2001年12月30日(日)  アナログ

■年賀状を書きまくる。去年、いや今年受け取った年賀状を見ながら宛名書き。つい文面を読んでしまったり、書いた後で住所変更のハガキガ見つかったり、効率が悪い。住所録を作っておいて印刷すれば楽なのになあと毎年思いつつ、今年もやらずじまい。■お正月は東京でのんびりしつつ、シナリオ書きと企画出し。大量のプリントアウトに備えて、ワープロ用感熱紙百枚入りを三冊買う。パソコンのプリンターはあるのだが、接続のし方がわからない。


2001年12月28日(金)  捨て身

■ひたすら年賀状を書く一日。毎年枚数が増えている。ひくにひけない『年賀状界の小林幸子』の苦しみ。裏を返せば快感でもあるのだけど。『パコダテ人』DMを兼ねた2002年度年賀状は、レイアウトしたデザイナー自ら「こんなん出して大丈夫?」と不安になった問題作。これも、かわいい作品を売るための捨て身のサービスなのだ。でも、来年の年賀状は減るかもしれない。


2001年12月27日(木)  今がいちばん若い

■「ありがとうございました」という社内メールを何通も受け取る。今月いっぱいで会社を去る人たちからの挨拶だ。長年勤め上げた人が多いせいか、なかなか味わいのある文章ばかり。女性コピーライターの大先輩は「いろんなことに挑戦したい。今がいちばん若いのだから」。今より若返ることはないということをポジティブに言うとこうなるのかと感心。■会社に残る人からも「ありがとうメール」が届く。同じプロジェクトに関わったメンバー全員に宛てて、ねぎらいの言葉と「来年もいい仕事しましょう」と爽やかな決意。『全員に返信』で他のメンバーも「こちらこそありがとう」と言い合う。きもちいい。■夜は新宿でパコダテ人スタッフら映画関係者中心の忘年会。リクエストに応えて友人の美女たちを連れて行くと、「動物と人間ぐらいの差がある」と前田監督。おだまり。「顔なんか関係ないですよ。この人は役に立つ女ですから」と三木さん。フォローになってない。安ければ何でもいいのだ。パコダテ人ナマ応援団長の虎牙光揮君は、はじめてのドラマの役作りで北京語を特訓中。「勉強したいと思ってたのでラッキーです」と目がキラキラ。チャンスを栄養にする人だ。


2001年12月26日(水)  ロマン配合

今井雅子ファン最高齢の七十代のオジサマトリオが『囲む会』を開いてくださり、外苑前の点心・中国料理『ピート』でごちそうになる。看板の趣味が相当悪いけど、おまかせで他の店にはないメニューを出してくれ、そのうえ安いので、お気に入りのお店。四十ン才年上のオジサマたちは絵を描かれていたり、俳句をたしなまれていたり、とにかく行動的。話題も旅行のこと、テレビ番組のこと、戦争のこと、こわい奥様のこと、教育のこと、ポンポン飛んで追いつくのが大変なぐらい。わたしのこれまでの作品も熱心に批評してくださり、和紙にしたためた感想文まで頂戴する。「今井さんの作品には、リアリティーの中にロマンのエッセンスが入っています」と言われ、いいほめ方だなあと思う。自分を甘やかしてはいけないけど、ファンというのは、やっぱりうれしい。


2001年12月25日(火)  発見!

■渋谷『しゃぶ禅』にて会社のグループの忘年会。「牛は絶対イヤ!」と発起人が主張して、海鮮・豚・鳥しゃぶしゃぶを予約したら、発起人は風邪でダウン。ありがちなことだ。■同じグループにいても、同じプロジェクトに絡んでないと、ほとんど交流がない。今日の会は送別会も兼ねていて、送られる三人のうち二人は、この日はじめて一緒に飲む人だった。ご一緒するのは最初で最後かなあと思ってたら、宴席はやたら盛り上がり、「また飲みましょう」となった。こういう発見は、うれしい。


2001年12月24日(月)  イベント大好き

■ミキちゃんミナちゃんの美女コンビがあまたのお誘いをことわり(!?)、わが家でクリスマスを祝ってくれる。めったにしない料理をして、とっておきのお皿に盛り付け、いつもは聴かないCDをかけて、真新しいキャンドルを灯して、明かりを消して。ともだちが来てくれるだけで、イベントになる。


2001年12月21日(金)  サプライズ

■『パコダテ人』のプロデューサー、三木さんより「函館からクリスマスカードが着きました」と電話。ロケのときヒストリープラザの郵便ポストに投函したカードが忘れた頃に届いたのだ。「この映画ができたことをあなたが本当に喜んでいるのが伝わりました」と、普段アホなことばっかり言っているオッチャンが珍しくマジメな台詞。何を書いたかよく覚えてないけど、ありがとうって気持ちで書いたのがちゃんと伝わってうれしい。■家に帰って集合ポストを開けると、函館消印のカードが。『パコダテ人』で知り会い、『風の絨毯』の出会いを運んでくれた小山さんからだった。映画祭で函館に行ったときに出してくれたらしい。「××さんが今井さんに送るものがあって自宅の住所を知りたいそうですが」と聞かれて答えたのに届かないなあと思ってたら、こういうことだったのか。ヤラレタ!


2001年12月20日(木)  幸せの粒

■いったいどこ行ったんだ!と死ぬほど心配した相手が目の前に現れたとき、まず思いきり怒鳴りつけ、怒りにまかせてまくしたてるうちに泣いてしまうのだ。ということを身をもって実感。張り詰めていた気持ちがゆるむと、ためていた涙が一気にあふれ出す。号泣しながら、ああ、あのシーンの彼はこうなるのか、と今書いている登場人物の心理を想像している自分がいる。悲劇も芸のこやし。■新聞のインタビュー記事で今井美樹さんが「わたしたちのまわりには幸せの小さな粒がいっぱい転がっている」。かわいいこと言う人だ。


2001年12月19日(水)  害虫

■『パコダテ人』監督の前田さん、アシスタントプロデューサーの石田さんと渋谷のサムラートでカレーを分け分けしながら映画の話。二人とも体調が悪いと言いつつ、よく食べる。函館映画祭で会った片岡礼子さんの『ハッシュ』について語っていると、製作・配給のシグロの方が近くのテーブルに。前田さんに紹介していただく。ここでもシンクロニシティに遭遇。■広告の世界から映画の世界に飛び込んだ石田さんに「第一線の監督と脚本家をつかまえてるんやから、企画を立てないと!」とハッパかける前田さん。え?わたしも第一線?「いま動いてる人は、誰かて第一線です」。ある映画関係者の話になったとき、「いつか見返したろと思てるんですけどね」とさりげなく言ったのも印象に残る。上映30分前に『害虫』試写会会場へ。10分前には満席だった。あおいちゃんは13才の役。


2001年12月18日(火)  シンクロニシティ〜天使からの小さな贈り物

新聞のコラムで阿木燿子さんが「最近シンクロニシティに出合うことが多くてうれしい」と書いていた。直訳すると共時性。なんとなく思い描いていたことと同じことを考えている人に遭遇したり、無意識のうちに欲しかったものがひょっこり手に入ったり。運やタイミングやいろんな偶然のかけ合わせで、思いがけない意味やドラマが生まれること。阿木さんは「天使からの小さな贈り物」と名づけていた。

映画をやりたいという気持ちに応えるようにかかってきた前田監督からの電話。そこからはじまった『パコダテ人』の映画化。アメリカのテロの後、「平和のために何ができるのか」を考えていたら舞い込んだ日本イラン合作映画の仕事。わたしは、たくさん贈りものをもらっていることになる。

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