2005年03月03日(木)  南イタリア魚介料理『ラ・スコラーレ』

■気に入った店にはつい足が向いてしまう。いいお店は誰かに教えたくなるから、相手を変えて何度も足を運ぶことになる。1500円ランチをはじめたフレンチレストラン『KANSEI』にはこの2週間に立て続けに3回行った。今週火曜日に同僚のH嬢に連れて行ってもらった南イタリア魚介料理レストラン『ラ・スコリエーラ』は、雰囲気と心意気といい料理といい今まで知らなかったのが惜しまれるお店。早速訪ねたサイトがこれまた素敵。こだわりと情熱を一皿一皿に込める姿勢が伝わってきて、毎日でも通いたくなる。中1日空けた今日、同僚G嬢を誘って再来店。大きなガラス窓から光が降り注ぐ店内は、束の間の南イタリア気分を味わわせてくれる。1200円のランチには野菜不足が解消できてドレッシングも充実のサラダバー、お店で毎朝焼き上げる自家製パン、パスタまたは魚料理、食後の飲み物とちょっとした甘いものがつく。こないだはクッキーだったけど、今日は「ひな祭りなので」とあられを出してくるのも心憎い。わたしにとってありがたいのは、会社が半額持ちで社員に配る食券(正式名はバークレー・バウチャー)が使えること。「夜はさらにモチベーション高いんで、ぜひ」とウェイターさん。今度は夜来ようね、と同僚たちと話している。

2002年03月03日(日)  文京区のスポーツクラブ


2005年03月02日(水)  昭和十六年の教科書

■昭和三年生まれのお医者さんの余語先生と四年生まれのT氏の同級生コンビがわたしの職場近くでお芝居を観るというので、その前にお昼をごちそうになる。昨日行ったラ・スコラーレの手前にある北京宮廷料理『涵梅舫』は中国の元宮廷料理人が腕をふるい、本場の宮廷料理を食べられるお店。夜は満漢全席50000円の高級店だが、昼は1000円で味わえるのでおすすめ。テーブルに所狭しと並ぶ料理を分け合いながら、あっちこっちに話は飛ぶ。今月19日にFMシアターで放送される『昭和八十年のラヂオ少年』には大正十四年生まれの少年が登場するが、その四年後、五年後生まれの余語先生とT氏には、脚本を書くにあたって少年時代の貴重な話を聞かせていただいた。「昭和十四年からはちょっと時間が経つんですが、縁の下からこんなものを見つけました」とT氏が取り出したのは、なんと昭和十六年にT氏が使っていた国語と歴史の教本(教科書)。「ご興味ありますか?」と聞かれ、「あります、あります」と興奮してしまう。歳月に色あせているものの保存状態は良好。ところどころに押し花を挟んであり、朝顔の色が移ってしまったり、落ち葉だらけのページがあったりするのは、いかにもT氏らしい。60年経った今、T氏は草花を中心に絵を描いている。その一枚をいただいた。渦巻きアンテナのような模様が入っているのは「仏教大好きのしるし」だそうで、熱心な仏教徒のT氏は、ご自身の絵を通して仏の教えを広めたいとのこと。そういえば、余語先生はクリスチャンだが、仏様と神様の違いはあっても二人のよりどころとする信念には重なるところが多い。わたしは宗教には縁がないけれど、いつも刺激をくれる年の離れた友人たちに感謝している。

2002年03月02日(土)  手づくり


2005年03月01日(火)  ビューラー巻き巻きに挟み撃ちされる

■なぜその場所でそういうことをしたのかわからないが、うら若き学生の頃、研究室の共用机の傍らに突っ立ってビューラーでまつ毛を巻いていたら、同じ研究室のヤマシタ君が「うわっ、なな何やってるん?」とギョッとした声を上げた。ビューラーというものを見たことがなかった彼は、金属を目元に当てる姿がとても奇異で恐ろしいものに映ったらしい。「人前でまつ毛を巻くとびっくりされる」ことを学んだわたしは、以来、いきなりビューラーを取り出すことはしなくなった。■そんなことを思い出したのは、今朝の通勤電車の中で「いきなりビューラー」に挟み撃ちされたから。駅のベンチや車内でお化粧している人はよく見かけるが、両脇をビューラーで固められたのは初めてのことだった。まず、左側に座ったOL嬢がポーチからミラーとビューラーを取り出し、巻き始めた。続いて、右側に座ったロックがんがん音漏れ娘が巻き出した。ロック娘は仕上げだけと見えて、さっさと満足してビューラーをしまったが、OL嬢のほうは実に念入り。根元から毛先にかけて5回ずつギュッギュッとくせをつけること左右5セット。下地を塗ってさらに5セット。マスカラを塗ってダメ押しの5セット。今まで気づかなかったのだが、ビューラーがまつ毛をはさんだときのギュッという音は至近距離で聞くとけっこう耳障り。他の乗客は気にしていない様子だったが、挟み撃ちに遭ったわたしは落ち着かない数分間を過ごしながら、東京版ヤマシタ君が「うわっ、なな何やってるん?」と突っ込んでくれないかなと思っていた。

