度々旅
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卒業式ということで、友人が後輩に会うために学校にやってきた。学校に近い私は呼び出され、雨の中、学校へ。その後、二人で呑んだのだが、相変わらずそいつは、めちゃくちゃな人生で、ゲンキづけられた。 帰り道、気持ちが良かったので隣の駅から歩いて帰ってきた。夜で、雨ということもあり、あまり歩いたことのない道は、ちょっと怖い。昔ならば、朝まで飲んだり、誰かの家に行って騒いだりした。けれど、歳のせいかもうそんな元気はない。 最近、懐かしい人と会うたびに、もう朝までは駄目だねという会話をしている。飲んで、クラブやライブに行って、カラオケ行って、朝ごはんを食べて、電車で帰ってくるなんてことをやれていたなんて、体力あったなぁ。今では無理だ。徹夜で遊ぶってことがもう駄目だ。そういや、大晦日はイベントなどに行って一晩中遊ぶのが習慣だったけれど、朝に初詣に行く時には、疲れ果てていて、寒いなかあたしは何しているんだろう。紅白でも見て、近くの神社行って、寝てれば良かったと毎年後悔していた。けれど、後悔することがわかっていても、毎年遊んでいた。それが、もう後悔するのだからやめようという気持ちの方が強くなり、大晦日に遊ぶのはやめた。 歳をとるって、後悔することを先読みして、勢いをとめることができるようになるってことなのかもしれん。きっと今ごろは後輩たちは、朝まで飲む勢いで楽しんでいるだろう。そういう時を十分に楽しんで彼らはこれから社会へ出たり、大学に残ったりだ。朝まで頑張って飲んでおくれ。おめでとう。
とても暖かく気持ちの良かった一日だ。夕方すぎて窓をあけていても、それほど寒さを感じなかった。昼間友人にたのまれた住民票をとりに役所へ。自転車も借りたので、いつもは行かない辺りをついでにふらふら。春だのぉ〜と思いながら、川沿いのベンチでぼーっと。 一度帰ってきてから、せっかく自転車があるのだからと、また近所をふらふら。ビデオ屋の前をとおると、入会金無料!いつも、無料の日を忘れて入会をしていなかった。やっとこれで友人に迷惑をかけずにビデオを借りれるわ。割引券をもらったので、調子にのってCDまで借りてしまった。 もう梅の花は散り始めている。だんだん桜の開花が近づいてきて、今年は花見をしてやるぞと意気込み中。
過去を思い出させられたここ最近。2週間程まえに、高校の友人からきた電話。浪人時代の友人の写真展。大学時代の友人がとまりにきた。旅先でで会った夫妻からの手紙。そして浪人の時の友人との食事。 どの人も、今の私をつくってくれた人たち。私の中に、確実に編みこまれている人たち。私という人間を編んでくれた人たち。 きっと、私は意識的にではないにせよ、それぞれの人たちに違う顔を見せていたことだろう。彼ら彼女らが知っている私は、同一人物だけれど少しずつ違うに違いない。それぞれの人と共有した時間を思い出しながら、少し今の自分との距離を感じる。その距離が、良いものか悪いものか私にはわからない。もしかしたら、とんでもなくひどい方向に行っているような気もする。まるで、過去の自分を他人を見るような目で見ている私。決して過去の自分を否定するわけではないけれど、そして、過去の自分と私が何が違うのかと言われれば困るけれど、何かとても距離を感じているのは事実だ。 私は感受性が強いと言われていた。そんな私は、気づいたら自分の感情を出来るだけ殺すようになっていたように思う。感情的になるのは、感情をストレートに出すのは、裸になるようで恥ずかしいと思うようになっていた。嬉しい、ありがとう、という気持ちを表すのは別としての話だが。悲しいとか、悔しいとか、怒りといったものは、出来る限り押し殺していた。そのうちに、私は自分自身のそういう感情と距離をとるようになっていた。そして、そういう感情がどういうものかよくわからなくなっている。 しかし、そうはいっても、はやり人間なのだから、悲しいなどの感情はどこかで感じているわけで、時々思いがけないところで、涙が出そうになってしまったりする。まるで、普段無視されていた感情が氾濫を起こすようなかんじだ。悲しいのだか、悔しいのだか、なんなのかわからないものが洪水のように湧き上がり、私はその感情をコントロールすることができず、ただただ恥ずかしいと思いながら涙と一緒に垂れ流す。 「感情の垂れ流し」という言葉を私にくれた人は、もう自分では何なのかわからない感情を、いつでもそのまま飲み込んでくれて、消化してくれて、次の栄養を私に与えてくれた人だ。過去の出会いをたどりながら、以前にもまして、自分の感情を出さなくなっている自分に、本当はそんなものを完全にどこかへ置いてきてしまったのではないかと不安になってみたり、その置いてきた感情がいつかどこかでとんでもない氾濫になるのではないかと怖くなってみたり。けれど、もしかしたら、自分でも気づかない方法で、うまく垂れ流してコントロールできるようになっているのではないかと、少し期待してみたりするのだった。
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