2003年01月17日(金)  Lunettes du juraの眼鏡

■目は相当悪いのに、眼鏡はめったにかけない。映画館の場内が暗くなってからこそこそとかけたりしている。ただでさえ離れている目が余計に離れて見え、ただでさ存在感のある鼻が余計に強調される気がするので好きじゃない。できることなら使わないでおきたいぐらいなので二つ目の眼鏡を持つことなど考えてなかったのだけど、ダンナにつきあってLunettes du juraに行ったら、自分が欲しくなってしまった。会社の近くにあるので何度か冷やかしていたお店だが、2階と3階もあるとは知らなかった。色とりどりの面白いデザインの眼鏡が並んでいて、見ているだけでも楽しい。帽子屋さんと同じく眼鏡屋さんもちょっとした変身願望を満たしてくれる。いろいろ試してみた結果、「右目と左目が寄っている眼鏡だと、離れ目がマシに見える」ことを発見。3つに絞り込んでダンナの意見を求めたところ、「君って眼鏡似合わないねー」と笑いをこらえるのに必死で、まったく参考にならない。お店のかわいいお姉さんが「わたしはこちらですね」と押してくれた茶色いフレームのものを買うことにする。かけ心地をじっくり調整してくれて、いい感じ。レンズを入れて来週金曜日に受け取れるそう。眼鏡をかけるのが少しは楽しくなりますように。

2002年01月17日(木)  HAPPY


2003年01月16日(木)  ど忘れの言い訳

昨日の日記を読んだ妹から「雅子はジャーナリストじゃないから、間違ったままでもいいけど気になったから」とメールが来て、「教会に行ったのはクライストチャーチではなくダニーデン。ダニーデンに行ったのは、クライストチャーチで誰かに勧められたから。ダニーデンでの宿泊は、幽霊が出るとウワサのユースホステル」と指摘された。幽霊の出るホテル、なんだそりゃ。記憶にございません。「最初にホームステイさせてもらったのはダニーデンではなく、ゴーアという町」なのだそうだが、この町の名前にも覚えがない。ちなみに「美味しかったというアイスクリーム、ティップトップのホーキーポーキーだよね」とのこと。そんな名前だったような初耳のような。妹の記憶力がすばらしいのが私の物忘れが激しいのか。新しい情報を仕入れると、トコロテン式に古い情報が押し出されているのだろうか。最近売れている海馬(記憶をつかさどる脳の一部?)の本によると、「年を取ってド忘れが増えている人は記憶力が低下しているのではなく、脳に蓄積されている情報量が多すぎて、お目当ての情報を探し出すのに時間がかかっている」といったことが書かれていて、わたしと同世代やそれ以上のど忘れ世代に受けているらしい。その内容を受け売りさせていただくと、ゴーアやホーキーポーキーも頭のどこかにしまわれてあるはずで、「コピーやシナリオを書くたびに資料と格闘しているから、記憶ファイルが散乱していて、検索に人一倍時間がかかるのよね」と開き直ることができる。脳もADSLにならないものかな。


