2001年12月25日(火)  発見!

■渋谷『しゃぶ禅』にて会社のグループの忘年会。「牛は絶対イヤ!」と発起人が主張して、海鮮・豚・鳥しゃぶしゃぶを予約したら、発起人は風邪でダウン。ありがちなことだ。■同じグループにいても、同じプロジェクトに絡んでないと、ほとんど交流がない。今日の会は送別会も兼ねていて、送られる三人のうち二人は、この日はじめて一緒に飲む人だった。ご一緒するのは最初で最後かなあと思ってたら、宴席はやたら盛り上がり、「また飲みましょう」となった。こういう発見は、うれしい。


2001年12月24日(月)  イベント大好き

■ミキちゃんミナちゃんの美女コンビがあまたのお誘いをことわり(!?)、わが家でクリスマスを祝ってくれる。めったにしない料理をして、とっておきのお皿に盛り付け、いつもは聴かないCDをかけて、真新しいキャンドルを灯して、明かりを消して。ともだちが来てくれるだけで、イベントになる。


2001年12月21日(金)  サプライズ

■『パコダテ人』のプロデューサー、三木さんより「函館からクリスマスカードが着きました」と電話。ロケのときヒストリープラザの郵便ポストに投函したカードが忘れた頃に届いたのだ。「この映画ができたことをあなたが本当に喜んでいるのが伝わりました」と、普段アホなことばっかり言っているオッチャンが珍しくマジメな台詞。何を書いたかよく覚えてないけど、ありがとうって気持ちで書いたのがちゃんと伝わってうれしい。■家に帰って集合ポストを開けると、函館消印のカードが。『パコダテ人』で知り会い、『風の絨毯』の出会いを運んでくれた小山さんからだった。映画祭で函館に行ったときに出してくれたらしい。「××さんが今井さんに送るものがあって自宅の住所を知りたいそうですが」と聞かれて答えたのに届かないなあと思ってたら、こういうことだったのか。ヤラレタ!


2001年12月20日(木)  幸せの粒

■いったいどこ行ったんだ!と死ぬほど心配した相手が目の前に現れたとき、まず思いきり怒鳴りつけ、怒りにまかせてまくしたてるうちに泣いてしまうのだ。ということを身をもって実感。張り詰めていた気持ちがゆるむと、ためていた涙が一気にあふれ出す。号泣しながら、ああ、あのシーンの彼はこうなるのか、と今書いている登場人物の心理を想像している自分がいる。悲劇も芸のこやし。■新聞のインタビュー記事で今井美樹さんが「わたしたちのまわりには幸せの小さな粒がいっぱい転がっている」。かわいいこと言う人だ。


2001年12月19日(水)  害虫

■『パコダテ人』監督の前田さん、アシスタントプロデューサーの石田さんと渋谷のサムラートでカレーを分け分けしながら映画の話。二人とも体調が悪いと言いつつ、よく食べる。函館映画祭で会った片岡礼子さんの『ハッシュ』について語っていると、製作・配給のシグロの方が近くのテーブルに。前田さんに紹介していただく。ここでもシンクロニシティに遭遇。■広告の世界から映画の世界に飛び込んだ石田さんに「第一線の監督と脚本家をつかまえてるんやから、企画を立てないと!」とハッパかける前田さん。え?わたしも第一線?「いま動いてる人は、誰かて第一線です」。ある映画関係者の話になったとき、「いつか見返したろと思てるんですけどね」とさりげなく言ったのも印象に残る。上映30分前に『害虫』試写会会場へ。10分前には満席だった。あおいちゃんは13才の役。


2001年12月18日(火)  シンクロニシティ〜天使からの小さな贈り物

新聞のコラムで阿木燿子さんが「最近シンクロニシティに出合うことが多くてうれしい」と書いていた。直訳すると共時性。なんとなく思い描いていたことと同じことを考えている人に遭遇したり、無意識のうちに欲しかったものがひょっこり手に入ったり。運やタイミングやいろんな偶然のかけ合わせで、思いがけない意味やドラマが生まれること。阿木さんは「天使からの小さな贈り物」と名づけていた。

映画をやりたいという気持ちに応えるようにかかってきた前田監督からの電話。そこからはじまった『パコダテ人』の映画化。アメリカのテロの後、「平和のために何ができるのか」を考えていたら舞い込んだ日本イラン合作映画の仕事。わたしは、たくさん贈りものをもらっていることになる。


2001年12月17日(月)  映画を編む

■会社が終わってから五反田イマジカへ。普段はTVCFの編集などでお世話になっているスタジオだが、この一画に「風の絨毯」の詰め所がある。日本側の制作スタッフの方々と名刺交換もそこそこに日本ロケ部分のシナリオ打ち合わせ。今まではプロデューサー二人と膝を詰めてやっていたが、一気に倍以上の人数になる。その場で意見をまとめて打ち上げる。帰り道「人が増えた分、いろんな意見が出て、いい方向へ修正できたと思います」と言うと、プロデューサーの益田さんが「シナリオも編むんですよね、絨毯と一緒で」。いろんな人が絡んだとき、糸がこんがらがるか、色彩豊かで温かい作品にできるか。そこで脚本家は試されるのかもしれない。書くのではなく、編むのだ。


