2002年01月30日(水)  ボケ

■自慢ではないが、低血圧なら負けない。健康診断で「90-60-90」という数値を見た看護婦さんに「これがプロポーションだったらいいんですけどね」と言われたことがある。余計なお世話だ。50台を記録したこともあるので、早起きが苦手な言い訳は十分にできる。目覚めは極端に悪く、左右ばらばらの靴や、背中のファスナー全開で出社したこともある。もちろん、気づいた衝撃で眠気は吹っ飛ぶ。今朝は35分発の電車を逃したはずなのに、ふとホームの電光表示を見ると、6〜7分感覚で来るはずの次の電車は48分発になっていた。「41分発の電車は?」。ぼーっとしている間に電車を一台見過ごしてしまったらしい。■アメリカのホストマザーから「Masako Imai's Cafe英語ページに8か所のスペルミス発見」のメール。「scgoolではなくschool。gaeではなくageよ」。すべて初歩的なミス。四年ほど前に再会したとき、「あんたの英語はどこ行っちゃったの?」と嘆かれたが、またがっかりさせてしまったかも。


2002年01月29日(火)  年輪

■メアリーの話をWORDSにアップしたので、今日は彼女のことを思っている。出会った日が九十才の誕生日だったメアリー・ルース・スティーブンソンは、わたしの人生観をいちばん大きく変えた女性だ。ニュージーランドのクライストチャーチからブライトンへ向かうバスで隣の席になり、二時間の道のりの間に友だちになった。彼女は泊まりがけの、わたしは日帰りの一人旅だった。「バスを降りたら、お別れだなあ」と名残り惜しく思っていると、「さあ行きましょうか」と自然に誘われ、帰りのバスが来るまで一緒に過ごすことになった。海岸で貝殻を集めながら、尽きない話を続けた。「明日はここで泳ぐの。かわいい水着なのよ」と言う笑顔がとびきりチャーミングだった。どの本から読もうかしら、夕食は何にしよう、明日晴れますように……。彼女は本当に楽しそうで、きらきらしていて、「誕生日ごとに人生は素晴らしくなる」と笑った。別れ際に、夕日の見えるカフェでお茶をした。ジャムサンドイッチとミルクティー。温い気持ちに包まれたのは、湯気のせいだけではない。「あなたは最高のお客様だから」と当然のように支払い、微笑む彼女こそ、言葉にできないくらい最高だった。あれから十年以上経つ。何度か手紙を交わしたが、わたしが引っ越してしばらくした後に出した手紙には、返事がなかった。メアリーのことを思いだすとき、今も元気でいるだろうかと考え、答えを求めることをやめてしまう。何才になろうと、彼女はかわいいおばあちゃんのままで、毎年あの海辺の小さなコテージで誕生日を祝うのだとおとぎ話のようなことを考えている。


2002年01月28日(月)  心意気

■夕方からの会議で頭に来ることがあり、ひさびさに会社で吠えた。わたしが怒っても迫力はないのだが。原因は、わたしの書いたコピーを見た偉い営業さんが「こんなコピーを持って行ったら得意先が気を悪くする!」と頭ごなしに否定したこと。得意先との事前打ち合わせを踏まえた上で、いちばんいい表現を探った結果なので、ほめられることはあっても、叱られるとはまったくの予想外だった。要は「もう少し無難なコピーはないのか」ということなのだが、言い方が悪い。思いやりがない。横から別の営業さんが「まあまあ、そういうわけで、あと2案ぐらい作ってよ」と丸くおさめようとしてきたので、「なんで2案って決めるんですか!適当に数さえ合わせればいいんですか!愛がなさすぎる!」と言い返した。決して嫌いだとか仲が悪いとかではなく、むしろ普段は楽しく仕事をしている人たちなのだが、たまにやる気に水を差すようなことをやってくれるので、釘を差したつもり。■一緒に組んでいるデザイナーと以前、二人そろって吠えたことがあった。そのときの担当営業が「ブツはできましたか?」と失礼な言い方をしたので、「俺たちが寝ずに考えたアイデアをブツ呼ばわりするとは何ごとか!」と逆上し、会議に『ブツ』と書き殴った紙を持って行ったのだ。創造することを仕事にしている人たちのこだわりや心意気をうっかり傷つけてしまうと、後が怖い。■


