2002年03月23日(土)  インド映画『ミモラ』

■インド映画『ミモラ』の試写会チケットをもらった。2名入場できるというので、気軽に誘える唯一のシナリオライター横山亮子ちゃんに声をかける。会場近くのインド料理屋でバイトしているので、ちょうどいい。チラシには「インド版『タイタニック』あるいは『風とともに去りぬ』」と書いてあったが、夢見心地なロケーションと豪華な衣裳、突然歌い踊るサマは、インド版『ムーランルージュ』。凧上げのシーンは空を舞う凧と地を舞う登場人物の共演が楽しく、印象的だった。ストーリーは「結婚したら心も体も(家同士が決めた)夫のもの」というインドの価値観に反発するヒロインが真実の愛を勝ち取るまでを描いたもの。わたしの幼馴染みのインド人、ポピーちゃんの披露宴に出席したとき、「花婿とは今日はじめて会う」と言っていたことを思い出しながら観る。幸いポピーちゃんは電子メールという文明の利器で事前に彼とコンタクトを取っていたので、メル友と結婚したとも言える。『ミモラ』のヒロインは、好きな人がいるのに無理矢理結婚させられてしまうのだが……。一見遠回りしているような前半部は、ドラマチックな後半部のための助走。途中でintermission(休憩)のテロップが入る3時間7分の大作だったが、ラストに近づくにつれて引き込まれていった。■台詞はヒンズー語と英語のちゃんぽん。何度か出てきた「愛」を意味するヒンズー語「ピャル」のかわいくて甘い響きが気に入ったのだが、「その言葉、厨房でよく聞くんだけど」と横山ちゃん。男性シェフどうしで「ピャル」を使うのはどういうシチュエーションなのか興味がある。店では『横山ジー』と呼ばれてる横山ちゃんは、『ジー』という呼び名に『先生』と字幕がついているのを観て、「わたし、先生だったのか!」と驚いていた。


2002年03月22日(金)  遺志

■大阪の母からA君のご両親からの挨拶状が転送されてきた。大学は別々だったが応援団仲間のA君は、豪快で美男子で男から見ても女から見てもイイ男だった。北大で行われた大会で仲良くなり、「記念にその履き古した草履をちょうだい」と冗談で言ったら、京都の下宿に宅急便で送りつけてきた。わたしの留守の間に束の間のひとり暮らしをしていた妹は、北海道土産が着いたと喜んで開封し、あまりの臭さに気を失いかけた。応援団と切っても切り離せない三大液体(汗、酒、○○)がしみ込んだ強烈な臭いだった。この話を思い出すたび、涙が出るほど笑ってしまうが、今は別な涙が混じってしまう。A君は去年の暮れ、突然倒れて、あっけなく逝ってしまったのだ。持ち前の潔さが死に様に現れてしまったようだった。葬儀に参列できなかったこともあって、今だに彼がこの世にいないという実感が湧かない。だが、百か日の法要を済ませたご両親からの挨拶状を読むと、あらためて、やはり、彼はいないのだと思い知らされる。寄せられた志は有珠山洞爺湖温泉の復興資金と吉野川の自然保護運動の活動資金に寄付されたとのこと。どちらも報道番組を作っていたA君が取材し、その後も気にかけていたことなのだそうだ。彼の遺志は、たしかにそこに生き続けるだろうし、わたしも有珠山や吉野川に、今後は特別な思いを抱くことになるだろう。死んだ者の居場所は、生きている者の心の中にある。応援団仲間と会うと、「あっちで元気にやってるかなあ」「あの世では、あいつのほうが大先輩だから、俺たちが後から行ったときには飲まされるんやろうなあ」などと話したりする。生きているわたしは、これからもたくさんの人と出会いと別れを繰り返すのだろうが、心のどこかにA君の場所は空けておきたいと思う。


