2001年12月27日(木)  今がいちばん若い

■「ありがとうございました」という社内メールを何通も受け取る。今月いっぱいで会社を去る人たちからの挨拶だ。長年勤め上げた人が多いせいか、なかなか味わいのある文章ばかり。女性コピーライターの大先輩は「いろんなことに挑戦したい。今がいちばん若いのだから」。今より若返ることはないということをポジティブに言うとこうなるのかと感心。■会社に残る人からも「ありがとうメール」が届く。同じプロジェクトに関わったメンバー全員に宛てて、ねぎらいの言葉と「来年もいい仕事しましょう」と爽やかな決意。『全員に返信』で他のメンバーも「こちらこそありがとう」と言い合う。きもちいい。■夜は新宿でパコダテ人スタッフら映画関係者中心の忘年会。リクエストに応えて友人の美女たちを連れて行くと、「動物と人間ぐらいの差がある」と前田監督。おだまり。「顔なんか関係ないですよ。この人は役に立つ女ですから」と三木さん。フォローになってない。安ければ何でもいいのだ。パコダテ人ナマ応援団長の虎牙光揮君は、はじめてのドラマの役作りで北京語を特訓中。「勉強したいと思ってたのでラッキーです」と目がキラキラ。チャンスを栄養にする人だ。


2001年12月26日(水)  ロマン配合

今井雅子ファン最高齢の七十代のオジサマトリオが『囲む会』を開いてくださり、外苑前の点心・中国料理『ピート』でごちそうになる。看板の趣味が相当悪いけど、おまかせで他の店にはないメニューを出してくれ、そのうえ安いので、お気に入りのお店。四十ン才年上のオジサマたちは絵を描かれていたり、俳句をたしなまれていたり、とにかく行動的。話題も旅行のこと、テレビ番組のこと、戦争のこと、こわい奥様のこと、教育のこと、ポンポン飛んで追いつくのが大変なぐらい。わたしのこれまでの作品も熱心に批評してくださり、和紙にしたためた感想文まで頂戴する。「今井さんの作品には、リアリティーの中にロマンのエッセンスが入っています」と言われ、いいほめ方だなあと思う。自分を甘やかしてはいけないけど、ファンというのは、やっぱりうれしい。


2001年12月25日(火)  発見!

■渋谷『しゃぶ禅』にて会社のグループの忘年会。「牛は絶対イヤ!」と発起人が主張して、海鮮・豚・鳥しゃぶしゃぶを予約したら、発起人は風邪でダウン。ありがちなことだ。■同じグループにいても、同じプロジェクトに絡んでないと、ほとんど交流がない。今日の会は送別会も兼ねていて、送られる三人のうち二人は、この日はじめて一緒に飲む人だった。ご一緒するのは最初で最後かなあと思ってたら、宴席はやたら盛り上がり、「また飲みましょう」となった。こういう発見は、うれしい。


2001年12月24日(月)  イベント大好き

■ミキちゃんミナちゃんの美女コンビがあまたのお誘いをことわり(!?)、わが家でクリスマスを祝ってくれる。めったにしない料理をして、とっておきのお皿に盛り付け、いつもは聴かないCDをかけて、真新しいキャンドルを灯して、明かりを消して。ともだちが来てくれるだけで、イベントになる。


2001年12月21日(金)  サプライズ

■『パコダテ人』のプロデューサー、三木さんより「函館からクリスマスカードが着きました」と電話。ロケのときヒストリープラザの郵便ポストに投函したカードが忘れた頃に届いたのだ。「この映画ができたことをあなたが本当に喜んでいるのが伝わりました」と、普段アホなことばっかり言っているオッチャンが珍しくマジメな台詞。何を書いたかよく覚えてないけど、ありがとうって気持ちで書いたのがちゃんと伝わってうれしい。■家に帰って集合ポストを開けると、函館消印のカードが。『パコダテ人』で知り会い、『風の絨毯』の出会いを運んでくれた小山さんからだった。映画祭で函館に行ったときに出してくれたらしい。「××さんが今井さんに送るものがあって自宅の住所を知りたいそうですが」と聞かれて答えたのに届かないなあと思ってたら、こういうことだったのか。ヤラレタ!


