2002年10月22日(火)  大阪では5人に1人が自転車に『さすべえ』!

先月、深夜番組を見ていてショッキングな事実を知った。「大阪では5人に1人が自転車に『さすべえ』を差している」というのだ。さすべえとは自転車のハンドルに取り付ける「傘差し器」で、ここに傘を差せば雨の日でも炎天下でもチャリチャリでかけられるすぐれものらしい。そんなものがあったことすら知らなかったが、流行り出したのはここ十年ぐらいということで、わたしが上京するのと入れ違いにブレイクしたようだ。

早速大阪にいる家族や知人に「さすべえ知ってる?」と聞くと、知名度はバツグン。ただし、「5人に1人というのは大袈裟かなあ」というが、かなりの数のさすべえ車が走っているらしい。画像を送ってくれた友人によると、『そよかぜ』という別種もあるが、「子供用の前かごをつけるにはさすべえでないと駄目」なのだという。

「マンションの向かいにある文化ホールでおばさん(40〜60代)を対象にした催しがあったとき、広場がたたんだ日傘をハンドルに付けた自転車で埋め尽くされた」とは妹の目撃談。「さすべえ、ひったくり防止カバー、ハンドルカバー(日焼け防止OR寒さ防止)の3点フル装備の自転車も多数。何にもついてない自転車が無いといっても過言ではないほど」だったとか。色々ゴテゴテつけたがるナニワ気質に加えて、「雨の日に安売りがあっても大丈夫」なメリットが受けて、大阪で大繁殖しているのかも。


2002年10月21日(月)  アウシュビッツの爪痕

古い写真を探していたら、パノラマの写真の束を見つけた。古びたレンガの細長い平屋が見渡す限り続く光景。その手前に有刺鉄線がなければ、どこかの国の田舎の集合住宅に見えなくもない。でも、そこには公園もお店もなく、住む人もいない。今では観光客と言う名の目撃者たちが訪れ、ああ、とため息をつくか、言葉を失ってしまう場所。わたしはただシャッターを押し、パノラマに広がる悲劇の爪痕を何とか切り取ろうとしていた。わたしが立っていた見晴らし台は、かつては脱走者の見張り台だったのかもしれない。

96年9月、ポーランドのアウシュビッツ収容所を訪ねたときの記録。そのとき受けた衝撃はワルシャワで数日過ごすうちに少しずつやわらぎ、日本に戻る頃には悪夢にうなされることもなくなり、今では思い出すこともほとんどなくなった。ひさしぶりに見た写真は、やっぱりのどかで、芝生は青々ときれいで、通りがかった同僚は「どこのリゾート?」と聞いてきた。テニスコートがあってもおかしくない光景。でも、長い長い線路は手前にある収容所へまっすぐ延び、そこへ向かった人々のほとんどは片道で旅を終えてしまったのだった。その場所を訪れる自由とそこから戻る自由を使ってきたわたしは、何か伝えるべきなのかもしれないと思い、日記に書くことにする。


2002年10月19日(土)  カラダで観る映画『WILD NIGHTS』

脚本を2本読み、ビデオを2本観る。1本はお芝居で、もう1本は映画。映画ビデオは、同僚の友人のダンナさんである福谷修監督が撮った『レイズライン』に出演していた西冬彦さんから送られてきたもので、『WILD NIGHTS(ワイルド・ナイツ)』という。西さんが製作・脚本・主演のアクション映画だ。

この手の作品はめったに観ないので、最初は「台詞が説明的だ」「今の言い回しは棒読みだ」「コイツは誰だ」などと荒ばかりが目についてしまったのだが、途中から細かいことは気にならなくなり、作品のペースに巻き込まれていた。頭で理解しようとするのではなく体の反応に任せるのが楽しい鑑賞法であるらしい。

車のフロントガラスに張り付いたり、スパナを振り回しながらバイクを走らせたり、アクションシーンはかなり魅せる。電車内での格闘シーンや歩道をバイクが疾走するシーンはゲリラ撮影なんだろうか。それから、今はなき世界貿易センタービルの展望台での殴り合いも。設定は明らかにフィクションなんだけど、アクションシーンは妙にリアリティーがあって、血中アドレナリン濃度が高くなる作品なのだった。

熱い熱い。何より熱いのは、会社員をしながらこの作品をカタチにしてしまい、劇場公開とビデオ化にこぎつけた西さんなのだが。この人、日本に『少林サッカー』を紹介したことで一躍時の人となったけれど、カラダで感じる映画を作る人だから、あの作品の面白さをいち早く見抜いたんじゃないかと思う。


2002年10月18日(金)  「冷凍食品 アイデア料理のテーマパーク」で満腹!

