アルテミスの日記
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2012年09月04日(火) 命の詩

私は他の人のように 悲観的で一見すると後ろ向きに見える人を
責めたりなじったり  前に向けと話してみたりなんてしない
人間は誰でも 本当は幸せが好きな生き物

この世の中のに不幸を願う生き物はいない
どこか心傷つき追い詰められた価値観と
苦しみ自体が 其の向かう方向をかえてしまったという事実を
他者は理解できないから・・・・

どうしても 人は自分と違う方向に向く人を 忘れようとしたり
見なかったふりをしたり 後ろ向きだと なじったりする。
でも・・・と
私は思う。

人は誰でも 幸せに生きたいんだよ。
いのちは生き物全て 同じに幸福を望んで生まれてくる。
生まれたばかりの赤ちゃんが 死を望んでいることなんて
ありえないでしょう?

悲しい人を見つけたら 耳を傾けて欲しい
けして 同情が欲しいのか・・なんて 思わないで欲しい。
貴女だって 貴方だって 理解されたいと願ったことがある人ならば

だれかを ネガティブだと 自分の生き方と違っていること
けして 説明したり 話し合おうとしないで欲しい

大事なのは その人だって 一生懸命に生きてきたこと
そして 貴方だって 懸命に生きて疲れることは在る。
そのときに 貴方を否定されたなら・・貴方は 傷つかずに いられるだろうか?
正しさだけが 答えではないと・・・

たとえ 狂ってしまった 価値観だとしても
どこかに正しさの絶対的な基準が存在してない以上
それはそれで 正しいのかもしれないよ。

大事なのは 目の前にいる悲しい人たちが
少しでも暖められること・・・
それは 貴方の 正しさでも 貴方の価値観でもなくて
ただ・・そばにいて 抱きしめてあげられることをいうのかもしれない

その人との共通点に 目を向けることなのかもしれない。

私は思う・・・
どんな感情も 
どんな思いも
それはけっして 間違いではなくて・・・

だれかを 大事に思うなら 其の違いを 抱きしめられるといいね
だれかを愛してしまったら
違うことを 感謝できたらいいね

嫌いな人や違和感を感じる人に出会ったときは・・・
自分とおなじ点を見つめてみたらいい。
同じ様に 感じる人間だと 思い出せるように・・
違いを探し出さないで欲しい

そのうえで 違っていいことを 思い出して欲しい。

貴方が貴方であるように 
私が私であるように・・
違うことは 素敵なことだから・・

それでも 貴方が 自分の心も傷つけてしまいたくなったなら・・
それでも 貴方が だれかを 許せなかったら
そして 自分を 許せないと思うなら・・・

思い出して欲しい・・
それでも 全てのいのちが
幸せを望んで生まれてくること

貴方だけじゃない 私にも 彼にも彼女にもある
それまでを誰かが 本当に 摘み取ることなんてできはしないこと
できはしないこと・・


2012年08月15日(水) 特別でない

霊感 霊媒体質 霊能力・・・

巷にあふれる スピリチュアルワード・・・

でも そんなの どれも 特別じゃないんだ

私達は大好きな人たちが どんなに笑っていても

悲しいときにはわかる

喧嘩をした後の部屋に入ったら どんなに笑っていても

違和感を感じることもある・・・ そんな感性がある

その一つ一つが 霊感 霊能力・・・ と違わないもの・・

だから 霊を感じることなんて 特別でもなんでもない

私達一人一人が 霊的な存在

言い方は 悪いけれど 霊が 体という 肉布団を きちゃってる・・・

そんなところ・・・

だから・・ 類は友を呼ぶ・・・

それは 人間に当てはまる言葉じゃなく 霊として存在に当てはまる言葉なのだと思う

特別じゃない 怖くない・・・

喧嘩が好きな人たちはそう言うものを呼び込んでしまう

憎しみにとらわれる人は そう言うものを集めてしまう

あったかく 生きよう

自分らしく 喜んで生きよう

自分の心が 魂が 喜ぶ生き方をすれば きっと 

そんな 存在に囲まれることになる

何一つ 特別なことはないけれど

やっぱり 生きるって特別なんだね・・と

思ったりする 今日この頃・・


・・・・って 私は どんな風に 生きてるのかな・・

ちょっと 自信がなかったり・・てへへへ・・・ 


きゃ〜〜がんばります!!