2001年12月16日(日)  こだま

■シナリオセミナーに出席。石井ふく子さんが金子みずずの詩『こだまでしょうか』を引用され、「原稿用紙に向かうときは、その向こうにいる人間と向かっている。書くことで誰かからこだまが返ってくるのがシナリオの醍醐味」と話される。講師の鴨下信一さんは、出席者が提出したシナリオをメッタ斬りした後、「楽して書くな。苦労して書いて、書くことで豊かになれ」と激励。喝を入れていただく。


2001年12月11日(火)  『ハッシュ!』 1本の傘 2本のスポイト

ハッシュ!』を観た。函館の映画祭で見れなかったので、見たい見たいと思ってたら、会社の隣の席のチャチャキ君が「こういうの興味ある?」と試写会のチケットをくれた。念ずれば通ず。橋口監督と片岡礼子さんの舞台挨拶の後、上映。132分の長さを感じさせない。登場人物がカワイイ奴らぞろいで、愛せる作品。台詞も音楽も洒落てて、日仏同時公開と聞いていたせいかフランスっぽいにおいを感じた。ヤラレタ!っていう台詞が結構あったし、ちゃんと笑わせていた。チラシにあった「1本の傘からはじまり2本のスポイトを経て彼らは……」というコピーもうまい。

少し前、『パコダテ人』の前田哲監督が「今井さんならこれを持って歩けるでしょう」と『ハッシュ!』プロモーション用の手提げをくれた。黒地に白でタイトルが入り、そのまわりに精子君たちが泳いでいる。義母は「あらかわいい。おばけ?」と言った。

いまいまさこカフェbag gallery


2001年12月02日(日)  函館映画祭3 キーワード:Enjoy



Enjoy丼!
■ホテルリッチ函館をチェックアウトし、木下ほうかさんとともに前田監督の宿泊先へ。「朝市の丼は高いから他で食べよう」ということになり、「そういやホテルのレストランの看板出てたけど、イクラ丼300円て書いてたよな」と、ほうかさんとわたし。「何それ? むっちゃ安いやん!」と前田監督。看板をよくよく見たら2, 300円となっていた。「千の位が離れ過ぎでわからんかった」「何言うてるねん。こんなデカい文字、どうやったら見逃せるんや」。関西人が三人寄ると漫才になってしまう。結局、丼のチェーン店に入る。かき丼を頼んだらかき揚げ丼が出てきた。店員さんもボケてるがな。ほうかさんが三人分出してくれる。ごちそう様。


Enjoyコーラ瓶
■「僕ね、全然観光してへんのよ。ロケのときスケジュールがパツパツやったから」とほうかさん。市電で元町へ行く。ふらりと入ったガラス工芸屋の店先に首がぐにゃりと曲がったコーラ瓶があった。ひとり1800円で体験制作できるとのことで申し込む。炉で熱して瓶の首を溶かし、首先をつかんだ鉄鋏を素早く動かして一瞬で形を作るという作業。いい感じのS字になった。

Enjoyティータイム
■イギリス領事館のティールームでお茶。「スコーンのお客様?」「え、酢コンブ?」 「シナモンティーのお客様?」「品物(しなもん)はこっちに置いてもろて」。どこへ行ってもボケをかましてくれるほうかさん。■『いつかギラギラする日』でほうかさんが函館に来た十年前からのファンという中川さんと合流。ロケのときはカニを差し入れしていただいた。今日もごちそうになる。■金森倉庫で映画祭の写真展をやっているというので、中川さんの車で移動。パコダテ人の撮影風景のスナップもあった。備え付けのノートに『パコダテ人』の感想が書き込まれているのを見つけて、うれしくなる。

Enjoy鮨
■ほうかさんたちがロケのとき中川さんにごちそうになったという湯の川温泉近くのお鮨屋さんへ。何を食べても新鮮でとにかくおいしい。塩で握った鰺は最高。とろけるウニもプリプリのイクラも至福の味わい。しばらく東京ではお鮨を食べる気にならない。仕上げの赤だしも魚の出汁がよく効いて、最後の最後まで楽しめた。中川さんは用があるといって引き返してしまったが、お会計を済ませてくれていた。わたしまで、ごちそうになって、いいのやら。すっかりコバンザメ状態。■ひと足先に出発するほうかさんは空港へ、わたしと前田監督は市街へ。1時間ほどヒマができたので、インターネットカフェをはじめて体験する。飲み物つきで1時間300円。お茶するより安い。空港バスを待つ間、前田監督とパコダテ人のチラシのキャッチコピーのアイデア出しをする。「ハッピーって言葉を使いたいなあ」と監督。最終の空港行きバスで函館市街を後にする。前田監督は明日、青森に渡って相米監督のお墓参りをするので、もう1泊。

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