2002年10月30日(水)  2002年10月に書いたもの

■コンクールに出していた頃は、月一本のペースでシナリオを書いていた。ある人に「それは薄利多売ですよ。ひとつの作品にじっくり取り組みなさい」と言われてから、ペースを落としたけれど、今振り返ると、すごいエネルギーだったなと我ながら呆れる。ローマ字を覚えたての頃、身の回りの物を手当たり次第アルファベットに置き換えたように、シナリオという表現手段を知った当初は何でもドラマの形にするのが楽しくてしょうがなかった。そういう新鮮さから沸いたエネルギーだったのだろう。■2002年10月は短編のシナリオを1本、テレビドラマの企画を3本、ラジオドラマの企画を5本書く。熱意は見せたいけれど、下手なものを出すと、かえって逆効果。今までの作品を見て期待してくれた人に「この程度のものしか書けないのか」とがっかりさせてしまうことになる。スピードと完成度のバランスが大事。ニュースではドラマよりも劇的なことが次々と起こっている。フィクションが現実を越えるのには何が必要なんだろうと考える今日この頃。


2002年10月29日(火)  『風の絨毯』ワールドプレミア

■東京国際映画祭がはじまった。会社に近い渋谷で開催されているにも関わらず、これまで足を運ぶ機会がなかったのだが、今年は違う。『風の絨毯』が特別上映作品に決まったと9月に聞いてから、来るぞ来るぞという感じだった。街のポスターや横断幕、記事やニュースがやたら目についたのは、わたしがアンテナを張っていたせいもあるが、第15回という節目の年でメディア露出が増えたせいもあるのだろう。■今夜7時からシアターコクーンでの上映がワールドプレミア(世界初)上映となった。最後列のど真ん中の席で観る。「映写の邪魔になりますので、上映中は絶対に立ち上がらないでください」と貼紙があった。ふだんは埋まることのない席まで埋まっていると思うと、うれしくてゾクゾクした。いちばん上から満席のホールを見下ろすのは何ともいい気分。客席の反応もよく見えた。上映に先立ち、カマル・タブリージ監督、アクバル役のレザ・キアニアンさん、中田金太役の三國連太郎さん、永井誠役の榎木孝明さん、その妻・絹江役の工藤夕貴さん、娘・さくら役の柳生美結ちゃんが舞台挨拶。ペルシャ語と英語の通訳が入る。数十年前にテヘラン映画祭を訪れた思い出を語った三國さんの挨拶、「イランへ行ってきたと言うと、みんなに大丈夫だったかと聞かれるが、実際は安全で素晴らしい人々のいる国。情報よりも自分が見たものを信じたい」と言う榎木さんの言葉が印象に残る。■すでに試写を観ていたが、数十人で観る試写室とは迫力も臨場感も違い、新鮮だった。まわりの席は年配の方や外国人の方も多かったが、その反応を見ていて、この作品は世代も国境も超える力があると実感できた。■上映後、ホールで名前を呼び止められ、高山ロケのとき遊んでもらったユリちゃんとヒロコちゃんに再会。プロデューサーの益田さんのお嬢さんと姪っこさんだ。益田さんのお父さんにも再会する。高山ロケから7か月。あっという間だ。その後、関係者を集めたビュッフェ・パーティー会場へ。すっかり借りてきた猫になってしまった。


2002年10月25日(金)  木曜組曲

■シナリオを読むたび、うまいなあと感心させられる作家の一人に、向田邦子賞を昨年受賞された大森寿美男さんがいる。先月読んだ月刊シナリオに掲載されていた『命』と『木曜組曲』にもうなった。『木曜組曲』)の原作は恩田陸さん。この人の作品にも興味があるのだけれど、小説に出会う前にシナリオで出会ってしまった。月刊シナリオには「サスペンスなので映画を見てからシナリオを読むことをおすすめします」と注意書きがあったけれど、面白くて途中でやめられず、最後のどんでん返しまで一気に読む。それでもスクリーンで見たい気持ちは変わらず、今日、有楽町のシネ・ラ・セットで観る。女優さんたち(出演者は女性のみ!)がそれぞれ魅力的で目が離せない。西田尚美さんの着ていた衣装がツボに来る。題名にちなんで毎週木曜は1000円で観られるとのこと。■監督の篠原哲雄さんは、わたしが最初に出会った映画監督の一人。99年の函館の映画祭で遭遇している。同映画祭のシナリオコンクール受賞作で、『パコダテ人』と時を同じくして映画化された『オー・ド・ヴィ』の監督でもあるので、一方的に親しみを感じている。『木曜組曲』上映前に、99年に函館で観た『洗濯機は俺にまかせろ』の予告が流れた。ほとんど邦画を観たことがなかった当時、日本語の映画って面白い!と感じさせてくれた作品だった。


