2002年02月24日(日)  PPK

■この週末の宿題は「風の絨毯シノプシス」と「ドラマの企画」。昨日頭の中で思い巡らせていたことを一気にワープロに打ちこんでいく。そこへ、一日中仕事に出ているものと思っていたダンナがひょっこり帰ってきてしまう。怪しい空想料理ならいくらでも思いつくが、冷蔵庫は空っぽである。気分転換も兼ねて、パスタ屋『こむぎこ』まで歩いて遅めのランチ。近所の人に愛されている小さなお店で、三時前という中途半端な時間にもかかわらず満席。パスタ二種類を分け合い、食後に「まだ食うか!」と呆れられつつバナナジュースに手を出す。隣のテーブルが頼んだ物が欲しくなる性格。ビアマグみたいな巨大なグラスになみなみと注がれたバナナジュースのてっぺんに、テニスボールみたいにデカいバニラアイスが乗っかっている。「ジュースを崩さずにどうやってアイスを食べようかねえ」と無邪気に格闘をはじめる。楽しい。おいしい。「これはバナナジュース王だ!」と宣言すると、「そんなに言うほど飲み比べてないくせに」とダンナは冷めている。そんなんで人生楽しいのか。■NHKのど自慢、今日は長野県佐久市から。トップバッター『春一番』を歌うお姉さん三人の背中に『P』『P』『K』の文字。会場にも『PPKの里』の横断幕。何の頭文字だろう。お姉さんたちは市役所職員で、お年寄りの健康を見守る保健関係の部署にいるらしい。「Pはパトロールか?」などと考えていたら、意表をついて「ピンピンコロリ」の略だった。ピンピン元気に長生きして、長患いしないでコロリ。こんな大胆な標語を掲げる佐久市は、高齢者の寝たきり率が全国平均の半分なんだとか。■パコダテ人のHP『パコダテ人ピロパ』に行ってみると、日曜なのに珍しくにぎわっていて、「パコダテ語を流行らせよう」などと盛り上がっている。パコパコ好調。


2002年02月23日(土)  連想ゲーム

■会社近くのデリが去年開いたレストラン『RISO』で友人たちと食事会。メンバーは、わたしの書いたものにビシッと的確な一言をくれるご意見番の元同僚アサミちゃんと公務員のダンナのトビちゃん。CMプロデューサーのヤマシタさんと、その大学時代のゼミ仲間でファッションメーカー勤務のタムラさん、フリーコピーライターのコウジモトさん。化粧品の広告を一緒に作ってた元同僚のユミちゃん。そして、うちのダンナというなんとなく接点のある8人。夕方6時半から4時間余り、よく食べてよく飲んでよくしゃべる。「ニュースステーションのビョークのインタビューは良かった」「ダンサーインザダークは感動した」「ビューティフルライフも良かった」「それを言うならライフイズビューティフルでしょ」「そういや北川江吏子が次の月9書くんだって」「キムタムとさんまでしょ」「今季のドラマ見てます?」「恋のチカラって仲畑広告が舞台なの?」「タグボートって聞いたけど」「公務員なら恋するトップレディーを見るべきですよ」「大河ドラマは?」「竜馬は出てこない?」「時代が違う!」「三谷さんの彦馬が行くは見た?」といった具合に、連想ゲーム状態で話が飛ぶ飛ぶ。レーザーで鼻を焼いてきたばかりのユミちゃんと先週からビービーいいだしたうちのダンナの花粉症コンビが鼻をかんでいる間に、スキー旅行の話から可愛いペンションの話になったかと思うと、松たかこ主演の嵐が丘の話題になる。こういう会話からわたしは刺激をもらい、ネタを拾っている。


2002年02月22日(金)  生みっぱなしじゃなくて

■『風の絨毯』プロデューサー二人と打ち合わせ。場所は赤坂の行列ができるパスタ屋。パコダテ人で親しくなった小山さんとランチの約束をしていて、「すぐ近くの店に上司がいるので、ご紹介していいですか」と言われ、一緒に食事をしたのがきっかけで、風の絨毯の話が舞い込んだ。ここから始まったんだなあと不思議な気持ち。イランでの撮影に立ち合ってきた報告を聞き、今後のスケジュールを話し合う。週末に最新のシノプシス(あらすじ)を上げることに。日本部分(飛騨高山)の撮影は三月下旬から。「わたしたちにとって作品は子どもだから、生みっぱなしじゃなくて責任持って育てないと」と話す。この作品への関わり方は、かなり変則的だと思う。脚本家というよりはブレーンといったほうがいいかも。くわしく話せる時期が来たらご報告したい。