2002年03月21日(木)  「かわいい魔法」をかけられた映画

■『月刊シナリオ』に載せるシナリオは採録(完成フィルムから起こしたもの)ということで話が進んでいるのかと思っていたら、いざフィルム起こしが終わってから「え、決定稿じゃないの?」と言われてしまった。ちゃんと確認しておかなかったのがいけないのだが、最後に刷った台本から撮影ぎりぎりまでにいくつか変更があったものを「決定稿」として載せる、と監督もプロデューサーも考えていたようだ。前田監督はわたしの作業が無駄になってしまうのを気遣い、「採録を載せてもええけどなあ」と言ってくれたが、わたしは「どちらでもいいですよ」と答え、二人で「どっちを載せるのがいいか」と客観的に話し合う。採録は今後世に出る可能性がある(たとえば「前田哲作品シナリオ集」とか)が、決定稿が世に出るとしたら、月刊シナリオに載る今回しかチャンスがない。採録はかなりアドリブや演出が入っており、シナリオに再現すると、あまり面白さが伝わらない。完成版との違いを劇場で確かめてもらうのもいいんじゃないかということで、決定稿のほうを載せることにした。「字幕つくるときに採録は必要になるんで、やってもらったことは助かるんですけど、そういうヒマがあったら次の作品書いてくれたほうが……」と前田監督。でも、初めてやったフィルム起こしは、ずいぶん勉強になった。役者さんの言い回しで台詞が化けること。シーンの順番を入れ替えることによって生まれるテンポ。シナリオではどうってことないシーンをハッとした印象的な場面に変えてしまった監督の演出。シナリオとあわせて掲載されるコメントにも書いたが、オリジナルのシナリオからフィルムになる過程で、監督に「かわいい魔法」をかけられたというしかない。脚本家や映画監督を志す人は、コンクール受賞シナリオ『ぱこだて人』・決定稿『パコダテ人』・劇場公開作品『パコダテ人』を比べてみると、発見することがたくさんあると思う。


2002年03月20日(水)  はなおとめの会

■三軒茶屋の驚くほどおいしく、驚くほど安い店『伊勢元』で第2回『はなおとめの会』を開催。メンバーは同じ会社のクリエイティブ8人に、年末に退職したM氏と制作プロダクションのN氏を加えた、男女5人ずつの10人。もともとM氏の送別会で飲んだのがあまりに楽しく、「またやろう!」ということで今日の会となった。わたしが今一緒に仕事をしている人は一人もなく、普段はほとんど口をきくこともないメンバーなので、会社の人と飲んでいるという感じもせず、話題も仕事抜き。株価や映画や政治の話題の間を下ネタが飛び交う、なんとも豪快な宴となった。男性陣には『寝返りのリュウ(寝返りしただけで女性がなびくという噂)』『ノルウェー(ノルウェーの漁師のような風貌)』『仙人(隠居生活をしているから)』といったあだ名がついている。髪型が役所広司に似ているという理由で『役所』と名づけられたT氏は、最後は『うなぎ』と呼ばれていた。『はなおとめ』の名は、銀座の飲み屋に行くと必ずスカウトされるというU嬢が、酔ってゴキゲンになると鼻が鳴るのが由来。「ブヒッ」と鳴るたび、「入りました!」と拍手が起こる。鳴らそうという狙いが見え見えなものはかえって空振りし、邪念のない会話のほうが素直に受けてもらえる。「なんかさー、こういう意味のない飲み会って、ほっとするよね。鼻の鳴る音数えて盛り上がるなんてさあ」と役所あらためうなぎ氏。店のお父さんお母さんもあたたかくて、おいしく飲ませてくれて、すっかり上機嫌。でも、どんなに酔っても、お店にパコダテ人のチラシを貼ってもらうことは忘れないのだった。


