2002年04月28日(日)  日木流奈(ひき・るな)

「いちばん感動したテレビ番組は?」と聞かれると、記憶の引き出しを掻き回すのにしばらく時間がかかるが、今なら迷わず、これですと答えられる。今夜9時から放送されたNHKスペシャル「奇跡の詩人〜11歳 脳障害児のメッセージ」。見終わった勢いで、この気持ちをどうしても書きとめておきたくなり、日記に向かっている。

番組は「誕生直後の手術で脳に障害を負いながらも、詩集や本を発表している」日木流奈君を追ったドキュメンタリー。彼は文字盤を指差すことで意思を表現するのだが、その動きを誰よりも早く読めるお母さんが読み取り、お父さんがパソコンに打ちこんでいく。ドーマン法というリハビリテーションでの知性トレーニングで漢字や数式などのカードを繰り返し見せられるうち、文字を覚え、物の名前や言葉の意味などを覚えた流奈君は、すでに二千冊もの本を読破。はるか年下とはいえ、「君」づけで呼ぶのが失礼なほど、プロの作家顔負けの文章力とユーモアのセンスを備え、さらに誰にも真似のできない視点を持っている。

文字を知った感動を綴った詩がすばらしい。渇いた喉を果実のジュースがうるおす充実感と幸福感にたとえ、「文字は頭にいきわたるジュース」と表現する。文字盤の文字をひとつひとつ指差す作業は、流奈君にとっては大仕事で、彼の言葉を借りれば「全身の力を振り絞って」書かなくてはならない。それでも書くのは、「心地よく生きたい」という共感の輪を広げ、みんなが心地よく生きられる世の中を実現させたいから。

「私は否定されたことがありません」と、あるがままの自分を受けとめてくれた両親に感謝し、「昨日より明日の自分が優秀であればいい」と毎日を精一杯生きている流奈君にも打ちのめされたが、息子の可能性を信じ、それを引き出すために出来ることはすべてやろうというお父さんお母さんの姿に胸を打たれた。親ってすごい。人間ってすごい。テレビの前で、ひとり大拍手。命を削って魂を揺さぶる言葉を紡いでいる流奈君を見て、自分が発する言葉をもっと大事にしたくなった。


2002年04月27日(土)  映画デビュー!「パコダテ人」東京公開初日

はじめての脚本映画「パコダテ人」の東京公開初日。うれしいことはたくさんあったけれど、いちばん感激したのは、新宿東映パラス2で受け取った花束だった。「受付に届けられました」と渡された紙袋にはピンクでまとめたブーケとカードが入っていて、増田文子と署名があった。「ゆうばりの映画祭のときに相部屋で一緒になった横浜の大学生」と思い出すまでに、少し時間がかかった。ゆうばりで会って以来、まったく連絡を取っていなかったから。学校の教室を改装しただだっぴろい部屋に二人っきりで泊まり、いろんな話をしたのだが、パコダテ人への思い入れを語るわたしに、「どうしよう…他にも見たい作品いっぱいあるし」と増田さんは迷い、「パコダテ人は東京でやるんですよね?そのとき必ず行きますから、映画祭では、ここでしか見れないものを優先します」と言った。あれから2か月以上経ち、わたしはそんな約束を聞いたことすら忘れかけていたというのに、彼女は公開初日に約束どおり劇場に現れ、愛らしい贈りものまで届けてくれた。あまりに思いがけなくて、うれしくて、携帯に電話(ゆうばりで連絡を取り合うために番号を交換しておいた)したら、もう席に着いてしまった後で、会えなくて残念。増田さん、お花はオレンジの花瓶に活けました。毎日水をかえて、一日でも長く咲かせようと思います。

約束といえば、岡山のTOMさんも、「東京公開をぜひ見に行きます」の言葉通り、上京してくれた。偶然の重なりに導かれてメールをくれ、いまいまさことその作品たちを応援してくれているファン第一号。シネパトスの前で待ち合わせし、無事会うことができた。