2002年02月21日(木)  映画祭

■いったい世界にはいくつ映画祭があるのだろう。はじめて脚本が映画化され、いざ映画祭に出しましょうと調べだしたら、おそろしい数があることに気づく。日本国内だけでも何十とあり、どの国もそれぞれの映画祭をやっている。子ども向け、コメディー、ホラー、同性愛モノなど特定のジャンルをうたったものもある。ビデオプランニングでの宣伝作戦会議のあと、膨大な資料をめくりながら「どの映画祭がパコダテ人に合っているか」を検討。開催時期が合わず、出したいけれどもエントリーが間に合わないものもある。はじめての子を見せびらかしたい親の気持ちと同じく、世界中の一人でも多くの人に見てもらいたいと思ってしまうが、映画祭に出品するにはお金もかかるし、プロデューサーいわく「出しても意味のない映画祭」もあるのだとか。出すからには作品の評価を高め、買い手がつくきっかけにしたいという製作サイドの意向もあるのだろう。それにしても、どの映画祭も「招待作品は監督、プロデューサー、主演俳優の旅費・滞在費を負担します」とあり、脚本家は呼ばれないらしい。通訳として連れてってくれないかなあ。


2002年02月20日(水)  別世界

■イスファハンで撮影中の日本イラン合作映画『風の絨毯』。その撮影風景のドキュメンタリー映像を持ってプロデューサーが帰国。15分ほどにまとめ、関係者を集めて披露した。イランの映像資料はいくつも見たが、物語の登場人物が動いていると、また違った印象になる。染めた糸を干す中庭、石畳を走る馬車、噴水、モスク、バザール…。東京で会った主人公さくら役の柳生美結ちゃんも、女優の顔になっている。目の力が強く、なんとも言えない表情を見せる。「この子はいいねえ」と配給のソニーピクチャーズの皆さん方も唸る。「映画は生き物だから毎日変わると監督に言われました。前の日にリハーサルして、撮影当日にもう一度リハーサルして台詞を決め込んで、本番。いいペースです」とインタビューに答える榎木孝明さん。ヒゲと日焼けで逞しい顔になっている。脚本は日々変わっているようなので、報告映像だけではどういう展開になっているかうかがい知れないが、確実に言えるのは、日本とはまったく違った世界で日本映画とはまったく違ったテイストの作品が出来つつあるということ。タブリージー監督の思慮深そうな顔が何度か大写しになった。「いつも考えているんです」とプロデューサー。最高のシーンを撮るために全神経を集中させているのが見て取れる。監督を信じて突き進むのみ。■早く帰れたので、『ロングラブレター〜漂流教室』を見る。虎牙光揮君が出ているからと見始めたら、はまってしまった。二回に一回ぐらいしか見れないが、今日の回で虎牙君演じる人類の末裔らしき男は死に絶えていた。あたり前だと思っていた世界から突然切り離されたとき、人はどう生きるのか。


2002年02月19日(火)  償い

■読売新聞夕刊の「三軒茶屋駅 暴行死判決」の記事に「さだまさしの『償い』異例の引用」の見出し。裁判長が引き合いに出した『償い』は、雨の日に男性をはねて死亡させた若者が遺された妻に仕送りを続け、七年後にようやく「ありがとう あなたの優しい気持ちはとてもよくわかりました」と手紙を受け取る内容。歌詞とともに掲載されたさだまさし氏の談話によると、交通事故で夫を亡くした知人に聞いた実話が基になっており、「加害者を許した被害者と、被害者からそのような言葉を引き出した加害者の誠実さの両方に心を動かされました」という。■何年も心の奥で眠っていたエピソードを思い出した。親友に聞いた弟のかつのり君の話。彼が追突してしまった車の助手席に、臨月の妊婦が乗っていた。むちうちは軽症だったが、事故が原因で出産にもしものことがあってはと苦しんだかつのり君は、来る日も来る日も妊婦さんの病室を見舞った。「お医者さんも大丈夫だと言ってるから」と断られても、病院参りをやめなかった。妊婦さんは無事元気な男の子を産んだ。そして、その子に『かつのり』と名前をつけた。はじめてのお産で不安だらけの夫婦を襲った追突事故。だが、毎日病室にやってくる若者にいつの間にか情が湧いたのだろう。生まれてくる子の名前を夫婦が話し合っている場面を想像するたび、人間っていいなあと思ってしまう。あのとき生まれたかつのり君は、そろそろ小学生。名前の由来を聞かれたら、お父さんとお母さんはもう一人のかつのり君の話をするのだろうか。■交通事故と暴行死を一緒に語るのは乱暴かもしれない。だが、三軒茶屋の事件も心のブレーキが間に合わなくて引き起こした悲劇だとしたら、加害者もまた深い傷を負っている。誠意が被害者の遺族だけではなく、加害者自身の痛みを癒す薬にもなることを願う。


