度々旅
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| 2014年06月12日(木) |
最近仕事の仕方を変えたの? |
久しぶりにお会いした会社の人に言われました。別の人にも、最近すっかりナリを潜めてと言われました。
ええと、自分的にはそろそろ区切りをつけてもいいかなぁと本気で思いはじめており、その心が逃げのものなのか、次の始まりなのか見極めながら、ひとつのプロジェクトだけは形にしないと死にきれない(人がいる)と思って、なんとかスタートラインまでもってきました。
で、半年くらい働いてないような状態だったし、この二年くらい自分で立ち上げたプロジェクト動かすことなかったから、正直緊張してる。
でもまぁ、区切りにするにはふさわしい仕事!と勝手に前向きにもなってたのですが。
そんななか、ナリを潜めてるわたしにわざわざ意見を求めてきたことにまずは驚いた。
そして、別の人からはあとちょっと。あとちょっと耐えれば、(会社全体の)状況が変わる。それまで、今の死んだふりを続けて、仕事を進めないようにしとくのが策。 その間やるべきことは、誰が本当の味方か、誰がほんとに会社のこと、われわれ自身のことを考えているか見極めること。なんて言われた。
どちらの方も、大して話したことない。それに、日頃仕事の接点もない。
にも関わらず、唐突に言われて、ちょっとびっくりした。
ついでに、最近中沢新一とか久しぶりに読んで、昔より面白く読めてる。なんか、全部ぜんぶ、社会にでて、仕事を持たなかったら得ることができなかったことに囲まれてることはよくよくわかった。
でも、このまま、あとちょっとを待ち続ける先はどうなんだろ。
なんて考えつつ、とにもかくにも、明日の会議か。
仕事で、ある新聞社の論説委員の方と会いました。その新聞の主義主張も、その方がもって行こうとしている論説の方向も賛同するわけではないけれど、取材立会いを通じて、救われたというか、力をもらったというか、久しぶりに頭が本当に心地よい形で回りはじめました。栄養をもらったようなものかもしれない。
今の会社に入り、七年目。いろんなことがあって、同じ部署でありながら、全く違う部署にさせられ。でも、私だけは残され。化石なのに残されている。そして、スキルもない。いや、相変わらず私には言葉しかない。
でも、言葉を通じてしかコミュニケーションをとれないことに半ば絶望しはじめてました。同じ言葉なのに、言語ゲームが成立しているのに、何も共有できない。言葉がラベルにしかすぎず。感性の手先にはなれても、主義主張、意思の現れとして機能しない。
羅列されている言葉は、確かに何かを伝えようとしているし、適確に描写もしている。意志を示している。でも、空疎。会話してても空疎。
もうやれることがないのではないかと、本当私には何もないのではないかとカナリやばかったのですが、今日の取材中、言葉に込められている思考、思想、魂を感じ、自分の言葉までも、生き返ったような気持ちになりました。
おこがましい話ですが、物書き脳やペンの力で生きてる人に会えて、本当にうれしかった。
なぜだか6時前に目が覚めるようになったので、少し早起きを実践してみてる。ちょっとヨーガをしたり、ちょっと英語の勉強したり。会社にちょっと早くいってみたり。 いつもギリギリに駆け込んでいたので、上司には「なんでいるの?」と1日目に言われ、2日目には「調子がくるう」と言われ。たった2日で言われるとは・・・。私の怠惰っぷりがどれだけよという感じである。とりあえず2週間こんな感じが続いている。季節の問題かね。
さて、会社では雇ったパートさんがまったく仕事をしなくなってしまった。契約更新をしないことにしたら、ちょっと揉めていて、世の中色々な人がいるのだなぁと改めて思う。昨年夏から産休・育休中の同僚がいるのだけれども、こちらも何も引き継ぎなしに、復職予定もわからず休んでいったけれども、その際も「前代未聞」と言われ、今回も「前代未聞」と総務に言われてしまった。ちょっと、引きが強すぎた。
かつて7人いたうちの部署はいまや3人。でも、逆に超動きやすく情報共有もしやすく。これはこれでアリかもしれんと思ったり。でも、やっぱり仲間となり得る人がほしいなぁと思う日々。
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