Have a nice weekend!!
素敵な週末を お過ごしくださいね〜

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2012年06月01日(金) 口に出せない

ネット リアル・・
どんな使い方をしてもいいんだけれど
自分を 不特定多数
しかも 自分の何も知らない相手に 伝えること・・
そういう伝達の手段だという事 だけ 覚えていたいなっておもう

言の葉っていうじゃない?
私はその言の葉に 優しいものや 愛を載せたいな
時には ごめんなさいや 怒りや 悲しさだったりするんだけれど

言の葉に愛を載せていれば
伝わる気がするんだ。
いつでも まっすぐに 言葉の葉っぱに 向かい合う

そこに 携帯や パソコンや そんなものの向こうにいる
沢山の人たちのことを考えて 想いを載せる

すごいことだって思う 
その力って 本当に・・

私の相棒は 実は この ブログが きっかけで
知り合った。

特定の一人の相手に向かって発することの 少ないブログだったから
逆にお互いに理解を深める結果にもなったと思う

もっとも 私は なんとも 甘えたやつだから
相棒はとっても 私にむちゃくちゃされて 気の毒だけれど
それでも お互いを 信じられるのは
そうやって 培ってきた ネットの上での言の葉の力

言霊ってあるんだよ
音霊もあるっておもう。

ネットはどちらも使えるんだ
きれいごとばかり 載せなくてもいいし
元気なことばかりじゃなくても いいって思う

だけれど できれば 優しくって あったかくて
楽しいもの 載せて 
私って言う小さな波止場から 
発信していたいって思う。

面と向かって 話すより ずっと 言葉は
その力だけ 純粋に 人に渡る。
その人の中に 言葉だけが すっと しみていくんだ
だから・・
使った人の思惑と全く違う言葉の意味にだってなる恐さもあるもんね

皆だれも 幸せになりたいし
愛されていたいんだもん

愛や優しさの 言の葉は きっと 皆に届くよね


2012年04月01日(日) 臆病だけれど・・・

やっぱり 私は自分の痛みと同じく 人の痛みに敏感でありたい
おなじ 何かを伝えるなら その人が できるだけ 受け取りやすい形で
伝えられたらいいなと思う
だって・・私は 忘れられない

貴女のため・・と 証して 傷つけられたこと
貴女のため と 言いながら その人が私を見下していたこともあった

それで 私は その相手の言葉を受け取れたかというと
何年後には わかったり あの時は・・と 理解できたところもある

でも 相手からの 傷が 膿んで やっぱり 人が恐いことへの 拍車をかけ
人間から 遠ざかってしまったところもある

それは同じ傷つくにしても 相手の言葉の裏にその人なりの 思いを感じるからなのかもしれない
どんな人間であれ対等で 誰かを気遣う思いがあるのなら
たとえ それが 辛辣な言葉でも 時を経て 伝わるのだと 信じたいし信じている
当たり障りなく 嫌われないように とする ことを 大事にといってるわけじゃなく
少なくとも自分の知っている 同じ痛みを 与えないような 気遣いは
したいとおもう。

気弱で 思ったことを いえないところが 沢山ある私だけれど
それでも いつも 人に対して 口当たりのいいことを 言ってきたわけでもないし
事なかれに徹したわけでもない・・・
自分が正しいって 思っていても それは 私側だけの事実だけであって
他人からの真実はまた別にある

いつまでたっても ひ弱で 臆病な 私の性格は 変わらないだろうし
いつまでたっても 言いたいことを 飲み込むところも あるかもしれないけれど
それでも 私は 自分の知っている痛みを 人に 与えたくないんだ。

いじめにしろ 
私は できれば たとえ 相手が 自分を切りつけた相手でも傷つけたくない。
自分の心の中の 収支決算をつけるために何年も立って 相手と話し合ってもいい 
謝罪を求めてもいいって思う。私は10年経って 一番ネックだった いじめの担任と
電話で初めて 自分の 気持ちを ぶつけられた。 
小学校のときの いじめと決着をつけるために 私は20年近く 経ってから 気持ちを訴えた。
それは正直 相手からすると 何を今更だろうし 呆気にとられて馬鹿にするかもしれない

でも・・・・ 
やり返したり することはどうしても 出来ないよ

それは 私が 人間を 恐いからなのかもしれないけれど
言いたいことをいえない 私の弱さもあるかもしれないけれど
私は臆病で 小心者だから
自分の痛みと 同じ痛みを 味合わう人がでることが 嫌いなんだ
そういう痛みを与える人を気にしてしまうんだ

昔、他人に対しての気遣いは 究極な 極論 自分に対しての気遣いだと
言われたことがある。
仮にそうだとしても 自分に対して 十分に ケアの出来ない人間に
他人に対して何もする事は出来ないと思っているから

その 極論に 反発もしないことにした。違和感は 多少否めなかったけれど・・。
私見たく 人が恐くて 臆病な人間は
結局は 自分のための 気遣いと割り切らなくては
自分の 気づかなさ 自分の 無神経さを 許せなくて 責め続けなくてはならないから
どこかで 自分を許すタイミングを その言葉が 与えてくれたようにも思う

言葉をどんなに選んでも 気遣っても 相手の傷に触れずに
話せないことも沢山ある 
時には 自分の 痛みや 怒りを 伝えることで 相手が 痛むときもある
大きな傷をつけることもある
それでも 伝えなければならないことはあるからだ。
その自分を 許さなければ ならないときもある

そして だからこそ 相手に対して 許せる自分になれることもあるのかもしれない
けんか腰になることは いつでもできる
私のように 逃げ腰ばかりじゃ 話にはならないこともある

それでも こんな私でも ちゃんと 怒るときには 怒るし
自分を伝える為に その怒りを 伝えることも すこしづつ
出来るようにはなってきたと思う

人の世界の中 いつも幸せに何もなくて にこやかにすごせたら 一番いいね
でも そうじゃないから 見える 優しさもある
ネットの中も 同じように 色んなことあるけれど
沢山 教わること 一杯だ。

