度々旅
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2003年03月09日(日) 昔の住処

 せっかくの晴れでも、風がびゅーびゅーふいていてとっても寒い。家の中にいても、風の音が聞こえ、外を歩けば空き缶がカラカラカラと転がり、帽子が飛びそうになる。とっても寒い。この空き缶が転がる音って、もうそれだけで寒さ倍増というかんじだ。
 夕方、学校の図書館へ本を返却しに行った。もう卒業してしまった友人を連れて行ってついでに新しく出来た建物などを見てきた。二人で、もうなんだかものすごく寂しい気分になった。私たちが生活の場としていたサークル塔の横に、新しいサークル棟が出来ていた。その周りが、まるで公園のように整備されきれいだ。とってもきれいだ。きれいすぎて、涙が出そうになった。昔の風景を思い出し、もうあの頃は絶対に戻ってこないんだな、みんなで追いかけっこをして、学祭の前夜祭には泥酔して歩き回り、夜中に仲間が全裸で行進して、警備員に追いかけられたあの場所はもうないのだ。そして、昔のサークル塔には学生によって描かれた絵があり、それがある種サークル塔のカオス的状況の象徴のようなものだったのだけれど、それがいずれ消されてしまうかもしれないと思ったら、いても立ってもいられなくなっていた。友人がつぶやいた一言「闘った方がいいよ。」現に、一部学生が、新しいサークル棟建設に対して学校側と闘っていた。他大学で出来た新しいサークル用建物を視察しに行き、カードキーがなければ入れず、夜8時には追い出されてしまうということを聞いて、私たちの大学に出来た新しい建物がそうならないように、そのような建物ならば、当局側に管理されるような建物ならば建てるべきではないと闘っていた。私も、もっと彼らに協力すればよかったなと今更思ってしまった。
 学部生時代に私が住処としていたサークル塔は、なんでもありで、中庭で一晩中祭りをしたり、他大学生が自由に出入りしたり、何かやりたいと思ったら他サークルを巻き込んで遊べる状況だった。学校嫌いの私が、休みでも学校に行っていたのはあのサークル塔があったからだ。自由だったのだ。そして、その中でもなんらかのルールはあった。サークル塔の住人はバカなりに最低限の節度を保っていた。だから、昼間っから酒を飲もうが何しようが良い状況だった。けれど、ここ数年学祭の前夜祭も花見も全面禁酒になってしまった。当局とケンカしながらも、サークル塔の住人たちはある意味当局と仲が良かったから、許されていたし、それを許してくれる当局側に迷惑が掛からないようにやっていたというところが多々あった。けれど、その迷惑が掛からないようにという部分が欠如しているサークル塔に入っていない一部サークルが、ルールを無視してしまったために、学校側も絶対的なルールを掲げそれを守れと私たちにせまってくる状況になってしまった。とても悲しい。そして、新しくできたサークル棟には、今までサークル塔に入れなかった人たちがやってくるという。どうなるのだろうか。一体になって、今までどうり仲良く遊べるのだろうか。それとも新しいところに対する管理の厳しさのしわ寄せが、私たちのサークル塔にもやってくるのだろうか。
 新しい建物を素直に喜ぶべきなのだろうけれど、どうにも悲しさとやるせなさでいっぱいだ。


2003年03月04日(火) 祖父を預ける

 1月初めに倒れ、入院していた祖父が病院から退院した。病院からは2月の初めの時点で退院を即され、ねばるだけねばっての退院だ。入院前の祖父は自力で立って歩くことができたが、車椅子を使わなければならなくなってしまった。介護度も上がり、これ以上家での介護は母が壊れてしまうということで、入院期間に祖父を施設へ預けることを話し合った。祖母を預かってもらっていた老人保健施設が非常に親切だったので、そこに預けたく思い相談をしてみると、3月半ばにはなんとか部屋を空けてくれるとのことだった。しかし、病院はそれまで待ってくれないので、今週の土曜日に退院をさせ、自宅で2週間程面倒をみて、それから施設へたのむことにしていた。
 決めた施設がいろいろ調整をしてくれている間に、念のために他の施設へも見学へ行っていたのだが、その中の一つから急に連絡が入り、ベッドが空いたのですぐに受け入れると言われ、病院の方は早く追い出したいわけだから、その施設へ入ることにさせられてしまった。施設側は祖父の介護度が上がったということで、急遽受け入れることにしたのだろう。
 祖父を連れていくと、祖母がいたところに比べると、やや不安が残りはするがしょうがない。
 以前祖母を預けていた施設へは、毎日家族の者が通うようにしていた。今回も、それができるように出来る限り近場で選んだ。施設に預けるというと、一緒に住んでいる家族がいてなぜ預けるのか?などと平気で言われることがある。別に施設に預けたからといって、その家族を見捨てたわけではない。家だろうが、施設だろうが、愛情を持ってその家族に接することができる選択をするのが大切だと思う。
 この家族がどれだけ愛情を持っているかによって、施設側の対応も変わってくる場合がある。祖母を預けていた施設が、祖父のためになんとか調整して早く部屋を空けるようにしてくれたのも、祖母を施設へ預けっぱなしにせず、施設側と密に連絡をとっていたためだ。その施設では、祖母がなくなった後も、祖父の痴呆についていつでも相談にのってくれていた。施設に預けるというのは、介護を放棄するということではなく、介護協力者を得るということなのだ。介護は、一人でも、一つの家族だけでもできない。理解のあるたくさんの協力者が必要だと思う。
 