2002年03月01日(金)  『たまねぎや』と『サムラート』


2005年02月28日(月)  フリーの人の確定申告

■今年も確定申告の季節がやってきた。税務署のポスターで微笑む仲間由紀江さんと目が合うたびに、やらなきゃとドキドキする。確定申告はやっといたほうがいい、とフリーの人たちはみんな言うのだが、シナリオの原稿料をもらい始めた年に川崎の税務署に行ったものの埋める空白の多さに断念したという苦い過去があり、書類と数字が苦手なわたしには無理と半ば諦めていた。それが去年の今頃、『フリーのための青色申告デビューガイド改訂版!! 』(はにわきみこ著)のピンクの表紙が目に飛び込んできて買ったところ、できそうな気がしてきた。軽いタッチの語り口と「面倒くさいよねー、わかんないよねー、でも私はこうやったよ」という「何度もつまずいた先輩」の立ち位置が親しみやすかったのだろう。結局、わたしは申告額がさほど多くないのと、「帳簿つけるのはやっぱり面倒」と思って白色申告にしたのだが、文京区に引っ越してからの3年分を申告し、無事に所得税をいくらか返してもらうことができた。この本には用語説明などでお世話になったが、手元に置いておくと何となく安心で、税務署にも連れて行った。今年も一年ぶりにページを開いて喝を入れてもらおうと思う。

2004年02月28日(土)  「ブレーン・ストーミング・ティーン」著者贈呈本
2003年02月28日(金)  2003年2月のカフェ日記
2002年02月28日(木)  ヘンな弟よっくん


2005年02月27日(日)  1975年のアカデミー賞映画『カッコーの巣の上で』

■『カッコーの巣の上で』をビデオで観る。1975年のアカデミー賞5部門(作品賞、監督賞=『アマデウス』のミロス・フォアマン、主演男優賞=ジャック・ニコルソン、主演女優賞=ルイーズ・フレッチャー、脚色賞)に輝いただけあって力強い作品。刑務所の強制労働から逃れるために精神を病んだふりをして精神病院にやってきたランドル役(ジャック・ニコルソン)は、閉じ込められているかに見える患者たちが「すすんで入院し続けている」事実にショックを受ける。抵抗を諦め、意志を封印してしまった患者たちをあおり、次々と騒動を巻き起こす要注意患者となるランドル。管理する側とされる側が「これでいいのだ」と思い込んでいたバランスを崩していく過程には痛快な解放感があり、狂気と正気の境目はどこにあるのか、自由を主張することとわがままはどう違うのか、などと考えさせられる。主人公にとっては皮肉で救いのないラストは意見が分かれそうだが、わたしは絶望の中に人間の底力を見るような希望を感じた。原題は『One Flew Over The Cuckoo's Nest』。Flew overは「上で」よりは「飛び(乗り)越えて」のほうが近いが、Cuckoo's Nestが精神病院を指す隠語だそうで、よくできたタイトル。

2002年02月27日(水)  世の中は狭い。いや、世界が広くなったのだ。


2005年02月26日(土)  ブラジル物産展

《ミチコの招待状より》

【予定ブラジル食材】
ピンガ(酒、ココナッツカクテル)
パウミット(やしの芽のサラダ)
サラミ オリーブ
フェジョアーダ(黒豆料理)
チョコボンボン
パネトーニ ゴイアバーダ
チーズ ドライトマト
ものすごい赤い酢の物

