2002年09月17日(火)  宮崎映画祭『パコダテ人』上映と手話

昔、手話を少しかじった。十代の頃だ。必修クラブで手話クラブに入った。アメリカの高校に留学したとき、地元住民向けのカルチャー講座でASL(American Sign Language)を取った。

留学先の高校は耳の不自由な生徒も一緒に授業を受けていて、簡単な日常会話はできるぐらいまで上達した。「英語は下手だが手話ができる日本人」と不思議がられた。日本に帰ってからは、手話を使う機会もなかったし、せっかく覚えた単語もフレーズもすっかり忘却の彼方に消えたものだと思っていた。

ところが、記憶は残っていた。

宮崎映画祭でのパコダテ人上映後のトークでわたしも登壇させてもらったのだが、手話通訳の方が二人後ろについて、会話を同時通訳していた。あおいちゃんと一沙ちゃんのお得意の楽屋トークが弾み、「通訳の人、訳すの大変ちゃいますか」と前田監督が声をかけた。「パコダテ語ってどうやって訳すんやろ?」という話になり、振り返って尋ねてみると、指で文字を作って見せてくれた。

日本語で「パ」、英語で「P」を表す形だった。

それを読み取った瞬間、記憶が一気に蘇った。パピプペポを思い出し、OPQRを思い出し、次々と引き出されるティッシュペーパーのように五十音とアルファベットが躍り出た。「あいうえお」と「aiueo」が同じだったり、日米で共通の文字も多い。体で覚えたことは、しっかりと体にしまわれるんだなあと驚いた。

子どもの頃から何十回と変わった(増えた)将来の夢のひとつに「手話通訳」があった。その夢は今のところ叶っていないが、「映画と手話がつながる」ことに気づけたのをいい機会に、おさらいしてみようかなと思っている。字幕で楽しんでくれた人たちに、自分の作品を自分の言葉で伝えられるように。


2002年09月15日(日)  パコダテ人P面日記 宮崎映画祭1日目


宮崎牛で熱列歓迎
■10:10羽田発のJASで11:45宮崎着。羽田から函館までは511キロ、宮崎までは560キロ。宮崎のほうが遠いとは意外。空港の出口で一沙ちゃん、宮崎映画祭実行委員の女性二人(川添さん、上田さん)が出迎えてくれる。今回の追っかけの旅に誘ってくれたあおいママ&妹ちゃんと合流し、宿泊先のホテルメリージュへ。ここで前田監督と合流し、早速お昼。JAのやっているAPASという宮崎牛焼肉屋でごちそうになる。カルビ、ハラミ、塩牛タン。うまいぞ、宮崎牛。そして、忘れちゃいけないのが鶏。身がプリプリでおいしい。夢中で食べているところに、宮崎で「映画の生き字引」と呼ばれている石田さんが登場。春夏秋冬かわらないフィッシャーズベストが目印のこの人、映画好きが高じて自分で映画館をつくってしまった。宮崎キネマ館というその映画館はホテルに隣接するビルの2階にあった。100席のホールが2つ。映画祭の上映会場にもなっている。



運玉で開運祈願
■映画祭実行委員の方が宮崎を案内してくれると言う。いくつかの候補が挙がったが「宮崎の神話めぐりをしましょうか」ということで、車2台に分かれてまずは鵜戸神宮へ。運転は川添さん、助手席に上田さん、後部座席に前田監督とわたし。携帯が鳴る。羽田空港にいる小山さんから。隣で前田さんが「なんで僕にかけてこないんや」。その旨を伝えると、電話はブチッと切れ、前田さんの携帯が鳴った。「もしもし小山です。前田さんの性格を忘れてました!」。なんてストレートなリアクションだろうと車内は爆笑。「パコダテ人のみなさん仲がいいんですねー」と川添さん。■海沿いの気持ちいい道を走り、鵜戸神宮に到着。豊玉姫(神話に出てくる山幸彦の妻)が岩となって子どもを育てたという伝説のある「お乳岩」の滴り水でつくった「おちちいわ湯」を飲み、海食洞の中にある社殿にお参りする。大漁と安産に御利益があるらしい。ここでのハイライトは「運玉」。豊玉姫の玉がゆかりなのか、地元の小学生が作っているという5個100円の土の玉を眼下の岩めがけて投げる。囲み縄の中に入れば吉、その中央にある窪みに入れば大吉といったところか。みんな一斉に投げているので、どれが自分の玉だかよくわからないけれど、一応縄には入っていた気がする。