冷凍食品は-18度以下で保存すると品質が長持ちする、というわけで冷凍の「トウ」と「18」で10月18日は冷凍食品の日。お得意先の日本冷凍食品協会さん主催のイベント「冷凍食品 アイデア料理のテーマパーク」が東京ドームホールで行われ、行ってきた。

テーマパークと名乗るだけあって、前菜からメインからデザートに至るまで、ごちそうのオンパレード。有名な日本料理人や料理学校の先生が監修し、ホテルのシェフが腕をふるうのだから、味もかなりイケる。料理のところどころに冷凍食品がうまく使われているのだけれど、わたしが真似できそうなのは自然解凍するデザートぐらいだった。

飲み物も日本酒からワインからリキュールから素晴らしい品揃え(もちろん冷凍ではない)で、雑誌の公募で高倍率を勝ち抜き招待された100組200名の皆さんにもご満足いただけた様子。ゲストは薬丸裕英さんと早見優さん。写真は早見さんの得意料理(冷凍ハンバーグを使ったロコモコ丼など)を並べたコーナー「優ちゃんキャビン」にて、いただきまーすの図。


2002年10月17日(木)  Globe Trotter×ELEY KISIMOTOのスーツケース

バーゲンで買ったアルマーニのジーンズを会社に穿いて行ったら「偽物?」と言われたことがある。シャネルもヴィトンもわたしが身につけた途端、着る人に引っ張られて安く見られてしまうので「ブランド崩し」の異名がついた。ブランドさんにも申し訳ないし、高いお金を払っても意味がないので、ブランド物には手を出さない。バッグも高い物とは縁がなく、二万円を超えるものは持ったことがない。

ところが、昨日、運命の鞄に出会ってしまった。Globe Trotter(グローブ・トロッター)というイギリスの老舗スーツケースブランドが作った手提げ鞄。小さいけれどスーツケースと名乗っている。スーツケースといえば無印良品で9800円で買ったが、これはその十分の一ほどの大きさで5倍ほどのお値段。大阪で買った税込み450円のトートバッグが百個以上も買えてしまう。しかし、かわいい。宝石箱のようなフォルムといい、オフホワイト地にプリントされたオレンジの円模様といい、理想の鞄が目の前に現れたよう。

先週、NHKドラマ『ロッカーの華子さん』で観た華子さんの70年代風の部屋とファッションがあまりに素敵で印象に残っていたせいもあって、その鞄のクラシカルな雰囲気がすっかり気に入ってしまった。もう、完全な一目惚れ。素材は紙なので、簡単に傷がつく。昨日入荷したばかりだというのに、すでに小さなすり傷があちこちにあり、オレンジの塗装がハゲていた。だけど「それも味」と思えてしまうのは、惚れた弱み。ポケットもないし、定期を出すたびに開け閉めが必要となると、通勤には不向きだ。それでも何が何でも欲しい気持ちは募るばかりで、えいっと衝動買いしてしまった。

「これはダイアナ妃も使っていた型ですよ」と店員さん。英国のロイヤルファミリー御用達ブランドであるらしい。でも、わたしが持ち歩くと、その辺の雑貨屋で見つけたオモチャの鞄だと思われる可能性が高い。いつもは「これ、いくらだったと思う?」と聞いて、相手が買い値より高い値段を言ってくるのが楽しいのだが、今回はちょっと難しそう。いい年なんだし、鞄負けしない大人にならなくては。

ちなみにわたしが一目惚れしたオレンジのパターンは「イーリーキシモト」の手によるものとオシャレにうるさい同僚が教えてくれた。マークイーリーさんと岸本若子さんの夫妻が立ち上げたテキスタイルデザインのブランドなんだとか。この鞄は「イーリーキシモト×グローブトロッターのコラボレーション作品」ということになるらしい。