2002年02月18日(月)  函館ラ・サールニュース

■封書の便りを受け取ることは珍しくなったが、今日に限って三通も届いた。まず一通は函館ラ・サール高校新聞局(新聞部と呼ばないのが新鮮)の外山君から。函館の映画祭に行ったとき取材を受けたので「新聞が出来上がったら送ってね」と住所を渡しておいたのだ。御礼の手紙を添えて届けられたB4四枚分の分量の『函館ラ・サールニュース』。トップニュースは「卒業証書授与式」。二月十日とは早い。その下にセンター入試の記事。「本校の平均点は550・0(満点は800点)」とのこと。中面に「校内特集 宗教教育とは何か」「郊外特集 映画の街の灯」の二大特集。パコダテ人は函館港イルミナシオン映画祭ルポの中で「海外のコメディ映画のようなテンポのよい作品」と紹介され、「函館は、現代性がなくて時の重みがある。ファンタジーの雰囲気に合っている。函館でやらなかったら、違う話になっていた」とわたしの言葉が要約されている。函館を舞台にした映画はおよそ60本もあるらしく、「ロケ地としてこれほど恵まれた土地に住んでいる私たちであるが、普段はどれほど映画を見ているだろうか」と問題提起。手始めにパコダテ人をとまでは書いていない。他にも「他校訪問 函館遺愛女子高校」「はこだて探訪〜啄木に願いを〜」といったコラムに土地柄を感じる。昔せっせと学級新聞を書いたなあと懐かしい。■次の封書は、年末に『囲む会』を開いてくださった七十代トリオの一人、高田氏。和紙に墨でしたためた手紙と、新しい平和の形を提案する論文。総文字数は三千字を越えるだろう。戦争を体験した証人として、今の世界に言わずにはいられないことを抱えている高田氏は、今井雅子作品を「迷い人救出作戦的物語」と呼ぶ。■最初に封を開けたのは、札幌で会ったばかりの田森君から。山形の児童演劇脚本コンクール受賞作とこれからコンクールに応募するシナリオをどかんと送ってくる。送料700円。演劇脚本は「おねしょした布団をたたくと、なくした大事な物が出てくる」話。大人になるとき、過去に置いてきてしまうのは寝小便だけではないことに気づかせてくれる。


2002年02月16日(土)  パコダテ人@スガイシネプレックス

■7時起床。「一緒に朝食をとりたいので同じ時間に起こしてください」と同室の増田さんよりメモあり。起こして食堂へ。宿泊客が多いせいか昨日より品数が多い。コーヒーで目覚める。■7時半過ぎ、映画祭のバスに『ひまわり』前で拾ってもらい、パコダテ人組とともに新夕張の駅まで届けていただく。■8時20分発のスーパーとかちに乗り、9時半過ぎに札幌着。三木さんのいびきで眠りから覚める。駅の喫茶店でコーヒーを飲み、スガイシネプレックスへ。劇場前で黒岩茉由ちゃんとママが待っていてくれる。入口ではパコダテ人予告編をエンドレスで放映。「テレビでもすごく流れてますよ」と茉由ママ。控え室に入ると、札幌テレビとアートポートの方々がずらり。スーツにシッポ姿の方も。11時過ぎ、客席そで口に移動。客席の反応を直に見られなかったが、終わったときに拍手が起きたとか。どさんこワイドの中島静佳さんの司会で舞台挨拶。シッポをつけた大泉さんとあおいちゃんに続いて前田監督が登壇。「いつも同じ服着てる」と突っ込むあおいちゃんに「俺たちはスタイリストがつかないんだよ!」と切り返す大泉さん。2本のマイクを3人で取り合い、笑いの絶えない楽しいトークとなった。上映2時間前から並んだ人もいたと聞くが、たっぷり話を聞けて満足されたのでは。■はじめての北海道旅行が重なった大阪の義弟夫妻と応援団の後輩で札幌出身の吉田君が見に来てくれていた。4人でサッポロビール・ファクトリーのビアホールへ。ハスカップビールにジンギスカン、鮭の陶板焼、ジャーマンポテトと北の味覚尽くし。同じビル3階の写真ライブラリーで田森君(函館映画祭受賞の同期)が働いていたことを思い出し、会いに行く。山形の人形劇台本コンクールで受賞したとのこと。■ファクトリー隣の旧永山武四郎邸を見た後、道庁の博物館へ。キタキツネの剥製の説明書きに「寄生虫エキノコックス」とある。■風邪を北海道に置き去りにして身軽になり、東京へ戻る。■(写真は、控え室にずらり並んだ『つけシッポ』)