2003年01月15日(水)  ひつじの国 ひつじの年

■虹色のマフラーをこの冬はじめて巻いてみた。虹色といっても草木染めのようなやさしい色で、楽しいけれど派手にはならない。通勤の間、このマフラーに出会ったニュージーランド旅行を振り返っていた。13年前の春休み。妹の高校の卒業旅行ということで二人で3週間かけて南島を旅した。最初に滞在した街クライストチャーチで教会を見学したら、日曜礼拝の後のティータイムに誘ってもらえた。MIF(ミルク・イン・ファースト)という言葉をはじめて知った。牛乳の後に紅茶を注げば自然に混ざるのよと教えてくれた女性が「ダニーデン(Dunedin)というステキな街に両親が住んでいるから行ってみたら?」と言ってくれた。ご両親は見ず知らずの東洋人姉妹を暖かく迎えてくれた。「一日4回はお茶をするのよ」とオバサマはおいしい紅茶を何杯も注いでくれた、アイスクリームを添えて食べた巨大なアップルパイのおいしさが忘れられない。地元のハイスクールも見学させてもらい、国語の授業(『怒りの葡萄』が題材だった)に出席したり、技術の授業で作った木工のお盆をお土産にもらったりした。わたしたちが去る日、オジサマは「君たちが僕たちを忘れないように」と毛糸でできた小さな羊を二匹手渡してくれた。写真を撮るとき、ハイチーズのかわりに「Kiwi」と言うのがおちゃめなオジサマだった。ダニーデンの夫妻の紹介で、今度はテ・アナウという自然豊かな街に住む一家を訪ねた。若夫婦と3人の小さな子どもたち。遊び相手ができて大喜びの子どもたちとはすぐに仲良くなれた。ピクニックバスケットを持って自然公園を散策した。とにかく空気が澄んでいて、自分まで透き通れそうなきれいな場所だった記憶がある。一家の家業は羊の放牧。夕方になるとスクーターに乗って丘を走り、羊たちを小屋に追い戻す。若いお父さんの運転するスクーターの後ろに乗っけてもらった。起伏のある草の上を疾走する感覚はたまらないスリルがあった。羊の毛刈りも見せてもらった。ふわふわの毛をバリカンで剃られると羊は情けないぐらいやせっぽちになった。着太りしてたんだなあと驚いた。テ・アナウの一家もダニーデンの夫妻と同じように「ニュージーランドに来たときはいつでもここを家にしていいよ」と言ってくれた。クライストチャーチの教会での思いがけない出会いがなければ訪ねることもなかったかもしれない二つの町のあの人たちは今、どうしているだろう。わたしはあれから3度引っ越してしまったけれど、日本からの手紙は今も同じ住所に届くだろうか。虹色のマフラーを見ながら、そんなことを思っていた。ニュージーランドのウールは日本の虫の口にも合ったようで、青から緑にかけての3センチ四方がごっそり虫に食べられてしまっている。その虫食いを内側に隠し、赤から黄色の部分を外側にして使い続けている。襟元をあったかく包んでくれる七色の毛糸は、心優しくて懐かしいひつじの国の人たちの思い出につながっていて、とても手放せそうにない。そういえば今年はひつじの年。

いまいまさこカフェfashion gallery

2002年01月15日(火)  ノベライズ


2003年01月13日(月)  成人の日

■成人の日といえば1月15日だったけれど、ハッピーマンデーでそうとも限らなくなった。この3連休は成人式関係のニュースが目についたが、「何も起きなくてよかった」と主催者の市役所や区役所の担当者が心からほっとしたり涙をにじませたりしているのを見ると、なんとも不思議な気持ちになった。何か起きるからイベントなのだと思っていたけど、何も起きないことを祈られるイベントもあったのだなあと。主催者がワクワクしないイベントに出席者がワクワクすることがあるのだろうか。用意する側もされる側も乗り気ではないのに、義務や慣習のように毎年繰り返されている印象もなきにしもあらず。広告代理店やイベントプロデュース会社と組んで、「いいよなー、新成人は」とうらやましがられ、20才であることがプラチナチケットになるようなイベントにしてしまうのもありなのではと思う。さて、自分のときはどうだったかと振り返ると、会場の市民会館の前まで行き、ひさしぶりに会う同級生たちとの昔話に夢中になっているうちに式典は終わっていた。出席した子に「どうやった?」と聞くと、「忘れた」と感想が返ってきた。もらった記念品を見て、みんなで首をかしげた。新成人になってトクした気にはなれなかった。■新聞記事にも成人の日に寄せた記事が目立った。その中で光っていたのは、さだまさしさんのコメントに引用されていた、あるナヴァホインディアンの言葉。「わたしたちが今生きている大地は、先祖から譲り受けたものではなく、子孫から借り受けているもの」という趣旨。わずか数行に、気づきや反省や感謝や思いやりや想像を一瞬でうながしてくれる力があった。新成人にこの言葉を贈るさださんのセンスにも感心した。20才と百ン十か月になるわたしの心にも響くメッセージだった。

2002年01月13日(日)  ごちそう


2003年01月11日(土)  おっと!ホットサンド

■考え事をしながら家事をすることが多いので、キッチンの思わぬ場所から思わぬものが出てくる。電子レンジを開けると冷蔵庫に入れたはずの牛乳パックが鎮座していたり、逆に、電子レンジから消えたはずの豚まんが冷蔵庫の中でカチカチに固まっていたりする。今朝、ひさしぶりにホットサンドを焼こうと思ってサンドイッチメーカーの蓋を開けると、こんがり焦げ目のついたサンドイッチがすでにあるではないか。一瞬「!?」となったが、すぐに謎は解けた。前に焼いたのを食べ忘れたのだ。最後にサンドイッチメーカーを使ったのは、いつだっけ。大晦日だったっけ。ひっそりと年を越したサンドイッチは焼きたてのようにきれいだった。キッチンが冷蔵庫並みに寒くて良かった。■サンドイッチメーカーは友人の披露宴の引き出物カタログで選んだもの。前々から職場の同僚たちが「あれは使える」と話していたのを聞いて欲しくなっていたので、飛びついた。明太子とマヨネーズ、黒豆煮、パストラミハムとチーズなど、いろんな具を試してみたけど、今のところツナがお気に入り。ノンオイルのツナにマヨネーズとワサビを混ぜ、チーズを乗っけて焼く。今朝は大好物のブルサンアイユ(ブルサン社のガーリック入りチーズ)を使ったら、新しいおいしさ発見。