いまいまさこカフェbag gallery


2002年10月16日(水)  カンヌ国際広告祭

社団法人 日本シーエム放送連盟主催の『第49回カンヌ国際広告祭 入賞作品研究発表会』へ。広告業界関係者や学生たちで会場の有楽町朝日ホールはほぼ満席だった。解説は今年のフィルム部門の審査員を務めた関西電通の石井達矢氏。大阪迷惑駐車やキンチョーや関西電気保安協会のCFでおなじみのクリエイティブ・ディレクターは、作るものだけでなく話も面白い。「愛すべき世界のおバカ」「すごい奴、しかしこんな奴はおらんやろ」といった独自の分類をもとに受賞作品を紹介していただいたが、CF以上に「日本でやってないんやから、パクったかてええんやけど」というトボけた大阪弁が笑いを誘っていた。グランプリはナイキのブランド広告。タイトルの"Tag"は鬼ごっこの意味。シリーズ広告の1本で他には"Shade running"篇が金、"Tailgating"(尾行)篇が銅を受賞していた。"Just do it."でアスリートたちの挑戦を応援してきたナイキの新しいコンセプトは"play"。遊ぶことはスポーツ、だから真剣に鬼ごっこする大人も、日陰を選んで走る人も、ドリブルしながら人をつけ回すいたずら好きも、ナイキは応援しますという目のつけどころが評価されたらしい。カンヌの審査員は毎年変わるので、年によって審査のカラーも違う。今年は「お金や有名人の力を借りたもの」を外し、派手さよりもアイデアの本質を徹底して問う審査だったようだ。「受賞作の約9割は普通の人間の生活を描いたもの」とした上で、それをパワーのあるCFにするのは、人間を面白がる力とその面白さを描ききるセンス、つまり「関西チックな視点+アートディレクション」と石井氏。最後に「世界の広告はどこへ向かっているのか。私は人間に向かっていると思います」と締めくくった。■カンヌには98年と99年、視察に行った。世界中から集まったCFを一日に何百本と見まくり、アイデアの宝庫のポスターや雑誌広告に刺激を受ける一週間。その経験は、広告をつくる上でも映画やドラマを考える上でも栄養になっている。画像はカンヌで参加登録時に渡される「おみやげ」。左上のバッグに資料やらチラシやらTシャツやらがぎっしり。中央のぶ厚い冊子は、上映作品の一覧が載った別名「電話帳」。これを抱えてホテルと会場を行ったり来たりするのだった。


2002年10月14日(月)  四あわせの五円玉

■同僚Aちゃんの結婚パーティー。わたしの披露宴のとき人一倍張り切ってくれた彼女らしく、かわいいアイデアにあふれたパーティーだった。「出席者全員と話をしたい」を実行するために、新郎新婦と言葉を交わした人は首にレイをかけてもらえる仕組み。おひらきの頃には色とりどりのレイが会場をいちだんと華やかに彩っていた。レイに結びつけられた昭和四十四年の五円玉は、二人の生まれた年と御縁を引っ掛けた遊び。十四万枚の五円玉から出席者の人数分の四十四年ものを発掘したらしい。しあわせの年生まれのお二人さん、末永くお幸せに。


2002年10月13日(日)  新宿のドトールにいませんでした?

昨夜といっても日付けは今日の出来事。STRAYDOGの打ち上げが楽しくて時間を忘れているうちに地下鉄の終電が終わってしまったのでJRで帰ったのだが、巣鴨の駅を降りてタクシーを拾おうとしているところに見知らぬ男性が声をかけてきた。客引きか酔っぱらいかナンパか、と一瞬身構えると、「あのー、今日、新宿のドトールにいませんでした?」。

「はい、いました」と答えると、男性はホッとした顔になり、「胸のつかえが取れました。ありがとうございました」と立ち去ろうとする。今度はこっちが気になってしまい、「あのー」と聞く番になった。男性の説明によると、わたしの姿に強烈なデジャブがあり、いつどこで見たんだっけと記憶をたどったら新宿のドトールではないかと思い当たったということだった。同窓会のはじまる前の待ち合わせで店に居たのだと言う。「決して、新宿ドトールから後を尾けてたわけじゃありませんよ」と言われ、笑ってしまった。

同じ時間同じ店に居合わせた他人同士が6時間後にまったく別の空間で遭遇し、そのことにお互いが気づく確率というのはどのくらいあるのだろう。マーケティング関係の仕事をしていて普段から人を観察する癖があるらしい男性と、覚えられやすい格好をしていたわたしの組み合わせがもたらした不思議な出会いだった。その日着ていたのは、原宿の古着屋で買ったアメリカ生まれの手製ワンピース。裾にはパコダテ人の衣装に使われた小川久美子さんデザインのアップリケを縫いつけてあった。こんなの着て歩いている人、確かに他にはいないよね。