2002年02月15日(金)  ゆうばり映画祭3日目

■風邪が良くなって気分爽快。誰もいない雪道をずんずん歩き、パコダテ人上映会場のスポーツセンターに着く。他の関係者が到着するまで1時間。落ち着ける場所で日記でも書こうと交通整理のお兄さんに「近くに喫茶店はありますか?」と聞き、「少し歩けばある」と指差された方向へ歩く。30分ほど歩いたが、見つからず。11時過ぎ、みんなと合流し、関係者控え室へ。劇団公演中の大泉さんは今朝札幌から駆けつけ、舞台挨拶が終わるとトンボ帰り。12時から舞台挨拶の後、上映。お客さんは300人ぐらい。1000人入る会場では空席が目立ってしまう。函館より反応が薄い気がしたが、5段階評価アンケートの平均が4以上だったと聞き、安心する。■前田監督、あおいママ&妹ちゃんと散策へ。軒先に並んだ雪だるまに番号が振ってあり、人気投票をしている。長い階段を登り、石切神社にお参り。「石を切る」ことから「おできの神様」らしいが、しっぽもデキモノなのでパコダテ人のヒットを祈願。■17時からの『害虫』舞台挨拶について行く。塩田明彦監督と少しお話しする。会社の先輩だった女性が『害虫』に出演していたこと、『彼女たちの獣医学入門』に出演した水橋研二さんの研究で『月光の囁き』を拝見したことなど話す。■三木さん、前田さんと『寿司元』で夕食。昭和14年からやっている店。頑固そうに見えた親父さんは、話すと気さくな人で「昭和35年頃がピークだったな。この辺は遊廓でね。あの頃は、うちの店もいい思いしたよ」と黄金時代の昔話を聞かせてくれた。人ひとりいない道を半泣きになりながら夕張駅まで歩き、快速旅團にパコダテ人ポスターを届ける。コーヒーを飲みに来た金物屋で映画祭応援団の佐藤さんが宿までトラックで送ってくれるというので、コーヒーを飲みつつお話しする。今までは地区ごとにばらばらに活動していたボランティアが今年は応援団として結束し、祭りを盛り立てているのだとか。佐藤さんとの話で、夕張の氷アートの謎が二つ解ける。ひとつは雪に色をつける方法。ピンクやオレンジの雪だるまが気になっていたのだが、かき氷のシロップで色をつけてから固めるらしい。もうひとつは、中にろうそくを灯すプリン型氷の作り方。バケツに水を張り、外側だけ凍ったところでひっくり返し、てっぺんを割って中の水をかき出すと、ろうそくを入れる空洞が出来る。『アイスキャンドル』と言うのだそうな。


2002年02月14日(木)  ゆうばり映画祭2日目

■9時前に家を出て、12時前に千歳着。2時過ぎにバスで夕張入り。はじめて訪れた北の町は意外と近い印象。一面の銀世界だが、軽やかな粉雪は真綿のようで寒さを感じさせない。招待ゲストと映画祭ツアー客を乗せた専用列車が3時に夕張駅に着く。楽団や市民、ホットミルクの歓迎。パコダテ人組は、あおいちゃんも前田監督も三木プロデューサーも照れくさいのか、うつむいたまま足早に通りすぎる。■駅のすぐ横が、昨日「夕張に知り合いがいた!」と驚かされた金子先輩夫婦が去年8月に開店したばかりの『快速旅團』。ジャケットと手ぬぐいが目玉商品の「ライダー用の防水マニアの店」。カウンターで簡単な食事もできる。ニラ玉丼(350円)とビタミンスープ(300円)の遅めの昼食。この手の「喫茶できる店」の貴重さを後で思い知る。■開会式は三味線・太鼓・尺八のトリオ『響』によるパフォーマンスで幕開け。映画に貢献した女性に贈られるマックスファクター賞授与式、審査員やゲストの紹介と続く。市長の挨拶で「夕張の娯楽は映画で、炭鉱で3交替で働く人々のために24時間映画館が開いていた」と知る。かつて市内には25館がひしめいていたとか。■オープニング作品はディズニー&ピクサーの『モンスターズ・インク』。ドアの使い方、悲鳴を集めてエネルギーにするという発想、女の子の年齢設定(言葉は発するが意味を成さない)がうまい。「ドアはアイデアやなあ。心の扉とかっていうしなあ」と前田監督。
■ウェルカムパーティーはホテルシューパロにて。ドイツから来たゲストにドイツ語で話しかける。「明日のHappy Tailを見てくれ」と売りこんだつもりなのに、「ドイツ語の練習デスネー」とスマイル。全然通じてない。メイン会場がすごい人なので、別フロアのコーヒーショップで食事を取る。■宿泊先の『ファミリースクールひまわり』は高校を改造したホテル。教室ひとつ分のひろーい部屋(写真)に、神奈川から単身で乗り込んできた学生の増田文子さんと二人きり。寝相が悪くても安心。ヒーターをがんがんに焚いた室温は25度。寒くない。

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