【予定ブラジル物産】
DVD CD ビデオ 映画
写真 雑誌 地図
プロポリス
■わが家で大活躍の炊飯器『ミチコ』をくれた後輩社員のミチコから『ブラジル物産展』のお誘いを受ける。「ときどき、うちでやるんすよ。手ぶらで来て下さいねー」と言われ、何が起こるのかよくわからないままミチコとパートナーの日系ブラジル人へナートの住む一軒家へ。ゲストはわたしと、ミチコと3人でランチに行く仲の同僚G嬢夫妻。ブラジル音楽のDVDを流しながら、次々と繰り出されるブラジル料理を楽しむ。DVDは現地では国民的人気の男性歌手が妻や娘たちとのプライベートを披露しながら合間に家族セッションをするというホームビデオときどきミュージックビデオ風の内容。「働け!」とミュージシャン氏に突っ込みながら見るが、音楽は心地よい。料理のメインは「ブラジルでは一家に一台ある」と言われるプリミティブな圧力鍋で煮込んだフェジョアーダと呼ばれる黒豆料理。大量に作るのが基本なので、「これが食べたくなると、友達呼んで物産展やるんだ」というわけだった。デザートもブラジルづくし。「新品でもなぜか湿気てる」というチョコウェハースはわたし好み。■この年末にブラジルで撮って来た本場のサンバチームの練習風景ビデオも見せてもらう。広い体育館にびっしり集まったメンバーから発散されるエネルギーはただものではなく、派手な衣装をまとっていなくても目が離せない。「ビデオ撮ってる間は、いろんな音が混じりすぎて何も聴こえてなかった」とか。練習場は治安の悪い町の外れにあり、行き帰りはかなりドキドキしたそう。ミチコとヘナートはセミプロのサンバミュージシャンでもある。押入れを開けると、ブラジルの楽器がゴロゴロ。タンバリンを太鼓のように叩くミチコとヘナートのギターに合わせて、一輪挿しを2つつなげたような鐘を鳴らしたり、タンバリンを三又のバチ(プラスティックの棒3本の根元を水道のホースを切ったものでで止めてある)で叩いたり、セッション気分を味わう。

2002年02月26日(火)  数珠つなぎOB訪問


2005年02月24日(木)  だいたい・キラキラ・インドネシア語

25日で投票が終わるがジオシティーズのホームページ・フェスティバルなるものに参加している。エントリーしたサイト同士が互いを訪問しあって票を入れあうといった性格が強く、とても内輪ノリではあるけれど、普段なかなか出会えない「ねじれの位置」にあるようなジャンルのサイトを知るきっかけになった。検索をかけるにしろ知り合いのサイトからジャンプするにしろ、自分の興味のあるところ(映画とか食べ物とか)をぐるぐるしてしまうのだが、世の中には実にバラエティに富んだサイトがある。

金魚のサイト、粘土のサイト、おのろけサイト……いくつか訪問したなかでいちばん印象に残ったのが、『インドネシア黄金の繭』。「インドネシア、ジャワ島中部の古都、ジョグジャカルタ。歴史ある王宮のカンジェン・ラトゥ王妃は、人々の生活を豊かにするため、あるプロジェクトを始めた。その手には、黄金色に輝く不思議な繭(まゆ)があった…。」という紹介文に惹かれてのぞいたのだが、目先の利益よりも長い目での国民の豊かさを願う王妃の情熱は、「インドネシア版中田金太」のようで感動的。そして「王妃のプロジェクトを広めたい」という熱い思いがページ全体から立ち上ってくるのだが、サイトを運営しているのは、インドネシアにゆかりのある人たちが同国と環境問題を通じて友好を深めることを願って設立した『インドネシア友好会・北九州 (キラキラ会)』というボランティア団体。インドネシア派遣経験のある北九州市の職員が中心となっている会だそうで、なるほど愛着の深さがにじみ出ている。

インドネシアへは卒論の日本語教育の取材と就職してからのバリ旅行で2回訪ねている。一時期インドネシア語を熱心に勉強したことがあり、英語とインドネシア語が交互に出てくるリンガフォンを聴いていたのだが、中途半端に習得したせいで「Saya nama Masako」とうっかり名乗ると翌朝には物売りの子たちが「Masako」の名前の入ったミサンガやら織物やらを持ってきて買い取らされる羽目になったり、「teman(友達)」と言ったがために無理な要求をされたりして困った。

でも、インドネシア語の響きは今でも日本語の次に好きで、「jalan-jalan(散歩)」や「hati-hati(気をつけて)」といった重ね単語が京都弁の「さっぶいさっぶい」「ちっこいちっこい」の形容詞重ねのようで気に入っている。しかも、この重ね言葉、単語一つのときと二つのときの意味のジャンプ具合が面白い。通り(jalan)を重ねて「散歩」になり、心(hati)を重ねて「気をつけて」になる。他にもないかと久しぶりに『現代インドネシア語辞典(KAMUS BARU INDONESIA-JEPANG)』を開いてみたら、赤い下線がいっぱい引いてあった。自分が引いたんだろうけど……重ね言葉にはかろうじて見覚えがある。灰(abu)を重ねると「灰色」、whatにあたるadaを重ねると「何でも」、形(rupa)を重ねると「いろいろ」。ちなみに「キラキラ会」の由来になっているkira-kiraは「およそ・たぶん・推測」と英語のaboutに近いが、kira一つだと「考え・思い」。考えるうちに自信がなくなってしまうのだろうか。