私は 私らしく・・・
そして 私が大事に思う人たちを 私の精一杯で
大事にしたいって思う
どこで、出会ったが 大事でなくて 人と巡り合った事実が大事だと思うしね

ここで 友達になってくれている 皆にしても 同じ・・ 私にとって 本当に 大事な人たちなんだ


私の 相棒はね・・ この ブログの世界でであった人です。
多分 私のことを昔から知っている人間は 驚くと思う
私達は この世界をきっかけに 文字をこえて 繋がった・・・
最初は どうして このひと こんなに きにさわるんだろうと
思っていた人でした 
出会いはどこに あるのか わかりませんね


2012年01月30日(月) 誰かに伝えること

誰かのために 伝えたい言葉があるとき
私が心がけていること・・・
きっと もちろん 私のしていることだから 抜けまくりで 人を 傷つけたり
いやな目にあわせているかもしれないけれど
(そういう事実があるなら 本当にごめんなさいね)
それでも 心がけていることがある

どんな素晴らしい内容のメッセージであれ 相手の目線に立って 伝えようとしなければ
相手は受け取れないって事

伝えたいと言う想いがある以上 伝えるという事をする以上は 
相手への共感なしにそれを伝えることは不可能だって思うんだ
伝えたいってことは・・
自分と相手との違いを伝えることでもあるはずだから
共感する部分を持ち合わせなかったら 持とうとしなければ・・
相手は 自分を否定された思いだけ
強くなって 傷つくだけだったりする
イメージ 4


あなたはいきなりさらりと違うと言われて
たやすくその誰かを信じられるだろうか? 心開いてメッセージを受け取りたいだろうか?
しかもそれが あなたにとって 本当に 痛む場所だったとしても?

そういう人も要るだろうけれどね・・ すくない・・と思う
人は生き物 温かな想いがどこかに 見え隠れする強い言葉でない限り
あなたは心を閉じその人から逃げたく思うのではない?
むろん 否定されて 目の覚めるような思いで 引き込まれるような
そんな状況もある・・
それは特殊なケースだと 私は思う


アドバイスの中に含まれている相手を思う気持ちは 置き去りにされる
それでも いいという人は少ないと思う
イメージ 1
受け取れないのはその人の自由と言う前に
自分がどれだけ 相手に 伝えようとしたか・・ということ 大事なんだって私は思う

共感しながらだけでも伝えきれないこともあって
でも そう言う事柄を 伝えて生きたいなら なおさら 相手の生き方を
理解すること・・  そうして 信頼関係をえずして いきなり 伝えたところで 良い結果は生みにくいだろう

治療するよと伝えもせず 相手の傷口にいきなり触れたなら
相手の反応はどうだろう?

痛いよね 辛いけれど ごめんよ痛いね 今から消毒するよ 
今から 薬を塗るよと
声をかけるから 皆 傷口に触れさせると思うし
相手が医者だったり 身内だったりして 信頼しているから触れさせるよね

治療とわかっていても 痛い いやだ があるはずのところに向けて
傷に触れるにしても 相手がコチラを理解しているという前提があるから
耐えてくれるけれど 耐え切れなくて 身をよじりそうになることだってあるんだ
そして 痛みに耐えてでも 相手に触れさせられるという 信頼・・
その信頼も一兆速で作られるものではないだろう
人は自分を理解してくれない人間に 心開くことなんて出来ないから・・

くだらない たいしたことない傷と 手当てされても不承不承我慢できるのは
それが たいしたことではない傷だと 経験があるか
相手への 信頼が成り立っているからに違いない

痛みに耐えかねて 声を上げたり 身をよじりそうになる人に向かって
それを 堪え性がないと ばっさり切る人は少ないと思う。


相手と自分が違っていることは 素晴らしいことだと思う
それは 相互理解によって その人の心が広がるから・・
イメージ 2
その違いを理解したいと 思わなければ 成り立たない関係
どちらかだけの 暴投でも 相手の怠慢でも 相互理解は生まれない
早すぎても 遅すぎても ゆるすぎても 難しい

相手がまた 良い玉を投げたいと思うようなボールの取り方も必要だろうし
どんなボールが取りやすいかを伝えることも時には必要だと思う

ボールを投げる側も ボールを受け取る側になることを 忘れないでいること
受け取る側も 投げる側になることがあることを忘れないでいること
これ一つで 心が通い合う世界を広げることが出来ると 思う

だから・・じゃないけれど 結構 子供に関わる仕事は 楽しかった
難しくて 大変で 辛いことも多かったけれど 本当に 楽しかったなと思う

でも そういうことって 教育の現場だけじゃなく ブログでも
家庭でも 親子でもあるね

私の コメントが 遅れるのも あんまり 余裕のないときに 返信して 不用意な発言を
したくないから・・と コメント返信の遅延の言い訳をしたいための 記事じゃないんだけれど
えへへへ・・・


アルテミス |MAIL

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