2002年09月04日(水)  暑い日の鍋

■機嫌がいいと鼻が鳴る元アイドルの同僚U嬢を囲む第3回はなおとめの会。場所はいつもと同じ三軒茶屋の伊勢屋。「わしら、ここの鍋が好きじゃー」と言うオヤジたちの声に応えて、特別に鍋を仕込んでいただく。残暑厳しいなかでの鍋もなかなかオツなもの。残業で遅れたわたしが到着したときには、かなり淋しくなっていたけれど、具沢山で野菜や魚のいいダシが出ていて、仕上げの雑炊は最高。手づくりのポテトコロッケもほくほくで、ここの料理はどれもほっとするおいしさ。お値段も庶民的で言うことなし。食べるのも忙しいけど、おしゃべりも休みなし。5人のオヤジたちと4人の「比較的若い」女性陣がほぼ同時にしゃべりまくるというゴキゲンな宴で、U嬢の鼻も鳴りっぱなしだった。


2002年09月02日(月)  My pleasure!(よろこんで!)

■柳家小三治さんの『ま・く・ら』が思いのほか面白かった。電車の中で何度も吹き出し、まわりの乗客に怪しまれてしまった。事件を笑いに昇華出来る落語家と、彼を次々と巻き込む奇怪で愉快な事件。才能と状況の出会いが抱腹絶倒のエピソードの数々を生み出した。小三治さんは、物事を楽天的にとらえ、悲劇の中にも笑いの種を見出だす余裕を備えた人であるらしい。そうでなければ駐車場に住み着いたホームレスのことをあんなにユーモアたっぷりには話せないだろう。この人、アメリカでの短期語学留学にも果敢に挑戦している。その成果には自信がなさそうだが、海外や外国語に目を向けていることが。小三治さんのまくらを豊かにしていることは間違いないだろう。本の終盤に「アメリカでは最近、You are welcome.のかわりにMy pleasure.を使うことが多い」というくだりがあった。お礼を言われて「ユア・ウェルカム」と返すのも感じがいいが、「マイ・プレジャー」はそれ以上に気持ちのいい言葉だ。仕事でも頼まれ事でも「喜んで!」と思って引き受けることができたら、自分もまわりの人も幸せになれそうな気がする。柳家小三治さんは、My pleasure.の心で高座に上がっているのではないだろうかと勝手な想像をし、ひさしぶりに落語を聞きに行きたいなあ、できれば、この人の噺を聞いてみたいなあと思っている。


2002年08月27日(火)  虹の向こう

職場は高層ビルの20階にある。午後、会社にいる人たちが道路側の窓に張りついて騒ぎはじめた。「虹だ、虹だ!」。雨上がりでもないのに、大きな虹がかかっていた。その窓からは年に何度か虹が見えるのだが、今日のは見事なまでに完璧なアーチを描いていて、「こんな立派な虹は、何年ぶりだろう」と一同をうならせていた。色といいフォルムといい申し分ない。見ているだけで「俺ぁ幸せ者だなぁ」という気持ちにさせてくれた。

『オズの魔法使い』の主題歌「Over the Rainbow」でも歌われているが、子どもの頃は「虹の向こうはどうなっているんだろう。何があるんだろう」と知りたくてしょうがなかった。幼なじみたちと自転車でどこまでも追いかけたことがある。走っても走っても虹の端は見えず、やがて虹そのものが夕闇に消されてしまった。虹は橋にもたとえられるが、色は見えるけれど実体はなく、実際には渡れないところが心と心をつなぐ橋のようにも見える。もちろん、希望の架け橋だ。2年前、NHK-FM青春アドベンチャーの「不思議屋旅行代理店」シリーズで書いた『過去に架ける虹』というオーディオドラマは、そんなことを考えて生まれた話だった。


2002年08月26日(月)  『ロシアは今日も荒れ模様』(米原万里)

