2002年11月12日(火)  棗

■棗と書いて何と読む?「なつめ」と読む、と今日知った。代官山駅から歩いて5分ちょっと。トントンと階段を昇った2階にその料理屋はある。看板もないし、ドアに『棗』のプレートがなかったら、お店だとは気づかない。ドアを開けると、いきなりテーブル、ではなくて、ぜいたくな玄関先のような広い空間があり、ほのかであたたかい灯りに目が慣れた頃、奥にあるカウンターやテーブルに気づく。デザイナーさんが経営しているお店と聞いて納得。心地よさがちゃんとデザインされている。これで料理がおいしかったら最高、と思ったら、期待を裏切らなかった。素材選びにも味つけにも心配りとセンスが感じられて、すっかり満足。何よりのごちそうは気の合う人たちとの会話。今夜は同僚のタカトモちゃんの誕生日を祝うという口実のもとに集まったのだけど、なぜか主賓に店探をさせてしまい、彼女の行きつけのお店を逆に紹介してもらう形になった。持つべきものは、いい店を知っていて、楽しく飲める友。

2000年11月12日(日)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)


2002年11月11日(月)  月刊デ・ビュー

■六本木にある月刊デ・ビュー社で来月1日発売の『月刊デ・ビュー』1月号の取材を受ける。雑誌のインタビューは公募ガイドに続いて2誌目。ジャンルは違うが、どちらもデビューをめざす人たちの雑誌という共通点がある。『デ・ビュー』は、これまで歌手・タレントのデビューに集中していたが、今後はクリエイターのデビューも応援していきたいということで、クリエイター関連のページを拡充中らしく、そのひとつとして『クリエイター who's who』という新コーナーが今発売中の12月号から登場した。わたしが取り上げられるのは第2回ということになる。直接取材申し込みのメールをくださったのは、副編集長の水野さん。第1階が映像系の人だったので、次は文字系で脚本家などどうだろうとYahoo!で検索したら、* いまいまさこカフェ*がヒットしたとか。『風の絨毯』子役募集の記事を掲載したという縁もあり、興味を持たれたらしい。■取材は楽しく和やかに進んだ。インタビューの面白いのは、思いがけない質問を振られ、いつも考えたことのないことに思いを巡らせ、咄嗟に口をついて出た言葉に「ヘーえ、そうだったのか」と気づかされるところ。「作品を通して伝えたいことは何ですか」「シナリオを書く上でダンナさんはどんな存在ですか」「公告のコピーを書くときとシナリオを書くときで、切り換えていますか」「デビューをめざしている人たちに一言」。答えながら、今回もいろいろ発見があった。あと、写真を撮られるときは笑わない方がいいらしい。「そのほうが真面目に見えますから」とカメラマンさんは言ってくれたが、笑うと目元にも口元にも思いきりシワが寄る、と日頃自覚しているのを再確認。写真左は水野さんとインタビュアーの三宅林太郎さん。写真右は、わたしを撮るフォトグラファーの古賀良郎さんを撮るの図。


2002年11月10日(日)  黒川芽以フォトブック

脚本家・演出家・劇団ストレイドッグ主宰の森岡利行さんと知り合って、もうすぐ1か月。木下ほうかさんの友人である森岡さんは『パコダテ人』を観てわたしに興味を持ってくれたそうで、一緒に作品をつくりませんかと声をかけてくださった。

そういうわけで、劇団ストレイドッグの黒川芽以ちゃんのフォトブック『路地裏の優しい猫』をお手伝いすることになった。森岡さんの書いた同名の戯曲があり、劇団公演でも上演されている。森岡さんの叔父でメキシコオリンピック銅メダリストのボクサー、森岡栄治を娘の治子の目からとらえた物語で、実話が基になっているだけあって、栄治も治子も生き生きしている。