2002年01月27日(日)  詩人

■先日ダイアリーに書いた雨乞いの話を読んで、パコダテ人の前田哲監督からメールが二通届いた。一通は「映画を初めて撮った時。知り合いの人全てに手紙を出しました。ようは、チケットを買ってくれということなんですけど、はっきり買ってと言える人は数が限られています。詩を添えて送りました。何百通も」という文面に続いて、『砂漠に雨を降らすため、雨乞いの踊りを 踊る前田哲。貴方の、一滴の雨で、救われる。ぜひ、観てやってください。宣伝してやってください。』とそのとき送った詩があり、最後に「雨より、嵐より、台風にしてやりましょう」と結んであった。もう一通は「『誰か上の方で俺を好きなんだ』。ポール・ニューマンが「傷だらけの栄光」という映画の中でいうセリフです。僕は、このセリフが大好きです。誰も見ていなくても、神様は見ていると僕は信じています。がんばった人(『がんばった人』と名付けましょう)には、必ず、何らかのプレゼントがあります。僕はそう固く信じています。シャルウイダンス、踊りましょう。見てるよりも踊ってるほうが、おもろいにきまってまんがな。僕らは、人に夢を売るダンサーでっせ。雨乞いどころか、台風乞いや」とあった。前田さんは、映画監督である前に詩人である。監督は長篇三作目が勝負作と言われるとか。前田さんにとって三作目となるパコダテ人、わたしも一緒に台風を起こしたい。


2002年01月26日(土)  オヨヨ城

■筒井康隆の短編集『馬は土曜に蒼ざめる』を読み終える。この人の小説のすごいところは、何度読んでも初めて読んだ気になってしまうこと。おかげで同じところを何度も読み直してしまい、時間がかかった。初版が1976年で解説が小林信彦。その一節に「(わたしには)テレビの仕事がすべてなくなり、ジュヴナイル『オヨヨ城の冒険』などを書いていた寒い時期があった」とあり、衝撃を受けた。オヨヨ城シリーズは子どもの頃、大好きでボロボロになるまで読んだ。不条理なやりとりの連続で、笑い転げてページをめくったのだ。なのに作者は寒い思いをしていたとは、なんとも複雑な気持ち。■NHK-FM青春アドベンチャー『カレーライフ』を3週間聴き続けたせいでカレーが食べたくなり、寝かしておいた無印良品のスパイスセットで作る。最終回を逃したが、無事カレー屋は開店できたのだろうか。■今夜のFMシアターは、じんのひろあき氏脚本の『質屋』。なんと、じんのと名乗る脚本家が登場し、質屋を取材する過程がドラマになっている。函館の映画祭でお会いしたとき「ラジオドラマは180本ぐらい書いた」とおっしゃっていたが、じんのさんだからできる手法だなあ。


2002年01月25日(金)  絨毯に宿る伝統

東京ビッグサイトで行われている日本最大のインテリアの国際見本市JAPANTEX2002へ。インテリアとわたしの接点といえば、絨毯。映画『風の絨毯』に登場する絨毯製作でご協力いただいたフジライトカーペットのブースが風の絨毯をテーマに展開しているということで、見学にうかがった。イランの伝統芸術であるペルシャ絨毯と飛騨高山の匠たちの技と心を注ぎこんだ祭屋台。それぞれの魅力と、この二つが作品で出会う経緯がわかりやすく展示されていた。ロケハンのために来日したタブリーズィー監督、プロデューサーのショジャヌーリ氏も訪れていて、ご挨拶する。監督は3分の1サイズの展示用の祭屋台を見て、「本物を見るのが楽しみだ」と穏やかな口調で語っていた。『Spring 春へ』『トゥルーストーリー』の翻訳をされたゴルパリアンさんにもお会いできた。日本で公開するイラン映画は、ほぼすべて訳しているという。「こんな若い人とは思わなかった」と言われたが、わたしも名前の響きからてっきり男性かと思っていたら、チャーミングな女性だった。