■米原万里さんの『ロシアは今日も荒れ模様』を読み終えた。『不実な美女か貞淑な醜女か』で読売文学賞、『魔女の1ダース 正義と常識に冷や水を浴びせる13章』で講談社エッセイ賞を受賞し、最近では本業のロシア語通訳よりもエッセイストの顔が知られているこの人の文章は、ただものではない。ウォトカ(ウォッカではなくてロシア通はウォトカというようだ)を愛してやまないロシア人のこぼれ話で笑わせてくれたかと思うと、核の話を真面目に語る。funでもありinterestingでもあり、実に面白かった。「ロシアとロシア人は退屈しない」とは米原さんの言葉だが、最後まで読者を退屈させないのは筆の力だと思う。■ロシアについて書かれたものを読んだといえば中学校の地理や高校の世界史の授業ぐらいなもので、世界情勢にも疎いわたしは、あの広い土地にどんな人が住み、何が起きているのかほとんど把握していなかった。「ロシア=暗い、寒い、怖い」というイメージが先行していたのが、「ロシアって面白い。もっと知りたい」と好奇心と親しみがむくむくと膨れ上がったのだから、本の威力はすごい。ロシア人が小咄好きでユーモアにあふれているなんて想像したこともなかったが、ところどころに登場する小咄は、実に気がきいていて、人間をよくとらえたおかしみがある。先に読んだダンナは「世の中に醜女(ブス)はいない。ウォトカが足りないだけだ」という小咄をいたく気に入り、最近ますます積極的に酔っぱらうようになった。ロシアに興味のある人にも全くない人にもオススメの一冊。ただし、電車の中での噴き出し笑いには要注意。■余談だが、すみからすみまで面白く読んだこの本、残念ながら一部読み損なってしまった。本屋でもらった栞にガムのサンプルが張り付けてあり、早速はがして試したら、栞に残っていた両面テープがページに張りついてしまったのだ。おそるおそるはがしたが、9文字が犠牲となった。


2002年08月25日(日) 1日1万

■一昨日、ある人と電話で話をしていて、「1万字ぐらい(の原稿)なら1日あれば書けると思いますけど」と軽く言ってしまったのだが、実際書けるんだろうかと不安になった。1万字といえば、原稿用紙25枚分。一時間ドラマ(NHKだと45分)の脚本がだいたい原稿用紙60枚分。でも、台詞が多く、シーンとシーンの間に1行空けたりするので、文字数にすると2万字強ぐらいだろうか。先日、たまっている日記を一気に書いたら原稿用紙24枚分になった。あとひと息で1万字ということになる。でも、日記の場合は、実際に起きた出来事を綴るだけだから悩むことはない。プロットやシノプシスやシナリオを書く場合、はたと悩んで手が止まってしまうと、たちまちスピードが遅くなる。ふだん、わたしはどれぐらいのペースで書いているだろうか。限界は1日何枚なんだろうか。意外と知らない。この週末は、ひさしぶりにワープロをよく叩いた。まとまった文章を書き、プロットを2本書き、家計簿もどきをつけた。足しあげると、原稿用紙75枚分。朝から晩まで机に向かっていたわけではないので、まだ少し余力はある。早いのか遅いのかわからないが、字数だけなら1日1万字、ひょっとしたら2万字ぐらいは何とかなりそうだ。量を打てればいいというものではなくて、質(中身)が問題なのだけど。


2002年08月24日(土)  『パコダテ人』ビデオ探しオリエンテーリング

デビューしたての新人作家が「本屋に出かけて自分の本の売れ行きをこっそり見てきました」なんて言うインタビュー記事をほほえましく読んでいたが、ついに自分の作品が店頭に並ぶ日が来た。『パコダテ人』のビデオ/DVDレンタル、DVD販売が昨日からはじまったのだ。

子役の前原星良ちゃんのお母さんからは昨日、興奮した声で電話があった。「近所のビデオ屋に行ったら、あったの!しかも、借りられてたのよー。もう、娘と大騒ぎして、店員さんに、うちの子出てるんですって言っちゃったー。そしたら店にポスター貼ってくれるって」。一気にしゃべる星良ママは、うれしさではちきれそうだった。雨の中、借りてくれた人に感謝。

一日出遅れたが、今日の夕方、家から歩いて10分ほどの巣鴨近辺のレンタルビデオ屋を見て回る。われらが『パコダテ人』は3軒回って2軒に置いてあり、1軒は貸し出し中、もう1軒は人待ち状態だった。「1勝1敗1引き分け、いや1勝1敗1不戦勝かな」とダンナ。作品そのものにはあまり興味を示さなかったくせに、妙に乗り気。この店はどうかなーと期待半分不安半分で入り、棚に居るのを見つけたときは、「おお、いたか、いたか」とうれしいやら愛おしいやら。店によって内容が違うはずないのに、いちいち裏面を見たりして。宝探しみたいなパコビデ探し、オリエンテーリング気分でしばらく楽しんでみようと思う。あなたの近くのお店には、ありますか。