2002年02月24日(日)  PPK


2005年02月23日(水)  飛騨牛パワー合同誕生会

益田祐美子さんとの合同誕生会を開いていただく。事の起こりは2月9日。監修をお願いされている益田さん著の「金太本」(『風の絨毯』にも出た平成の祭屋台に私財を投じた平成の旦那・中田金太さんの生き方本)のとりあえずの原稿が送られてきたのだが、「全然取材が足りない。こんな内容だったら、益田さんじゃなくたって書ける!」と率直な感想とともに「このまま出版するのは危険。締め切りぎりぎりまでもっと突っ込んで取材しないと!」とハッパをかけた。すると、「でも、23日までには原稿を上げたいの。その日は私の誕生日で、メンズクラブで飛騨牛を食べて祝うのよ」とノー天気なことを言っている。「わたしだって今日誕生日なんだけど」と言うと、「わかった!23日は合同誕生会にしよう。だからそれまでに頑張ろうよ」といつもの魔女田節で言いくるめられ、「飛騨牛パワー」を合言葉に金太本の仕上げに総力を挙げることになった。

土壇場で発揮される益田さんの底力はさすがで、2週間足らずの間に金太さんからいい話をどんどん聞きだした。温泉を掘った気になっていたのをさらに掘り進むと、いいお湯を掘り当てたといった感じで、内容は乞うご期待。今朝未明原稿用紙200枚分が何とかまとまり、無事飛騨牛にありつけることになった。

益田さんの言う「メンズクラブ」はホストクラブではなく、内幸町の「シーボニア メンズクラブ(Seabornia Mens Club)」という由緒正しき(since1974)会員制レストラン。奥の個室に通されると、ドキュメンタリー映画『平成職人の挑戦』の乾弘明監督、製作の山下貴裕さん(乾監督の花組と山下さんのスリー・アローズが製作を担当)、はじめてお会いする岐阜県人会理事の宮本悠美子さんと配給のリュックスの小田部優さん、プロデューサーの益田さん……どうやら元々は映画の慰労会だったようだが、映画公開にあわせて出版される金太本も無関係ではないので仲間に入れていただく。

そしてもう一人、「ここをやっています」と挨拶されたダンディーなおじさまは、シーボニアをはじめ数々のレストランを展開している株式会社ピットコーポレーションの田邊勉社長。「9000円のチケットを800枚売ったこともある脅威の人脈の持ち主で、平成職人のチケットをすでに500枚売った」宮本さんとは、「ハンカチがびしょ濡れになるほど泣ける」ソプラノ歌手の下垣真希さんを通じて知り合い、「かつて映画と映画館を作る仕事をしていて、日本中に映画館を40館作った」小田部さんとはセゾングループ時代の仲間なのだそう。「田邊さんは日本の音楽文化を作ってきたんですよ」と言う小田部さんに促されてヤマハでポップコンをやっていた頃の逸話を聞かせてくださるが、よく整理された記憶の引き出しを年代順にひとつずつ開けていくような話はわかりやすく面白く引き込まれる。「話がちゃんと流れている!」と感心していた益田さんは弟子入りすべし。


飛騨会席
先付  汲み上げ湯葉 山葵 割醤油
前菜  姫栄螺大豆 唐墨博多 蟹松風 合鴨ロース煮 山菜胡麻和え
お造り 飛騨産河ふぐの薄造り
炊合せ 大根含め 海老 椎茸 蕎麦の実 菠薐草
強肴  飛騨産牛炭火焙り焼き 飛騨葱 柚子胡椒
食事  飛騨岩魚棒寿司焼き
止椀  吸い物 三つ葉
水菓子 苺(岐阜県産「濃姫」) パパイア メロン

メニューは月替わりで、飛騨高山生まれの益田さんの誕生日に合わせたかのように今月は「飛騨会席」。メインの牛肉をはじめ、飛騨のうまいものがちりばめられている。(写真左から炊合せ 強肴 食事)。期待の飛騨牛は焙ってほどよく脂を落としたジューシーな肉が口に溶けるようで幸せ度高し。メニューはすべて試食して決定するという田邊社長の解説も加わり、なおさら楽しい食事となる。昨夜「私が東京行ってみんなをごちそうする」と言いだした金太さんに「あらためて高山で飛騨牛をごちそうになります」と伝えた益田さんが電話をかけ、携帯を回して一人一言話す。心地よいピアノの生演奏は、西本梨江さん。『戦場のピアニスト』の曲をという山下さんのリクエストを田邊社長直々に伝えていただくと、ショパンのノクターンが流れてきた。楽譜は頭に入っているそう。作曲も手がけられ、国連食糧農業機関(FAO)親善大使として世界食糧デーキャンペーンのコンサートにも出演されたとのこと。