今回のフォトブックは黒川芽以ちゃんが治子という設定。治子の心情を語る大阪弁のモノローグが写真のキャプションになっている。構成案のラフをめくりながら、直感で1案、想像を膨らませてもう1案、変化球でもう1案、と楽しく悩みながら書いている。会社に入った頃、カレンダーの写真やイラストに言葉を添える仕事をいくつかやったが、その感覚を思い出す。一枚の写真が呼び起こすインスピレーションは人それぞれ。写真に言葉がつくと見方が制約されるという人もいるかもしれないけど、それによって想像をかきたてられる人もいるはず。フォトブックがフォトストーリーブックになればいいなと思いながら、言葉探し中。


2002年11月09日(土)  大阪弁

■昼、新宿で前田監督と短編のアイデア出し。団子食べながら大阪弁であーだこーだ(あーやこーや)言う。東京に来てからしばらく大阪弁を話す相手がいなくてレベルが落ちていたが、パコダテ以後は「立て板に水」のごとくすらすら出てくるようになった。■夜、相米慎二監督の『お引越し』と市川準監督の『大阪物語』をビデオで観る。洋画の台詞より邦画の台詞のほうが感情移しやすいように、大阪弁の台詞は標準語よりもビシビシ伝わってくる。熱い台詞はより熱く、冷めた台詞はより冷たく響く。『お引越し』の田畑智子も『大阪物語』の池脇千鶴も関西出身なので、伸び伸びとしゃべっているように見えた。わたしも子どもの頃はあんな風に親に悪態ついたなあとか、普段観る映画以上に登場人物と自分を重ねてしまった。大阪弁のシナリオは今まで2本書いたが、どちらもコンクールでは相手にされなかった。審査員によっては大阪弁を嫌う人がいるという噂もあるけど、単純に話が面白くなかったのだろう。いつか大阪弁の映画を書けたらいいな。


2002年11月04日(月)  ヤニーズ4回目『コシバイ3つ』

■劇団ヤニーズの4回目公演『コシバイ3つ』を前田監督と見に行く。会場は前回と同じく新宿御苑のシアターブラッツ。今回もほぼ満員だった。3回目公演の『命』とは趣向を変え、今回はタイトル通り、小芝居3連発。役者さんが慣れてきたというか、こなれてきたというか、成長を感じた。客席と間合いをはかる余裕が出てきたのか、前回よりも上手に笑いを集めていた。途中、台詞ド忘れで役者が舞台から消えるハプニングもあったが、それをネタにして笑いを取るたくましさがあった。幕間の場つなぎに流していた『ヤニーズに聞く!』というインタビュービデオも爆笑を誘っていた。大蔵省君は3話とも登場し、あいかわらず、とぼけたキャラで異彩を放っていた。松田一沙ちゃんは3話目だけの登場。言葉を発さず画用紙で筆談という役だったけど、仕草まで表情豊かで魅力的だった。見終わった後、まわりのお客さんたちが「面白かったねー」と言い合っているのを聞いて、妹や弟がほめられているみたいでうれしくなった。「もう少しコンパクトにできたら良かったなあ」と前田監督。3話で2時間。確かにちょっと長いし、テンポがだるい部分もあった。今のものを研ぎ澄ましていけば、もっといい作品になるはず。がんばれヤニーズ!


