度々旅
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2002年06月19日(水) 自分を緩ませてあげたい


 授業の準備で、徹夜になりそうな勢い。が、絶対寝てやるのだ。しかし、疲れたので、これを書きながら休憩。夜は、どうしても時間が永遠に続くような感覚になって、だらけていけない。朝起きてやると、時間が限られているのでその集中力はすさまじい。。。が、計算間違いをすると、終わらないまま授業に突入ということになってしまうので、とりあえず、今夜はもう少し頑張ります。

 徹夜・・・。できなくなったなぁ最近。というより、もう睡眠のリズムなんて私にはないので、朝まで起きていることは多い。なんだか、根性がなくなったというか、11時頃まではテンション高くやっていられるのだが、ニューズを見て休憩なんて思っていると、いいかぁ。。明日やれば、なんて思ってしまう。それでも、なんとか奮起してやるのだけれど、一度下がったテンションはなかなか元に戻らないわけで・・・。だからといって、ぶっ通しでやる程の集中力は持ち合わせておりません。とほほ。

 今年の夏は、絶対インドに行ってやると思っていたのだけれど、無理なのかなぁ。戦争・・・。さすがにそろそろ行かないと、ぶち切れそうです。神経が。あの適当な空気の中にどっぷりつかり、沈むとこまで沈んで、また自力で立ち上がらなければと思う時間が欲しい。ここ3年くらい何かにずっと追われていてすごい緊張感で、寝ても夢の中で現実の延長を見てしまう。先日の短い旅では、脱力感というものを味わえず、数年分の英気など養えなかった。今年逃したら、あと2年は無理なんだけれどなぁ。教授や、先輩に、今年は無理だよと言われ、ますます落ち込み。まぁ、その言葉の中には、そんな所に行って遊んでいる場合じゃないだろうという意味も含まれていたのでしょうが。

 今だに、自分をコントロールできない私は、そうやって解消するしかないのです。自分が壊れないための方法は、自分が一番よくわかっていて、それが私は全てから解放され、音信不通になることだ。でも、いなくなる理由を言わねばならない辛い身分。そして、自分が壊れるので、数週間消えますなんて、言い方はできないので、放浪してきますと言うしかない。数年に一度行方不明になるくらい許してほしいものだなぁー。でも、就職していたらそんなことも言えないのよね。今の状態を選択したのは私だけれど、どうも私は能力がないくせに完璧にしたがるくせがあり、自分で自分の首をどうしても絞めてしまう。でも、今の状態で続けても無駄にもがいているようなかんじなのだ。 あああ。ここで、書いたことは愚痴ではないの。結局のところ、自分が今立っている場所には、大満足ではあるので。
 さて、やるとするかぁ。



2002年06月18日(火) 祭りとムネオ

 祭りが終わってしまったような感覚。まだ、Wカップは続くのだけれど。決して私は日本という国が好きなわけではないけれど、こういう国全体が祭り気分になれるということは、なかなかないことなので、良い期間だったと思う。でも、4年後にも今回と同じくらいの盛り上がりがあるのかはわかりませぬが。
 やはり、自分の国で行われているということが、この祭りムードを強く盛り上げていたような気がする。自分の親のような年代の方々も一緒に楽しんでいたことが、嬉しかったなぁ。彼らが生きているうちに、もうこういう国全体が祭りということが起きないかも、と思ったらちょっと寂しくなった。

 国家統一というようなものが、強くなるのは怖いけれど、みんなが楽しめるということは喜ばしいと思うのであります。カーニバルのような、ハレの状態が日本には、もっと必要なのではないかしらと思った次第。何事も理性によって、コントロールしていては息がつまります。

 今日日本が負けて悲しかった私の理由は、完全に祭りが終わってしまうぅということでして、涙を流しているサポーターの皆様とはちょっと違う種類の悲しさなので、申し訳ないような気もします。

 そんな中、もうサッカーのニュースは見たくなかったので、夜はムネオに夢中でした。ニュース23で、逮捕前ムネオインタビューを放送。彼も、今回騒がれているわけだけれど、彼はスケープゴートでして、根本的解決にはならない。けれど、彼の逮捕劇も一種祭りのように扱われ、その熱は時とともに風化してしまうのかもしれません。祭りとは、そういうもので、終わりは必ずやってきてしまう。日常の中に祭りをつくるのは、日常と非日常の区別がつかなくなり、政治などは現実を扱う問題なので、この扱い方はよろしくない。だからこそ、祭り本来の目的を満たすような祭りが、日本にはもっと必要だなぁと思ったのであります。


2002年06月17日(月) 私の発する言葉

 学部時代の友人からの電話。私が以前彼に言ったある言葉について、その意味を確認するものだった。どうも、その言葉を他の友人との会話において使ったところ、その真意を聞かれたらしい。

 その彼は、人の言葉を非常によく覚えている。だから、私が適当に発した言葉について後日持ち出されることが多かった。言葉というのは、会話の文脈においてなんらかの意味を持っているものであり、いきなり部分的に抽出されても、戸惑ってしまう。しかし、彼は私の言葉を非常によく覚えており困った経験がある。

 自分の言葉に責任というものが必要とされる場合がある。それは、何かの行動などと連関する言葉の場合だ。しかし、自分の思っていることや、人に相談された時に出る言葉というのは、私が発した言葉ではあるが、必ずしも責任を持てるものだということができない。その時の心情や、会話の文脈、相手によって変化することがあるからだ。少なくとも、自分で本当に思ったことではあるのだが、自分の発した言葉に常に執着して過ごしているわけではない。常に、私自身は変化しているのだから。

 あの時は、そう思ったけれど今は違うというのは、無責任なことではないと思うのだ。

 今回彼に言われた言葉は、「出会う人とは、出会うもの」という言葉だった。(どうも私はそのようなことを言ったらしい。)それは、常々私が思っていたことで、未だ思っていることだった。人というのは、同じようなものを求めて生活していた中で出会った人は、必ずまたどこかでめぐり合うだろうというようなことを私は思っている。

 彼は私がをの旨を伝えたら、メモをしていた。なんとなく不愉快だった。


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