2002年08月22日(木)  鼻血で得意先ミーティングに遅刻

10時からの得意先ミーティングに10分遅れたのは、朝起きたら鼻血が出てきたからだった。顔を洗っていたら水が赤く染まって、何ごとかと思ったら鼻血だった。すぐ止まるだろうと思っていたが、家を出るべき時刻になっても止まらず、ミーティングに同席する営業の女の子に「ごめんなさい。遅れます」と電話すると、「上を向いちゃダメよ。首の後ろを冷やさきゃ」とアドバイスしてくれた。アイスノンを首に当てて待つこと10分、ようやくおさまる。念のため黒い服を着て、濃紺のタオルを持って出かけた。

得意先に着くと、「話題沸騰でしたよー」と和やかに迎えていただく。よかった、笑いを取れたらしい。鼻血が気になって一言もしゃべれない間にコピーは売れ(=得意先にこれでよし、と言われること)、ミーティングはつつがなく終わった。「大丈夫だったの?」と同僚のデザイナーが心配そうに聞いてきたので、「ただの鼻血だよ」と答えたら、「だって、血が止まらないって聞いたからさ」。最後に出したのがいつだったか忘れるほど久々の出来事だったので、五分十分が長ーく感じたが、小学生の頃、休み時間まるまる使ってやっと止まったんだっけ。「今朝は涼しかったのに、なんで出たのかなあ」と言うと、「俺は時差ボケになったとき、出たりするよ。ロケ行ったときとか、疲れと時差ボケが重なったりすると」と先輩CMプランナー。一昨日の朝、TVCFの撮影立ち会いのため、いつもより5時間早く起きたのが原因かもしれない。日本にいながら時差ボケになってしまった

頭を冷やそうと、今夏初のTULLY'Sスワークルシェイクを飲む。


2002年08月19日(月)  大阪は外国!?

■新聞を整理していたら、「ナニはなくともナニワはサイコー 他に比べりゃ外国同然」という言葉が目に飛び込んだ。最近、サイトの掲示板で「関西は外国」説が飛び交っていたが、ここにも証拠があったではないか。ウルフルズの「大阪ストラット」(1995年)に光を当てた記事だった。大滝詠一さんの「福生ストラット」という元歌があることをはじめて知る。「大阪ストラット」が出たとき、「さすがウルフルズ!」と膝を打ったのを覚えているが、歌詞は完全に忘れていた。記事で紹介されていた記事をあらためて見ると、「カンテGでやっぱチャイとケーキ」とある。カンテグランテは、高校時代のわたしを狂わせた喫茶店だった。丸ビルの地下やアメリカ村にある店に通い、チャイとゴータマショコラがお決まりだった。力の抜けた独特の雰囲気が好きだった。カンテGが大阪にチャイを広め、ウルフルズのメンバーがバイトをしていた店だとは知らなかった。「大阪ストラット」で歌われている「ケーキ」は、ゴータマショコラのことに違いない、と勝手に想像する。あのブラウニーのような濃厚チョコレートの味わいは今も健在だろうか。ひさしぶりに訪ねてみたいなあ、と思いをはせる気持ちは、異国を思うときめきに似ている。■なんてことを書いていたら、幼馴染みの太郎くんから大阪旅行で仕入れた『阪急百貨店大食堂』の画像が届く。「阪急百貨店最上階で昭和ヒトケタから73年間続いたそうですが18日で閉店してました」とのこと。レトロなものにも弱いわたし。もう行けないと知ると、なおのこと行きたくなってしまう。