2002年11月02日(土)  幼なじみ同窓会

■大阪にいる幼なじみのミツノリ君が、劇団オフィス・シンクロナイズの公演の音響を手伝うために上京してきた。時を同じくして、幼稚園時代から何度か同じクラスになったN君が長野から東京に遊びにきた。東京に住んでいる幼なじみの太郎君とわたしが加わり、ミニ同窓会を開くことになった。N君と太郎君がミツノリ君の舞台を見終えた後に合流。銀座のヤキトリ屋で「高っいなー」と言いながら、大阪弁でしゃべりまくる。小学校の同級生に会うたび思うのは、「いろんなヤツがおるなあ」ということ。学生時代は劇団で美形役者として活躍し、今は裏方として演劇の現場を支えているミツノリ君。鉄道や切手のマニアだったN君は植物博士となって林野庁に入り、念願かなって小さな村の営林署の署長をしている。田中康夫知事と名刺交換したという話で大いに盛り上がった。昔からマメだった太郎君は神社仏閣専門の建築事務所に入った。仕事で全国を飛び回りつつ、『ほんまもん』やら『24時間テレビ』やらそのときどきで気の向いたものを追っかけている。次は来日するポール・マッカートニーについて回るらしい。この三人にわたしを加えて、まさに四人四様だが、高校や大学の同窓会に出ても、ここまで変化に富んだメンバーは集まらない。他にもチェロ奏者やら、山のことを語らせたら止まらない男やら、単純にしゃべりだしたら止まらない女(今はドイツ留学中なので日本は少し静かになっている)など、思い出すだけでも面白い人間がぞろぞろいる。幼なじみ同窓会をやるようになったのは、ここ二、三年のことだが、彼らに会うたび、新しい引き出しが増えていくのが楽しい。


2002年11月01日(金)  異種格闘技

■会社では制作本部第2クリエイティブという部署にいる。クリエイティブ・ディレクターをのぞくと、ほぼ同世代の集まりで、学校のような雰囲気。といっても、わたしがいる9人の島(デスクのかたまりをこう呼ぶ)で女性はわたしだけなので、男子校の雰囲気である。「経理にかわいい子が入った」とか「営業のあの子が髪を切った」という話題で無邪気に盛り上がるのを見ながら、心は学ラン時代のまま大人になってしまったのねと微笑ましく思うわたしは、購買部のオバサン目線になっている。今日も男どもは「自分たちの仕事を担当している営業の女の子自慢」を繰り広げていた。声が好き、酔うとかわいい、最近キレイになった、ちゃんと仕切れる、昔のアイドルの雰囲気がある……女の子のどういう点を評価しているのか聞くのは興味深い。フムフムとひとしきり聞いて、「で、いちばん近くにいるあたしはどうなのよ?」と水を向けたら、男どもはいきなり静まり返った。まるで、そこにオンナがいたことを忘れていたかのようなリアクション。一瞬の間のあとに「今井ちゃんは、別次元だよね」「っていうか別ジャンル?」「他の女の子と一緒には語れないよ」「うん、君は君で十分魅力的なんだけどさ」と口々にたたみかけてきた。愛すべき同僚たちにとって、わたしは「女の子」とは別世界の住人であるらしい。うちのダンナはこれを「異種格闘技」と呼ぶ。

2000年11月01日(水)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)


2002年10月31日(木)  青年実業家

■ブッシュ大統領が来日時に「居酒屋に行きたい!」と訪れた『権八』と、いつ行ってもカップルたちでいっぱいで予約もなかなか取れない『川のほとりで』。会社の同僚の送別会で、ミーハーな東京ナイトスポットをハシゴする。送られたのは営業のノム君。クンと言っても、年は5つぐらい上だと思う。一緒に仕事したのは数か月だったけど、年の割に冷静沈着、頭脳明晰なキレ者で、それでもって不思議な人だった。子どもの頃はモデルで、高校時代はボクシングの県大会で優勝し、ディズコ全盛期(いつだ?)には黒服をやり、インドネシアで仕事をしていた頃は現地人とよく間違われ、今どき、はだけた胸元に金のネックレスをギラつかせてオープンカーを流し、ペットの亀を溺愛し、超美人の奥さんがいる。かなり濃いキャラなので、いつかドラマのネタにしてみたいけれど、「リアリティーがない」とディレクターに一蹴されてしまいそうな人物なのだ。会社員にしておくのはもったいない男だなあと思っていたら、突然辞表を出し、会社を作ると言い出した。「人に使われるの飽きちゃったんだよねー」と冗談めかして言ってたけれど、そういう台詞がよく似合う。■送別会の話題は「ノムの新会社」に集中した。「社名はどうするんだ?」とネーミング会議が始まり、「事業内容は何なんだ?」で企画書を囲んであーだこーだ言い合い、「パンフなら書くよ!」とコピーライター出身のクリエイティブ・ディレクターが言えば、「ロゴは俺が!」とデザイナー、「会社案内ビデオ作るなら声かけてよ」とCMプランナー、「じゃあ、青年実業家のドラマを書く!」とわたし。自分の店を持つとか自分の会社を持つというのは、みんな憧れていることのようで、ひと足先に実現しようとしているノム君の夢に勝手に乗っかって、楽しませてもらった。酔ってわたしのウサギリュックをかついでいたおちゃめなノム君、そのうち名物社長となって世の中を騒がせてくれるかも。