緑水の舞台(かも)
■神話めぐりの次なる目的地は、青島神社。川添さんと上田さんが空港まで小山さんとあおいちゃんを迎えに行ったので、石田さんの車で。海岸線を走りながら観光案内してもらう。丘の上にはなぜかモアイ像がずらり(かつてイースターのモアイが水害に遭ったときに援助をしたか何かで縁はあるらしい)。「以前あそこで野外映画上映会があったんですけど、雨で上映を途中で止めしちゃったんですよ」と石田さん。上映作品は異星人との接触を試みる『コンタクト』だったと聞いて、「コンパクトになってしまったんですね」と前田さん。■「ここが緑水のロケ地かも」と日高本線の伊比井駅へ案内される。改札のない無人駅。なーんもなさが、いい感じ。ここだったのかなー。


青島神社のご神木はパームツリー
■青島神社は青島の中央にある。山幸彦(ヒコホホデノミコト)が祭神で縁結びの神社らしい。昔は一般人は立入り禁止の聖域だったが、今は橋を渡って歩いて行ける。海岸線は波状岩。粘土質の岩なので、波に洗われてシマシマに削れたらしい。「鬼の洗濯板」とは、うまいネーミング。ここで後発組のあおいちゃん、小山さんと合流。■宮司さんが特別に神社を案内してくださる。亜熱帯植物がうっそうと茂る奥に鳥居が見えて、南国の神社の景色は面白い。「これが青島神社のご神木です」と紹介されたのはパームツリーだった。


長島監督も神話の人!?
■神社内にある日本初の神話館『日向神話館』も見せていただく。「山幸彦・海幸彦」をはじめ日向地方に伝わる神話が、等身大のろう人形でわかりやすく再現されている。母親の妹に育てられたナントカ彦が、その育ての親つまり叔母と結婚してしまったり、カミサマの世界も不思議。ここの入口で異彩を放っているのが、長島監督。腕の「毛」が植毛されているなどディテールにもこだわっていて、かなりのそっくりさん。胸毛も植毛されているという噂も聞いたが、確かめられなかった。宮崎キャンプの巨人軍と青島神社が縁深いとはいえ、神話館に野球監督とは!長島神話って言葉もあるからいいのかな。

宮崎いただきます!
■ホテルに戻り、小山さん、あおいママ&妹ちゃんと近くを散策。商店街をひやかして、バタどらが名物の和菓子屋『日高』へ。なんじゃこりゃ大福は日持ちがしないので持ち帰りをあきらめ、試食で満足。ここの試食はサイズが豪快。いろいろつまんでいたらおなかいっぱいになってしまった。「おまんじゅう食べたらお茶がほしいね」とホテルに戻ってお茶する。



8:30からの飲み会は『日高』のビルの2階にある『田舎屋』にて。めひかりの天ぷら、さつまあげ、たまごやき、地鶏、出るものどれもおいしく、歓声をあげて食べる。はじめて食べるチキン南蛮の味は想像以上。唐揚げとタルタルソース、どっちも好き。焼酎は『中々』『魔王』『野うさぎの走り』を小山さん、一沙ちゃんと分けあう。一沙ちゃんが焼酎にくわしくて、びっくり。「世の中は焼酎ブームなんだよ」と教えられる。仕上げはもちろん冷や汁。昨日、前田さんが撮り、一沙ちゃんと地元の子どもたちが出演した三分の短編が仕上がり、テレビモニターを持ち込んで試写をする。一沙ちゃんが出演しているNTTドコモ関西のCM、インターネット配信するシブヤプロジェクトの短編もあわせて見る。前田監督三部作。
■二次会はソファのお店。実行委員の人たちと記念撮影で和み、おしゃべりもはずむ。みなさん文化祭のノリで映画祭を楽しんでいるのがいい。ゲストを一生懸命楽しませながら自分たちも一緒に楽しんでいる感じ。急に押しかけてすいませんと言うと、「脚本の人も来てくれるって聞いて、みんなで楽しみにしてたんですよ」。来てよかったなー。ホテルの部屋で待ちうけていたウェルカムカードも心憎い演出。


2002年09月14日(土)  旅支度

■明日から2泊3日で宮崎へパコダテ人追っかけの旅。夏の間しまっていたシッポにひさびさの出番到来、かなり薄汚れてみっともないのでアクロンで押し洗いする。水が真っ黒になったので、相当アカがたまっていた様子。ふんわり仕上げでほんのりいい香りがついて、よそいきの顔になった。■ついでにと、これまたみすぼらしいまでに手アカにまみれて黒くなっていたラッコの携帯電話カバーを洗うことにする。こちらはガンコな汚れなので、義母にもらった「リン酸棒」でゴシゴシ。洗剤が棒状になったようなもので、よく落ちる。黒かったラッコがもとの薄茶色に戻った。すすぎのとき、水の中で体を伸ばしたラッコがいかにも気持ち良さそうに泳いでいるように見えて、デジカメでパチリ。■明日は早起きしなくちゃという日に限って、夜更かしの誘惑にかられるのはなぜなのか。『グリーンマイル』の放映を見て、借りてきた『古畑任三郎』のビデオを見て、BSでチアリーダー選手権をやっているのに気づいて見入る。げ、あと4時間で目覚ましが鳴る!


