吉祥寺へ。
向井千恵さんという、胡弓と歌の表現をされるすごい方たちが、主催している、即興表現の場で、
初めて体験しました。 私は最初はピアノでガチャガチャやっていたんですが、周囲の人の
あまりにも突如として意表をついた表現・・・楽器を蹴り飛ばし、さけび、舞踏し、
尺八を吹き、ペットボトルの品質表示を朗読し・・・などに、圧倒され、ああ自己を表現するって
面白い、ニンゲンの身体って面白い、とか、面白い人がいて世の中まだすてたもんじゃない、とか
思いながら、あれこれ考えた挙句、猫として三線もって追いかけられるという、ことをやってみました。
そうしたら、なんかいい汗かいて、すがすがしい気持ちになりました。

よくよく聴くと、皆さんは世の中を変えるために・・・つまり世直しのために、表現活動を行っているという
話をきいて、世直し一揆に参加したい気持ちでいっぱいになりました。
何のために音楽をやってるのかなーとちかごろわかんなくなっていた私だったから、行ってよかったんです。
猫の仲間もちょっと増えました。ナオーナオー。しげきてきな一日だったよ。



2002年05月12日(日) 時の意味

きょうはひさしぶりに、私の母大学、早稲田大学MMTの先輩の
結婚式の二次会があって、懐かしい人たちに会うことができた。
大学に入ってから、はや10年あまりがたとうとしている。
この10年の意味を、私は最近ずっと考えながら生活していた。
東京に出てきた意味。
行かないでという家族を残してまで、やってきて、そして何かを
なしとげたいと強くねがった、あのときの気持ちを、
私は、日々の時間の中でうすれさせてゆきたくは、なかった。

時は、私達を、確実に変えもするが、しかし、その時の中で
ただ、たゆたうことは簡単なことである。
時を経たときに、何かが変わったと感じること、
それは、必要なことなんだと思う。


−くるくる、まわりながら、生きているんだね、みんな・・・
それが、生きるということ?

何気なくかわされる言葉の中に、今までのときを感じる・・
それが、生きるということ?





2002年05月11日(土) ピアノのお客さま

きょう、うちにピアノがきました。ヤマハの、ピアノタッチの、大きなやつ。
最近、なんか音楽も聴いてなかった。
音楽を聴きたい心境というものにもならなくて、何か気がひどく滅入ってしまって。
雨が降り始めたころに、そのひどく気の滅入った感覚がやってきた。
そんなときに、新しい何かがやってくるというのは不思議だ。
やってきたというより、海外に行く友達のピアノを1年預かるということになるのだが。。
人のものを、大事にあずかって、そして、弾いてあげよう。
そんなささいなことで、少しだけ、自分自身を保てるような気がした。



2002年05月09日(木)

にゃ


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