2002年01月11日(金)  親孝行


2003年01月08日(水)  ベトナム料理


■エスニック料理のなかでタイ料理と並んで好きなのがベトナム料理。生春巻きと魚醤の味が好き。最近あいついで見つけたのは渋谷の東急東横店地下FOODSHOWにあるサイゴンと恵比寿西に去年末オープンしたNha Viet Nam(ニャーヴェトナム)。サイゴン(写真左)はデパ地下のイートインなので、一人でも立ち寄りやすい。鶏肉のフォーに生春巻きとちまきがついて税込みで900円ちょっと。唐辛子入りのお酢をかけると本格的な味。ニャーヴェトナム(写真中・右)は2階の陽の当たる窓際が気持ちよくておすすめ。靴を脱いで上がる個室は固めのクッションに腰掛けて足を投げ出せるので、掘りごたつ気分を味わえる。デザートのタピオカがおいしかった。ベトナムは行ってみたい国のひとつ。ピンクとオレンジのアオザイを作ってみたい。

2002年01月08日(火)  Georg Jensen


2003年01月01日(水)  2003年の初仕事

■「2時頃帰ってくるからね」と言い残して義父母は出かけてしまい、次男(ダンナの弟)の嫁とともにおせちの準備をすることになった。大阪の実家ではおせちはセルフサービスだが、東京のダンナの実家では朱塗りのお盆に美しく盛りつける。「どうやって並べるんだっけ。覚えてないよねー」と言うと、「去年写真に撮ったのを持ってきました」と盛り付け例がバッチリ写ったスナップ写真を持参している次男の嫁。つくづくえらいぞ。「味がうつらないように、お箸替えてくださいね」とアドバイスを受け、義母が用意してくれた煮物やかずのこや海老や蒲鉾や栗などを手分けして並べていく。「雅子さん、いりこは頭がついているほうがいいですよね」と頭のついたものをキャスティングし直す目配りもさすが。帰ってきた義母は開口一番「まあ、ちゃんと頭のついたのでそろえてくれて!」と感激していた。気のつく嫁がいるおかげで、わたしも一緒にほめられていい気分。今年はちゃんと写真を撮ったので来年はおまかせあれ。一人一人おとその杯を受けて「あけましておめでとうございます」の挨拶をして、おせちをいただき、お雑煮食べて、お茶して、年賀状書いて、また食べて、のんびりのんびり過ごす。夜はNHK-FM『ニッポンハッピーデイズ』を聴く。古きよきラジオ黄金時代を明るく描いた1時間45分の長編オーディオドラマ。

2002年01月01日(火)  幸先
1999年01月01日(金)  テスト


2002年12月31日(火)  大掃除に救世主あらわる

■大晦日とは思えないほど大掃除がはかどっていないわが家にダンナの弟夫妻がやってきた。似たもの同士が結婚するように世の中できているのか、なまけ者の長男夫婦とは対照的に次男夫婦は実によく働く。身長が足りなくて替えるタイミングを逃していた電球を次男は次々と替え、その嫁は埃と虫の死骸で汚れた電球カバーを磨き上げてくれる。「掃除が大好きなんです。とくに拭き掃除」と目を輝かせるこの嫁、大阪からクイックルワイパー持参でやってきた。感心感心。ガラス窓がピカピカになった。家の掃除があらかた終わると、次男はパソコンの掃除(ウィルス退治と散らかったファイルの整理)に取りかかり、嫁はうちのダンナが今日になって書きはじめた年賀状にせっせと切手を貼っていく。できすぎた夫婦の協力で、家の中は見違えるようにきれいになった。「電球がつくと、こんなに部屋が明るくなるんだね」とはしゃいでいる私とダンナを見て、次男夫婦は苦笑。今年最後のティータイムは、おみやげに買ってきてもらった大和郷のパウンドハウスのケーキ。ケーキ好きの間で日本一と噂される苺のショートケーキをはじめ、どのケーキも愛らしい姿で誘惑してくる。フォークでつつきあって食べる。来年もおいしいケーキに出会えますように。

