度々旅
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世の中には、歓迎や紹介の押し付けがあると思う。 アメリカ人の彼氏がいる友人は、彼が日本に来るたびに、 一緒に会おうという。 私としては、どうして私も会わなければいけないのだろう? と思ってしまう。 これって、冷たいことなのかしらん。
紹介された人物と、直接話すような間柄になったならば、 素敵な人を紹介してくれたなぁと感謝。 しかし、別に興味のない相手の場合が非常に辛い。 その上、相手が自分を気に入ってくれてしまった時などは、 なんだか、真ん中に入る人のことを考えると、 申し訳なくて、自分の本当に気持ちが言えなくなってしまう。
まあ、真ん中の人の采配にもよるのだけれど。
新しい出会いというのは、素晴らしいと思う。 その相手が、自分にとっての縦糸ではなく、横糸の関係に なってしまったとしても。
しかし、同じコミュニティーにいたり、共通の友人がいるだけで、 親しくしなければならないというのは、 なんとも耐え難い。 自分とその相手とのこと以外にも考えながら、 お付き合いをしなければならない。
自分が真ん中の立場になる時は、本当に気を使う。 自分の大好きな人と大好きな人が親しくなってくれて、 その輪ができれば素敵だけれど、 それは、自己満足だ。 人と人のつながりは、輪であり放射状ではあるけれど、一つ一つは、 点と点。
アメリカ人彼氏と会いたくないという強い理由があるわけではないが、 会いたいという理由もない。 会いたい、話したいという気持ちがないのに、 ただ会うというのは、相手に対しても失礼だし、 自分も疲れてしまう。 暇そうな私も、これでも一応学びで神経と時間を使っている。 できれば、それ以外に面倒なことは嫌なのだ。 うううん。忙しいという理由だけで、毎回断るのも申し訳ないし。 どうしたら良いのかしら。
人と人のつながりは、 気づいたら、一つの輪っかが、世界中にできているってのは、 素敵だなと思うけれど。
宅急便に起こされる。
今年は、日本の暦でいうと2062年である。 ちなみに、ゼロ戦は日本の暦の2000年にできたから、 ゼロ戦。 由来を知らずに私たちは言葉を使っていることが多い。 由来を知ると、その言葉が示すものに対して 親近感がでてくるものだ。
理学という言葉について、大学一年の時授業で話された。 理(ことわり)を学ぶ学問と聞き、非常にはっとしたことを 覚えている。 それ以降、“理”という言葉には、なんとなく気を使うようになった。 なんだか、非常に魅力のある言葉に思える。
漢字というのは、不思議なもので、一つ一つ意味を持っていて、 歴史を持っている。 アルファベットとは違って、なんとなく生き生きと しているような気がする。 外国語を訳す時、ラテン語やギリシャ語へまで遡ることが あるが、言葉というものは、一つ一つ歴史があり、 その歴史を一つの文字が姿で表しているということに 魅力がある。
人間が考えることなどは、だいたい同じようなもので、 漢字とアルファベットの文化が交わる前から、互いに 同じような意味を持つ、単語や漢字を持っていた。 だから、昔の文章を訳す時には、漢字一文字一文字の意味まで 考えた方が、何かとぴったりくるような訳ができる。
しかし、日本語さえままならない私は、言葉の素晴らしさを “理”について聞くまで、まったく感じていなかった。 だから、“理”に感謝。
学校帰りにある、無人販売で、掘りたての竹の子を買う。 ぬかがなかったので、米のとぎ汁であくをとるべく煮て、 竹の子ご飯にする。 春を満喫だなあなどと思っていたら、 急に腹痛。 んんん。 普段ごはんを3食食べない私は、今日3食食べた。 それが理由か、竹の子が理由か。
最近、また植物を育てたりしたいなと思っている。 私が、この部屋で育てたものは、少なくはないのだが、 今では全員いなくなってしまった。 逃亡を繰り返していたハムスターも、今ではいない。
だから、心の中に刻んでおくべく、ハムスターの名前 こげんきを使わせてもらっている。 こげんきは、すでに2号までいたので、私は、こげんき3号というわけだ。
私の実家は、都会で狭いにもかかわらず、 なかなか素敵なお庭だ。 欅や、百日紅、松、紅白の梅、椿、紅葉、笹、 などなど、所狭しと生きている。 夏が近づくと、蛙くんも、げこげこと泣き出す。
実家にいた頃は、植物を育てたいという気持ちは、 殆どなかった。唯一、小さなサボテンを育てていたくらいだ。 そのサボテンは、ジュースの缶に土を入れて小分けされ、 今だに増殖中。サボテンというのは、無精者の私には、 非常に相性が良い植物だ。
私が、自ら、畑が欲しいな、植物と暮らしたいなと思うように なったのは、ここ数年の気がする。 旅先のインドで知り合った、若い夫妻がいた。 彼らは、日本に帰ってから、九州の田舎で、自給自足に生活を目指し 生活している。 彼らの所へ18切符で、野宿しながら遊びに行った時、 一週間ほど、畑を手伝った。 あの生活が忘れられずにいるんだなあ。 命を感じながらの生活は、本当に素晴らしいものだ。
小さいベランダで、再び植物を育てるべく、 大出費で、植物を育てる本を買ってしまった。 何を育てようかしら。 わくわくしながら、ページをめくっている。
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