新宿駅から家に帰る前に、駅ビルのルミネに入っているmotomachi rodeoに立ち寄った。前に服を買ったとき、ノリのいいお姉さんがチラシを貼ってくれて、「宣伝しとくねー」と言ってくれたお店。行ってみたら、チラシはなくなっていた。お店の事情もあるだろうしと思っていたら、「お客さんが欲しがって2枚ともあげちゃったの」と言う。「チラシ置いていったら、すすめといてもらえます?」とお願いしたら、「いいよ。たくさん置いてって」と言ってくれる。「テレビで予告見たけど、かわいい映画よね。わたしも行きます!」。このお姉さんは、本当に来てくれそうな気がする。相手を喜ばせたり安心させたりすることを言うのは簡単だけど、それを実行する人は、本当にえらい。


2002年04月26日(金)  『アクアリウムの夜』番外編:停電ホラー

今書いているラジオドラマがホラー(稲生平太郎原作『アクアリウムの夜』の脚色)なので、何となく神経過敏になっていて、ちょっとした物音や気配にビクッとしている。昨夜11時過ぎ、家のダイニングでラジオを聴きながらワープロをカタカタ打っていると、何の前触れもなくワープロ画面が暗くなり、ラジオが黙り、明かりが消え、部屋は沈黙の闇に包まれた。普通なら「あ、停電!」と思うのだが、オカルトモードになっているわたしの反応は、「あ、来た!」。上の階の足音さえラップ音だと思い込む状態だから、無理もない。しばらく金縛り状態になった後、勇気を出して、窓側のカーテンを開けてみると、まわりの家々からも明かりが消えている。ここで「この辺り一帯が停電なんだ」と安心するところを、「デカイヤツが来た!」と思ってしまい、ますます怖くなる。

手さぐりで携帯電話を探し、ボタンを押すが画面のライトがつかない。「携帯までがヤラレるのだから、やはり停電ではない!」と確信するが、「キー操作無効」になっているだけだった。ダンナに電話するが、「ただいま出られません」。この非常時に、頼りにならないヤツだ。携帯の画面照明では足りず、PHSの画面も照らして、なんとか家の鍵を発見(いつも決まった場所に置かないのが悪い!)し、屋外脱出に成功すると、ドアというドアから住民たちが心配そうな顔をのぞかせていた。「停電しましたよね?」「してますよね?」と確認しながら階段で一階まで降りると(エレベーターも止まっている)、携帯で誰かに通報している女性がいた。警察官はすでに着いていたので、東電にかけていたのかもしれない。

近所のコンビニは、なぜか煌々と明かりがついていた。ここは免れたのか、自家発電なのか。懐中電灯と電池を買う。家に帰り、懐中電灯を灯すと、生活できる明るさになった。といっても薄暗闇で出来ることは限られている。ハーブに水をあげようとしたら、水道も止まっていた。モーターで汲み上げているからだとか。知らなかった。ひさびさにマニキュアを塗ってみるが、速乾性なので、すぐに乾いてヒマになる。掃除も洗濯もできない。洗濯物をたたんでいると、ダンナから電話がかかってきた。「停電で大騒ぎで退屈だ!」と不安や不満をぶちまけると、「僕の写真にチューでもしてなちゃい」と完全に酔っぱらっている。つくづく役立たず。風呂の残り湯で手を洗い、メイク落としシートで洗顔。風呂の湯沸かし器の制御装置が電動なので、お風呂にも入れない。結局、何もできないので寝ることにしたら、夜中にいきなり家中の電気がつき、飛び起きる。停電から約2時間経っていた。


2002年04月25日(木)  田村あゆちの「ニュースカフェ」に演

友人の田村あゆち(写真)がキャスターを務める「ニュースカフェ」の「HOTふるさと」コーナーで函館発の映画『パコダテ人』を取り上げてもらい、「脚本家みずから作品の魅力を語る」ということで出演してきた。スタジオのデスクにはパコダテワインやパコダテビール、しっぽストラップが並び、後ろのボードにはポスターとチラシがペタペタ。番組スタッフの皆さんも作品を盛り上げようと頑張ってくれていて、うれしい。

予告編放映に続くフリートークでは、抜き素材を流しつつ、「一言で言うとどんな作品か」(究極の愛の物話。家族や恋人にもしもシッポが生えたら…という究極のシチュエーションを示すことで、観客に自分だったらどうするか考えさせる)、「作品の見どころ」(家族愛、恋愛、ファッション、パコダテ語)、「映画化の経緯」(受賞がきっかけではなく、応募原稿が監督に発掘された)、「函館市民の協力」(エンドロールにいちばん感動する)、「函館の印象」(レトロモダンでファンタジーの舞台にぴったりな街)、コピーライターとしての仕事(企業名を出さずに仕事内容を言おうとしてしどろもどろに)、「脚本を書きはじめたきっかけ」(小説を書いていたが、脚本のほうが性に合った)、脚本家としての仕事(『風の絨毯』)などを話す。