 


2003年03月03日(月) 箱根

 一泊で、箱根へ温泉旅行。日曜日はとっても晴れていて、電車から富士山もきれいに見えた。けれど、時間が中途半端だったし、何度か来ているので、特別に観光をすることなく、登山鉄道で一つ先の駅まで行ってそこから、宿へと歩いた。
 いくつか候補にしていた宿を通り過ぎ、「こっちの宿でもよかったな」などと言いながら、自分たちの宿を探す。そこで、発見した自分たちの宿。うそ、ここですかぁ???日曜日ということもあって、他の宿は軒先にも活気があふれているし、窓からは明かりがこぼれている。なのに、われわれの宿はロビーに明かりもついていないし、客も従業員の気配もない。あああ。失敗かぁ 別に、温泉メインでなくて、ただの仮宿として泊まるならば、屋根と壁と布団があるってだけで、もう満足なのだけれど、今回は宿で温泉三昧だらだら旅行のつもりだったので、言ってみればこの宿ってのがメインなわけで。無人の受付で、「すみませ〜ん」と言いながら、寂しい気持ちになってきた。部屋に入ると、あらゆる備品は傷ついて、壁はきっと宿の人が貼ったであろう壁紙のしわが目立ち、畳は沈むし。。。うぅぅぅぅ。
 けれど、なんとか気をとりなおし、露天風呂へ。すると、今度は、お向かいの宿から見える造りではありませんか。おいぃ〜。
 しかし、あたしを悲しい気持ちにさせることはこの後も続々と続く。どうやら、宿には数組は一応泊まっているらしかったのだけれど、その部屋の世話はどうやら一人のおばちゃんがやっている模様。このおばちゃんが、大問題。食事を運ぶのも、布団を敷くのも、私たちが見ているテレビを見ながら。布団を敷くのに、30分もかかっている。食事の片付けも、電話をしてから30分以上待たされ、こちらはいつくるのか?いつくるのか?と。
 翌朝も、朝食の指定時間に一向に現れることなく、電話で催促するはめに。おばちゃんが、布団をたたむのにかかる時間を考えて、こりゃたまらんと、自ら布団をたたみ始める私たち。けれど、それがおばちゃんは気にくわなかったようで、そのままにしておいてくださいといわれ、たたみかけの布団の横で食事をとるはめに。
 うぉぉぉ。これでは、素泊まり安宿の方が気持ちがラクチンだったよ。結局朝食後の片付けにも、おばちゃんは一向に現れず、しびれを切らしたあたしたちは、なんだかこの悲しい気分をお別れするために、宿をさっさと出ることに。御会計の時に、サービス料をとられ、御土産をもらい、みやげ物はいらないから、サービス料を返してくれよと思ったのは言うまでもありません。。。ちなみに、この宿で見た従業員はおかみさんと思われる人と、このおばちゃんだけなのだけど、どうやらおかみさんは、おばちゃんにいらついているようで、それが客に伝わるのも、なんだかなぁと思って、ますます悲しくなり、宿を去った私たちでありました。

 その後行った大涌谷は登山道は閉鎖なうえ、とんでもない強風で立っているのもやっとだし、視界も悪いし、ロープウェイもとまるし。もういいよ、箱根なんてこないよ!と捨て台詞を吐いて、黒卵を握り締め帰ってきたあたしたちでありました。登山道が閉鎖しているってことぐらい、宿で教えてくれてもよかったのに。。。


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