2001年12月20日(木)  幸せの粒

■いったいどこ行ったんだ!と死ぬほど心配した相手が目の前に現れたとき、まず思いきり怒鳴りつけ、怒りにまかせてまくしたてるうちに泣いてしまうのだ。ということを身をもって実感。張り詰めていた気持ちがゆるむと、ためていた涙が一気にあふれ出す。号泣しながら、ああ、あのシーンの彼はこうなるのか、と今書いている登場人物の心理を想像している自分がいる。悲劇も芸のこやし。■新聞のインタビュー記事で今井美樹さんが「わたしたちのまわりには幸せの小さな粒がいっぱい転がっている」。かわいいこと言う人だ。


2001年12月19日(水)  害虫

■『パコダテ人』監督の前田さん、アシスタントプロデューサーの石田さんと渋谷のサムラートでカレーを分け分けしながら映画の話。二人とも体調が悪いと言いつつ、よく食べる。函館映画祭で会った片岡礼子さんの『ハッシュ』について語っていると、製作・配給のシグロの方が近くのテーブルに。前田さんに紹介していただく。ここでもシンクロニシティに遭遇。■広告の世界から映画の世界に飛び込んだ石田さんに「第一線の監督と脚本家をつかまえてるんやから、企画を立てないと!」とハッパかける前田さん。え?わたしも第一線?「いま動いてる人は、誰かて第一線です」。ある映画関係者の話になったとき、「いつか見返したろと思てるんですけどね」とさりげなく言ったのも印象に残る。上映30分前に『害虫』試写会会場へ。10分前には満席だった。あおいちゃんは13才の役。


2001年12月18日(火)  シンクロニシティ〜天使からの小さな贈り物

新聞のコラムで阿木燿子さんが「最近シンクロニシティに出合うことが多くてうれしい」と書いていた。直訳すると共時性。なんとなく思い描いていたことと同じことを考えている人に遭遇したり、無意識のうちに欲しかったものがひょっこり手に入ったり。運やタイミングやいろんな偶然のかけ合わせで、思いがけない意味やドラマが生まれること。阿木さんは「天使からの小さな贈り物」と名づけていた。

映画をやりたいという気持ちに応えるようにかかってきた前田監督からの電話。そこからはじまった『パコダテ人』の映画化。アメリカのテロの後、「平和のために何ができるのか」を考えていたら舞い込んだ日本イラン合作映画の仕事。わたしは、たくさん贈りものをもらっていることになる。


2001年12月17日(月)  映画を編む

■会社が終わってから五反田イマジカへ。普段はTVCFの編集などでお世話になっているスタジオだが、この一画に「風の絨毯」の詰め所がある。日本側の制作スタッフの方々と名刺交換もそこそこに日本ロケ部分のシナリオ打ち合わせ。今まではプロデューサー二人と膝を詰めてやっていたが、一気に倍以上の人数になる。その場で意見をまとめて打ち上げる。帰り道「人が増えた分、いろんな意見が出て、いい方向へ修正できたと思います」と言うと、プロデューサーの益田さんが「シナリオも編むんですよね、絨毯と一緒で」。いろんな人が絡んだとき、糸がこんがらがるか、色彩豊かで温かい作品にできるか。そこで脚本家は試されるのかもしれない。書くのではなく、編むのだ。


2001年12月16日(日)  こだま

■シナリオセミナーに出席。石井ふく子さんが金子みずずの詩『こだまでしょうか』を引用され、「原稿用紙に向かうときは、その向こうにいる人間と向かっている。書くことで誰かからこだまが返ってくるのがシナリオの醍醐味」と話される。講師の鴨下信一さんは、出席者が提出したシナリオをメッタ斬りした後、「楽して書くな。苦労して書いて、書くことで豊かになれ」と激励。喝を入れていただく。

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