2002年08月18日(日)  24時間テレビ

■今週はテレビをよく見た。まず、NHKで4夜連続放送された『新宿鮫 氷舞』。本を読んだばかりだったので原作との違いを楽しんだ。2時間サスペンスの勉強のために水曜の『女と愛とミステリー』と『土曜ワイド劇場 はみだし弁護士』。今夜は『24時間テレビ』のフィナーレを見てから、『太陽の季節』。それにしても、毎年、マラソンのゴールという決定的瞬間がフィナーレの絶妙なタイミングに合ってしまうのはなぜなんだろう。ゴールインするかどうかもわからない距離なのだから、その瞬間がいつ訪れるのかも予測不能なはずなのに、コントロールできてしまうのは不思議。今年もエンディングのテロップが流れ出し、熱くなった目頭が冷めてしまった。11時からはNHK『駆落ち』。炭鉱事故で肺をいためて兵役を免れている北海道の青年が、身売りされた恋人を追って東京へ向かい、空襲のどさくさに紛れて彼女を助けるが、そのとき彼には召集令状が来ていて……という太平洋戦争中の話。青年役を大森南朋くんが好演していた。台風情報を見ようとNHKをつけっぱなしにしていたら、『地球の街角』というドキュメンタリー番組に出会った。アメリカのナッシュビルでカントリー歌手を目指す少女を追った前半も興味深かったが、カンボジアで地雷除去に孤軍奮闘するアキラさん(本名はカンボジア名だが、あだ名がこうなっている)を追った後半に釘づけになった。ポルポト派政権下の強制労働で両親を亡くし、ポルポト派弾圧のため侵攻してきたベトナム軍に巻き込まれる形で戦争に加わり、地雷の敷設にも関わった。戦後、自分が仕掛けた地雷で人々が傷つくことに心を痛め、地雷除去に訪れた国連軍にその方法を教わる。以来、どの組織にも属さず、手づくりのシャベルを頼りに一人で地雷除去に奔走する毎日で、『地雷清掃人』と呼ばれている。また、地雷の被害に遭った子どもたちや戦争孤児を引き取り、学校に通わせている。生活費や活動費の財源は、集めた地雷を展示する博物館(『アキラの地雷博物館』という日本語名も)への寄付。この博物館では訪れた人に地雷の恐ろしさと地雷除去の必要性を訴える。「関係ないと見過ごすこともできるかもしれないが、自分はできない」と爽やかに語るアキラさん。カンボジアにすごい人がいる、と驚いた。■画像は幼馴染みの太郎くんが送ってきた「24時間テレビ大阪会場」のもの。あわせて東京会場の写真も。なんちゅー行動力。


2002年08月17日(土)  浴衣・花火・箏・まが玉

■思いがけず、日本の夏を満喫する機会に恵まれた。元同僚でイラストレーターの三宅麻衣さんの家で開かれる『二子玉川の花火を見る会』に招かれたのだ。ドレスコードは浴衣。「友人による箏の演奏とまが玉づくり体験もやります」とのことで、行く前からワクワクしていた。1時間かけて浴衣を着終わったときには汗だく。二子玉川の人波にひるみそうになるが、めざすマンションへ突き進む。到着すると同時に一発目が上がった。屋上に上がり、遮るもののない目一杯の花火を楽しむ。屋上は、テーブルや椅子やバーベキューセットを持ち出した住民たちで、ビアガーデン状態。イカを焼くいい匂いも風流だった。花火が終わり、三宅さんの部屋に集まった人数は30人強。「人減らしのため、まが玉づくりをする人は屋上へ上がってください」と言われ、再び屋上へ。博物館員の森本先生の手ほどきを受け、ひたすら石を削る。約1時間で完成すると言われたが、削れど削れど丸くならず、結局3時間ほど削って宿題に持ち帰った。途中、箏の演奏を聴くために、まが玉作業を中断して三宅さんの部屋へ。披露してくれたのは、三宅さんの友人の高原さんという女性。演奏を目の前(いちばん近くに座ったので、わずか50センチ先)で見たのは、はじめて。明かりを消した部屋を満たす神秘的な響きに、一同じっと聴き入る。「平調の調子」(四季でいうと秋のメロディ。場の雰囲気をその季節にするためのものらしい)を一曲披露するや、口々に質問が飛ぶ。箏は17本の竹でできている、演奏前に楽器をあたためるのは乾燥させるため(吹くと湿気がこもるので)と連結部分に使っている松やにを柔らかくするため、息を吸っても吐いても音が出るので息継ぎがいらない、楽譜は縦書き、タイにはひょうたんに竹を差した「箏の原型」がある、などはじめて聞く話が続々。演奏に使っていたのは100年ほど前に作られた箏だそうで、日本文化の伝承だなあなんてしみじみ思った。個性豊かなお友達に恵まれている三宅さん本人が描く絵も、とってもユニーク。個展のたびに絵が完売する人気だそう。今日知ったのだが、着付けの先生の資格も持っていて、着物のエッセーを書いたりしている多芸な人。わたしも、もっと日本に目覚めなきゃ、と刺激を受けた夜だった。

<<<前の日記  次の日記>>>