2002年10月24日(木)  JSAを読んで考える 北と南 東と西

近頃のニュースを見ていて、あ、あれを読んでなかったと思い出したのが『JSA』だった。去年、映画が封切られたときに見て、その内容にショックを受け、圧倒されたのだが、何よりビックリしたのはロビーでの異様な光景だった。そこかしこに今見てきた作品への感想や疑問をぶつけあう人の輪ができ、熱い討論を交わしている。こんなに観客を論じさせるこの映画はなんなんだという驚きとともに、自分は論じるほど作品を理解していないことに気づき、慌てて原作を買い求めたのだった。

原作を読んで、映画は原作を大胆に切り取っていることがわかった。切り捨てられた部分には、はじめて聞く南北朝鮮の歴史があり、そこを読んであらためて映画を思い起こすと、謎めいていた兵士たちの行動の背景が見えてきた。この原作は小説の新人賞に応募されたもので、最初は「38度線を警備する南北の兵士が心を通わせるなんてありえない」と設定の甘さを指摘されていたのだが、その後、小説と同じような南北兵士の交流が現実に起こり、急に作品がリアリティを帯びて受け入れられたというのも興味深い。人間は知らないものに恐怖を抱くし、敵だと教えこまれた者に対峙するときには極度の緊張を味わうけれど、間近で接してみると意外と話が通じるじゃないかとわかった途端、緊張の弛みとともに心を許す傾向があるのかもしれない。先入観で固められた憎しみは、心と心で溶かすことができる。憎むこともできるかわりに、愛することもできるのが人間のいいところで、その気持ちがあれば戦争なんて必要ないという気もする。

そもそも、ひとつの民族が北だから南だからという理由だけで相手を徹底的に憎んだり退けたりするのは苦しいことではないのだろうか。どちらの国にもそれぞれいいところと悪いところがあり、愛すべきところもあれば嫌うべきところがあるんじゃないかと思う。ペンフレンドのアンネットの国が東ドイツだったとき、西ドイツとひとつになるのを望んでいるかと聞いたら、彼女は戸惑っていた。ベルリンの壁を壊したのは「情報」だと言われているし、アンネットもマクドナルドのある世界に憧れた一人ではあったけれど、「西のすべてがバラ色じゃないし、東のすべてが灰色じゃない」と彼女は答えた。心に国境線が引けないように、北と南、東と西、右と左という言葉のようには人の心はくっきり分けられない。愛と憎しみ、幸福と不幸、希望と諦め……。様々に揺れる感情にはバラ色から灰色までのグラデーションがあるのだろう。そんなことを最近よく考える。


2002年10月22日(火)  大阪では5人に1人が自転車に『さすべえ』!

先月、深夜番組を見ていてショッキングな事実を知った。「大阪では5人に1人が自転車に『さすべえ』を差している」というのだ。さすべえとは自転車のハンドルに取り付ける「傘差し器」で、ここに傘を差せば雨の日でも炎天下でもチャリチャリでかけられるすぐれものらしい。そんなものがあったことすら知らなかったが、流行り出したのはここ十年ぐらいということで、わたしが上京するのと入れ違いにブレイクしたようだ。

早速大阪にいる家族や知人に「さすべえ知ってる?」と聞くと、知名度はバツグン。ただし、「5人に1人というのは大袈裟かなあ」というが、かなりの数のさすべえ車が走っているらしい。画像を送ってくれた友人によると、『そよかぜ』という別種もあるが、「子供用の前かごをつけるにはさすべえでないと駄目」なのだという。

「マンションの向かいにある文化ホールでおばさん(40〜60代)を対象にした催しがあったとき、広場がたたんだ日傘をハンドルに付けた自転車で埋め尽くされた」とは妹の目撃談。「さすべえ、ひったくり防止カバー、ハンドルカバー(日焼け防止OR寒さ防止)の3点フル装備の自転車も多数。何にもついてない自転車が無いといっても過言ではないほど」だったとか。色々ゴテゴテつけたがるナニワ気質に加えて、「雨の日に安売りがあっても大丈夫」なメリットが受けて、大阪で大繁殖しているのかも。