2002年03月19日(火)  パコダテ人ノベライズ計画

■夢は願い続けていれば叶う!を現実に体験しつつある今、『映画』についで、もうひとつの夢は『本』である。自分の考えた話を、それを手に取った人たちと分かちあえる幸せ。パコダテ人のノベライズは絶好の機会だったが、タイミングが遅すぎたらしい。「公開前に書店に並ぶのであれば、この内容でゴーサインが出せたが、公開後の出版となると、映画にない付加価値が求められる」と編集者。読者の立場になれば、その通りというしかない。原稿は11月に書き上げいたから、その頃から動いておけば、東京公開に間に合ったはずだが、今さら済んだことを悔やんでもしょうがない。映画を見た人が読んでもトクした気持ちになる本の仕掛けを考えるとしよう。映画とラストを変えるか、サブキャラクターを主役に持っていくか、言葉遊び中心にするか……。「コピーライターの得意分野でしょう」と前田監督。楽しく悩むことにする。


2002年03月18日(月)  『風の絨毯』高山ロケ3日目 高山観光

今日のロケは永井家のシーン。屋内での神経を遣う撮影だということで、見学を遠慮する。わたしが行って邪魔になることはあっても役に立つことはない。ロケ地となる民家は一昨日見せてもらった。すでにペルシャ絨毯が何枚も運び込まれ、雰囲気が出ていた。ゆりちゃんは出演するかもということで、ひろちゃんと高山観光することに。

通りがかるたび気になっていたカフェ(夜はバー?)『バグパイプ』でカフェオレを飲み、名物朝市を冷やかし、そのそばの団子屋(写真)で1本60円のみたらし団子をペロリ。甘いタレのやつではなく、しょうゆ味。古い街並みをお店めぐりしながら歩き、和紙屋で手すきの葉書を買ったり、おみやげを探したり、飛騨牛の串焼きにかぶりついたり。ランチは『LE MIDI』というフレンチレストランへ。朝方通りがかったとき、窓に書いてあるフランス語をひろちゃんと解読していた店。外観がフランスにある小さなレストランっぽくて、ぜひ味も見てみたいと思ったら、期待以上に盛り付けは美しく、料理はすばらしく、大満足。「けしって英語で何ていうんだっけ? オズの魔法使いに出てくるんだけど……」「POPPYでしたっけ?」「ああ、それそれ」などと話しながら食事する。かわいくて好奇心旺盛な大学生、ひろちゃんにつきあってもらい、たのしい高山観光となった。

3時半発のバスに一人乗り込み、新宿へ。宇多田ヒカルのCan You Keep the Secret?をひたすら聞きまくる隣席のお姉さんは何者なのだろう?今度のライブでやる曲なんだろうか。すごい音漏れで、歌詞まではっきり聞こえる。前々から「近づきたいよ 君の理想に」の部分が「近づく太陽 金色に染まる」に聞こえてしょうがなかったのだが、そこに差しかかるたびに気になり、眠れなくなった。一生分の「近づく太陽」を聞いた気がする。


2002年03月17日(日)  『風の絨毯』高山ロケ2日目 イラン式撮影現場

午前中は『茶の湯の森』の茶室で撮影。中に入れないので、建物の前で昨日に引き続き、ゆりちゃんひろちゃんと「見っけ」で盛り上がる。屋外での宝探しも面白い。昼食のとき、中田金太役の三國連太郎さんと永井誠役の榎木孝明さんにご挨拶し、幸運にもお二人にはさまれる形で食事。どちらも知的で気のきいた会話をされる方だった。三國さんは「京都のとある古い寺になぜかイスラム教のマークが刻まれている」など、歴史の神秘を興味深く話されていた。榎木さんは「脚本がすっかり変わってちゃってすいませんね」と気遣ってくださったが、「イラン流に巻き込まれるのを楽しんでいますよ」と答えると、「僕も楽しんでいます」と、くらっとするような笑顔。後で榎木さんの追っかけという女性に遭遇したが、「全国どこでも追いかけています」という気持ちがわかる気がした。

午後は観光客が行き交う『まつりの森』で屋外ロケ。三國さん、榎木さん、永井絹江役の工藤夕貴さんに思いがけず遭遇した観光客たちが、キャーキャー言いながら人垣を作っていた。着物姿の工藤さんには、あちこちから「キレイねえ」のため息。取材のカメラもすごい数。永井さくら役の柳生美結ちゃんとお母さんに再会。お父さんもサングラスで登場。「目立つとアカンし」と言うが、サングラス姿のほうが目立つのだった。撮影したのは金太と絹江のシーン。どちらも設定だけ与えられ、台詞は自分の言葉で喋っている。かなりの長台詞になっていたが、まるまる使うのか、切ってつなげるのか興味がある。