ブース内にはペルシャ絨毯織りを体験できるコーナーもあり、講師の方の手ほどきを受けて、挑戦。資料で見たビデオではリズミカルに結んでいたが、相当熟練しないと、ああはいかない。番号を書き分けた方眼紙、番号と織り糸を対応させた色見本、織り糸。この3つを見ながら織っていく。中には11113332244……と数字だけ書かれた指示書もあり、織り上げるまで、どんな図柄が出てくるかわからないという。

フジライトの常務取締役の富田明博氏ともご挨拶する。やわらかい大阪弁を使う、あったかい雰囲気の方。「うちは、もともと大阪の会社なんです」。わたしが堺市出身だと告げると、「発祥は堺市の北野田です」と言う。「堺式だんつう(段と通に糸偏がつく)という織り物があったんですが、今では継承者がいなくなり、かろうじて堺刑務所で守り伝えられているんです」とのこと。こんな話も聞けて、実り多い二時間だった。

今日はこれから大学時代の応援団仲間と会う。大学は別々だが「激動の四年間を共に生き抜いた」という連帯感から『激四会』と名付け、たまに集まる。最初に盃を干した者が先輩の名刺を頂戴できるとか、石油ポンプで酒を飲むとか、部外者とは分かち合えない特殊な世界だったが、これも日本特有の文化なのかも。


2002年01月24日(木) 主婦モード

■午前中、得意先でミーティング。主婦向けの商品だが、出席者はわたしを除いて全員男性である。「家族の健康を気づかう主婦としては、こういう方向のメッセージのほうが……」と、ここぞとばかり主婦の視点を主張。ふだんは忘れているが、いちおう主婦なのだ。実感が伴っていると、説得力がある。■家の近くの生協で晩のおかずを買って帰る。今日は「組合員 お魚1割引」の日。なのにレシートを見ると、割引になっていない。組員メダルを持っているか聞かれなかったので見せなかったら、非組合員だと見なされたのだ。甘エビ298円。約30円の損である。だが、迷った末に、レジのお姉さんに言うのを諦めて店を出る。甘エビには、すでに4割引のシールが貼ってあった。「この人、4割引で買った上に、まだまけさせようとしてるわ」と思われるのを恐れたのだ。弱い。会社や映画製作では一千万単位の話をしているが、主婦のわたしは十円の世界に生きている。■主婦の自覚がないのは、主婦らしいことをしていないからである。わたしのレシピ集は教訓集にしかならず、片付けているつもりの部屋が明らかに散らかっていく。「炊事、掃除以外なら、まかせて」とダンナに開き直ったら、「それで許されるのは美人だけだ」と一喝された。お気楽主婦を容認されているということは、美人の証?いや多分違う。あまりのダメ主婦ぶりに、自分で嫌気が差すこともある。昨日帰宅したら、台所から異臭がしていた。流しに積まれた食器をかきわけると、案の定、排水溝が詰まっていた。イヤなことは後回しにする性格なので、今夜ヌメリ退治を決行。新聞紙、穴のあいた靴下、毛先の開いた歯ブラシ、ビニール袋などを動員し、ヌメヌメと闘う。とりかかるのは億劫だが、やり始めると、ムキになり、楽しくなってくる。ピカピカになった排水溝に、生協で買ってきた『五日間だけ待って頂戴』を吊るす。納豆菌の仲間の酵母が自然分解するチカラで、汚れやヌメリが付着するのを防いでくれることになっている。五日間というのは、彼らが本格的に活動開始するまでのウォーミングアップ期間らしい。がんばれ、納豆菌の仲間!