2002年09月12日(木)  広告マンになるには

■『広告マンになるには』という本でお世話になったぺりかん社編集部の塚本氏とはじめて会う。去年の秋に出した初版は売れ行き好調で、先日重版したとのこと。全133ページのうちわたしが書いたのは23ページ分。第2章「広告マンの世界」の中で「広告のできるまで そのドラマチックで目のまわる日々」という題で日記風に会社での日常を綴っている。この本を読んで、広告の世界に引き寄せられる学生がいたら面白いですねと話す。■夜、会社の上司と別の広告代理店へ移った先輩たちと飲む。ひさしぶりに熱い広告談義となった。営業からコピーライターに転身し、カンヌでの入賞も果たしたA先輩の言葉があまりにまっすぐでピュアで新鮮だった。「俺、今でもクリエイティブに惚れ込んでます」なんて臆面もなく言えるなんて、すごい。「すっげえアイデアのことを俺たちFBI(Fucking Big Idea)って呼ぶんだよ。でもFBIをカタチにするのはチームワークなんだよな。うん、一人じゃダメなんだ」と熱っぽく語る姿にひたすら圧倒された。自分はこれぐらいキラキラして広告つくっているっけ、いや全然及ばないなあと刺激を受けっぱなし。酔っぱらった足で終電に向かって走りながら、頭の中では先輩の言葉がぐるぐるしていた。「広告って楽しいよな。何でもできるよな」。


2002年09月10日(火)  大槻ケンヂ本

■大槻ケンヂさんの『わたくしだから』を読んだ。題字の書体、一時期こういうのが流行ったなあと懐かしい。初版は1990年となっている。会社のフロア移転のとき、廊下に出されていた古本の中から掘り出した本だった。そのとき一緒に救出した大槻ケンヂさんの 『行きそで行かないとこに行こう』は通天閣のビリケンさんの謎に迫ったり、ヘンなオヤジのいるカレー屋に勝負を挑んだり、なんでもないような「お出かけ」ドキドキした「探険」に仕立てている面白い本だった。そうそうもう一冊あったっけと引っ張りだした『わたくしだから』もまた楽しめた。この人の文章の魅力は、物の見方、起こった出来事との距離の取り方にあるのかもしれない。人が聞けばブッ02ぶような過激な話をさらりと語り、超マイナーな本や人物の紹介を熱っぽく繰り広げる。その温度差が気持ちいい裏切りとなって、読んでいて痛快な気分になる。入社した頃「大槻ケンヂはすごい。視点がいいんだよな」と褒めちぎっていたクリエイティブ・ディレクターがいた。わたしが廊下で出会ったのは、彼が当時読んでいた本なのかもしれない。


2002年09月06日(金)  ミナの誕生日

■麻布のRizという店で、元同僚のミナの誕生会。入れかわり立ちかわり20人ほどがお祝いにかけつける。「画像のっけていいよ」というので、のっけることにする。さすが美人は自信が違う。ミナのファンだというわたしのダンナに電話すると、「すぐ行く!」と10分でやってきた。わたしが電話しても「仕事中」という答えしか返ってこないのに、さすが美人は引力が違う。■パーティーに来ていたヒロコちゃんが「わたし、シッポあるの」と言い出して、大騒ぎ。『尾骨』(びこつ)が飛び出していて、「かなり出てきたなーと思ったら、お医者さんに行って引っ込めてもらうの」と言う。触らせてもらったら、ほんとに骨が出ていてビックリ。はじめてシッポ人間に出会ってしまった。「わたしが書いた『パコダテ人』ってシッポが生えてくる女の子の話なんだよ」と言うと、「ビデオ見るー!」とヒロコちゃん。他人事とは思えないかも。


2002年09月04日(水)  暑い日の鍋

■機嫌がいいと鼻が鳴る元アイドルの同僚U嬢を囲む第3回はなおとめの会。場所はいつもと同じ三軒茶屋の伊勢屋。「わしら、ここの鍋が好きじゃー」と言うオヤジたちの声に応えて、特別に鍋を仕込んでいただく。残暑厳しいなかでの鍋もなかなかオツなもの。残業で遅れたわたしが到着したときには、かなり淋しくなっていたけれど、具沢山で野菜や魚のいいダシが出ていて、仕上げの雑炊は最高。手づくりのポテトコロッケもほくほくで、ここの料理はどれもほっとするおいしさ。お値段も庶民的で言うことなし。食べるのも忙しいけど、おしゃべりも休みなし。5人のオヤジたちと4人の「比較的若い」女性陣がほぼ同時にしゃべりまくるというゴキゲンな宴で、U嬢の鼻も鳴りっぱなしだった。


2002年09月02日(月)  My pleasure!(よろこんで!)