別の作品の取材で知り合ったS君が岐阜から車で来てくれる。メールと電話のやりとりだったので、会うのは初めて。ゆりちゃんひろちゃんと四人で高山ラーメンの店『ききょうや』で夕食の後、まつりの森のドーム(『地中大空間高山祭りミュージアム』という大仰な名前)内での撮影を見学。誠が金太に絨毯のデザイン画を見せるシーン。ひろちゃんとS君は祭屋台に見入る観光客役でエキストラ出演。祭屋台が18台並ぶドームは面積も天井高もあり、かなり広い空間だが、三國さんと榎木さんの演技が始まると、空気が締まる。さすが。


2002年03月16日(土)  『風の絨毯』高山ロケ1日目

今日から『風の絨毯』日本ロケ。午前8時新宿発の高速バスで高山へ。8名ほどのスタッフの方と同行したが、顔合わせにも出ていないので、知らない人ばかり。13:30高山駅着。ロケバスで『茶の湯の森』へ向かい、お弁当。今日の撮影はなくなったということで、いきなりヒマになる。立派な茶室と美術館を備えた茶の湯の森は、『風の絨毯』が生まれるきっかけを作った地元の実力者、中田金太さんが建てたもの。少し下った場所には高山祭りの祭屋台をずらりと並べたドームや昆虫館が並ぶ『まつりの森』があり、二つの森を結ぶミニモノレールまである。ちょっとしたアミューズメントパークだ。『風の絨毯』は、三國連太郎さん演じる金太さんが「匠たちの技と心を後世に受け継ごう」と伝統の祭屋台を蘇らせる実話から始まる。その見送り幕にイランの伝統芸術であるペルシャ絨毯をかけることで、過去と未来、日本とイラン、そして人と人、心と心を結ぼうという話。

プロデューサー益田さんのお嬢さんのゆりちゃん、姪っこのひろちゃんと手持ち不沙汰な者どうし、行動をともにする。宿も同じ(益田さんの実家の時代宿『やました』)で、一緒にごはんを食べ、お風呂に入るうちに、初対面なのにすっかり仲良くなる。ゆりちゃんが「見っけ」という遊びを教えてくれた。もとはコラージュ写真の本で、小物写真を集めた中に「爪切りどこだっけ?」といった一言があり、それを探して「見っけ!」と指差すのだそうだ。一時期はやった『ウォーリーを探せ』の雑貨版といった感じだろうか。宿のガラスケースに宿泊客から贈られた全国各地の土産物が並んでいて、それを題材に「見っけ」遊びをやってみた。ずらっと並ぶ人形や置き物の中から「キラキラ光るルビーの腕輪」「僕だけ仲間はずれ」「いい湯だな」といったお題に当てはまる物を探し出す。宝探しゲームみたいで熱くなる。夢中になって、今度は自分たちで絵を描いて、問題を出し合った。こうして高山ロケ一日目は、二人合わせてわたしの年の女の子たちと遊んで終わる。