ファッションの話題のところで、バンタンハイスクールの生徒さんたちが描いてくれたデザイン画を紹介。サイトのことにも何度か触れ、テロップでもアドレスを流してもらう。それから『しっぽストラップ』プレゼントの告知。あゆちもわたしも携帯につけているので、それも映してもらう。以上であっという間に15分。

続いて、ひとくち英会話のコーナーにも出演。いつもなら2フレーズ紹介するところを1つに削って「今日は専門家の今井さんがいらっしゃっているので…」と、いきなり英語ダジャレのコーナーに。直前にピンクしっぽの紹介をしてくれたので、「しっぽつけテール」とアドリブをかませ、持ちネタの「空でスカイ」「雪でスノー」などを披露。「砂糖でシュガーなんてのもありましたよね」とあゆち。「皆さんも思いついたら送ってくださいね」と募集していたので、人気が出れば新コーナーになるかも。

最後に「今後の夢は?」と聞かれ、「書くことは自分にとってビジネスではなくハピネスなので、書き続けていきたい」と話す。その後、もう一度公開情報を流す時間を取ってくれたあゆちに感謝。


2002年04月24日(水)  天才息子・西尾真人(にしお・なおと)

わたしを「おかん」と呼ぶ会社の後輩デザイナー西尾真人が今日のわたしのカッコ(白い半袖ハイネック、シルバーのふんわりスカート、水色ラメのハイソックス、シルバーのバレエシューズ)を見て、「年食った妖精」と名づけた。暴言だが、言い得て妙なので、笑ってしまう。この口の悪いドラ息子、親バカかもしれないけれどデザイナーとしての才能は目を見張るものがあり、近いうちに日本中に名を轟かせるのではないかと思う。『パコダテ人』の小物(函館スクープのロゴ、ウルトラ○○○のロゴとパッケージデザイン、pakodatailのロゴ)デザインではずいぶん親孝行してくれた。ノーギャラなのに直しの連続だったので、反抗期の中学生のように暴れながらやっていたけれど。

「真人」と書いて「なおと」と読むのが面白く、函館山ロープウェイ映画祭の脚本コンクールに応募し、初めての受賞作となった『昭和七十三年七月三日』の主人公、田村真人の名前に使わせてもらった。田村の初恋の人、美津子との三十年ぶりの再会場所に現れた女性は「美津子とは別人」と言うが、受け取った名刺を見て「たむらなおと」と読んでしまう。


2002年04月23日(火)  プラネット・ハリウッド

■舞浜のイクスピアリ内にある『プラネット・ハリウッド』に行った。ハリウッド映画で使われた衣装の展示を見ながら食事できるレストラン&バー。お皿の下に敷く紙マットには、「ハリウッドスターたちの卒業写真」がずらり。誰の写真か当てあって盛り上がる。壁のガラスケースには映画撮影で使われた衣装がずらり。


2002年04月22日(月)  ワープロ

■夢中でワープロをたたいてたら、朝の3時になっていた。


2002年04月21日(日)  貧しい昼食

■朝昼兼用で食パンで済ませようとしたら、「まさか、それだけか!」とダンナに騒がれ、晩ごはんのメニューを昼にスライドさせたところ、夜たべるものがなくなった。


2002年04月20日(土)  16年ぶりの再会

■留学時代の友人ナオコの結婚パーティー。16年ぶりに再会した友人と盛り上がる。ママネットワークでパコダテ人を広めてくれるとのこと。


2002年04月19日(金)  金一封ならぬ金1g

会社のパーティーのビンゴゲームで、金一封ならぬ金1グラムを獲得。賞品にありつくなんて、珍しいことだ。「金」か「ダイヤのネックレス」かと選択を迫られ、迷わず金を選ぶ。財布に入れておくと、お金が増えるらしい。その場で『パコダテ人』のチケットが10枚ほど売れる。早速御利益かも。

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