2002年10月21日(月)  アウシュビッツの爪痕

古い写真を探していたら、パノラマの写真の束を見つけた。古びたレンガの細長い平屋が見渡す限り続く光景。その手前に有刺鉄線がなければ、どこかの国の田舎の集合住宅に見えなくもない。でも、そこには公園もお店もなく、住む人もいない。今では観光客と言う名の目撃者たちが訪れ、ああ、とため息をつくか、言葉を失ってしまう場所。わたしはただシャッターを押し、パノラマに広がる悲劇の爪痕を何とか切り取ろうとしていた。わたしが立っていた見晴らし台は、かつては脱走者の見張り台だったのかもしれない。

96年9月、ポーランドのアウシュビッツ収容所を訪ねたときの記録。そのとき受けた衝撃はワルシャワで数日過ごすうちに少しずつやわらぎ、日本に戻る頃には悪夢にうなされることもなくなり、今では思い出すこともほとんどなくなった。ひさしぶりに見た写真は、やっぱりのどかで、芝生は青々ときれいで、通りがかった同僚は「どこのリゾート?」と聞いてきた。テニスコートがあってもおかしくない光景。でも、長い長い線路は手前にある収容所へまっすぐ延び、そこへ向かった人々のほとんどは片道で旅を終えてしまったのだった。その場所を訪れる自由とそこから戻る自由を使ってきたわたしは、何か伝えるべきなのかもしれないと思い、日記に書くことにする。


2002年10月19日(土)  カラダで観る映画『WILD NIGHTS』

脚本を2本読み、ビデオを2本観る。1本はお芝居で、もう1本は映画。映画ビデオは、同僚の友人のダンナさんである福谷修監督が撮った『レイズライン』に出演していた西冬彦さんから送られてきたもので、『WILD NIGHTS(ワイルド・ナイツ)』という。西さんが製作・脚本・主演のアクション映画だ。

この手の作品はめったに観ないので、最初は「台詞が説明的だ」「今の言い回しは棒読みだ」「コイツは誰だ」などと荒ばかりが目についてしまったのだが、途中から細かいことは気にならなくなり、作品のペースに巻き込まれていた。頭で理解しようとするのではなく体の反応に任せるのが楽しい鑑賞法であるらしい。

車のフロントガラスに張り付いたり、スパナを振り回しながらバイクを走らせたり、アクションシーンはかなり魅せる。電車内での格闘シーンや歩道をバイクが疾走するシーンはゲリラ撮影なんだろうか。それから、今はなき世界貿易センタービルの展望台での殴り合いも。設定は明らかにフィクションなんだけど、アクションシーンは妙にリアリティーがあって、血中アドレナリン濃度が高くなる作品なのだった。

熱い熱い。何より熱いのは、会社員をしながらこの作品をカタチにしてしまい、劇場公開とビデオ化にこぎつけた西さんなのだが。この人、日本に『少林サッカー』を紹介したことで一躍時の人となったけれど、カラダで感じる映画を作る人だから、あの作品の面白さをいち早く見抜いたんじゃないかと思う。


2002年10月18日(金)  「冷凍食品 アイデア料理のテーマパーク」で満腹!

冷凍食品は-18度以下で保存すると品質が長持ちする、というわけで冷凍の「トウ」と「18」で10月18日は冷凍食品の日。お得意先の日本冷凍食品協会さん主催のイベント「冷凍食品 アイデア料理のテーマパーク」が東京ドームホールで行われ、行ってきた。

テーマパークと名乗るだけあって、前菜からメインからデザートに至るまで、ごちそうのオンパレード。有名な日本料理人や料理学校の先生が監修し、ホテルのシェフが腕をふるうのだから、味もかなりイケる。料理のところどころに冷凍食品がうまく使われているのだけれど、わたしが真似できそうなのは自然解凍するデザートぐらいだった。

飲み物も日本酒からワインからリキュールから素晴らしい品揃え(もちろん冷凍ではない)で、雑誌の公募で高倍率を勝ち抜き招待された100組200名の皆さんにもご満足いただけた様子。ゲストは薬丸裕英さんと早見優さん。写真は早見さんの得意料理(冷凍ハンバーグを使ったロコモコ丼など)を並べたコーナー「優ちゃんキャビン」にて、いただきまーすの図。


2002年10月17日(木)  Globe Trotter×ELEY KISIMOTOのスーツケース

バーゲンで買ったアルマーニのジーンズを会社に穿いて行ったら「偽物?」と言われたことがある。シャネルもヴィトンもわたしが身につけた途端、着る人に引っ張られて安く見られてしまうので「ブランド崩し」の異名がついた。ブランドさんにも申し訳ないし、高いお金を払っても意味がないので、ブランド物には手を出さない。バッグも高い物とは縁がなく、二万円を超えるものは持ったことがない。