2002年03月15日(金)  月刊公募ガイド

■『月刊公募ガイド』という雑誌がある。コンクール情報(ハガキで応募できるお手軽ものから文芸、写真、アート、料理などなど)、入賞のノウハウ、輝かしい受賞作品、受賞者の言葉、第一線で活躍する人たちのアドバイスなどがギッシリ詰まっていて、好きなことを極めて賞金やプロの座を射止めたい人にはサイコーの手引書である。ここまでヨイショするのは、コピーもシナリオも公募ガイドに教わったから。わたしにとって母校ともいえるこの雑誌に、今日取材を受けてきた。8年前に一度取材していただいた時は『公募ファン』というページだったが、今回は『シナリオライターのお仕事』というカッコいい連載ページの一回分を飾ることになっている。■取材は渋谷の喫茶店で編集者さん、ライターさん、カメラマンさんと女性ばかりで和やかに進行。4月9日売りなので、27日公開の『パコダテ人』を紹介するには絶好のタイミング。ストーリー発想の裏話、前田監督のシナリオ発掘、映画化にこぎつけるまでの道のり、函館市民の協力、全国に広がる応援の輪……幸運な出会いに恵まれ、世界が広がってきたエピソードを披露する。昨日プレス試写を見たばかりのライターさんが「この映画をつくる過程そのものがドラマですね」と熱心に耳を傾けてくださるので、気分がよくてついつい話しこみ、1時間の予定時間を30分オーバーしてしまった。写真撮影は「なるべく引きで撮ってくださいね」とお願いし、バッグにつけたピンクのシッポを強調。カメラマンさんは、シッポが風になびく瞬間を狙ってくれた。■取材後、「今井さんからお便りを受け取って、わずか1週間。まさに引かれ合っているとしか思えません」と編集者さんからメール。「次号は誰を取材しようか」と彼女が考えあぐねていたところに、「公募ガイドから生まれた映画のご案内です」と封筒にデカデカと書かれたパコダテ人試写状が届き、すぐさま取材を申し込んだとのこと。こちらこそ、シナリオを書くきっかけをくれ、函館の映画祭の存在を教えてくれ、『パコダテ人』誕生に導いてくれた雑誌に紹介してもらえるとは、願ってもないことだった。相思相愛の取材の成果をお楽しみに。


2002年03月14日(木)  『風の絨毯』記者発表

■夕方6時半より『風の絨毯』製作記者発表。会場の銀座ソミドホールに開始5分前に到着。用意した席はプレス関係者で埋まり、作品紹介パネルを並べた左右の壁には製作関係者がずらり。最後列に居並ぶテレビカメラの数も半端じゃない。司会者の紹介でプロデューサーの益田さん、ショジャヌーリさん、タブリージーズィー監督、主人公さくら役の柳生美結ちゃん、その父・誠役の榎木孝明さん、母・絹江役の工藤夕貴さんが登壇し、それぞれが作品に込める思いを語る。企画段階から作品に関わっている工藤さんは、「こうして製作発表できるところまで来たんだなあと感無量。9月のテロ以降考えさせられることは多いが、みんな同じように家族がいて笑ったり泣いたりするんだというこんな作品が今こそ必要だと思う」。イランから帰国したばかりの榎木さんは、1か月半に及ぶロケを振り返り、「大変面白い経験をした。台本は、あってないようなもの。監督は映画は生き物だと言い、役者のそのときの実感を言葉にさせる。さくらには一切台本を読ませず、撮影当日になって設定だけ与えた」。美結ちゃんは「撮影は大変だったけど、みんなが優しくしてくれて楽しかった」。監督は「日本は急速に未来へ向かうなかで、大切なものをどこかに置き忘れている。だが、過去がなくては現在も未来もないわけで、この作品では過去の尊さを見つめることをしたかった」。ショジャヌーリ氏は「ペルシャ絨毯はたくさんの結び目からできている。この映画も絨毯のように編んでいる最中だが、合作映画を撮る作業そのものが文化の架け橋だ」。映画初プロデュースの益田さんは高山の祭屋台の写真を見せ、「伝統の祭屋台の見送り幕にペルシャ絨毯をかけるという実話から生まれた作品。日本とイランの文化交流になることを願う」。続く質疑応答では、監督に日本の印象を聞いたり、榎木さんにイランロケの様子を聞いたり、次々と手が挙がる。熱心にメモを取るライターさんたちを見ながら、この人たちの書いたものがすべて記事になるのかなあと圧倒される。フォトセッション中も質問が飛び交い、記者発表後には各社の個別取材が続いた。■会場で「パコダテ人の今井さん?」と声をかけてくださった映画ライターさんと名刺交換して、びっくり。会社の先輩コプーライターの知り合いということで、昼間ウワサをしていた人だった。

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