食後のデザートになったところでバースデーケーキが登場。宮本さんが気を利かせてくれたそうだが、チョコレート文字に初対面のわたしの名前も入っていたことに感激。この気配りが魔女田さんもびっくりの人脈につながっているのかも。5月にKKロングセラーズから出される予定の「金太本」のタイトルは『お金も幸せも上手に太らせる金太力』になりそうだが、本の中で金太さんは「出会いは宝、財産」と語っている。益田さんから広がる人脈、珍脈(益田さん命名)のおかげで、今夜もまた幸せ太り。

2002年02月23日(土)  連想ゲーム


2005年02月21日(月)  『逃亡者の掟』(人見安雄)

■会社のデスクを整理していたら、日記を綴った大学ノートが2冊出てきた。1998年99年と2年続けてカンヌ広告祭に参加したのだが、そのときの記録。読み返してみると面白くて懐かしい。記憶から抜け落ちていたエピソードもあり、やはり日記はつけておくものだと思う。気に入ったコピーも書き留めてあるのだが、その中に
YOU can TAKE a BOOK ANYWHERE and VICE-VERSA.
というのがあった。「本はどこにでも連れて行ける。その逆に、どこにでも連れて行ってくれる」。このコピーに出会ったとき、感激して、しばらくその場を動けないほど見入ってしまったことを覚えている。Waterstone book storeという本屋の「本を読もう」キャンペーンのポスターで、キャッチコピーをあしらった装丁の本がキービジュアルになっていた。シリーズ広告で他のコピーもよくできていたけど、これは秀逸。他にもぜひ紹介したいコピーに再会したので、「1998年カンヌ広告祭 コピーが面白かったもの」というタイトルで1998年7月1日の日記に書いた。
■自分の人生では体験できない世界を本は味わわせてくれるが、昔紀伊国屋でバイトしていた同僚デザイナーのゾエ君が「すごい本があんのよ。国際指名手配された窃盗犯なんだけど、奥さん連れて国外逃亡してさ、愛の逃避行なわけよ。その人元々絵を描くんだけど、ギリシャとかフランスとか行った先々で絵を売って、しまいには大金持ちになっちゃうわけ。あんな人生、なかなかないよ」と紹介してくれた一冊が、『逃亡者の掟―国際指名手配第一号犯の4600日』。著者は逃亡した本人、人見安雄氏。表紙をめくると、いきなりマツケンもびっくりなキラキラ衣装の人見氏が現れ、度肝を抜かれる。ゴージャス人見氏、これからわたしをどこへ連れて行ってくれるのか。

2002年02月21日(木)  映画祭


2005年02月19日(土)  青春京都映画『パッチギ!』

有楽町シネカノンにて、『パッチギ!』をついに観る。井筒和幸監督の『のど自慢』も『ゲロッパ!』も好きだし、月刊シナリオに載ってた脚本にも感動したし、あちこちから「最高!」とすすめられたし、期待は膨らみきっていたけど、それ以上に良かった。

舞台は60年代の京都。哲学の道や鴨川べりを歩いた学生時代を思い出させるロケーションに感激。一緒に見に行ったダンナは、バイト先だった銀閣寺近くの中華料理屋に朝鮮高校の生徒さんがよく食べに来ていたそうで、わたし以上に懐かしがって喜んでいた。とぼけた関西弁の台詞は小気味よく、にやりとさせたりほろりとさせたり。それでいて日本と朝鮮半島の歴史や時代背景も織り込まれ、本当にあの時代の京都を切り取っているようなリアリティがあった。

それにしても登場人物一人ひとりの、なんと魅力的なこと。主演の二人(松山康介役の塩谷瞬さん、リ・キョンジャ役の沢尻エリカさん)もさることながら、チョン・ガンジャ役の真木よう子さんが印象に残った。台詞言うときの間の取り方がすごく良い。関西弁ええ感じやのに、プロフィール見ると千葉県出身。『不良少年の夢』に続いて不良(モトキ・バンホー)役が板についていた波岡一喜さんも気になる役者さん。徳井優さん、木下ほうかさんの「あずさ1号2号コンビ」は今回もおいしい役で出演。

2004年02月19日(木)  ツマガリのアップルパイ
2002年02月19日(火)  償い

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