2002年01月23日(水)  ラッキーピエロ

■間違い電話のおかげで、ひさしぶりにさおりと話をする。携帯電話で近くに登録した人にかけるつもりだったようだ。小学五年のときの家族旅行で蓼科に行ったとき、地元の五年生が授業で観光客にアンケートを取っていた。余白に住所を書いておいたら、返事をくれたのがさおりだった。そこから文通がはじまった。今みたいにメールで気軽に全国の人と知り合える時代ではなかったので、一通一通が刺激的だった。さおりの学校では、運動場に水をまいておくと、翌朝にはスケートリンクに変身するのだ!はじめて生身のさおりに会ったのは、修学旅行で蓼科を訪れた中学三年の秋。クラスメートに「わたしってどう見える?おかしくない?」と何度も確認し、感動の面会。思った通りの女の子だった。さおりも失望しなかったのか、つきあいは今日まで続いている。大阪と長野にいた二人がなぜか今は東京にいて、去年は一時期、同じビルで働くという偶然もあった。不思議な縁だと思う。■函館のハンバーガーショップ『ラッキーピエロ』から葉書が来ていた。映画祭で訪れたとき、アンケートに「パコダテ人でお世話になりました」と書いたのだが、その返事らしい。印刷の定型文の余白に「映画完成おめでとうございます」と書き添えられているのがうれしい。97年に出会って以来のラッピファンだが、ますます好きになる。オリジナルのシナリオにはなかったが、主人公たちの行きつけの店をどこにしようという話になって、「ラッキーピエロがいい!」と言ったのを、監督やプロデューサーが実現させてくれたのだ。監督は自腹で買ったラッキーピエロのTシャツを着て、交渉に行ったらしい。わたしのイチオシのチャイニーズチキンバーガーもちゃっかり出演。自分の好きな食べものが作品に登場するなんて、愉快だ。


2002年01月22日(火)  夢

■就職活動時代、東京から西へ向かう新幹線の中で出会った同級生のS君は、第一印象から不思議な人物だった。先日五年間の渡米生活に終止符を打ち、日本に帰ってきたが、渡米のきっかけは地下鉄サリン事件に遭って会社を辞めたことだった。ひょんなことからアソシエートプロデューサーとして関わった映画『Bean Cake』がカンヌ映画祭で受賞し、授賞式にも行ってきたという。そのS君から「team Oscar」メールが届くようになった。オスカーはあのアカデミー賞のオスカー像だ。それを手にするために今日自分は何をしたかが短い文章で綴られている。「しまった!何もやっていないのに一日が終わった!」「今日はこういう本を読んだ」といった具合。誰かに読んでもらうことで自分を奮いたたせているのかなあと思う。わたしは何をめざすのかな。■『ディズニーファン』のコラムで、パパイヤ鈴木さんがかつて東京ディズニーランドのダンサーだったことを知る。Disneyland is your landの歌詞に「好きなことはなんでもかなう」という一節があるという話に続けて、「必ず雨が降る雨乞いの踊りというのがあるんですけど、それはどうしてかというと、雨が降るまで踊り続けるからなんです。だから、夢だって見続けていれば絶対かなうんです」。夢を見続けるにはエネルギーが要る。雨乞い踊りを続けるように。ほめられたり認められたりすると馬力が出るが、神様のごほうびがないと、ガス欠になって立ち止まってしまうわたし。
(後日談。2004年、朝日新聞で、漢字一文字をタイトルにして毎回一人の行き方に光を当てるコラム連載があった。ある日、目に留まったタイトルは『夢』。取り上げられていたのはS君だった。記事を読んだときはこんな日記を書いていたことを忘れていたけれど、タイトルが同じでびっくり。2004年6月16日)


2002年01月21日(月)  祭り

■文化祭、体育祭が大好きだった。お祭りと聞くと血が騒ぐ。ゆうばり国際ファンタスティック映画祭。そそられる名前だ。国際とつくと、カンヌ広告祭のあの熱気と興奮を想像してしまう。パコダテ人は招待されたが、脚本家はされない。早く無名時代を脱出するぞ。三木プロデューサーから「行かないんですか?」と電話。14日の開会式から参加し、16日の札幌初日に立ち合うスケジュールらしい。面白そうだ。■会社近くのカフェSolare(URLがpront.comということはプロント系列?)で夕食。前から気になっていた「きなことアーモンドと黒蜜のパンケーキ」がどうしても食べたくて、さんざんおかずを食べた後にオーダーしてしまう。薄っぺらいのが一枚だけ来るかと思ったら、堂々たるホットケーキが三枚。しかもてっぺんにはアイスクリーム。アイスの山を崩して大胆にほおばると、なんとバターだった。一枚でギブアップし、残りは朝ごはん用に持ち帰る。

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