■柳家小三治さんの『ま・く・ら』が思いのほか面白かった。電車の中で何度も吹き出し、まわりの乗客に怪しまれてしまった。事件を笑いに昇華出来る落語家と、彼を次々と巻き込む奇怪で愉快な事件。才能と状況の出会いが抱腹絶倒のエピソードの数々を生み出した。小三治さんは、物事を楽天的にとらえ、悲劇の中にも笑いの種を見出だす余裕を備えた人であるらしい。そうでなければ駐車場に住み着いたホームレスのことをあんなにユーモアたっぷりには話せないだろう。この人、アメリカでの短期語学留学にも果敢に挑戦している。その成果には自信がなさそうだが、海外や外国語に目を向けていることが。小三治さんのまくらを豊かにしていることは間違いないだろう。本の終盤に「アメリカでは最近、You are welcome.のかわりにMy pleasure.を使うことが多い」というくだりがあった。お礼を言われて「ユア・ウェルカム」と返すのも感じがいいが、「マイ・プレジャー」はそれ以上に気持ちのいい言葉だ。仕事でも頼まれ事でも「喜んで!」と思って引き受けることができたら、自分もまわりの人も幸せになれそうな気がする。柳家小三治さんは、My pleasure.の心で高座に上がっているのではないだろうかと勝手な想像をし、ひさしぶりに落語を聞きに行きたいなあ、できれば、この人の噺を聞いてみたいなあと思っている。


2002年08月27日(火)  虹の向こう

職場は高層ビルの20階にある。午後、会社にいる人たちが道路側の窓に張りついて騒ぎはじめた。「虹だ、虹だ!」。雨上がりでもないのに、大きな虹がかかっていた。その窓からは年に何度か虹が見えるのだが、今日のは見事なまでに完璧なアーチを描いていて、「こんな立派な虹は、何年ぶりだろう」と一同をうならせていた。色といいフォルムといい申し分ない。見ているだけで「俺ぁ幸せ者だなぁ」という気持ちにさせてくれた。

『オズの魔法使い』の主題歌「Over the Rainbow」でも歌われているが、子どもの頃は「虹の向こうはどうなっているんだろう。何があるんだろう」と知りたくてしょうがなかった。幼なじみたちと自転車でどこまでも追いかけたことがある。走っても走っても虹の端は見えず、やがて虹そのものが夕闇に消されてしまった。虹は橋にもたとえられるが、色は見えるけれど実体はなく、実際には渡れないところが心と心をつなぐ橋のようにも見える。もちろん、希望の架け橋だ。2年前、NHK-FM青春アドベンチャーの「不思議屋旅行代理店」シリーズで書いた『過去に架ける虹』というオーディオドラマは、そんなことを考えて生まれた話だった。


2002年08月26日(月)  『ロシアは今日も荒れ模様』(米原万里)

■米原万里さんの『ロシアは今日も荒れ模様』を読み終えた。『不実な美女か貞淑な醜女か』で読売文学賞、『魔女の1ダース 正義と常識に冷や水を浴びせる13章』で講談社エッセイ賞を受賞し、最近では本業のロシア語通訳よりもエッセイストの顔が知られているこの人の文章は、ただものではない。ウォトカ(ウォッカではなくてロシア通はウォトカというようだ)を愛してやまないロシア人のこぼれ話で笑わせてくれたかと思うと、核の話を真面目に語る。funでもありinterestingでもあり、実に面白かった。「ロシアとロシア人は退屈しない」とは米原さんの言葉だが、最後まで読者を退屈させないのは筆の力だと思う。■ロシアについて書かれたものを読んだといえば中学校の地理や高校の世界史の授業ぐらいなもので、世界情勢にも疎いわたしは、あの広い土地にどんな人が住み、何が起きているのかほとんど把握していなかった。「ロシア=暗い、寒い、怖い」というイメージが先行していたのが、「ロシアって面白い。もっと知りたい」と好奇心と親しみがむくむくと膨れ上がったのだから、本の威力はすごい。ロシア人が小咄好きでユーモアにあふれているなんて想像したこともなかったが、ところどころに登場する小咄は、実に気がきいていて、人間をよくとらえたおかしみがある。先に読んだダンナは「世の中に醜女(ブス)はいない。ウォトカが足りないだけだ」という小咄をいたく気に入り、最近ますます積極的に酔っぱらうようになった。ロシアに興味のある人にも全くない人にもオススメの一冊。ただし、電車の中での噴き出し笑いには要注意。■余談だが、すみからすみまで面白く読んだこの本、残念ながら一部読み損なってしまった。本屋でもらった栞にガムのサンプルが張り付けてあり、早速はがして試したら、栞に残っていた両面テープがページに張りついてしまったのだ。おそるおそるはがしたが、9文字が犠牲となった。

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