2002年10月30日(水)  2002年10月に書いたもの

■コンクールに出していた頃は、月一本のペースでシナリオを書いていた。ある人に「それは薄利多売ですよ。ひとつの作品にじっくり取り組みなさい」と言われてから、ペースを落としたけれど、今振り返ると、すごいエネルギーだったなと我ながら呆れる。ローマ字を覚えたての頃、身の回りの物を手当たり次第アルファベットに置き換えたように、シナリオという表現手段を知った当初は何でもドラマの形にするのが楽しくてしょうがなかった。そういう新鮮さから沸いたエネルギーだったのだろう。■2002年10月は短編のシナリオを1本、テレビドラマの企画を3本、ラジオドラマの企画を5本書く。熱意は見せたいけれど、下手なものを出すと、かえって逆効果。今までの作品を見て期待してくれた人に「この程度のものしか書けないのか」とがっかりさせてしまうことになる。スピードと完成度のバランスが大事。ニュースではドラマよりも劇的なことが次々と起こっている。フィクションが現実を越えるのには何が必要なんだろうと考える今日この頃。


2002年10月29日(火)  『風の絨毯』ワールドプレミア

■東京国際映画祭がはじまった。会社に近い渋谷で開催されているにも関わらず、これまで足を運ぶ機会がなかったのだが、今年は違う。『風の絨毯』が特別上映作品に決まったと9月に聞いてから、来るぞ来るぞという感じだった。街のポスターや横断幕、記事やニュースがやたら目についたのは、わたしがアンテナを張っていたせいもあるが、第15回という節目の年でメディア露出が増えたせいもあるのだろう。■今夜7時からシアターコクーンでの上映がワールドプレミア(世界初)上映となった。最後列のど真ん中の席で観る。「映写の邪魔になりますので、上映中は絶対に立ち上がらないでください」と貼紙があった。ふだんは埋まることのない席まで埋まっていると思うと、うれしくてゾクゾクした。いちばん上から満席のホールを見下ろすのは何ともいい気分。客席の反応もよく見えた。上映に先立ち、カマル・タブリージ監督、アクバル役のレザ・キアニアンさん、中田金太役の三國連太郎さん、永井誠役の榎木孝明さん、その妻・絹江役の工藤夕貴さん、娘・さくら役の柳生美結ちゃんが舞台挨拶。ペルシャ語と英語の通訳が入る。数十年前にテヘラン映画祭を訪れた思い出を語った三國さんの挨拶、「イランへ行ってきたと言うと、みんなに大丈夫だったかと聞かれるが、実際は安全で素晴らしい人々のいる国。情報よりも自分が見たものを信じたい」と言う榎木さんの言葉が印象に残る。■すでに試写を観ていたが、数十人で観る試写室とは迫力も臨場感も違い、新鮮だった。まわりの席は年配の方や外国人の方も多かったが、その反応を見ていて、この作品は世代も国境も超える力があると実感できた。■上映後、ホールで名前を呼び止められ、高山ロケのとき遊んでもらったユリちゃんとヒロコちゃんに再会。プロデューサーの益田さんのお嬢さんと姪っこさんだ。益田さんのお父さんにも再会する。高山ロケから7か月。あっという間だ。その後、関係者を集めたビュッフェ・パーティー会場へ。すっかり借りてきた猫になってしまった。

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