◆他にも一点ものいろいろ。いまいまさこカフェ fashion gallery


2002年10月12日(土)  『銀のくじゃく』『隣のベッド』『心は孤独なアトム』

■偶然にも招待が重なって、昨日と今日で3本のお芝居を見た。脚本を書いていると観劇の機会が増え、それがまた脚本の勉強になるとは、ありがたいスパイラル。金曜夜は、『アクアリウムの夜』に多佳子役で出演された秋元紀子さんのひとり語り。安房直子さん作の『銀のくじゃく』とオレンジ色の自転車の話を朗読する優しい声と長村美代子さんの奏でるハープの響きがあいまって、心地よく物語の世界に引き込まれる。
■土曜昼は、PLAYMATE公演『隣のベッド』。作者の川上徹也さんは、コピーライターから脚本家になった人。六年ほど前に広告関係者のパーティーで知り合ったときには脚本を書く人だとは知らなかったし、わたしも脚本の書き方さえ知らなかった。お芝居のほうは、とにかく笑った。隣りあったワンルームに暮らす夫婦のもとに居候が転がりこむという設定だが、「隣のベッド」が重要な関心事となっているので、下心や駆け引きや嫉妬が見え隠れして面白い。会話がしゃれていて、うまく書くなあとジェラシーを感じた。出演の小林愛さんは、先日観た『くれよんしんちゃん』のお姫様の声の人。すごく印象的な声だったので名前を覚えていたのだが、台詞の第一声を聞いて「この人だ!」と思った。■土曜夜は、STRAYDOG公演『心は孤独なアトム』。幕が開いた瞬間からハイテンション。台詞はマシンガンだし、ギャグ連発だし、出演者は舞台狭しと走り回り、タップを踏み、これでもかというぐらいエネルギッシュ。いい意味で「腹に響く」感じ。書けなくなった脚本家の現在と小学生時代と劇団員時代が交錯するストーリーだが、同じ台詞つながりで別の時代へ移す工夫で、3つの時間軸をスムーズに行き来していた。このお芝居は、劇団の主宰者であり作・演出の森岡利行さんから直々にお誘いいただいた。月刊ドラマや月刊シナリオで名前を見ていたので、「あの森岡さんだ!」と舞い上がった。木下ほうかさんの友人という縁でパコダテ人を観て、わたしに興味を持ってくれたらしい。作品は絶好のプレゼン材料なのだ。舞台もまた役者さんたちのプレゼンの場。「彼女にこんな役をやらせたら」「今書いている話の主人公は彼のイメージかな」と想像をかきたてる人が次の仕事をつかんでいくのだろう。上演後、打ち上げに参加させてもらう。好きな道で頑張っている人たちには特有のオーラがある。それが合わさるから、お芝居を見ると元気になるのかもしれない。


2002年10月06日(日)  餃子スタジアム

■2週続けてナンジャタウンの池袋餃子スタジアムへ。『のんほお』の上海点心餃子、『華興』の東京餃子、『吉鳳園』の宮廷餃子、『歓迎』の羽根付き餃子、『上海酥餃房』のパイ餃子、『招福門』の海老揚げ餃子と水餃子、『餃々』の浪花ひとくち餃子、『古屋』の南京屋台餃子を制覇する。わたしのイチオシは『歓迎』。■今日は松田美由紀さんの誕生日。前田監督に連絡をもらい、パーティーにお邪魔する。『濱マイク』組や『青い春』組の人達に混じって、『パコダテ人』組はアシスタントプロデューサーの石田さんと松田一沙ちゃんと大蔵省君とわたし。目が悪いので誰か誰だかよくわからなかったけれど、輝いている人たちのオーラはビシバシ感じる。「わたしたち、こんなとこにいていいんでしょうかねえ」「プロデューサーが役者にビビってちゃいけないんだけど」と石田さんと話す。一沙ちゃんは「今日はいい夢見られそう」とミーハーしていた。女優なのに思いっきり普通の女の子してるのが愛せる。美由紀さんはあいかわらずかわいい服を着て、元気に動き回っていた。大森うたえもんさんのギターでハッピーバースデーを歌い、ロウソクをフーッする。到着が遅れた前田監督とは会えずじまいだった。

<<<前の日記  次の日記>>>