ところが、昨日、運命の鞄に出会ってしまった。Globe Trotter(グローブ・トロッター)というイギリスの老舗スーツケースブランドが作った手提げ鞄。小さいけれどスーツケースと名乗っている。スーツケースといえば無印良品で9800円で買ったが、これはその十分の一ほどの大きさで5倍ほどのお値段。大阪で買った税込み450円のトートバッグが百個以上も買えてしまう。しかし、かわいい。宝石箱のようなフォルムといい、オフホワイト地にプリントされたオレンジの円模様といい、理想の鞄が目の前に現れたよう。

先週、NHKドラマ『ロッカーの華子さん』で観た華子さんの70年代風の部屋とファッションがあまりに素敵で印象に残っていたせいもあって、その鞄のクラシカルな雰囲気がすっかり気に入ってしまった。もう、完全な一目惚れ。素材は紙なので、簡単に傷がつく。昨日入荷したばかりだというのに、すでに小さなすり傷があちこちにあり、オレンジの塗装がハゲていた。だけど「それも味」と思えてしまうのは、惚れた弱み。ポケットもないし、定期を出すたびに開け閉めが必要となると、通勤には不向きだ。それでも何が何でも欲しい気持ちは募るばかりで、えいっと衝動買いしてしまった。

「これはダイアナ妃も使っていた型ですよ」と店員さん。英国のロイヤルファミリー御用達ブランドであるらしい。でも、わたしが持ち歩くと、その辺の雑貨屋で見つけたオモチャの鞄だと思われる可能性が高い。いつもは「これ、いくらだったと思う?」と聞いて、相手が買い値より高い値段を言ってくるのが楽しいのだが、今回はちょっと難しそう。いい年なんだし、鞄負けしない大人にならなくては。

ちなみにわたしが一目惚れしたオレンジのパターンは「イーリーキシモト」の手によるものとオシャレにうるさい同僚が教えてくれた。マークイーリーさんと岸本若子さんの夫妻が立ち上げたテキスタイルデザインのブランドなんだとか。この鞄は「イーリーキシモト×グローブトロッターのコラボレーション作品」ということになるらしい。

いまいまさこカフェbag gallery


2002年10月16日(水)  カンヌ国際広告祭

社団法人 日本シーエム放送連盟主催の『第49回カンヌ国際広告祭 入賞作品研究発表会』へ。広告業界関係者や学生たちで会場の有楽町朝日ホールはほぼ満席だった。解説は今年のフィルム部門の審査員を務めた関西電通の石井達矢氏。大阪迷惑駐車やキンチョーや関西電気保安協会のCFでおなじみのクリエイティブ・ディレクターは、作るものだけでなく話も面白い。「愛すべき世界のおバカ」「すごい奴、しかしこんな奴はおらんやろ」といった独自の分類をもとに受賞作品を紹介していただいたが、CF以上に「日本でやってないんやから、パクったかてええんやけど」というトボけた大阪弁が笑いを誘っていた。グランプリはナイキのブランド広告。タイトルの"Tag"は鬼ごっこの意味。シリーズ広告の1本で他には"Shade running"篇が金、"Tailgating"(尾行)篇が銅を受賞していた。"Just do it."でアスリートたちの挑戦を応援してきたナイキの新しいコンセプトは"play"。遊ぶことはスポーツ、だから真剣に鬼ごっこする大人も、日陰を選んで走る人も、ドリブルしながら人をつけ回すいたずら好きも、ナイキは応援しますという目のつけどころが評価されたらしい。カンヌの審査員は毎年変わるので、年によって審査のカラーも違う。今年は「お金や有名人の力を借りたもの」を外し、派手さよりもアイデアの本質を徹底して問う審査だったようだ。「受賞作の約9割は普通の人間の生活を描いたもの」とした上で、それをパワーのあるCFにするのは、人間を面白がる力とその面白さを描ききるセンス、つまり「関西チックな視点+アートディレクション」と石井氏。最後に「世界の広告はどこへ向かっているのか。私は人間に向かっていると思います」と締めくくった。■カンヌには98年と99年、視察に行った。世界中から集まったCFを一日に何百本と見まくり、アイデアの宝庫のポスターや雑誌広告に刺激を受ける一週間。その経験は、広告をつくる上でも映画やドラマを考える上でも栄養になっている。画像はカンヌで参加登録時に渡される「おみやげ」。左上のバッグに資料やらチラシやらTシャツやらがぎっしり。中央のぶ厚い冊子は、上映作品の一覧が載った別名「電話帳」。これを抱えてホテルと会場を行ったり来たりするのだった。

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