2001年12月31日(月)  祈り
2000年12月31日(日)  2000年12月のおきらくレシピ


2002年12月23日(月)  横浜めぐり

■名古屋に住む小学校時代の同級生・亜紀ちゃんから「赤レンガ倉庫でやってる石井竜也の展覧会に行くんだけど、一緒に横浜めぐりしない?遊ぶパワーなら負けないよ」と挑発的なお誘い。朝11時に桜木町駅で待ち合わせ。横浜は行くたびに風景が変わっている気がする。また新しい建物ができていたが、ゆったりと距離を保って建てられているせいか息苦しさはない。馬車道と呼ばれるウッドデッキの道を15分歩いて赤レンガ倉庫着。「NUDE」と題されたエキシビジョンは、石井氏が1997年から行っているアートライブ(観客の前で真っ白な立体像に絵を描いていくパフォーマンス)で創り上げた作品約50体を一堂に展示したもの。年ごとにテーマがあり、2002年は「卵」をテーマにテロでゆれる世界に平和のメッセージを発信。「混卵」「戦卵」など作品のタイトルのつけ方もユニーク。■赤レンガ倉庫のテナントを冷やかし(CA4LAで帽子とっかえひっかえしたり、ランドリーでクリスマスプレゼントのシャツを買ったり)、中華街へ。重慶飯店で餃子や小龍包や大根餅など飲茶のランチ。土産屋めぐりをし、怪しいチャイナ服ロボットに手招きされて奥まった雑居ビルの中へ。雑貨屋がいろいろ入っていて楽しいところだった。椰子の実の器に魅せられて観葉植物を、アイデアに膝を打ってポケットつきマグネットを買う。長い行列の江戸清のチャーシューパオ(焼豚入り豚まん)をほおばる。お土産に買った同發飯店の豚まん2個も家に帰ってぺロリ。完全に豚まん中毒だ。通常の体積の倍は軽くあるジャンボ豚まん、3個でいったい何グラム!?■夕方5時から石井竜也GROUND ANGELなるイベントをやるということで、30分ほど歩いて赤レンガ倉庫に戻る。地上に天使が舞い降りるってことで倉庫の前の石畳に映像が映し出されるのだが、真横から見るとよくわからなかった。倉庫の1階にある馬車道アイスは、かなりヒット。上にかぶせた最中の皮をスプーンで割りながら食べる。「ハーゲンダッツでよりどり7つ盛りの日(そういうのが名古屋の店にはあるらしい)もぺロリと食べれる」というアイス大好きな亜紀ちゃんも大満足。おそろしくきれいな夜景に口を開きっぱなしにしながら横浜の町を後にする。建物ごと浮かび上がるような光の量にも、それを狙って三脚を立ててカメラを構える人の数にもびっくり。いやはや昼も夜も絵になる街。


2002年12月22日(日)  ロッテルダムとロンドンとベルリン

■ロッテルダムに赴任中の夫とロンドンに留学中の妻という夫妻が一時帰国して訪ねてくれる。「500キロの距離だから東京-大阪みたいなものよ」と言われ、ヨーロッパだなあと感じる。英語で仕事をすることについては「語学力の問題よりも、日本語で言いたいことを持っているかどうかが大切。伝えたい気持ちがあれば伝わる」という言葉に納得。「イギリスの水はコーヒーには向いていないので紅茶が発達した」「ヨーロッパの人はアメリカが好きじゃないのか、スタバを見かけない」「ロンドン大学と名乗る大学は何十とある」「ロッテルダムでカフェというとマリファナのことを指す場合があるので注意」などと興味深い話を聞かせてもらう。おみやげのオランダコーヒーはカフェオレ向きの苦味が気に入る。こってり甘いメープルシロップのワッフルと一緒にいただく。■海外に暮らす知人が年々増えてきた。おさななじみで日本一おしゃべりなヨシカはべルリンで研究生活を送っているので、日本はここ数年少し静かだ。彼女から届いたメールに書かれていたベルリンの映画事情が面白かった。(以下引用)  「さすがにベルリンは大きな映画祭をやるだけ心意気のある街で、映画の人気度はちょっとしたもの、それにものすごい数の映画館があります。それにもピンキリで、日本のワーナーマイカルみたいな音響も座席も整ったキレイなのや、この前行ったある映画館は、広い部屋に、普通の家にある2,3人掛けのソファーを100人分くらい並べたものでした。映画は白い壁に映し出されて、部屋の中は黄色、水色、黒や赤などナド色とりどりのソファー、部屋の脇にはバーがあって、映画に支障の無い様に赤外線ランプみたいなランプの下で商売やってます、客はバーに座ってでも、ソファーに座ってでも映画を見ることができます。とても変わった風景でした」

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